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April 30, 2012

食料品屋に住む豊かさ

朝ジョギングを始めたら足に激痛。仕方なくウォーキングを1時間。シャワーを浴びて近くのカフェでメールチェック。今日はメールがそれほど多くないと喜んでいたら塚本さんからのメール発見。「貝島が空港で迎えの人間を見つけられないでいるSOS」。あれあれ困った。一体彼はどこからメール発信しているのだろう?何処?と聞くと隣のカフェ。同じコンドミニアムに住んでいるというのに、このコミュニケーション環境の悪さ。
午後何とか自力でたどり着いた彼女も含めて建築家ロベルト・ブスネリの家を訪ねる。彼の家は半世紀以上前の食料品店を改造したもの。既存の躯体を随所に露出させながら見事なリノヴェ。家具も彼自身のデザイン。
パレルモ大学建築学科長で建築家のダニエル・シルベルファーレンを始め、多くの建築家が集った。彼らにとって休日のBBQパーティーは日常的な行事。そして何処の家にも必ず必要なものがBBQ用グリルである。それは屋外にあったり屋内にあったりするがちゃんと煙突がついた暖炉のような構造となっている。そして肉を焼くのは男の仕事。
シルベルファーレンと大学、建築の話で盛り上がる。特にそれぞれのコストは興味深い。パレルモ大学は学費がアルゼンチンでは少々高く年間約50万、国立のブエノスアイレス大学は無料。学生の生活費は日本よりはかなり安い。土地の値段はブエノスアイレスの住宅街ベルグラーノあたりで(中心街から地下鉄で10個くらいの場所)10万/㎡。加えて建築コストも10万/㎡。土地200㎡、建物200㎡の家が4000万と言うことになる。これは日本(東京の)の半分から3分の1。他の物価は日本の3分の2くらいなので建築費は相対的には少し安いようである。
一昨日に訪れた建築博物館館長の5人家族のヘルナン・ビスマンは中庭付き300㎡の家に住み、2人暮らしの建築家ロベルト・ブスネリは50㎡の中庭周りにL字型200㎡の家で生活する。彼らはどちらも45歳。パーティーに来ていたアルゼンチン建築家は異口同音に日本はリッチカントリーだと言うのだが、なんと返答したらいいのやら???もはやリッチとは言えない日本でも相対的に見ればまだ国としてはリッチ。しかしそんな国の生活はというととてもではないが豊かとは言えない。

●昔は食料品店だった

●改装されたインテリアの天井は昔の構造が露出

●ゆったりとした中庭はそれだけで50㎡

April 29, 2012

アルゼンチンの巨匠を訪ねる


アルゼンチンの建築界の巨匠クロリンド・テスタ88歳のスタジオを訪れた。ロベルトに言わせればアルゼンチンの安藤忠雄。弱冠36歳で国会図書館のコンペに勝って以来50年以上建築とアート作品を作り続けている。
彼のオフィスはブエノスアイレスの中心街サンタフェ通りとカジャオ通りの交差点近くの古典建築の6階。いつもは休みの土曜日だが我々を歓待してくれた。彼のオフィスは普通の建築事務所には見えない。エントランスホールから彼の部屋からいたるところにアート作品が並んでいる。パートナーである。JUAN FONTANAは彼とテスタ共同によるアート作品集を私にくれた。数十ページの作品集には建築作品は一切ない。全てが、ドローイングかオブジェである。それらは抽象表現主義のようであり、墨絵か書道のようでもある。アトリエの中には彼専用の工房があり描きかけの巨大ドローイングが置いてあった。彼の創作スタイルはコルビュジエさながらである。彼の国会図書館はその時代の潮流も手伝ってブルータルなものとなったがその後スタイルは大きく変わりスケールダウンしたフラグメンタルなものとなった。
テスタに僕の作品集を渡すとずーっとページを括りながら中を見てブエノ(good)とつぶやいた。来週アルゼンチン建築家協会で行うレクチャーにも来てくれるとのこと。楽しみである。

April 28, 2012

コルビュジエスロープの劇場性


ブエノスアイレスはアルゼンチンンの首都だが、ブエノスアイレス州の州都はブエノスアイレス市には無い。車で1時間くらい行ったラ・プラタ市にある。これって、日本にあてはめれば日本の首都は東京だが、東京都の行政機能は23区に無く、東京都の端っこのどこかの市か村にあるようなものである。権力の集中を防いでいるのだろうが面白い。
そこにコルビュジエの設計したクルチェット医師の家がある。3年前にも訪れたが、今回はしつこいくらいの説明付きでツアーした。それによると本当かどうか定かではないが、コルビュジエは一度もクライアントには会わなかったらしい。1949年にできたというからコルビュジエの住宅建築のピークは過ぎており強い一つの主張は見えない、逆に彼が開発した様々な建築ヴォキャブラリーの展示場にになっている。屋上庭園、ピロティ、自由な平面、自由なファサード、横連窓、ブリーズソレイユ、不思議な色、スロープなどである。
特にスロープはこの家の二つの機能である、住宅とクリニックをつなぐことと、訪問者を上階へ誘うという二つの機能を満足させている。さらにギーディオンが『空間・時間・建築』で指摘したように、スロープは建築の「時間性」を感じさせる重要なツールである。時間性というのは主体がその建築の中で移動するシークエンスの視覚情報を通して獲得すると同時に、他者の移動を観察しながらその劇場的な動きの中に見い出す場合もある。この写真はまさにそんな劇場性が現れていて興味深い。

