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石の上にも3年

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娘の留学はいつ具体化したのかどういう経緯だったもはやあまり覚えていないが、ファッションの勉強をしたく世界の三つの大学(ロンドンセントマーチン、アントワープロイヤルアカデミ、ニュヨークファッションインティチュートテクノロジー)を選び、一人でその大学を見て回り、ファッションマネジメントを学べてしかも一番学費の安いニュヨークに決めたのが1年くらい前でろう。そして準備を重ね、toeflをなんども受けて、レターを書き直し、学資の工面を祖父に相談し、合格通知を今年初めにやっと受け取り、大学を卒業し、学資のために働き、そして昨日日本を発った。今ころニュヨークFITの寮で荷解きでもしているころだろう。
今から31年前のちょうど今ころアメリカに旅立った自分の記憶が蘇る。あの日もひどく暑い日であまりの荷物の量に母親が手伝ってくれた。黒い巨大なずた袋に登山用のキスリングをしょって行った気がする。ロサンゼルスでは寮には入れず兄の知り合いの家に先ずは泊めていただき家探しをして、そして夏休みのUCLAの英語学校に通い始めた。
娘はそこに行くとスーツケースにバックパック。自分一人で行ったようで立派。ニュヨークの空港からはタクシーで行くと行っていたが行き先が決まっているのは心強い。
僕は大学院のポストプロフェッショナルコースで1年半(3semesters)かかるところを学費とか奨学金とかの関係で1年(2semesters)で終わらせる交渉をしてそうした。よって日々とんでもなく忙しくて、心が折れるだとか、英語がわからないとか、友達関係が上手くいかないだとか、そういうことでくじける暇はなかった。高性能マシンを24時間駆動させるようにやることをこなすので精一杯で気がつくと卒業式だった。おそらく娘も4年かかるところを3年で終わらせので僕と似たような状況にはなるだろう。その意味では僕同様に辛い思いに耐えるなんていう状況は想像できないけれど、むしろ、期待をもって行った大学がつまらない場合にガックリということもあるだろう。でもそれでも3年のリクワイメントの中から自分なりに何かを引き出して、身につけることが重要である。石の上にも3年である

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