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September 30, 2006

久しぶりに土曜日らしい土曜日

朝一で現場、今日の内容をチェック。その足で渋谷へ、モディリアーニを見て。11時半にエクセルホテルでNY.japan societyのdance performing arts部門のdirectorである塩谷氏とあって昼食。大野一雄の展覧会がjsでできないか聞いていた件。聞くと来年大野の生誕101年とjsの創立100年で大野一雄舞踏フェスティバルが開かれるとのこと。しかしその時にgalleryで大野の写真展をするかどうかはgallery directorの仕事なのだが、実はgallery directorが現在ポストが空きになっていて統括されてないとのこと。そのため予定がたたないようだ。うーん。
次に横浜シンポジウムの話。僕が都市の大きなものと小さなものをテーマとしたいという話に関連して、ニューヨークの欲望といことで何かないか聞いたら、芸術家の成長より都市の成長が早すぎて街がどんどんつまらなくなるという論点を示してくれた。これは使えるかも。
午後A0勉強会。今日は辺見と井上君がなぜか来ない。しかし3人が発表。scottのhumanism称揚の論点は大体分かってきた。帰宅すると娘とかみさんも娘の運動会から帰宅したところ。夕食は家族で近くのとんかつ屋鈴新へ。

コンペ提出

7時のアサマに飛び乗ったらコンピューターを忘れたことに気づいた。どうしようか1分考えた。次のに乗ることにした。事務所に直行し「連窓の家#2」のポジを持って新建築に行く。10時半になってしまった。ポジを渡し、コンペを無事提出した。よかった。ほっとした。
事務所に戻ると金箱さんから『見えない震災』が届いてた。ありがとうございます。竹内や南さんも執筆している。今日は読む暇もないが、来週読もう。
午後は事務所で打ち合わせ。伊藤君のコンペ案を見せて貰った。なかなかきれいな案である。曲線三角形のスロープ案。プレゼンもうまい。ただこの手のタイプは結構多いので、その中で1番になれるかであろう。帰宅すると注文していた本やら、丸善からの宅配便やら、本が沢山届いている。この2週間くらい本を読む時間がまとまってとれない。苛立たしい。

September 28, 2006

大学の旧態依然

松本で会議。そのまま東京に帰る予定だったが、結局長野に戻る。コンペの仕上がりがぎりぎりだったので。ボードを僕が明日新建築に持っていくことになった。丁度新建築で打ち合わせというなんとも言えぬ偶然が重なったからなのだが。
コンペの仕上がりはまあまあ。しかし大学の物品請求システムの煩雑さにはほとほと手を焼く。学生と二人で必死になって1時間はゆうにかかる。コンピューター入力して、支払い請求書書いてそして領収書と明細書がいる。10円のもの100個買うと100個入力して100個請求書書くのだ。こんな狂ったシステムを何とかしてほしい。民間会社ならとっくに改善されているような話である。

September 27, 2006

台風一過

昼一でコンペの打ち合わせ。構造はだいたい自分で分かっているのだが、どういう名前をつけたらいいものか分からず佐藤淳さんに電話。「提出明後日で大丈夫?」と言われたので「もう全部終っていてあと構造の名前だけ」と言って納得してもらった。やはり予想通りRCの薄肉ラーメンということだった。午後会議の後、自室で仕事していたら、来訪者。ナント日建の関さんではないか!浅野先生が連れてきた。今日から信大で空調衛生学会が行われており、日建の設備の人たちも多く来ているらしい。ナント関さんは広大に博士論文を提出して無事博士号を取得したとのこと。おめでとうございます。
夕方佐久市にプロポーザルの最後の審査に行く。2時間ほど最後のコメントをし、後はお任せして帰ってきた。プロポの審査は割りと空しい。提出された建築家の方はご苦労様でした。
10時頃研究室に戻り、コンペのチェック。その後新建築JTの対談の校正。結構混乱した文章。まあ自分のしゃべったことなので仕方ない。全部書き換えようとも思ったがそれも勢いがなくなるだろうから、どうしても気になるところだけ修正。それでも結構あるのだが。それでもどうもしっくり来ないがまあいいか。
台風が過ぎ去り長野の夜は静かで気持ちいい。