April 27, 2012

アルゼンチンのステーキたまらん


26日朝9時ちょっと過ぎBA到着。ロベルトと一年半ぶりの再会。1時間前に着いていた塚本氏はカフェでコーヒー飲んでいた。うまく会えてよかった。彼の模型は既にトラックに積み込まれている。我々のスーツケースもトラックに載せて、ロベルトの車で市内へ向かう。距離はそれほどないのだが、交通渋滞でパレルモのコンドミニアムに着いたのは1時ころ。用意してくれた50㎡くらいのコンドミニアムはキッチン+2バスルーム+寝室、リビング。もしこれを東京で借りたら20万くらいだろうか?日本の大学にも外国人研究者の滞在施設があるけれどちょっと比較にならない。
シャワーを浴びて早速昼飯の場所を探す。2ブロック程行った角に素敵なカフェを発見。その名も「ノスタルジックカフェ」。そこで僕も、塚本も肉を注文。僕はミニビーフ、彼はフィレ。どちらも想像していたものの倍サイズ。前回も思ったけれどアルゼンチンのステーキは厚いからきちんと焼いても中は赤くジューシー。ステーキはアルゼンチンに限る。
夕方模型とともに遅れて到着した学生組7人と建築博物館で合流。博物館長のヘルナン・ビスマンと3年ぶりの再会。グラフィックデザイナーのケセルマンも入って、塚本氏の階(3階)僕の階(2階)書の階(1階と地下)の展示打合せ。

アメリカを通り過ぎアルゼンチンへ


成田から10時間、ロサンゼルスに到着。ほんの一時だが飛行場の外に出てLAの空気を吸う。ああLAの匂いがする。乾いた柔らかな空気。アメリカを感じる。トランジット3時間。ちょっと腹ごしらえして次の飛行機に乗り3時間でヒューストン。1時間のトランジット。ヒューストンは始めてくる空港。後最後は10時間かけて南下ブエノスアイレスを目指す。
機内で押井守『コミュニケーションは要らない』冬幻舎2012を読む。3.11を例に日本人はいかに論理的ではないか、本質的ではないか、表層的で目先のことしか考えないかと力説している。確かにそうだと思う一方でもではどうしたらいいのかと言うことがあまり書かれていない。散々ネット上の会話を否定しながら最後はコミュニケーションとは自分の得意なものを用いればよいとヴァーチャルコミュニケーションも否定はしない。最終的に言わんとすることがもうひとつ伝わらない。

April 25, 2012

さあ行くぞアルゼンチン!!


助手のT君。やっと今朝VISAが下りると言う驚異的なギリ。でもまあ良かった。模型をいれた人間が入れそうな巨大段ボール箱四つ。やっとチェエクイン。超過料金一つ100ドルで400ドル。成田に3時間前に来たなんて初めて。でもしっかり時間かかりました。
朝から何も食べていないことに気付きラーメン食べおさめ。総勢11人さあ行くぞ。先ずはロサンゼルス。

60になったら荒木町で古本屋付き立ち飲みバーをやろうかなあ


日付が変わって4月25日。誕生日となってしまいました。研究室の皆さまから素敵なプレゼントをもらいました。チーズとワイン。去年は日本酒もらいました。俺ってそんなに酒飲みでしょうか?うん間違いない。
信大時代から毎年学生から何かしてもらって教師ってありがたい職業ですよね。別に何かをもらったからそう思うわけではなくて、誰かに思われていると言うことがありがたいことです。言葉だけでもかまいません。FBでも多くの人から期せずしてそんなメッセージを頂き嬉しいような、また歳をとったことが悲しいような、、、、
女性は歳をとりたくないといいますが、別に男性も歳なんてもうとりたくないわけでございます。後は死に向かって一日ずつ余命を減らしていく人生でございます。あああああ、この大事な人生を建築だけやって終わるのかと思うとなんだか残念です。

あああああ、歌手にでもなっていたらもっと楽しい人生ではなかったかなああとか、、、、
首相にでもなっていたら(ありえんが)建築何かでしょぼしょぼ社会変革しようなんて思ってできなくてフラストレーションためずに済んだのになあとか、、、、、
幼稚園の先生になったら毎日純真な子どもの顔を眺めて平穏な心持でいられるのになあとか、、、、、
花屋さんになったら素敵な色と香りに包まれて生きていけるのになあとか、、、、、
思います。
でも叶わぬ夢。福原愛さんが「私には卓球しなかないんですって」あんなに若くして言っていますが、僕も似たようなものでしょうか?????
60になって気が変わったら荒木町で友人と古本屋と立ち飲みバーが合体した店でもやりたいなあと思ったりもします。

今日の夕方の飛行機でアルゼンチンに行きます。荒木町を敷地に向こうの学生と日本の学生と交えて住宅+αという課題をやります。だれか僕の将来の棲みかを作ってくれると嬉しいなああ。古本屋+立ち飲みバー。

April 23, 2012

就職おめでとう

信大の院生から電話があった。「就職決まりました」と喜びの声。受話器を取った瞬間に声質で分かる。「良かったなあ」と思う。心から嬉しい。娘くらいの年頃の子なのでまるでわが子のようである。娘の大学合格は最初の一発目は嬉しかったけれど後はそうでもない。沢山聞くとだんだん慣れてしまう。でも就職は第一志望とそれ以外では格段の差なのでそこに入るのはかなり大変である。
先日もいくつかそんなメールを受け取った。どれもこれもそう簡単に入れないような組織事務所だったりアトリエ事務所だったりで感無量である。
信大に入ったころは設計事務所に行く人間が0で困ったものだと思った。そういうところに先輩がいないのだから導きの糸がまるでない。そもそもそういう就職先の存在さえ知らない。そこからの教育である。彼らの希望を否定するところから始めなければならなかった。君ならこう言うところがあるぞと紹介したり。こういう人に会いなさいと連絡をとったり。なんとか秀でたアトリエ事務所へ、質の高い組織事務所へと策を練った。そして6年。就職先も大分変わったものだ。やはり時間のなせる技かもしれない。就職は単に個人の力でもない。やはり積み上がる大学の(というか学科の)プレゼンスや信頼にも左右される。信大に意匠在りを社会に印象付けるのに5年はかかったということかもしれない。後は君達の活躍にかかっている。頑張ってね。

