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元朝日新聞記者、稲垣えみ子『魂の退社』東洋経済新報社2016は50にして朝日を退社した著者の退社理由が綴られる。バブル時代に入社し、大坂で金をふんだんに使う取材と生活をし、ある日香川に転勤となり生活が一変して、会社に依存することに明日を期待できなくなり退社を決意する。38にして退社を決意した私としては50は少々遅いという気もするが、しかしそれでもこの時期に退社を決意するにはかなりの勇気が必要であり敬意を表する。未だに会社に忠誠を尽くし、転職はタブーというのが日本の会社社会である。そして会社に入ることがすばらしく、会社が経済を活性化して会社が金を儲けることを日本の最重要課題にしている安倍さんの目標は我々の既成概念からすればまったくもって当然の方針なのかもしれない。
「しかし」、と著者は言う。「会社社会はまったくもって幸せを招かない」。
同感である。会社社会を乗り越えなければならないのである。人より偉くなる、人より儲ける、人事と金に縛られた会社社会は緊張と精神の病を生むだけである。そんなことは皆わかっているけれどやめられない。麻薬のようなものなのである。どうしたら辞められるのだろう??会社社会。
昼に事務所にフェデリコがきてエクアドルでのワークショップ打ち合わせを行う。フェデリコはすでに2回この国でWSを行い実際に小さなポータブルアーキテクチャーを作っている。そのスピリットを継承し、イマージェンシーポータブルアーキテクチャーを使用後に違う用途に変えることが可能なものを作ろうと考えている。キーワードは、フレキシビリティ、ライトストラクチャー、ポータブル、マルチパーパス、しかしヴァナキュラーである。参考にすべきは、ヨナ・フリードマン、アーキグラム、セドリック・プライス、メタボリズム、ジャン・プルーベなどである。用意すべき部材は現在検討中だが、スチールパイブ、木、ベニヤ、ジョイント部材としてのスチールジグ、ラバーストリング、溶接、ロープ、現地調達繊維などなど。大まかな方針は固まったので詳細はこれからフェデリコの教え子のエクアドルの建築家とコンタクトをとりながら決めていく。予定地はキトから車で2時間ほどの都市オタバロである。その県の知事からインヴィテーションが届く予定である。11月と3月が候補である。学生を連れて行けるのは3月だろう。
毎年学会の大会の空いた時間に学生たちと建築を見に行く。今年は福岡大学でおこなわれたので、佐賀や北九州に足を延ばしてできる限りの建築を見てきた。むかしながらの名建築から平瀬さんのリノベなど、加えて戦時中の石炭を掘る立坑櫓など知らなかったがすごい迫力の構造物にも出会えて面白い旅だった。
学生の投票に加えて僕の感想も交えてみた建築の印象度ランキング。
1 富久千代酒造改修 (平瀬有人)
2 旧志免鉱業所竪坑櫓 (海軍設計部)
3 佐賀県立図書館(内田祥哉+高椅てい一)
3 北九州工業大学記念講堂(清家清)
4 武雄図書館(佐藤総合)
5 風の葬祭場(槇文彦)
6 北九州工業大学 事務棟(清家清)
7 北九州図書館(磯崎新)
Wimaxが来月解約月なのでソフトバンク光に変えることにした。そういう人が多いのかどうか知らないが、工事までほぼ3 週間待たされてやっと今日午前中の予約を取り付けた。9時半頃工事の方が二人来られて終わったのは12時半。たっぷり3時間かかった。電話のジャックから光ケーブルを呼び線とともに入れて引っ張れば良いなんて思っていたらそうは問屋が卸さない。ジャックのあるところすべてのボックスの裏側にジャンクションボックスがありそこで線がスタックするのである。と言うわけでなんとすべての電話線取り出し口を開けなければならなくなった。そしてそれらは全て家具の裏側に隠れており、呼び線の音を頼りにその場所を探すこととなった。一つは、着物で満たされた桐の箪笥の裏側、一つはベッドの裏、一つは冷蔵庫の裏であった。各部屋の家具を移動しハウスダストまみれになりがら、やっと終わった。こいういことをするたびに設備メンテナンスのしやすい建物とは?としみじみ思うが設計する段になるとけろっと忘れる。喉元通れば熱さ忘れる。。