September 26, 2006

久しぶりに本屋

朝の会議の後コンペの進捗を確認して、昼のアサマに飛び乗る。東京駅で久しぶりに丸善へ、社会学のコーナーにヴィドラーの建築の本がおいてある。青土社だからだろうか?しかし何より驚いたのは、ちょっと前までA0チームで翻訳しようかと思っていた候補本の一つなのである。ちょっと前に校正を渡した、原稿の中には自分の訳を引用として使っていたくらいである。もう少し早くこの本のことを知っていたらその訳も確認しておいたのに。因みに訳者は中村敏男さんだった。フランプトンの現代建築史の訳者であり、もとA+Uの編集長である。しかし僕が発見した本だと思っていたら、早い人はとっくに注目していたということである。丸善に行ったついでに、復刊本コーナーで細川周平の『レコードの美学』と大黒岳彦の『〈メディア〉の哲学 ルーマン社会システム論の射程と限界 』を買う。ルーマンかぶれだろうか、5000円もする本をよく買うよこの忙しい時に。と自分でもあきれる。しかし忙しくない時などきっと一生ないのだろうとついに最近は諦めている。ついでに1ヶ月前の週刊誌の書評に載っていた福田和也の『文章教室』も買う。確かもう一冊買ったが書名は忘れた。丸善は1万円以上で配送料無料なのでいつも送って貰う。
事務所にもどり、4時から某プロジェクトの見積した工務店がくる。全然落ちていない。やる気がないのか、時間がないのか?incredibleである。
その後某住宅の打ち合わせ。9時頃帰宅。台風で雨がひどい。3分外を歩いたらスーツがびしょびしょである。大学ではコンペの追い込みであろう。頑張れ。

September 25, 2006

いろいろ

朝から雑用をこなす。雑用をこなすのもクレーム対応するよりはるかに楽しい、一個一個物事が終るというのはせいせいする。(なんとネガティブな)。

その後年度末までにやって欲しいと頼まれている横浜でのシンポジウムの企画を練る。
「大きなものと小さなもの」、「ガリバーとチワワ」なんていうタイトルが浮かぶ。
「大きいものの持つ崇高がらみのモダンテクノロジーの欲望と、それに対抗する小を愛でる美学をなんらかの形で対比的に街に導入する視線(キティちゃんの街なんて)。この2つを混ぜ込んだ第三の空間を目指すという建築社会学美学的考察というのをやってみたい。とりあえずシンポジウムゲストとして北田さん(広告)、加藤政洋さん(第三空間)、吉見さん(欲望)四方田さん(可愛い論)、万能選手のプロスペクター、塩谷陽子(ニューヨークの世界欲望)」なんてメールを打ったら是非やろうとの返事。週末塩谷氏に会うのでちょっと相談してみるか。

午後大学院を受けたいという学生と面談。他学科から受けると製図の勉強をしていない人にとっては大変なので学士入学を勧める。

その後来週早稲田でやるレクチャのパワーポイント作り、どこかでやったレクチャーを流用しようかと思ったが、それは余りに消極的なのでやはり新しい物を作る。

コンペの図面の平面がふと気になる。階段を全部外部にしようと院生に指示。多分全然よくなるだろう。今まで2回研究室でコンペをやってきたが、3回めの今回は少しまともになってきた。やはり学生も蓄積されてきた。そろそろ期待したいところだ。それにしてもいい写真が撮れるかにかかっているのだが、明日から天気が悪いのが悲しい。

とある本の出版を鹿島に相談したら大学の出版会を勧められたのだが、東大の小田部先生に相談したら勁草書房を勧められた。大学出版会は一般の書店には並びにくいからもっとポピュラーな出版社の方が良いのではと言う。そんな贅沢な希望は固よりないのだが、、、、

夕刻リーテムが学会選奨の現地審査に残ったと言う嬉しいメールが舞い込む。入るといいが。

プロポの審査とコンペの作成

6時52分のアサマで佐久平へ9時からプロポーザルのヒアリング。1チーム30分で5チーム。午後そのディスカッション。クライアントの方々は明日投票。私は一足先に辞し大学へ。
沖縄コンペの打ち合わせ。先ほど終了。写真のカットはほぼ決まり、50分の一のスタディ模型を明日から30分の一で作る。100分の一の模型も作り直す。後一踏ん張りである。頑張れ残すところあと4日。いかにシンプルに見せるかが勝負である。そしてコンセプトの語り方。