April 22, 2012

埼玉県の卒計審査会で思ったこと


埼玉建築設計監理協会主催の第12回卒業設計コンクールというのが開かれており、その審査に呼ばれて埼玉会館に行った。前川國男設計の重厚な建物で紀伊国屋のようなファサードと都美館のような階段が印象的。
このコンクールの始まりは埼玉にキャンパスを持っている大学の設計コンクール、と勝手に思っているのだが、例外もあるようで参加校は工学院大学・芝浦工業大学・東京電機大学・東京理科大学・東洋大学・日本工業大学・日本大学・武蔵野美術大学・ものつくり大学。経緯は知らないが理科大も仲間に入れていただいている。出品作は34。
審査員は正確に分からないが、各大学の指導教員に加え設計監理協会、学会、建築士会、JIAなどの方で全部で数十人いた模様。それぞれ数票持って投票。蓋を開けると1位、2位が期せずして理科大の学生だった。2人は学内の審査では同率2位だったからここで決着をつけていただいた。彼らにとってはもちろん喜ばしいことだったなあと思いつつ、内心この賞の意味は何だろうかと少々自分の中では消化不良。
というのもこの賞とは別に審査員特別賞なるものがあり、総合力に欠けても一芸に秀でた案はこちらに投票してくださいといわれていたのである。重賞は妨げないとなっていたがそちらの賞は違う学生が受賞した。
多くの審査員がなんの議論もせずに図面とプレゼンを見ただけで投票しその数字だけで機械的に順位を決めるならどうしても「そこそこの着眼点と分かりやすい形態、そして造りこまれた模型」があればよい点になる。つまり既成の価値観のスケールの中での最大公約数となり得るのだろう。
しかし卒計ってそれでいいのだろうかと思う。やはり多少無理があっても、多少独り合点でもこちらの想像力をフル回転すればなにかそこに新たな可能性が見えてくることが必要なのではと思う。
その意味では郊外住宅の風景の分析とそこからの形態化を探求した案に僕は最も魅力を感じた。しかしこの案は数多あったどの賞にもひっかかってはいなかったようである。議論の場があれば少し応援したかったのだが残念である。

April 21, 2012

初めてのスーツケース


海外研修で初めて渡欧した時、アメリカ留学した時の2回の例外を除いて飛行機に乗る時荷物をチェックインしたことがない。その理由の一つは日建時代の上司が荷物のチェックインを嫌ったから。つまり到着した飛行場でさっさとホテルに行きたかったから。なので荷物は常に機内持ち込み。だから機内持ち込みできるサイズの鞄しか持ってない。つまりスーツケース持ってない。

今回は10日ほどの出張で小さくまとめることもできそうだが諦めた。アルゼンチンでやることも多いし、持っていくものも多い。ついでに配偶者も書道の道具を山のように持っていく。僕がいくら頑張って機内持ち込みにしてもきっと配偶者はチェックインする。そしたら僕がしないことの意味は殆どない。
しかし我が家にスーツケースは一つもないのである。そこでレンタルすることにした。一番大きいのをネットで頼むとすぐに次の日届いた。これだけ大きいと厳選しなくていいから気が楽だ。とにかく放り込めばいい。昔のスキー合宿を思い出す。

April 20, 2012

ゼミの教師の役割は聞くこと

早稲田の講義の後いつものようにあゆみbooksによる。阿川佐和子の『聞く力』文春新書2012を買って昼を食べながら読む。阿川佐和子と言えば週刊文集に20年も対談記事を連載している聞くことの巨匠である。一年50人として20年で1000人である。1000人ものそれなりの人に会えたなんて羨ましい。そんな阿川さんは震災後自分が何を手伝えるのか分からないと途方にくれていたそうだ。そしてその時糸井重里の話しを聞いた。糸井も震災後被災地に行く理由が見つからず呆然としていた。ところがある少女とネット上で会話し、是非避難施設に行って皆の話すことを聞いて欲しいと言われたと言う。避難施設には人が沢山いて皆自分の恐怖体験を語りたいのだが、皆同様の体験をしており話せばそれ以上のことが返ってきそうで話せないでいる。だから被災していない人に聞いて欲しいのだと言う。それを聞いた阿川は即座に「行く」と思ったと言う。聞く専門家がお役に立てるのならということだそうだ。
重要なことである。実はなぜこれを昼読んだかと言うと夕方ゼミをするから。ゼミにおける教師の仕事の半分は聞くことだと思っている。もちろん学生が話すことをきちんと考えてこなければその限りではないが。

建築意匠論


岸田省吾先生から新刊をいただいた。書名は『建築意匠論』。先生の東大での講義録。単に創るだけではなく創る意図とその感受、加えて制作にまで配慮されているのが共感できる。意匠論は制作と批評の循環運動と言うのは持論だが、岸田先生は現実、構想、検証のスパイラルと書かれている。

April 18, 2012

建築は奥が深い

今日はとても暖かい。栃木の現場も初夏の陽気。なんだかとても気持ちがいい。1棟目アリス棟の地下の通水材が壁床に張り終わる。床はこの上にコンクリートを薄めに打つ。壁はGLボード仕上げる。床には一か所ピットが切ってあって万が一水が入っても抜けるようになっている。外防水を完璧にやってはいるが地下水位が高いので念には念を入れての仕様。4棟目、プラトン棟の掘削が終わり週末から捨てコン打ち。根切り底に見える小さな木の杭は一体何か?恥ずかしながら知らないので所長に聞いたら捨てコンのレベルを出すためのものだそうだ。現場に行くたびに未だに知らないことにいろいろで会う。建築は奥が深い。

