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November 30, 2007

能天気

11月29日
午前ゼミ、午後ゼミ。ゼミの前夜は徹夜が多いようで居眠りが目につく、今日はコンペの締め切りらしく輪をかけて目を閉じている奴が多い。ゼミ中なのか仮眠中なのかよく分からない。ゼミこそが唯一思考を戦わせる場なのに、そうしないのは自ら向上できるチャンスを放棄しているようなもの。かわいそうに。昔のことを言うのは野暮だが、先生と会話できる時間は、もしあれば(殆ど無かったものだ)徹底して利用したものだ。夕刻大学の委員会に出席。これから委員会の仕事も増えていく。少し憂鬱。夜雑務。9時からのレートショーを見る。

November 28, 2007

朝のアサマで大学へ。車中クレーリーの『観察者の系譜』を読み、気付かされることが多々ある。例えば色彩に関すること。クレーリーはこの問題に関して、ことのほかゲーテとショーペンハウアーの意義を訴える。その理由は二つあり一つは彼等がニュートンによって形成された色の光学的(客観的)価値を、生理学的(主体的)領野においても価値づけたこと。そしてもう一点はロックやカントによって比較的に2次的な価値として扱われていた色の問題を、大規模に転倒したという事実である。前者は特に驚くほどの内容ではないのだが、後者は少し考えさせられる。もちろんゲーテの色彩論がそれ相応の意義あるものであることは知ってはいたいたものの、カントに対抗するほどのものとは思っていなかったからである。なるほど、近代の美=カントなどと早合点してはいけないのである。やはりモダンは一枚岩ではない。そんな当たり前のことを再認識させられた。
午後大学のキャンパス計画ミーティング。4時間近くかかった。やっと全体像が見えてきた。ほぼ一年くらいかかったのだがあと少し(だといいのだが)。夕食後成実弘至の『20世紀ファッションの文化史』河合出書房2007を読む。第一章がチャールズ・フレデリック・ワースの話である。彼の意義はオートクチュールを確立したこと。それまで洋服は富裕層が先ず生地をを買いそれをドレスメーカーに持ち込みデザインの注文をして作らせていた。そこではデザインのイニシアティブは発注者側あった。一方ワースは、自らのデザインをモデルに着せてアトリエに並ばせた。発注者には洋服の制作技術に加えてそのデザインを売ったのである。ここでは受注者側にデザインのイニシアティブがある。これがオートクチュールの確立であり技術に加え創造を商品としたのである。建築も常にこうありたい、、、、、

80年代のアメリカは僕の原点でもあるのかな?

フーフー。朝一で伊藤君のオープンハウスに顔を出し、事務所に戻り午後の茶室打ち合わせのアクソメを描く。久しぶりにクライアントに見せる絵を描いた。マーカーで色付けし、できてすぐに出かける。打ち合わせが終り、イケアに行きたく豊洲にあると信じて行ったのだが無かった。しょげて帰ろうとも思ったが新たに出現した「ららぽーと」を覗く。ここはまさにアメリカである。ロサンゼルスを髣髴とさせる。そしてこの巨大ショッピングモールに人がいない。この不気味さ。事務所に戻る。10+1の校正やら、中国の追加インタビューやら届いている。本が手元にないので帰宅後校正の続き。深夜やっと終了。丸善から届いている本の宅急便を開ける。『Tokyo Nobody』や『東京窓景』で有名な中野正貴の原点といわれる『My Lost America』(写真集)をめくる。新聞書評でこの写真集は中野の若き日(80年代)の写真であり、あとがきで中野はこの写真集の写真を撮った80年代に比べ現代のニューヨークで写真をとる気にはなれないと語っていることが紹介されていた。僕はこの手のノスタルジックな言葉を信じないことにしてており、信じない自分を確かめるべくこの写真集を眺めているのだが、そんな自分の姿勢とは裏腹に80年代のアメリカ、つまり僕も過ごした80年代のアメリカにすっかり感情移入してイカレテいた。なんたることだ。