September 23, 2006

篠原一男

朝竹橋の美術館に寄って、奥山研に行く、鹿島出版会の川島さん、松口さんとお会いする。本の打ち合わせ。品格のある本にしようということになる。長い期間価値の薄れない本。定本と言ってもいいのかもしれない。論文に引用されるような本。それは内容だけではなく、構成やデザインにも関わることである。年内にまた打ち合わせをすることにして、篠原先生の偲ぶ会に移動する。100周年記念館で先生にゆかりのある人たちだけの集まりであった。しかし150人ほど集まった。篠原研obは日本人はほとんどやってきた。アメリカからもキース、香港からレスリー、ウィーンからヴェネーダが来た。篠原研以外でも建築家は富永さん、長谷川さん、妹島さん。編集者も石堂さん、小巻さん、豊田さん。クライアントも浅倉さん、篠さん。そして評論家の多木さん。多木さんが改めて篠原一男は再度誰かがきちんと日本のどのような文脈に載せるのかを分析しなければいけないとおっしゃっていた。そうだろう。そのとおりである。

僕は今思うと篠原先生がいなければきっと東工大に入学していなかった。高校時代に富田さんという高校の先輩がいたために象設計に大学進学の相談に行き、今はなき象のボス大竹さんや富田さんに、現役建築家のいる大学に行きなさいと言われ名前の挙がった東工大に進学した。そしてこれはその当時よく分からなかったけれど、篠原先生のエキスを充分に体に染み込ませていたように思う。先生が私の卒業設計をレモンの展覧会に選んでくれたのも、あのデザインが、先生と通じるものがあったからだと今にして思う。大学時代は会話さえあまりしていただけなかったのだが、結婚式への出席をお願いするために配偶者とハウスイン横浜を訪れた時、延々とリールの計画の話を始めたのが印象的だった。そしてそれから10年後くらいから先生との付き合いが本格的になった。先生の鼎談に呼ばれ、その後建築技術での都市論の連載、先生との往復書簡、そんなやりとりのために月に2回くらいずつ自由が丘のワインバーで昼からワインを何本もあけたのを覚えている。
哲学的な引用だらけの文章を書くと、そんなものは建築家の文章ではないと怒られた、徹底して一人称に拘る先生であった。その後くらいから先生の体調は悪くなった。九段の病院に入院したとき、僕はいてもたってもいられなくなって、先生の了解もとらず、突然先生の病室を訪れた。風呂付の個室に入院されていた先生の部屋に入ると先生は寝ていた。しばらく声もかけずにドアのところからベッドの上の先生の顔をみていると目が開いた。僕のことに気がつくと、少し戸惑いを見せ、ちょっと部屋の外にいてくれと言う。5分くらいたつと入りなさいと言われた。ローブを着ていた。髪に櫛をいれたようである。ソファに座っていた。努めて元気そうにおしゃべりになっているのが少し痛々しかった。
そしてその後衰弱が激しくなった。横浜の自邸に3度訪れた。最後の本の打ち合わせである。そして、その本を出せずに逝かれた。
僕が建築を始めるきっかけであった。そして先生に心酔し、そして今でも先生の建築は美しいと思う。そして多分死ぬまで美しいと思い続けると思う。これは例えばコルビュジェのサボイに行くたびに感動するのと同じである。同じことはできないけれど、ああいうものは普遍的なんだと思う。同じことはしないけれど、ああいう人が建築家なんだと思う。

September 22, 2006

対談終る

jtの対談を天内君と再度行う。今日は時間もゆったりあったので時間を気にせず、ゆっくり話せた。富井さんが今までの会話で作ってくれていた要点があったので、今回は焦点がぼけず、かなりつっこんだいい会話になったと思う。ただ最終形は2ページだから、話した内容は5分の1くらいになってしまう。来週のテープおこし原稿が楽しみでもあり、恐怖でもある。そして天内君の坂牛論も楽しみだ。
新建築から御茶ノ水に出てレモンによりコンペの人体模型32分の1というのを買う。さすがにこのスケールの人体模型は大きい。これを彩色するのは大変そうだ。まあ1体1時間はかかるだろうなあ。25体あるのでまる一日かかる。
なぜか異様に疲れる。やはり常に補修工事のことが胃の辺りにずしりとボディーブローのように効いている。こんなことでへこんでいてはいけないのだが、忘れるわけにもいかない。家で食事をとり少し休んでから事務所へ。論文の大手術。直しても直しても駄目だなあ。そりゃそうだ、1万字の原稿書くのに1ヶ月というのが僕の大体の目安。15万時くらいあるのだから15ヶ月かかるはずだけど、これを書き始めたのは3月で2ヶ月は他の原稿に費やしたから、実質この論文にかけられている時間は5ヶ月。だから仕方ないのだけれど、なんとかしないといけない。