○○を知るための○○章というタイトルのお手軽外国ガイド本がある。なんと100冊近く出ている。初めて行く国の手ごろなガイドブックがないときはいつもこれを読む。ラテンアメリカの国は手ごろガイドブックがないのでこれの世話になってきた。そして今回はペルー。細谷広美『ペルーを知るための66章』明石書店2012を読んでいる。インカ帝国の国ペルーだがインカが続くのはおよそ100年弱。あっけなく168人のスペイン人に征服された。一方この辺りの神殿建築は紀元前3000年頃から作られているというのは昨年サンチアゴの博物館でもその出土品を見て驚いたが、アンデス文明を再認識する。今度行くリマは16世紀にできた町だが、それもスペイン統治の中心都市として栄えた町である。その旧市街を見るのは楽しみである。
自転車で新宿にメガネを作りに行く。既製品の老眼鏡が目に合わず、1時間本を読むともう読めないのである。検眼してもらうと左右がかなり度が違う。左が1.0右が0.4である。加えて少々乱視。遠近両用にしてもらうために少し大きなフレームを選ぶ。
帰ろうと思ったら大雨。少々待って雨が上がって四谷に向かって走り出すと突如雷が鳴り始めまた降るかとビクビクする。雷は止まらない、、、、しかしよく聞いているとどうも雷とは音の質が違う。太鼓の連続音のようである。すると薄暗くなった夜空に雷と共に光が輝く稲妻とは少々違う。四谷4丁目の交差点まで来てやっとわかった。謎の雷は花火である。四谷三丁目を通り越して次の交差点が花火鑑賞ベストスポットである。
大学で国際推進の委員をしている私の役目は「日本語しかできないで卒業するのは裸でアマゾン川を渡るようなものだ」ということを学生に伝えることだと娘は言っていた。
先日とある外国の方が言っていた世界的な企業の人事部は日本人の語学力とコミュニケーション能力の低さから日本人だけは受け入れを拒絶すると。
日本人の技術力が高かったころ日本人は高く売れた。しかしもはや他国に先んじるものがなくなりつつある現状でコミュニケーションできない人々の価値は極めて低い。そういうことに僕らが気がつかないのはやはり島国だからだろうしそれでもなんとかなっているという安心感からだろうと思う。日本は未だに精神的に鎖国中である。まあ鎖国だからできる文化というものもあるわけでそういう島国安住型がいてもいい。でもそれと同じくらい島国突破型いないと国としてはうまくいかないのだろうと思う。
娘の留学はいつ具体化したのかどういう経緯だったもはやあまり覚えていないが、ファッションの勉強をしたく世界の三つの大学(ロンドンセントマーチン、アントワープロイヤルアカデミ、ニュヨークファッションインティチュートテクノロジー)を選び、一人でその大学を見て回り、ファッションマネジメントを学べてしかも一番学費の安いニュヨークに決めたのが1年くらい前でろう。そして準備を重ね、toeflをなんども受けて、レターを書き直し、学資の工面を祖父に相談し、合格通知を今年初めにやっと受け取り、大学を卒業し、学資のために働き、そして昨日日本を発った。今ころニュヨークFITの寮で荷解きでもしているころだろう。
今から31年前のちょうど今ころアメリカに旅立った自分の記憶が蘇る。あの日もひどく暑い日であまりの荷物の量に母親が手伝ってくれた。黒い巨大なずた袋に登山用のキスリングをしょって行った気がする。ロサンゼルスでは寮には入れず兄の知り合いの家に先ずは泊めていただき家探しをして、そして夏休みのUCLAの英語学校に通い始めた。
娘はそこに行くとスーツケースにバックパック。自分一人で行ったようで立派。ニュヨークの空港からはタクシーで行くと行っていたが行き先が決まっているのは心強い。
僕は大学院のポストプロフェッショナルコースで1年半(3semesters)かかるところを学費とか奨学金とかの関係で1年(2semesters)で終わらせる交渉をしてそうした。よって日々とんでもなく忙しくて、心が折れるだとか、英語がわからないとか、友達関係が上手くいかないだとか、そういうことでくじける暇はなかった。高性能マシンを24時間駆動させるようにやることをこなすので精一杯で気がつくと卒業式だった。おそらく娘も4年かかるところを3年で終わらせので僕と似たような状況にはなるだろう。その意味では僕同様に辛い思いに耐えるなんていう状況は想像できないけれど、むしろ、期待をもって行った大学がつまらない場合にガックリということもあるだろう。でもそれでも3年のリクワイメントの中から自分なりに何かを引き出して、身につけることが重要である。石の上にも3年である