November 26, 2007

紋切り型

13年間朝日新聞の天声人語を執筆していた辰濃和夫の『文章のみがき方』という岩波新書が毎日新聞の書評に載っていた。書評は読まなかったが本は早速買って読んだ。その中に自分の気に入った文章を書き抜くという教えがあった。著者は鶴見俊輔のこんな言葉を引用している。「(私は)毎日、文章を書いて暮らしを立てているわけですが、なにか、泥沼のなかで殴りあいをしているという感じです。紋切り型の言葉と格闘してしばしば負け、あるときには組み伏せることができ、あるときには逃げる、・・・・」辰濃はこう続ける「紋切り型の言葉を使わないということは紋切り型の発想を戒める、ということでもありこれはいい文章を書くための基本中の基本だといっていでしょう」。この部分を読みながら「文章のみがき方」は、「建築のみがき方」かもしれないなと感じた。つまり建築も紋切り型との格闘だということなのだ。定石どおりの表現は人に何かを伝える力が弱い。だからよい建築をつくるためには(自分も含めてなのだが)紋切り型の建築言語を使わないということが必須なのである。そしてそのためにはよい文章を書き抜くように、よい建築を描くか写すかとにかく記憶に納めなければならないと改めて感じたのである。しかし建築と文章は同じではない、文章は生まれたときからそれを身近に感じて身につけていくものであり、紋切り型が何かは自然と染み付くものである。一方建築は先ずはこの紋切り型が何かを知るところから始め、そしてそれを使わずに作る努力が必要なのである。えてしてこの紋切り型ができたところで一人前だと錯覚するものである。もちろん紋切り型さえできないことにくらべれば未だましのだが。

November 25, 2007

模様替え

引越した義姉にアルフレックススの椅子とテーブルとチェエストをあげたので寝室が広くなった。そこで寝室の模様替えを決行。ベッドを移動し、掃除機をかけ、額だの軸だの箱に入っている作品を移動し、チェストの中に入っていた昔のsdを梱包して研究室に宅急便した。結構重いものである。寝室の半分がオープンになった。ここをかみさんの制作場にしよう(納得するだろうか?)。作業が終わるころ親父から電話。オフクロとも話す。まずまず元気そうである。大晦日、元旦と恒例になってきた焼き鳥、ふぐを食べに行くことを約す。午後はアレキサンダー・ツォニスが35歳の時に書いた『建築の知の構造』彰国社1980を読んだ。建築史を合理化前後に大別し、さらに合理化という概念を構造的効率を基準とするものと、機能的効率のそれに分類している。この視点は見事である。さらっと読んでからジョナサン・クレーリー、遠藤知巳訳『観察者の系譜』以文社2005を読み始める。内容は透視図法、カメラオブスキュラ、そして写真機の順に視覚的発明がされていくのだが、後者二つの間には視覚の断絶があるというものらしい。それだけ聞くと簡単な事なのだが、そこに行く経路がなかなか見えてこない。新幹線の中で続きを読もう。外は少し寒そうだが、ぶらぶら行くか。丸善で少し本を眺め、新しくできた大丸を覗いて行こう。

November 24, 2007

いい天気

いい天気である。朝一で上野にムンクを見に行く。http://ofda.jp/column/上野は天気がいいせいで人である。開館時間に西洋美術館に滑り込んだがすいすいとは見られない。帰宅して昼食をとり午後一にナカジと事務所で打ち合わせ。10畳くらいのビルの内装だがそれなりに難しい。その後新宿で買い物。今日もかみさんは引越しの手伝いなので、夕食は娘と二人。食後は読書。

November 23, 2007

持続性

午前中先日竣工した住宅の引渡し。午後勉強会。今日は井上君と二人で静かに行なう。二人でやるのは実に静かで快適であることが分かった。集中できるから進捗も良いし、気が散らないから疲れもたまらない。夕刻帰宅。かみさんが姉の引越しの手伝いに行ったので夜は娘と二人で夕食をとる。食後、以前読んでいた『視覚と近代』の中の尾崎信一郎の「視覚性の政治学ーモダニズム美術の視覚をめぐって」を読んだ。モダニズムの特質である視覚性は触覚性との対比において対象との距離を保つことで一望性があり、それゆえに瞬間的な知覚であることが特徴であるという。そしてマイケル・フリードはポロックを視覚的であるという言うが尾崎はそれに反論し、ポロックの特色は一望性よりも細部へ視線を引き込み、そして瞬間的な把握を拒む物だと言う。この時間性がクラウスによってビートとかパルスという概念に発展されているのだが、この見るのに時間がかかる=持続性という考え方は改めて面白いと感じた。引き込んで離さないというものの魅力は確かにあると思われる。それは建築で言えば単に表面の複雑性ではなく奥行きなのだと思う。