建築の本当はどこにあるのか


先日木島さんの設計された住宅のオープンハウスに行った。同じ事務所にいながら果たしてどんな建物なのだろうか詳しくは知らなかった。模型の段階はいろいろ見ているのでその形はよく知っていたのだがオープンハウスのフライヤーをもらって「あれ、こんな建物だったんだ」とちょっとびっくりした。模型で見ていた印象とだいぶ違うから。そしてその後現場写真を見せてもらってまたびっくりした。外装がガルバリウムで銀色している。そんな模型は事務所で見たことなかった。そして現地に行ってまたびっくりしたファサードが緑色の鋼板ではないか!!!!と思って玄関まで行ったら緑色の鋼板と思ったところはプロフィリットガラスだった。
建築って本当に実物見ないと分からないとつくづく思った。僕らの建築知識は80%写真と文章だけれどそれが僕らの建築世界を構築している。それを嘘だと言うのは簡単だけれど、、、でも建築はそういうバーチャルな世界で構築されているという見方もある。どっちが「本当」なのかは未だによく分からない。おそらくどちらも本当だと思うしかないと思うのが本当なのだと思う。

April 16, 2012

自分に内在するものを探求することは結果的に和の探求か


Matohuと言う名のアパレルブランドがある。「マトフ」と読み「纏う」という日本的概念を中軸に据えたブランドである。
彼らの探求の方向は高階秀爾が言う日本美の個性:大きなものではなく小さなもの、力強いものよりも愛らしいもの清浄なものなのだそうだ。
しかしこの探求は類型化された日本性の追求ではなく自分たちに内在する日本性の追求であり、これまでの西洋対日本の中での日本性とは一味違うものだと高城梨理世は言う。
この発言はロジカルにはもう一つよく分からないのだが、建築にあてはめると少し分かりやすい。例えば堀部さんの建築などが西洋対日本としての日本性を追求しているとは思わないけれど、僕らに内在する日本性の探求と(もし)言われたらなんとなくそうかなと言う気になる。それは上記高階の言う日本美の個性の追求であり、西洋対日本と言う戦略の中での類型化されたイメージの具現化ではない。もしかすれば「小さい家」を考えている塚本さんだって自分に内在する日本性を探求している人かもしれない。
なぜこんなことを考えているかと言うと、もしかして自分も結局そういうことなのだろうかとも思う時があるからである。すなわち自らに内在する何かを模索する人は日本性の呪縛から逃れることはできないはずなのである。

April 15, 2012

使う人を問い直す建築


●アンリアレイジ2010年冬wideshortslimlong のインスタレーション

朝木島さんのオープンハウスにお邪魔してそこでばったり会った日建ハウジング(にいらっしゃった)渋田さんの車で東京へ戻る。その時横を通ったスカイツリーが見方によってはシンメトリーにならないのを知る。一昨日の朝日新聞に吉野君(日建の同期)がそんなことを書いていたけれどその意味が理解できた。昼ころ四谷に戻りジムで汗流してかみさんと千駄木の家を見に行った。素敵な家だったけど古くて傾いていた。
帰宅後読みかけの西谷真理子編『現代日本のファッション批評 ファッションは語りはじめた』フィルムアート社2011を読む。この間オペラシティで見たANREALAGEの批評を工藤雅人さんが書いていた。それを僕なりに理解するとこうなる。鷲田清一やコムデギャルソンは衣服によって自らの身体を再発見すると考えている。しかしANREALAGEの考えは逆向きである。衣服で身体を自覚するのではなく身体によって衣服が再発見されるというわけである。中心にあるのは身体ではなく衣服である。彼らはこう言う「身体と言う洋服における定規を問いなおすこと。定規を変えない限り新しい洋服は生まれない」
これってとても建築的でもある。建築が住人を規定すると考えるのが今までの発想。だから住人のリクエストを一生懸命聞く。しかしANREALAGE的なベクトルで考えるなら、住人のリクエストはアプリオリには無い。そうではなく新たな住人のリクエストを作るところから始まる。つまりは「使う人という建築における定規を問い直すこと。定規を変えない限り新しい建築は生まれない」と考えるわけである、、、、

April 14, 2012

荒木町の魅力

午後、家の裏手にある新宿歴史博物館に行った。今までこの前を通ることは山ほどあれど入ったことが一度も無かった。今日はここの2階の講堂で荒木町についての歴史や景観の講演会が行われるので聞きに来た。
講演まで少々時間があったので博物館の陳列物を見て回る。さすがに東京の中でも江戸からの歴史がある場所だけに見るべきもの沢山ある。なかなかの見ごたえ。
講演は博物館の歴史専門家が地名の由来などを語り、次に区役所の都市計画の方が景観の話し(と言っても法的な話ばかりだが)。そして私が行きつけの「とんかつ鈴新」のマスター鈴木さんが自分の生まれ育った荒木町の昭和30年代からの経験などを話された。明治に入り花街となったこの辺りで少年スズキは芸者から小遣い銭をもらった記憶があるそうだ。そしてとりはこの辺りでイタリア料理屋を数軒持つカルミネさん。荒木町に素敵な和風空間のイタリア料理屋を持っていたが今はそこを建て替えて自宅にしている(神楽坂には未だお店を持っているそうだ)。彼は荒木町にプライドを持ち、人を案内するのが嬉しいと言う。その理由は古いものが残るこの風情である。僕の友人が飲む時はいつもここに来るのもこの風情を求めてなのだと思う。
昨今このあたりは地上げされマンションが建てられているのだが、なんとかうまくこの空間性を残した、時間を残した生き変わりができないものかと切に思う。
JIAが企画したイベントなので多くの建築関係者が来ていたようである。陣内さん、難波さん、松永さんたちにご挨拶。


April 13, 2012

東京の危険度マップって衝撃的


早稲田の講義を終えて例によって文学部キャンパス近くのあゆみbooksに寄る。目にとまった『大地震あなたのまちの危険度マップ』朝日出版社2012を買う。帰りの電車でぺらぺらめくる。このマップは見開き2ページに1区の地図が載っている。赤は火災危険地域、ドットは倒壊危険地域、緑が避難不要地域である。さてそれで見ていくと衝撃的な地図に出会う。墨田区。この区の殆どがドット。つまり倒壊危険地域。そうじゃない場所は赤。これがなんで衝撃的かと言うとこの危険度が高いということは言うまでもないが、他の区に比べて差が大きい。例えば千代田、港、中央などはドットも赤も殆どないのである。

