均斉のルール
今年に入ってからかみさんが書道の創作を再開した。子供が生まれてから最近までは教えることだけに専念していたのだが子供も成長し、時間にゆとりができたことも手伝い展覧会に向けての創作活動を始めたわけである。それ以来我が家の居間は創作場となり床には大きな黒い毛氈が敷かれ、テラスに面した大きなガラスには横40センチ高さ2メートルくらいの紙が5~6枚常にぶら下がっている。そこに大字が4文字から5文字書かれている。4文字か5文字かというのは素人が見ていると大した差を感じないのだが玄人に言わせるとぜんぜん違うものなのだそうだ。5文字を「作品」にするのには余程の力量が必要だと言う。「へー」と思う。その理由は皆目見当がつかない。紙の大きさに対する字のバランスの安定感みたいなことなのだろうか。はたまた墨の持ちみたいなことなのだろうか??
8本建つべきギリシア神殿の列柱が同じ平面形と立面のままで6本にすることは古典主義のルールとしては多分ありえない。厳密な比例で作られているはずであるから。しかし例えばパリのパンテオンなどを見ると柱は6本で柱間はいように長い。でも名建築と言われる全体感を持っている(と言われている)。ここではルール自体が変わって新たな正しさが生まれているのである。つまり書道だってこの紙に5文字書くという新たなルールが作られればそれは美しさや均整の問題ではなく新たな正しさが生まれるということなのではなかろうか、、、墨の匂いの充満する我が家で夜な夜な書を見ながら建築を思うこの頃である。