November 22, 2007

いい夫婦

大学の行事を終え、会議・会議も終え、雪の散らつく街を自転車で疾走し2分差で電車を逃す。次の電車は20分後。駅のカレーを食べて電車に乗り込みスコットの本を読む。途中うとうとしながら東京。事務所に着いたら先日撮影いただいた上田さんの写真のポジが届いていた。ありがたい。今回はデジカメでも撮ってもらいdvdもある。ファイルがかなり重く事務所のコンピューターでも一枚一枚の開きが遅い。プリントアウトするのを選びスタッフに指示。ドイツからまたインターンのアプリケーションが届いている。今度は半年。うーんどうしようか?ポートフォリオがいま一つ。今日はいい夫婦の結婚記念日なので荒木町の花屋(この花屋はお店のママに花をプレゼントするたのもの?飲み屋街の入り口にあり夜遅くまでやっている)で切花を買い帰宅。アマゾンから洋書が二冊届いている。function of the ornamentとdigital tectonics。前者は装飾とファサードエンジニアリングの関係を巧みなドローイングで説明している。日本の建物がたくさん載っている。後者は様々な論客を集めてコンピュータナイズされた形状の意味を論じている。ちょっと読むのは大変そうであるが面白そうなものだけつまみ食いしよう。

November 21, 2007

蒸気噴出

朝研究室の扉を開けると不吉な雨だれの音。ここは最上階ではないし、雨は降っていないから雨水ではないのだが天井から水が垂れている。ファックスはビショビショ、そばのパソコンにも跳ねている。去年も同じことが起こったのだが、またか。施設課に電話。「蒸気配管から漏ってますよ」雑巾を機械にかぶせ物の移動。いろいろとやることが山ほどある日に限ってこういうことがおこる。マーフィーの法則にこう言うのがある。"Anything that can go wrong will go wrong."悪くなる可能性のあることは悪くなる。もう全くその通り。もうおんぼろ校舎の老朽化事故には腹は立てない。と理性では分かっているのだが、そういうときに限ってまた面倒臭いメールが舞い込む。またマーフィーだ。ああ午後からゼミだと言うのに。大学を駆け回り手短に打ち合わせして。息せき切ってゼミ。ゼミの途中に明日の行事の段取りなどして、そしてまた次のゼミ。そしてやっと蒸気が止まったので配管取替え本格工事。こんな時間に修理している人も可哀想に思えてくる。まあ事故のおかげで部屋の掃除ができたとありがたく思おう。

November 20, 2007

本の整理

朝早く起き、書斎の本の整理。本は溢れる。何かを捨てねばもう入らない。大学に送ることもある。しかし、原則重要な本は身の回りにおいておきたい。ばらばらにしておくとどこに何があったか分からなくなってしまう。そうなると後は捨てるか売るかである。整理を重ねて二つの全集に目をつける現代美術の18巻の全集と開口健の全集。前者は写真はいいのだが装丁がプア。後者はその昔早稲田の古本屋で見つけたもの。12巻くらいあるだろうかサイズがA5くらいのかわいいものである。半分くらい読んだろうか?残りは興味が減って読まなくなっていた。さあ売りに出すぞと思っていたらかみさんが「私が欲しい」と言う。それなら自分の本棚に入れてくれと頼む。すると自分の本棚の古い雑誌を捨てにかかった。これ幸いとそこに移動。そのおかげでトコロテン式に書斎の床と机の上に山となっていた本がやっと片付いた。しかしこんなことをしていてもいつかはどうにもならなくなるのは目に見えている。ああ憂鬱だ。