塩崎君と来年のSHINOHARA CHAIR国際建築理論会議の打ち合わせを行った。話が結構大きくなってきたが1週間をめどに二日のワークショップ、小さな展覧会と3日連続のレクチャーシンポジウム。テーマは篠原が4つの様式で建築を作り変えていった軌跡を振り返り「様式」はどうかと検討中。ゲストは様式を結構の様式という視点で語る人、様式を個人の様式として語る人、そして様式を時代の様式として語る人この3人である。開催は来年度末
来月講演をするサンチアゴカトリカ大学のディエゴから講演日以外の視察スケジュールがメールされてきた。リマのルイス、アスンシオンのセバスチャンからも丁寧なメールがきてホテルもお勧めをもらって予約完了。ひとまず安心である。
去年アルゼンチンワークショップが終わってさあサンチアゴという日にサンチアゴ空港がストライキ。次の日の夜にやっとサンチアゴ到着。その日予定されていたレクチャーはキャンセル。さらにディエゴとスミルハン設計のレストランで会い、さあ食事という時にあの地震がやってきた。彼は当時妊娠していた奥さんのことを気遣い食事をせずに速攻で自宅に帰ったのである。レクチャーもできず、ディエゴとも話もできずじまいであった。そして数ヶ月後無事男の子Juanが生まれ、今年はそのJuanに会い、そしてレクチャーとクリティークをする予定である。昨年のリベンジ、、、
急激な腰痛もなんのその、八潮市のマスターアーキテクトの仕事で大開発予定地を見てその計画にアドバイス。2時間ほどかけて二つの敷地を見たあと八潮駅から北千住経由で霞ヶ関へ。久しぶりに新建築に行ったらお盆休みなのか担当の藤田さん以外はあまり人がいなかった。帰りがけに新しく新建築編集長になる予定の内藤さんがどこからともなく現れたので挨拶をした。ヨルダンの学生に理科大の建築学科の授業が日本語で行われていることをメールしたら、先ずは日本語の勉強をするために研究生で来たいとメールをしてきた。まあそういうだろういなあと思うとともに、早く英語の授業しないと本当に日本の大学は立ち行かなくなるだろうなあと思う。オーフスやヴェネチアのようにあるいは東大の土木は10年前からそうらしいけれどさっさと全授業を英語でやるべきだろうね。
岸井成格、佐高信『偽りの保守・安倍晋三の正体』講談社2016を読んだのは、岸井が数年前に渡部昇一などが中心となった安倍晋三親衛隊から名指し攻撃を受けたことを覚えていたからである。岸井は安保法制反対と脱原発を明確に言う、新聞界の中では珍しい人間だ。
しかしこの本を読んでその岸井が保守本流を信条としていること、佐高とは慶応の同級生でもともと意見が対立していたこと、同級生には他に小泉、小沢がいたことなどびっくりするような話がいろいろある。岸井が今や反体制に見えるのは岸井が変わったのではなく、タカ派傍流が保守本流を食い潰したことによるのだという。保守本流はもちろん私の信ずるところではないが、今や彼らのいうことも相対的にはリーゾナブルに聞こえるほど傍流に乗っ取られた自民党は異常事態に至っているのである。
先日西荻の古本屋で村上春樹の『雨天炎天』という本を買った。この古本屋は内の家に行くときはいつもちょっと覗く紀行本、旅行本だけを扱う本屋である。この本は1990年に出ているから25年あまり前の本である。二冊分冊になっていて一冊がturkey チャイと兵隊と羊—21日間トルコ一周、もう一冊がgreece アトス−神様のリアル・ワールドというタイトルが付いている。
オスマントルコ帝国の本を読んでいたので買ったのだが、やはり歴史本より紀行本の方がその場所の風土や人が鮮明になって楽しいものである。とりわけトルコの東アナトリアという東部のあまり日本人などはいかないあたりの話は面白い。トルコは5つの場所に分かれるというがその中でも著者が最も面白い場所だという地域である。そしてその東アナトリアにあるヴァン湖にはここ特有の猫がいてこの猫は左右の目の色が異なり加えて泳ぎが上手なのだそうだ。早速ネットで調べてみると日本ではターキッシュヴァンと呼ばれているのだそうだ。村上はこの猫に会いたくてホテルのレセプションニストに連れられて行った絨毯屋(そこの店で飼っていると言われて)で見事絨毯を買うはめになったそうだ。この地には絨毯屋がとりわけたくさんあり絨毯屋は必ずこのヴァン猫を招き猫のごとく飼っているのだそうだ。