September 21, 2006

ずれずれて

午前中のゼミ後急遽召集された教員会議に出席。終了後東京へ。時間が少しずつずれ、事務所の打ち合わせも少し遅くなり、青弓社に送る校正原稿に目を通し、jtの原稿校正をし、明日の対談で言うこと考えていたら8時になってしまった。残念ながらSDレビューの歴代受賞者パーティーというのに行けなくなってしまった。出版会の人に会って少し相談事をしようと思っていたが諦めた。帰宅しようと思っていたら、友人から電話。食事を共にする。テレビも新聞も無い長野にいたので、「総裁選挙明日だっけ?」なんてアホな質問してしまった。「馬鹿昨日だよ」と怒られ「オレの同期がファーストレディになっちゃってさあ。いい奴だよ」と言っていた。酒は滅法強いらしい。

September 20, 2006

某プロポ

朝一で某市の某建物の指名プロポーザルの審査に行く。今日は提出された5社の作品を審査員の方々に解説をする日。審査員の中で建築家は私だけなので、提出物の内容が理解できない方、分かっていても質問したい方にお答えするのが私の役目である。ヒアリングは日曜日。
A3のプロポーザルシートだが内容は充実している。モダンから歴史主義までまあ様々である。これを作るのにどのくらいの費用がかかるのでしょうかと質問されたので、まあ安く見積もって100万と答えたら皆さん驚いていた。しかし、人件費などでそのくらいかかってもおかしくない。主催者には提出された建築家の方々に充分の感謝をしていただきたいと思う。
今回の審査は私はアドバイザーなので余り主観的な価値判断を押し付けるつもりはないが、出された絵には適性な客観的判断と主観的感想は申し上げるつもりである。

September 19, 2006

イコノロジーとは言わないが

パノフスキーによれば盛期スコラ学は信仰とうい聖域と合理的知識の領域との間に一線を引いた。しかしその聖域の内容は明瞭に識別できることを主張した。その知の体系が建築においても現われているというのがパノフスキーの主張である。堂内のヴォリュームと外部の空間の間には一線が引けるのだが、堂内は構造体を通して外部に明瞭に見て取れるのだという。パノフスキーはその時代のエピステーメーと建築を重ねてみたり、 『<象徴形式>としての遠近法』では透視図法がその時代のエピステーメーを作り上げていると分析した。
パノフスキーはいわずと知れた『イコノロジー研究』の著者である。上記ゴシック建築とスコラ学の関係はイコノロジーと呼ぶような図像と意味の緊密な関連があるとは思えない。もっと推理と直感に富んだスリリングなものである。誰かはそのやり方を強引だと言ってやや否定的に見ているが、私はむしろそこが面白と思っている。
建築は確実に時代性の産物である。そしてそれだから建築は面白いし鑑賞の価値がある。イコノロジーとは言わずとも、イコノロジー的な見方をせずして何をみるのか??と自らの論文をチェックしながら、牽強付会な自分を垣間見ると、嫌になったり諦観したりである。

September 18, 2006

暗い話ばかり

昼事務所で仕事。心に鞭打ちながら。本当は娘のフルートの発表会に行きたかったが、それもできず、愚行処理は延々続く。夕方ヨコミゾ氏のお祝い会に行く。1時間で帰ろうと思ったが、知り合いが多く、少し長居。伊東事務所obの中村さんと長話。クレーム問題について。彼も結構問題が多いそうだ、雨漏りはしないが、トラブルは結構あるとのこと。あんな誠実な人でもおこるのかとびっくりした。そういうクライアントとはなんとなく疎遠になると言っていた。そりゃそうだろうなあ。ヨコミゾ氏の学会賞も、裁判ぎりぎりのところでならなかったそうである。みんなぎりぎりのところで仕事してるんだなあ。と改めて思う。金箱さんにはこれからますます設計者の工事監理責任は問われるよと忠告された。それに対して金箱事務所では現場での監理については全て紙に残すようにすると言っていた。僕等はそんなことはもう昔からやっている。日建仕込みだからそのあたりは抜かりがない。そういう意味では僕等の事務所の監理体制はその辺の事務所の比ではないという自負がある。この書類の量は半端じゃない。ISOなんてすぐ取れるような気がするが。それでも失敗する施工者はどう扱ったらいいのだろうか?行きたい2次会は辞して事務所に戻る。施工者からのファックスをチェック。さあうまく行くのだろうか。中途半端なパーティー食だったので、帰宅して食事。

