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ブログとか日記とか

ブログはやはり日記とは違う。余り本当のことは書けない。人に見せるものなのだから仕方ない。そして見られることを前提にしてるから自分を美化する傾向がある。人のブログを見ていてもそう思う。そんなに格好つけなくてもいいではないかと思うブログもある。建築家の○氏のなどは結構面白く読んでいたが、だんだん鼻につくようになってきた。僕のブログも無意識に格好つけていたり、偉そうになっているから、胸糞悪くなる人も多くいるだろう。まあそんな人はもう読まないだろうけれど。
ではブログとは一体なんの為に書いているのだろうか?備忘録・自己顕示欲・一日の節目、僕の場合この3つの合計みたいなものだと思う。しかし最近心の苛立ちを書きたいと思うことが多い。そんなことは日記のようなものをつけて数十年たつがあまり無かった。一体この苛立ちは何なのか?と反省してみる。自分で物事を解決できないもどかしさなのだろうと最近分かってきた。
さっき2000年頃の日記を引っ張りだしてきて何書いているか読んでみると、つらいことをあまり書かないように元気をだすようなことを一生懸命書いているが、ふと創るつらさみたいなことを書いてることがある。それはまさに自己との葛藤を書いている。本当につらそうである。最近はそういうつらさは無いのだが(別に創ることが楽になったわけではないのだが)人を動かすつらさ、動かないつらさに変わっている。でもどっちがつらいのかと考えてみると、前者の方がつらい。人を動かすのはテクニックだしどうしても動かなければ排除すれば済む話。でも動かない自分は捨てるわけに行かない。一生同居しなければならないこの自己に幻滅した時はもう取り返しがつかない。だから今のほうが昔より楽なのかもしれない。
と、とりあえず考えておくことにしよう。

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