November 19, 2007

長野は雪

朝一のアサマに乗る。社中‘What is OMA`toto出版2005を読んでいたら眠ってしまった。原書は評判の本だと聞くし訳も悪くないと思うのだが、なんだか面白くない本だ。午前中3年生のガイダンスをして、午後キャンパスマスタープランのインフラ計画を設備の先生と一緒に検討。ガスか電気か国家的問題なのだなあと改めて感じる。夕刻会議。会議後帰ろうと思ったら、やたら面倒臭いメールがいくつか届き帰るに帰れない。開き直ってゆっくり帰ることにする。メールの返信、℡、ついでに中国からのメールインタビューに英語で答えを書く。次の電車の時刻がせまり答えがいい加減になってきたので雑になる前に止めて帰路に着く。今日の長野は急激に気温が下がった。キャンパスは朝型は雪だったそうだ。今年初めてコートを着込み東京ではやや着過ぎだったが長野では足りないくらい。東京に戻るとほっとする。

November 18, 2007

7回忌

僕にとってとても大事な音楽の恩師である故山口元男先生の7回忌の記念コンサートとしのぶ会があった。私と同年代の教え子たちは皆演奏しているのだが私はどうにもこうにも練習時間がとれそうもなく辞退して聞くほうにまわらせていただいた。
教え子の中には大学で美学を教えている0君や筑波で原子力を開発しているT君京都の進進堂の社長をしているT君など皆いろいろなところで活躍している。しかしこうして会うと時間が一気に小中学時代にタイムスリップしてしまう。山口先生の家に深夜までいて先生の酒に付き合いながら音楽談義をしていた頃を思い出す。物事を継続するということを叩き込まれ、音楽を自分なりに表現するということを教えてもらった。それがその後の僕の様々な表現活動の基礎になっていることに改めて気付くのである。

感謝

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施主検査をしてオープンハウス。その後クライアントに施工者と設計者が招待されて食事した。こんな招待を受けたのは独立してから初めてのこと。工事が順調に進んだからこそである。引渡しまで残りの調整を行い無事引渡したい。

November 17, 2007

金曜日

11月16日
今日も朝から雑用に追われる。金曜日は午前講義、午後製図。パース講習会なるものがあり2年生が受ける。講師の先生と夕食を共にする。最終のアサマで東京へ。ぐっすり眠った。

November 15, 2007

インタビュー

朝から大学の仕事に追われ午後のゼミも遅れた。ゼミが終りに皆で夕食。ビールを一杯だけ飲む。雑用があり夕食後にそれらを片付ける。中国の出版社からインタビューのメールがくる。僕のブログを読み中国で仕事をしていることを知ったという。この雑誌の次の号で`Asian Designers`という特集を組んで7~8人のインタビュー記事と最近作の写真を載せたいとのことである。中国からのこの手のメールはよく来る。しかし彼等はできても雑誌を送らないので最初は断ったのだが、必ずできた雑誌は5部送るということなので受けることにした。しかし韓国とか中国とかからの取材が続く。それが仕事に繋がるならやる気もでるのだが、日本の雑誌に出たって仕事には余り関係ないのが正直なところである。

撮影

11月14日
下町に建つ木造3階建ての住宅が完成し事務所検査を行なった。昨年の秋口ぐらいから設計を開始して丁度1年で完成である。僕等の事務所の仕事としては1年で完成はとても早い。普通は1年半はかかる。去年設計を始めた頃は建築に愛想を尽かすようなできごとが3つも重なり意気消沈しており、あまり細かいことに気を使うのではなくおおらかにのんびり(と言っても時間的な問題ではなく)設計したいと思っていた。そして完成して検査をしているとそんな気持ちの現れを随所に感じた。10+1のビデオ撮影に萩原さんが、竣工写真撮影に上田さんが来られた。お二人には前作角窓の家の時も来ていただいている。萩原さんからは「今年はたくさん作られましたか?」と聞かれ「いえこれ一つです」と言いながら「ああもっと作りたいなあ」としみじみ思った。上田さんは相変わらず「うわー格好いいなあ」とお世辞を言いながら6×9と新しく買ったデジカメで手際よく撮影を開始した。萩原さんは午前で撮影を終えた。このビデオ映像は10+1のウエブサイトに年末乗っかる予定。「10+1の廃刊はひどいものだ」と嘆くと「雑誌というものはいつかは終わります」と淡々と語っておられた。大人である。午後エクスノレッジの佐藤さんが来られしばらくお話した。夕刻までは撮影は中断だから丁度いい。5時頃夕景をとる。この時間はいつも忙しい。夕刻の丁度いい光は15分くらいしか無いからである。この間に3カットくらいカメラを移動しながら撮るのは見ている方もちょっと緊張するものである。