September 17, 2006

シンクロ2位

昨晩3時頃寝たのだがいつものリズムで7時に目が覚めてしまう。そのまま起きた。メールを見ると、研究室からpdfが届いている。コンペの進捗である。模型が小さい。いい写真を作って欲しい。
午後論文読んでたら、さすがに眠くなってきた。夕方少し眠る。今日は家族で夕食。シンクロで日本は2位になれたようだ。1位はロシア、3位はスペイン。ロシアは圧倒的に強い。違うスポーツを見ているような感じすらした。

打ち合わせ10時間

9月16日
施工者を前10時間喫茶店で打ち合わせをした。2時から12時まで。そこで追い出されて駅のマックで終電まで。ノートが半分終るほど両者で絵を描いてはあーだこーだ言う。悲しいかな、打ち合わせの内容は補修工事の納まりと工事計画。さらには職人が工程でどう重なるかとか、半分設計者のやることで半分施工者のやることを一緒に考えていたと言うところだろうか。できない施工計画を提出されて、できなくて迷惑するのはクライアントである。
ニューヨークの友人よりメールがくる。ニューヨークでの大野一雄写真展企画のお願いと横浜でのあるシンポジウムへの同席の依頼をしていたのだが、前者はどうもすんなりとは進まないような感じ。直接話しをしたいとのこと。後者はokだが一体建築家とダンスの専門家が何を話すのだという素朴な疑問がかえってきた。確かに会って話しをする時はお互いの専門分野にお互い素人として乗り込める。また共通の話題としてアート議論ができるのだが、人前で何かするのは話しが全然違う。うーんどうしよう。

September 15, 2006

台風が来る

コンペの審査をすると、コンペで何が重要かがよくわかる。なんとかそれを今回のコンペで実現したいと思う。学生もその気になってくれると嬉しい。真剣にやったコンペは過去の自分を振り返っても何か今でも自分の肥やしになっている。
午後会議、新しい工学部長になってから最初かな?いろいろと報告を聞く、去年省エネ運動をしたおかげで工学部で1000万燃料費を下げることができたのこと。これは結構驚きだった。会議が終り東京へ移動、事務所で少し打ち合わせ。10時頃帰宅。相変わらず余り食欲はない。台風13号が接近すると言う恐ろしいニュースが流れているせいだろうか?

September 14, 2006

ひどい

なぜか分からないが今年は本当に呪われている。ひどい施工者の愚行で困っている。弱り果てた。クライアントとともに設計者に対しても施工者は賠償責任があると思う。昼の仕事も集中が続かないのはこのせいである。ひどいものだ。本当にひどい。

審査

9月13日
塩尻でのコンペ審査。9時から8時まで延々。やっと5つになった。様々な議論の末である。多くの見事な作品に敬意を表する。缶詰審査から出てくると携帯に山のようなメールと電話。電車の中で受け答え、0時を回っても問題紛糾である。

塩尻

9月13日
朝研究室で様々事務処理して昼塩尻に、塩尻市民交流施設のコンペ審査を山本理顕さん、高橋晶子さんと行うのだが、それに先立って山本さんの講演会がある。演題は「建築は誰の為にあるのか」というものであった。聴衆の半分は市民、半分はコンペ出品者であろう。
山本さんの原研究室時代の集落のスライドが新鮮だった。建築は地域に根ざし、市民のためにあり行政のものではない。という厳しい指摘を役所の人の前でにこやかに、ずばっと言うところが素晴らしい。その後選定委員会を開き今後の進め方の下打ち合わせをして、191の作品を1時間ほど見て、今日は終わり。明日が本番である。
案を見た後、建築家の審査員は異口同音に「出す方に回りたかった」と漏らしていた。全く同感。年初に市役所の方から依頼された時に僕は出したいのでとお断りしてきたのだが粘り強い説得に引き受けてしまったが、本当に残念である。

September 11, 2006

朝、新建築でjt11月号用の対談のつもりで10時に行ったら対談相手の天内君が来ない。連絡がうまくいってなくて彼はofdaに行ってしまっていた。というわけで2時間とっていた時間が1時間しかなくて、完全に消化不良。なんか気分が悪い。
午後事務所で新しい仕事になるかもしれないプロジェクトの打ち合わせを軽く済ませ自宅に戻り、荷物を持って長野へ、軽井沢は大雨。(自分の建物があるところの天気が悪いと気分が悪い)。長野は曇り。駅から研究室に直行。4年生もオープンデスクから少し戻ってきていて院生のコンペの手伝いをしている。頑張れ。こちらは明日からのコンペ審査のために再度要項をチェック。頭の中におぼろげにある僕なりのクライテリアを再確認。でもそんなのを吹き飛ばす名案を見るのが明日は楽しみ。
長野はすっかり秋。