April 12, 2012

中国はいろいろ驚かしてくれる


朝から契約前のお金に追い回され神経使って、大学来ると大量なメールに追われ、体がまだ大学モードになってないうちに輪読ゼミ。基本的に天内君に任せているが初回だけ出て様子を見る。輪読本は『音楽の聴き方』。レジメはトップバッターにしては上出来。しかし言葉がもう一つついていかない。参加者の発言も著者の言わんとしている本質に近づくと言うよりは端っこを飛びまわっている。重要なポイントに近づいてもそこからさらに掘り進められないでいる。その理由は彼らがこういう本の内容を語る言葉を持っていないから。
輪読を終えて1時間設計。久我山の家に50平米増築。こちらは去年に比べるとだいぶいいようだ。しかし上位が殆ど4年生って何だこれ?院生頑張れ。
先日川口衛先生から送られた『構造と感性Ⅴ―広がる構造デザインの世界』法政大学建築学科同窓会をペラペラめくる。中国天津にできた橋に驚く。橋のタワーに観覧車がついている。CGかと思ったけれど本物のようだ。とてつもないね。

今年度はこんな本を読みます

明日から研究室の輪読ゼミをする。今年度の本は以下の通り。今年はPDで天内君が来たので彼に本の読み方を指導してもらう。
このリストはそれなりにけっこう考え抜いたもの。毎年今年はじっくりと一冊の本を丁寧に読もうかなと考えるがその考えは途中で消える。というのは昨今の学生にはあまりにも知識の全体マップが無いと感じるから。こんな本は昔なら教養課程で読み終えていたもの。もっと昔なら高校時代に読破していたような本なのだろうが現代では3年生までに見たこともないと言う状態だし、下手すれば卒業まで(というか一生)読まない。もちろん大学院に行ったって読まない。そう思うと狭く深くではなく、浅くてもいいからとにかく知の星座の全体像が見渡せないとだめだろうと思うに至る。

坂牛研 24年度 輪読本 リスト

前期

1,岡田 暁生 音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉 中公新書2009
肩慣らし、音楽鑑賞術は建築鑑賞術に通ずる

2,竹田 青嗣、 西 研 はじめての哲学史 有斐閣アルマ1998
先ずは哲学の教科書で通史を頭に入れよう。建築の作り方に限らず社会は哲学の流れと平行に動いている

3,木田元 ハイデガーの思想 岩波新書 1993
ハイデガーを理解しないとこの後に読むシュルツは理解できません

4,和田伸一郎 存在論的メディア論―ハイデガーとヴィリリオ 新曜社2004
僕が2004年に最も影響を受けた本。僕の建築論を支えてくれた書

5,ノベルグ・シュルツ 実存・空間・建築 SD選書 1973
モダニズム建築はハイデガーによって大きく変わる。ハイデガーを建築に翻訳したのがこの本

6,レム・コールハース 錯乱のニューヨーク ちくま学芸文庫 1999
言わずと知れたコールハースの主著。大学時代に原書を読んで歯が断たなかった。

7,佐々木健一 美学への招待 中公新書 2004
院生はすでに美学史を学んだのでいまさら入門書と思わず美学を思いだそう。

8,桑島秀樹 崇高の美学 講談社2008
美的概念の中で最も建築に影響を及ぼしてきたものの一つが崇高

9,大澤真幸 虚構の時代の果て―オウムと世界最終戦争 ちくま新書 1996
戦後日本社会の変化を身につけよう。社会の変化が建築を変えてきた

10,福嶋 亮大 神話が考える 青土社2010
一昨年最も面白かった本の一つ。君達の同時代のことだから賛成反対議論して欲しい

11,北田大暁・東浩紀 東京から考える NHK出版2006
東京の大学だから敢えて再度東京を考えてみたい

12,宇野常寛 リトルピープルの時代 幻冬舎2009
村上春樹をもとに現代のわれわれ(というか若者)の感覚をうつしだしている。異論反論あるだろうか?

後期


13,広井良典 コミュニティを問いなおす ちくま新書 2009
後期の肩慣らし。去年のトークインで篠原聡子さんがあげた課題図書。世の中変りつつある

14,廣野 由美子 批評理論入門 中公新書 2005
この後に現象学を学ぶが一体哲学理論派何の役に立つのか?それはものの見方即ち批評力に影響する

15,木田元 現象学 岩波新書 1970
前期はハイデガーを学んだ。後期はハイデガーに続く、現象学を学ぼう。この考えも建築に大きな影響を与えた

16,ロランバルト 明るい部屋 みすず書房1994
バルトの写真論。バルトは記号論の大家でありやはり建築に大きな影響を与えた

17,ゲルノート・ベーメ 雰囲気の美学 晃洋書房 2006
後期の美学本はこれ一冊。信大では皆これ読んで雰囲気の建築が大流行した。

18,井上章一 作られた桂離宮神話 講談社1996
ちょっと一息本。でも滅茶苦茶おもろい。

19,クロード・パラン 斜めに伸びる建築 青土社 2008
パランはヌーベルの先生。ヌーベルも昔は斜めにかぶれていた。

20,アンソニー・ヴィドラ― 不気味な建築 鹿島出版会1998
さて再度ハイデガーを思い出し。建築の不気味性を考える。ヴィドラ―は21世紀最高の建築批評家の1人。

21,鈴木謙介 カーニヴァル化する社会 講談社現代新書 2009
後期社会学本はこれ一冊。現状分析の本は常に批判的に読んでみよう。

22,中沢新一 アースダイバー 講談社 2005
東京を敷地に卒研やるには必読本

23,小林信治他 視覚と近代 名古屋大学出版会1999
視覚とは飼いならされたものだと言うことを先ず理解して欲しい

24,エルヴィン・パノフスキー 象徴形式としての遠近法 ちくま学芸文庫2009
飼いならされた眼は特にルネサンスの時代に透視図法によって顕著になる

April 11, 2012

リサイクルだ


神田明神のとなりに区立公園がある。今は桜が満開。この辺り昔からのクライアントの所へ行く通り道。その公園に最近「神田の家」という名の家が建った。もともと日本橋川沿いに建っていたこの建物は82年間に2度も移築されたそうだ。
日本建築は釘や金物を使わずレゴのように材木が組み合わさってできている。だから移築する時は壊すと言うより分解するわけである。分解して新しい場所でまた組み立てる。これってそう言えば和服に似ている。和服も人にわたれば一度ほどいてまた仕立てなおせばいくらでも着られる。どちらもよく出来たリサイクル商品である。