大使館推薦で私のところで勉強したいというヨルダンの留学希望者からメールが来た。こういうメールをもらうことがちょくちょくあるので一度メールを整理してみると、今年だけでも1月に中国南京大学、4月にサウジアラビアのタント大学、5月にグアテマラのルイスのお兄さんから、7月にロシアの太平洋国立大学から、そして今日8月にヨルダンのヨルダン大学から。というわけで今年に入って5通も来ている。それも中国以外はすべて大使館試験を受けて文科省の奨学金で来たいとのこと。これは、国際化にむけて文科省の宣伝が盛んになったのか、受け入れ人数を増やしているのか、坂牛の名前が世界中に広まっているのか何れかであるがメールが来る国をみると坂牛の知名度にはあまり関係なく、文科省の枠が広まっているものと思われる。
いただいたメールの書類には一応目を通しているが、必ずしもすべての人が来るとは限らないし、大使館での試験に落ちるかもしれないし、入ってもその後大学を決めるのは文科省だからこちらに来ないかもしれないのですべてを全力でフォローするわけでもない。しかし一応こちらに来てから授業についてこられるかどうかをチェックする意味で出身大学のクォリティは調べている。
すると今回のヨルダン大学は早稲田や慶応よりは一応世界ランキングでは高く、ヨルダンではトップの大学のようである。加えてこの人はすでに大使館の最初のセレクションに通っている。こういう人はかなり確度が高いと思われるので少し本気でフォローしようと思う。
ポートフォリオをみると作風はデコンからモダンまで様々あり、アルゴリズミックな影響はかなり高いようである。
平均月収2万5千円の今後共和国で週末にブランドもののスーツでお洒落して紳士に変身してエンターテイナーともなるお洒落集団がコンゴ共和国にはいる。そんな話を近くの飲み屋のマスターが言っていたのを覚えていたのでこんな本を買って読んでみた。影嶋裕一『Whato is Sapeur 貧しくも世界一エレガントなコンゴの男たち』祥伝社2015。著者はNHKのディレクターでテレビ番組を書籍化したもののようである。富裕層が経済力にものを言わせて高い服を見せびらかすのは古来よくある話だが、サプール(フランス語でお洒落集団)で面白いのは普通の庶民が半年の給料をすべて服にかけて週末に見せ合うというところである。そして近所の人々はそういうサプールを自分たちの代表であるかのように敬い、慕い、応援している。まるで祭りの町会代表のようでもある。違うのは外国製高級紳士服で身を包むところである。グローバリゼーションとローカリティが不思議に融合しているのである。
配偶者にポンピドーセンター傑作展を見に行こうと誘われ、祝日を利用し足を運んだ。傑作展とは一体どういう展覧会かと思っていくと、ポンピドーにある作品を1906年から1977年まで(つまりポンピドーができるまで)、1年に1作品を選んで展示してあるという展覧会だった。カタログのイントロダクションにコンセプトや難しいストーリーなど何もないポンピドーカラオケだと書いてある。確かにこれだけノーテンキな展覧会を見るのは初めてである。まあコンセプトは置くとして、全部で71作品のうち39作品は作家の名前が初耳だった。フランスだけでも、しかも20世紀に限ったとしてこんなに知らない作家がいるのである。驚き、そして少々反省した。ビッグネーム以外にも時代を築く作品はあるものだと、、、、
帝国読書、林佳世子『オスマン帝国500年の平和』講談社学術文庫2016を読んでウィーンで感じたオスマントルコの包囲網を南側から感じることができた。ウィーンでは少し前まで対オスマントルコ防衛の法律があったと聞くからハプスブルク家とオスマンとの対立は相当なものがあったのだろう。オスマンは最終的には大帝国にはなったもののハプスブルクとサファヴィーに挟まれて右往左往していた時期もある。
さて建築の話になると15世紀にイスタンブールをヴィザンツから奪いモスクを建てるのにヴィザンツの教会を転用したのである。そのおかげでアヤソフィアなどがそのまま残っている。そうした柔軟な姿勢が多様な宗教文化を許容する国を生んだのだろうか?帝国としてはこういう多様種許容型はそう多くはないのではなかろうか。そういう目で見ると面白い帝国である。
福島さん、川辺さんが内の家に来てくれました。1時間以上いろいろな話をいたしました。とても貴重な時間でしたありがとうございます。刺激になりました。
前期の講義「建築の規則」の授業は毎回レポートで最後のレポートは少し長めである。自分の好きな建築を建築の規則を用いて批評せよというもの。さてその内容はともかく今時の建築学科の3年生が何を選ぶか興味津々だったが、81名の提出者の内訳はほとんどバラバラ22名だけ重複し他の59名は皆違う建築を選んでいる。もう少し固まるものかと勝手に思っていたがやはり多様性の時代だろうか?