November 13, 2007

プロスペクター

プロスペクターの展覧会を覗く。おっと建築と言うよりはアーティストの個展の風景である。しかもなかなか高度である。彼等の妻有の足湯プロジェクトの巨大な造作が平面的に台の上に置かれているのである。これは凄まじい。建築については小さくプロジェクターから壁面に映し出されていた。展覧会場の片隅に置かれたA4のペーパーにはこの展覧会のコンセプトである「建築の演算、都市の演算」の説明が記されている。「2、演算的であるとは、計画的でもなく偶発的でもなく、かつそのどちらでもあるような思考の全体である」というなかなか魅力的な言葉が連なっている。そしてその演算子は異化、交接、反復、転用、合成でありその演算の可能性は2の五乗で32に通りとなりそれらが彼等のプラットフォームということだ。なるほど。理論的にはよくわかる。しかしそのリアリティは果たしてどのような地平に現れてくるのだろうか?彼等のことだからアメーバーの如くいたるところにその可能性を発露させるのだろうが。
先日韓国のデザイン誌bobがofdaの特集を組みたいとメールしてきた。締め切りは明日ということで事務所では必死に英文の作成中である。40ページもくれると言うのだがどんな雑誌になるのだろうか?プロスペクターに負けないようなものになるだろうか????

November 12, 2007

両立

2年生の講義のブログに3年生、4年生、院生らのコメントがありとても嬉しい。こうして大学のレベルは上がるのである。僕の役割はそうしたレールを敷くことにあるのだと思う。そして後は皆で作り上げるという気持ちが大事である。
大学の時にスキー部の幹部を任命され上手くも無いからそれはできぬと固辞したのだがobの圧力で強引にやらされた。もちろん一番いいタイムが出せなければダメだとは思わないが、そこそこでなければ務まらないはずである。教師もそうである。力が無ければ教える資格はない。教えるためには自力をつけないと、息切れしないうちに。

November 11, 2007

後悔先に立たず

ぐずついた天気。一週間ほど前に買って積んどいた『情報○○』という衝撃的なタイトルの本をぺらぺら読んでみた。広告代理店の管理職が著者である。しかし全く面白くない。内容はあまりに当たり前。奥が浅い。ああ1800円損をした。大後悔。人生は限りがある。こう言う本に当たるのは地雷を踏むようなもの。夕刻新聞ちらしの入っていた市ヶ谷のレストランに出かける。家具屋が売り物の家具を使ってレストランをしているのだ。傷つけたらどうするのだろうか結構不思議な形態のビジネスである。

偶然

11月10日
長野の天候は荒れ模様。風が強いのでひどく寒く感じる。午後日本技術史教育学会の総会でお話をさせていただいた。技術と美の統合というテーマでお話した。技術史においてはあまり美の問題は語られてこなかったということを強調したせいか、終わってからの懇親会でとある先生にそんなことはないと言われた。その先生は大学時代は飛行機の設計をされていたそうで恩師からは常に「美しい物は機能的である」と教わったそうだ。よく「機能的なものは美しい」と言われるのだがその逆を言う人は珍しい。更にその方が柳田博昭(テクノデモクラシーの提唱者であり今日の話でも登場した)は西高時代の同級生だとおっしゃる。更に奇遇なのはその方の家を設計されたのは私の高校の先輩のよく知った建築家であった。いろいろな偶然があるものだ。

November 9, 2007

均斉のルール

今年に入ってからかみさんが書道の創作を再開した。子供が生まれてから最近までは教えることだけに専念していたのだが子供も成長し、時間にゆとりができたことも手伝い展覧会に向けての創作活動を始めたわけである。それ以来我が家の居間は創作場となり床には大きな黒い毛氈が敷かれ、テラスに面した大きなガラスには横40センチ高さ2メートルくらいの紙が5~6枚常にぶら下がっている。そこに大字が4文字から5文字書かれている。4文字か5文字かというのは素人が見ていると大した差を感じないのだが玄人に言わせるとぜんぜん違うものなのだそうだ。5文字を「作品」にするのには余程の力量が必要だと言う。「へー」と思う。その理由は皆目見当がつかない。紙の大きさに対する字のバランスの安定感みたいなことなのだろうか。はたまた墨の持ちみたいなことなのだろうか??
8本建つべきギリシア神殿の列柱が同じ平面形と立面のままで6本にすることは古典主義のルールとしては多分ありえない。厳密な比例で作られているはずであるから。しかし例えばパリのパンテオンなどを見ると柱は6本で柱間はいように長い。でも名建築と言われる全体感を持っている(と言われている)。ここではルール自体が変わって新たな正しさが生まれているのである。つまり書道だってこの紙に5文字書くという新たなルールが作られればそれは美しさや均整の問題ではなく新たな正しさが生まれるということなのではなかろうか、、、墨の匂いの充満する我が家で夜な夜な書を見ながら建築を思うこの頃である。