April 9, 2012

フィルターバブル

今日は理科大の入学式。武道館からはスーツ姿の学生が吐き出され千鳥が縁の花見客とあいまって人の波。午後保護者懇談会、専攻会議、学会大会の梗概チェック。
夜研究室でイーライ・パリサー井口耕治訳『閉じこもるインターネット』早川書房(2011)2012を読む。アマゾンがあなたの好みの本を推薦してくれることに違和感を感じている人は多いかもしれない。アマゾンに限らずおせっかいなサイトに腹を立てる人も少なくないはずだ。しかし腹が立つのはまだ可愛らしい、作為の相手が特定できるのだから。問題はそんな私のパーソナル情報を利用した作為がこちらの気がつかないうちに我々の周辺にまぎれこんでくる場合である。あながあなたの気付かないうちにあなたの都合のいい情報でくるまれているとしたら???
ちょっと不気味である(著者はこの情報フィルターをフィルターバブルと呼ぶ)。
グーグル等の検索エンジンはあなたの好みの情報を常に上位に来るようにカスタマイズしている。つまりワタシのcpuとアナタのcpuでは同じ語句を検索しても出てくる内容は全く異なるのである。ワタシもアナタもネット上で自分の都合のいい、自分の好みの情報で包まれているというわけである。そしてその好みに合わせて最も効果的な宣伝がそこに投下されてくる。そういう情報を競売にかけるあまり知られていない、しかしとんでもなく儲けている会社が世の中には存在している。

僕らが画面をワンクリックするたびにその情報が世界中で一つの情報として売られているということである。無料でサービスを提供してくれるサイトは無料なのではなく、しっかりと我々の個人情報を得てそれを売って儲けている。そして我々はそうした自分の好きな(LIKE=いいね)情報にくるまれて自分と異なる他者との接続を回避され、ネット社会の中に孤立するように仕組まれているというわけである。状況はまだ楽観的かもしれないがそのうち検索エンジンが提供するニュースまでもカスタマイズされたらどうだろう。スポーツニュースの比率が多い人、政治の話題しか届かない人、芸能の話しか来ない人が出てくるだろう。しかも偏っていることが分からないように徐々にそうなっていくかもしれない。
四六時中世界に接続されている携帯というのもちょっと考えてしまう。

ネットとマスメディアの力関係

数年前から『思想地図』はコンテクチャーズという合同会社から出版されるようになった。この会社は東浩紀も名を連ねているから、彼は自分で作って自分で売っているわけだ。これはなかなか大変だろうけれど言葉の自律を考えたら理想的である。
その最新版『思想地図別冊メディアを語る』コンテクチャーズ2012を読んでみた。東浩紀と濱野智史の対談でネットとマスメディアの力関係について話されていた。東はその力関係は「10年後くらいには確実にひっくり返るでしょう」と言う。マス媒体の限界を感じる僕も10年くらいたつと誰も新聞買わなくなるかもしれないと思う時もある。そしてまさにこの本のように、マスではない同人たちの情報発信が可能な時代になっている。とは言え、一方で公共の正義が希薄な日本で新聞的なモノが壊滅していいものかとも思う。
ところで10年もすると確かに様々な表現の媒体がネット中心に回る可能性が高い。すでにテキスト、音楽はかなりそうである。果たして、絵画や彫刻、そして建築のようなものまでさらにネット媒体の重要性が高まるのだろうか?テキストや音楽とやや異なり、建築の身体性や実存性はそこへ行って初めて分かることが多いので本来ヴァーチャルな世界に馴染まないのだろう。しかし技術のイノベーション速度は想像を絶する。そうなるともはやあるサイトに行って特殊なメガネをかけると自由にその建築を体感できるような装置が開発されるものもそう遠いことではないだろう。10年前まだネットにダイヤルアップしていたことを考えれば10年後に何が起こるかはだれも分からない。

April 7, 2012

「プロメテウスの罠」は清々しい新聞らしい連載

朝日新聞特別報道部『プロメテウスの罠―明かされなかった福島原発事故の真実』学研パブリッシング2012を読む。朝日紙上で去年10月から行われている話題の連載の初期の書籍化である。最近気づいて読み始めたがちょうどこのころの部分を読み逃していた。
3.11後結構多くの関連書籍を読んだが、事実に肉薄したものは地震直後には存在しなかった。だからこの本は頗る新鮮である。そしてこの事実から次の3つのことに驚く。
①日本の情報隠蔽体質
これは枝野が悪いとか誰が悪いとかい言う問題ではない。そうではなく日本の政治、行政にこびりついているものである。中国で新幹線が脱線した時に中国が事実を隠ぺいしたと日本は批判したが、日本とて世界から見たら同じに映っているのだと思う。
②無効だったSPEEDI
放射能の汚染範囲を僕らは何キロ圏と言って憚らないが、実は汚染範囲は同心円状に広がるわけではない(そんなことちょっと考えれば当たり前である)。それを予測するシステムSPEEDIの情報が米軍には地震直後から流されていたにもかかわらず、日本政府には流されていなかった。
③管現地入りの勇気
管首相が3.12に原発へ飛んだことへスタンドプレーだとか本部を空けたとか言われて批判が多いが、果たしてそうか?あの時東電は福島第一を完全放棄するつもりだった。それを避けるために管は東電に乗りこみ命がけでやろうと鼓舞し、「60歳以上が現地に行けばいい」と捨て身で現地へ飛んだ。この事実の流れを読んでいると管が現地へ行ったことはごく自然だし勇気ある行動だったと僕には思える。
本書最後の1ページには背筋も凍る内閣危機管理監伊藤哲郎と東電担当者との15日午前3時の会話が載っている。
伊藤「第一原発から退避するというが、そんなことをしたら1号機から4号機はどうなるのか」
東電「放棄せざるを得ません」
伊藤「5号機と6号機は?」
東電「同じです。いずれコントロールできなくなりますから」
伊藤「第二原発はどうか」
東電「そちらもいずれ撤退ということになります」