さて22の重複回答の内訳は、
金沢21世紀美術館 7
東京カテドラル 3
十和田美術館、国立西洋美術館、代々木体育館、スカイツリー、東京タワー、理科大葛飾キャンパス、それぞれ2である。
つまり22の約半分がSANAA残りが丹下、コルビュジエ、日建設計とういわけである。とはいえこれらのポピュラリティは建築的なものというよりかは、遊びに行ったところがたまたまそういう建物だったという程度のものだろうが、、、
こういう仕事の頼まれ方もあるものかと驚いた。中学高校の同窓生の女性が旦那と死別して住んでいる家が大きすぎるのでそれを売却してもう少し小さい土地を買い小さな家を建てて暮らしたいというのである。
たしか伊東豊雄の中野本町の家も実のお姉さんの家で伴侶と死別して大きすぎて管理しきれず売却したという話を聞いた。しかしその後は小さなマンションに住んだと思うしマンションは管理が楽だからそれはわかりやすい話であう。今回のようにもう少し小さな家を作りたいというケースはこの歳になって珍しいことではなかろうか。という質問をすると答えはこの写真である。つまり猫好きで現在も猫部屋がきちんとあり多いときは7匹。現在3匹。マンションはペット禁止が多いというわけである。そんなもんだろうか?まあそれにしてもとにかく先ずはこの大きな家を売らねばならぬ。そこで帰宅後M不動産の友人に電話をすると早速親身に相談に乗ってくれて、一緒にその辺りを管轄している支店長のところへ行こうと話はトントン拍子である。素晴らしい。持つべきものは友である。
ある時から日本のジャーナリズムに嫌気がさしている。そして今回もそうである。なぜ彼らは現内閣と日本会議の関係を報道しないのだろうか。世界中のメディアはしている。アメリカ、イギリス、オーストラリア、フランス。国際基準のジャーナリズムは当然そうする。
こういう堕落はその昔からである、第二次対戦中天皇は実際の戦況を知るために外国の短波放送を聞いていた。日本のジャーナリズムは軍の統制化にあり都合の良い情報しか流さなかったのである。現在もまったくその状況である。
BBCでもCNNでもいいのだが外国の放送を流しておきたいのは英語の勉強のためではなく真実を知りたいからである。なんとも皮肉なことであるが。
気になる日本会議の本を2冊ほど読んでみた。菅野完『日本会議の研究』扶桑社2016、もう一冊は山崎雅弘『日本会議—戦前回帰への情念』集英社新書2016。どちらかというと前者の方が客観性を保とうと努力しながら書かれ、後者の方が日本会議の矛盾を指摘するような書き方である。最近日本会議の本は多く出版されているのだがおそらく全ては批判的に書かれていると想像される。
日本会議が戦前から脈々と連なる右翼の流れを汲むものであり、天皇を中止とした国体を維持することが日本を健全な姿に保てるのだというその辺りの主張はどの著書においても共有されているのではなかろうか。
私はそういう考えの持ち主がいることを否定はしない。しかしそうではない人がいることもよしと考えるべきである。つまりそういう考えを他人に押し付ける安倍晋三のやり方は政治ではない。それは常軌を逸している。今自民党議員の多くが日本会議に所属しているようであるが極めて危険な状況であるとように思う。このままいくと日本は明らかに北朝鮮化する。
ちょっと時間がかかったけれど、ソフトバンクで配偶者のiPadの4G契約が終わったので解約(−5400円)。来月切れてばかりいるWiMAXを解約(−3993円)する代わりにソフトバンク光を契約して(+4104円)固定電話も光にする(−1200円)。これで家のWiFi環境は向上しIphoneの基本料金も下がる(−1522円)余ったお金で光TVを導入する(2160円)とBBCがテレビで流しっぱなしにできる。工事費が分割で720円全部足しても−5131円である。これを考えて実行に移すのに計1日〜2日は考えた。その間比較対象はJcomでNttやJcomと電話を大分した。これらの会社に電話すると最近は通じたオペレーターが相談に乗ってくれず、番号を聞いて後から電話がかかってくるのだが、これがとても不便である。約束の日までにこちらも考える時間が取れなかったり、急に予定が変わったりする。それでも向こうはおかまないなしに電話してくるのでまるでストーカー状態である。というわけでここ1ヶ月は不快な電話に追っかけまわされたがこれで終わり。ああすっきり。