November 8, 2007

よく考える

一日事務所から出ずに、原稿修正したり、中国の話したり、茶室の話したり、少し形をいじくることから離れていたのだが、また頭がそのモードに戻ってきた。形も文字も同じだな。一生懸命考えないといいものは出てこないし、諦めるとそれだけのことで終わってしまう。

November 7, 2007

視覚

なるほどアルパースという人はジョナサン・クレーリーと並んで視覚の発掘者なのだそうだ。それまでの近代的視覚の定説はマクルーハンの活字文化論でありパノフスキーの遠近法、そしてマンフォードのバロック都市、西洋近代哲学の本質を「見ることに」に見るローティーなどである。そうだよなあ、マーティンジェイがあげた近代の3つの視覚が遠近法とバロックとオランダ17世紀美術の視覚と書いているのを読んだときはちょっとビックリした。この初めて登場してくるオランダ美術が驚きだった。このオランダ美術的視覚を発掘したのがアルパースだったのである。丸善から届いた『視覚と近代』大林信治・山中浩二著、名古屋大学出版会2000を読むとこのあたりの視覚の系譜が丁寧に説明されている。そもそも考えてみれば僕の20年以上前の卒論は遠近法とアクソメがテーマでありその意味で視覚だったのである。最近まで視覚なんてこの二つだと思っていたが浅はかである。しかし再びこのテーマに再会したのはなんとも嬉しい。少し掘り下げてみたいところである。

November 6, 2007

手探り

東京駅に大丸がオープンした。オープン初日で大混雑のようである。地下街も新しくなったとのこと。連続する八重洲地下街も相乗効果だろうか?大丸が入るタワーともう一本タワーができたようだ。どちらも多分に日建が設計したようである。透明感の高いガラス張りだが少々マンネリ化しているような気がする。本屋により視覚関係の本を三冊と昨日話題になった権力の住宅史を探るため日本住宅史それから新時代のマーケティングの本を購入宅配に頼む。丸善は1万以上で宅配ただにしてくれるので楽である。事務所に戻り作品シートのチェックをした後中国工場の開口部のエスキスをチェックうする。模型も100分の1ナカジも中国の施工力に疑心暗鬼で恐る恐るのデザインになってきているので当初のデザインに引き戻すべく二人でエレベーションを修正。とにかくこのプランとエレベを修正して今日中に中国に送らなければならない。イヤ本当に手探りである。

新しいゼミ

11月7日
新しいゼミ「建築の条件」を今日から始めた。これは建築の社会構築的側面を浮き彫りにしようというこころみである。8つのテーマを決めて7人の修士一年生が一つのテーマを毎回パワポにまとめて発表するというものである。8つのテーマとは1)男性的(◎)であること⇔女性性 2) 永遠的(◎)であること⇔消費性(エロチシズム・セクシュアリティ) 3)写真的(◎)であること(フォトジェニック) ⇔体感性 4)階級的(◎)であること(格差の表現) ⇔匿名性 5)グローバル(◎)であること(世界標準) ⇔地域性 6)主体的(美的)(◎)であること(商品化建築家)⇔他者依存性 7)道徳的(◎)であること(正しいことの強さ)⇔悪党性 8)アート的であること(建築の可能性) ⇔初源性 なる8つである。今日の発表を聞いていると、テーマを対義語でまとめる「建築の規則」方式なのだが、どうも対義語になっていないものが多い。例えば今日やった階級的であることの反対が匿名性というのは確かにおかしい、、、ゼミ終了後皆で食事。