April 6, 2012

建築は人を変える

午前中今年度早稲田の最初の講義。今年も40人弱の受講生で大半は女性だった。文化構想学部とは大半が女性だと思っていたのだが実は半々くらいだと知り僕の講義は女性向けなのだろうかと不思議に思った。
講義後新宿までタクシーを飛ばし12時半のかいじに飛び乗り塩山へ向かう。昨年竣工した児童養護施設の一年目検査。あらかじめ不具合を連絡してもらっていたがそれらはその都度直してきたので本日新たな不具合というのは数えるほどだった。
ちょっと驚いたのは合板で作ったテーブルの突板がかなり剥がれていたこと。こういう施設特有の現象だと思う。普通の使い方をしてこんなことにはおそらくならないだろう。しかし壊れたり汚れたりで気になったのはそれくらいで後は新品同様の状態だった。
またもう一つの驚きは真っ白な外装のサッシュ周りに全くの汚垂れが見当たらなかったこと。たいていサッシュの水切りの両端のどこかでシールに付着した汚れの線が出やすいものである。特に外装が真っ白ならなおさら。外装の断熱塗料に含まれる防汚物質(光触媒)が効いているのかもしれない。
またこの建物ではガスヒートポンプを採用しているのだが、改築前に比べて面積が2倍以上あるのに光熱費は数割しか上がってないとのこと。電気代は月10万以下だそうでこれもとても嬉しい話である。
園長先生にはこの建物に移ってからは子供の気持ちがとても安定して、前とは見違えるよう、この器のおかげですと感謝された。建築がここまで人を変えられるなんてちょっと信じがたいけれど、とにかく嬉しい話である。

April 5, 2012

さてそろそろ新年度

10時に大学へ行って、4年生の製図の進め方、問題点、今年のポイントなどを山名さん呉さんと話始めた、、、、、のだが、、、、、、外の陽気に負けてサクラでも見ながらやりますかということとなり、研究室を飛び出してカナルキャフェに行く。そしたらなんと外濠沿いに長蛇の列。年配の女性群。
諦めてはす向かいにできたスタバの二階のテラスに行く。1時間議論して方向性を決める。言いっ放しの議論を呉さんにまとめてもらおうのが最近の我々のスタイルになってしまった。優秀な助教がいると楽である。昼に大学に戻ると新年度の雰囲気がぷんぷん。新任の助手を連れて熊谷先生、今本先生がやってきた。今年度もよろしく。少しするとやはり新任の構造の助教の焦 瑜(じゃう)さんが回覧板をもってやってきた。彼女は上海交通大学出身で上海設計院でF1サーキットの屋根などの設計を4年ほどしてから東工大でドクターを取り終えたところ。製図のエスキスもやってもらう予定。楽しみである。
研究室は展覧会用の1/20模型作成のため殆ど研究室の体をなしておらず工場状態である。隣の製図室も全部占領中。熊大から来た研究生も模型作りに参戦中。名城大から来たm1と修士設計や論文の話を少し。新四年生とは留学の話し。チェンマイ大学を勧めたら興味ありそうである。しかしアプライの時期や必要書類など分からないことだらけなので先日ディーンと一緒に来られたA先生に電話をしてお聞きする。修士の学費は50万とタイと思えばちょっと高く聞こえるけれど日本の国立大学と同じ。生活費は月2万もあれば十分なようだし、施設は日本のそれよりはるかに良さげである。
夕方は所用で駒込、千石、辺りをうろつき夜事務所。少々打合せをして工務店に電話をして来週の打合せの日程調整。明日は早稲田の最初の授業。さて、、、、今年はどんな学生がお目見えするか、最初はこちらも緊張するが楽しみな出会いでもある。

April 4, 2012

イズムの鮮度

中野剛志『日本思想史新論―プラグマティズムからナショナリズムへ』ちくま新書2012を読む。朱子学の合理を批判した伊東仁斎、荻生徂徠は古学を生みだした。それを受けて会沢正志斎は『新論』を著しプラグマティクで健全なナショナリズムを主張。そしてその精神が福沢諭吉につながる理路を示して見せた。
中野剛志が震災後に書いた論考を読んだ時は素晴らしい文章だと思った。復興の最重要点は街づくりとか都市づくり以前に被災者の心の復興であると書いてあったから。そしてTPP批判を読んだ時も全面賛成はできないものの頷けた。そしてこの書も幕末の水戸学の本質を過激な排外主義ではないことを明かした点で面白かった。
だが、どうもyou tubeに流れる中野の脱原発批判は少々戸惑う。彼の脱原発批判は脱原発批判の前にナショナリズムが先行しているからである。吉本隆明の脱原発批判とはわけが違う。中野の批判は脱原発主張者をアンチナショナリズムであることを持って批判の根拠としている。吉本のそれは原子力が人間の生み出してきた文明の一部であるということを根拠とする。方や政治的視座であり、方や文化的視座である。
もちろんそれが理由で本書の内容を全面否定するつもりもないのだが、イズムはそれに基づき何を主張するかによってその価値も決まる。であるならば彼の健全なナショナリズムの使い方は少々乱暴でそれゆえにせっかくのイズムの鮮度が減少して見えるのである。

爆弾低気圧


突如発生して荒れ狂う台風並みの低気圧を爆弾低気圧と呼ぶそうだ(正確には中心気圧が24時間に24ヘクトパスカル以上下がるもの)。そんな言葉一体いつから使われているのだろうか?ゲリラ豪雨もそうだけれどお天気用語にしては物騒な命名である。
そんな爆弾が爆発しそうな日に現場定例がずれたので予定より1時間早く着くつもりで現場に向かう。古河に着く辺りで空の色がグレーに代わり現場に着いたら霧雨そして会議が始まったら嵐。現場も殆どの仕事はストップで風散養生が今日の仕事。
現場所長が「今日は早めに終わらせましょう。湘南新宿ラインはすぐ止まりますからねえ」と言う。帰路に着くと確かに既に運休。新宿は諦めて宇都宮線で上野へ向かうものの大宮で止まる。スタッフのT君はここで降ろして帰宅を促す。携帯を見ていると方々で電車が止まり始めたので事務所にも電話して皆帰るように指示。そして自分はのろのろとやっと上野に着いたが山手線神田で乗り替えたら中央線がお茶の水で動かなくなった。歩こうかと思ったら総武線が来たので乗り替えて四谷。
ニュースを聞くとこんな現象は1954年以来だそうで半世紀ぶりの出来事だとか。数日遅かったら東京の桜は一夜にして吹き飛んだだろう。

April 2, 2012

大学も変わった


●最近改修が終わった大隈講堂
結婚後最初に住んだのは西早稲田。大隈商店街に面したマンションの3階。50平米で家賃10万という掘り出し物を発見した。日建までバスで10分。格好の立地でとても気に入り本籍もここに移した。だから未だに僕の本籍は早稲田である。生まれ育った所とは何の関係もない早稲田が本籍だと言うのも少し不思議だが血縁地縁に夫婦そろってあまり興味がないので分かりやすくていいと思った。
それからかなり長い間住んだ。古本屋もあるし、名画座もあるし、物価も安いし、都電もあって快適だった。そして何より好きだったのは大隈講堂の前の空間。日本の数少ない広場だと感じて休みの日はよくぶらぶらした。しかしその大隈講堂に住んでいた間一度も入るチャンスが無かった。なんとも悔やまれる。
そしたら入学式のシーズン親族も入れると聞いてちょっと行ってみた。ところが学生以外は地下へと誘導され、入ったところは大隈講堂ではない。大隈講堂の地下ホール。大きなスクリーンに入学式の様子が映されるというわけである。なんだ!来た甲斐ないなと思って帰ろうかと立ち上がり思いとどまる。学部長が何を話すかもちょっと聞いてみたくなった。長たるもの何か深い話をされるのではと期待した。
しかし、そんな期待は裏切られ、改組以降の学部の説明、大学生活の在り方、雑菌の多い大学での自己防衛の方法などなど、極めてプラクティカルな話に終始した。ああ大学も変ったものだと我が身を振り返り、納得したりがっかりしたり。

April 1, 2012

完全性とそれをやめること

吉本隆明、石川九楊『書 文字 アジア』筑摩書房2012の中で吉本は良寛の書は他の禅僧と違いとてもあっさりしているという。普通禅僧は厳しい修行で様々な無駄を削ぎ落される故、修業以外の部分が濃厚になる。しかるに良寛は淡白であると言う。
書は書く人の内面が出るものだが良寛はちょっと違うようだと言う。しかし僕はこう思う。書は内面が現れる場合がある一方、書が内面を構築する場合もある。つまり書を書くときにフォームのみに意識を集中し現れたフォームを気にいり、そしてそのフォームに馴染む自分が事後的に生まれてくる場合もあるのではと思う。
もちろん良寛がこのケースであると言う証拠はどこにもない。ただそんな可能性もあるということだ。
おそらく表現というのは書に限らず双方のケースがある。僕と建築との関係もそうである。作ったものから事後的に自分がそこに同調していくことも多々あるのである。

ところで書のフォームとはある完全性を持っている場合が多い。完全性とはフォームを作り上げるアルゴリズムによってほぼ全体が作られていることである。例外が少ないことである。つまり一貫したスタイルがあるということである。
しかし良寛の書は別として、一貫したスタイルを敢えて壊し、アルゴリズムの例外を散りばめる書き方もある。

そんな書のことを思いながら塩崎君のオープンハウスにうかがった京王線の先の方である。100㎡ちょっとの家だが3階建てでヴォリュームが二つに分節されている。この分節がこの建物の構成を決定づけている。二つにスプリットすることで生まれた間の空間が曖昧な階段室となり、そして2階には別世界のような天井の高い空間を生みだした。この小ささで多様な空間性がいいなあと思ってゆっくりと味わった。

ただこの建物は曖昧な中間領域がそれを象徴しているのだが、ある統一を拒否している、書で言えばスタイルの形成がありそうでそれをやめようとしている。照明のテイストが多様だったり、トイレのキューブが広間に入りこんでいたり、いくつかの異質の空間の質があったり、エントランスキューブがとって付けたように見えたり。この手の統一性の拒否は何も塩崎さん独自のことでもない。坂本先生もよくやることである。

しかし重要なのはそのやり方。書でもそうなのだが、全体を支配するアルゴリズムの例外の作り方は例外が例外として表現になるレベルであることが必要である。そうしないとそれはただの荒れ地になってしまう。

考える人


暴風雨の中、原美術館に行き杉本博司を見てから目黒美術館でメグロアドレスを見るhttp://ofda.jp/column/。原美に入るときは雨でも生暖かったのだが出るときには4~5度下がっていた。雨が横なぐりに吹き付けてとても寒い。
ぶるぶる震えながら新宿経由で吉祥寺へ。久しぶりに親父と会い会食。歩くのが早くなり、腰痛もなく、内臓も調子よさげである。体重も20キロくらい落ちてちょうどよい。なんか小じんまりしたなと思ったら身長も172センチから165センチへ縮んだとのこと。体重はともかく身長もこんなに変わるものかと驚いた。椎間板が痩せてくるからだと親父は説明していた。
久しぶりにビール飲んでワイン飲んだせいか食事途中に「考える人」になってしまった。なんだか仙人のようだが娘には親父に似てきたと言われた。まあ親子だから。