November 5, 2007

ラスムッセン

11月4日
午前中でとりあえず作業中のパワポが完成したので東現美に散歩。space for your futur展を覗く。石上純也の作品はなんとも言えず良かった。大きいものに弱いなあ。帰宅してゆっくり風呂につかりながら読み残していた有吉さんのフェルメールを読みきり、さて出勤。車中明日のゼミにと思いラスムッセンの『経験としての建築』美術出版社1966という古い本を読む。この本は原書の初版は1957年。僕が生まれる前である。建築を形態や様式で分析するのではなく、現象的に捉えようとしたものとしては、一連のノベルグ=シュルツのものが有名だが、多分それに先行するのではないだろうか。ラスムッセンはあのウッツォンの先生であり、ラスムッセンにしてウッツォンありということがよくわかる(確かこの本もテクトニックカルチャーでフランプトンがウッツォンの実存的側面を評価していたことに関連して参考文献としてのっていたから購入した記憶がある)。

November 3, 2007

秋晴れ

秋晴れである。週末の講演会の材料集め。古い話だが横断道路の換気塔のことを少し話そうと思いエスキースでたくさんつくった粘土の模型写真を探したが見つからない。あるとき日建時代の資料やら写真やら思い切ってたくさん捨ててしまった。しかしああいうものはキチンと保存しておかなければいけないとつくづく思う。天気も良いので作業は一時中断。娘の学校の文化祭を見に行く。学校は早稲田大学文学部の隣近所。今日は早稲田も文化祭なのでこのあたりはとてもにぎやかである。娘のブロックフレーテの合奏を聴き帰宅。夜また講演会の材料集め。捨てたと思っていた写真をスライドで発見。フィルムスキャンを10枚ほどする。パワポが約30枚。こんなものだろう。だが内容がまだスムーズではない。タイトルは「建築における技術と美の統合」相手は機械の専門家。「住宅は住むための機械である」から話を始めようかなあ??

November 2, 2007

アサマ通勤

2コマめの講義にあわせてアサマに飛び乗る。車中山本学治の『現代建築と技術』を読んだ。この本よく見れば初版が昭和38年である。その中で彼は建築家の仕事は機能的特性と技術的特性そして視覚的特性を結びつける一貫性こそ建築的統一であると述べている。やはりここでもウィトルウィウス以来の用・強・美ということである。しかしこう言う総合的視点の持ち主は現代のアカデミックな世界の中にはいないなあと改めてこの人の偉大さを思う。午前中の講義を終えて午後は製図。住宅設計は3回目のエスキス。終わったら7時ころになってしまった。1時間も延長。ぶらぶら駅に。運良く7時半の電車があった。駅弁を食べながら読みかけだった中島純一の『流行の心理』金子書房2003を読む。その中にアメリカの社会学者ボガーダスの流行分類表がのっていた。そこには建築も対象として取り上げられていたのがビックリである。

十和田市美術館

十和田市美術館のオープニングパンフレットが郵送されてきた。と言っても開館は来年の4月26日。だいぶ先である。十和田市は母の実家のあるところ。とても鄙びた田舎である。こんなかっこいい美術館ができても人は行くのだろうか????しかし少なからず嬉しい。親戚もたくさんいるしどんな感想を持つのか聞いてみたいところである。

November 1, 2007

古谷さん優勝

現場から事務所。打ち合わせの後原稿書いていたら夜である。ふと小布施町のホームページを見たら古谷さんがコンペに当選したことが速報されていた。そうだったかあ。
昨日の長野市の建築家の方の言葉を思い出す。松本へ行く道すがらキャンパス計画を手伝ってくれている彼女は「私は古谷さんがいいなあ」と言っていたのである。どうしてと聞くと、「伊東さんのは小布施とは何の関係もないし伊東ワールドができるだけ」というのである。古谷さんのだってそれほど小布施ぽいわけではないでしょう?と聞くと「今の形は確かにそうだけど町民と一緒に作っていこうと言う意識が感じられる」と言うのである。うーん。
これからのコンペはエゴがまかり通ることはないということであろうか。審査員の一人に町民代表がいたそうだが、そういう方の発言力が更に増すのであろうか?建築家はある意味でトランスレーターであろうと思っているがそれにも限度がある。少なくとも生きたトランスレーターである。電子辞書のようにならないように気をつけなければ。