September 10, 2006

真夏復活

今日は真夏並みに暑い。35度くらいありそうだ。かみさんは朝から国博に書道の稽古に行った。藤原行成(と言っても伝だそうだが)と良寛の本物を見てきたと興奮気味。マスクして直に見られるそうだ。午後からA0勉強会。夕方までじっくり読む。出版の目処はついたようで、そうなるとさっさとやるしかないが、、、、、帰宅後、読書。明日はjtで対談。少し予習しようと思ったが、寝ながらしよう。

September 9, 2006

本探し

パレンとヴィリリオの『斜線の機能』がどうしもみつからない。それから林美佐さんのコルビュジエのカラーキーボードもみつからない。書斎の三段スライド本棚を100回は動かしただろうか?他にも探している本が30冊くらいあり、それらは順調に発見したのだが、どうしてもこの2つが見つからない。とても重要なものなのだが、大学の可能性も高い。来週待ち。
夜久しぶりに明日の勉強会に備え英語の本を読む。英語は本当に読んでないと忘れてしまう。悲しいかな最近の英語力は中学生並みである。
視覚の文法を読みながら寝よう。

September 8, 2006

大野一雄

朝から事務所で図版リスト作っていた。だいたいできたのだが出典が分からないものが結構ある。そういうものは仕方ない作り直すしかない。出典の分からない図を入れるわけにもいかない。夜友人と会食。帰宅すると未だかみさんの稽古が続いていた。お弟子さんの一人は僕の授業の受講生だった人で美学の博士課程。稽古後、かみさんが大野一雄の写真展の宣伝をしていたら、彼は大野一雄の本物のパフォーマンスを数年前に見たことがあると言う。羨ましい。
写真展を前にすでに写真集が出来上がっている。数十名の写真家によってとられたこの写真集は被写体の強烈な個性で引っ張られている。被写体の強さが写真家に物を言わせないという感じである。義兄もその写真家の一人として登場している。ミノルタのギャラリーで行われる展覧会には是非行こう。
ドナルド・D・ホフマン『視覚の文法』を読み始めた。昨日読んだ『脳は絵をどのように理解するか』と同様認知科学の書であり、視覚的知覚は単純な受容刺激だけから成立しているのではなく、脳みそが作り上げているという分析のようである。

September 7, 2006

いろいろ

午前中某物件の見積施工社と打ち合わせ、本当に高い見積だが、自らそう言っているのには嬉しいやら悲しいやら、そんなものチェックしてから出して欲しい、すくなくとも出す数字に納得して出すものではないのだろうか?午後jtの富井さんと天内君が来て来週の対談の打ち合わせ、他の4人は米田さん、鈴木了ニさん、難波さん、阿倍さんだそうだ。それぞれ楽しみである。つい対談前の下打ち合わせで対談してしまい富井さんが「録音しておけば良かった」とつぶやいていた。時間を忘れてしゃべっていた、3時からリーテムで打ち合わせ。珍しく社長以下3兄弟がそろった。しかし結論は出なかった。本当にややこしい。しかし安い方にほぼ決まりそうである。リーテムからは一人中国に常駐させろと、冗談とも本気とも付かぬ言葉が飛び出た。
帰宅後久しぶりに読書『脳は絵をどのように理解するか』を読みはじめる。人間の視覚はかなり脳が作り上げているという話である。

September 6, 2006

今日は雨。仙田先生から電話。JIAの展覧会に協力要請。げげ、この秋はちょっとと思ったがまあやりましょう。でも場所がJIA会館というのが今ひとつだよねえ。だいたいあの建物借り物だとは知らなかった。なんということだ。なんか体のいい資金集めに乗せられたのかも??
ナカジ中国より帰国。写真を見せて貰ったが確かに2社の実力はいい勝負という感じ。結構分からないな。これだけ調べてもまだ決定的なものは無い。こうなればやはり安いというのが大きな要素だろうか。安い分しっかり設計料ください。と明日の打ち合わせで言おうかしらん?
明日施工者とネゴが10時からだが、どうも向こうは乗り気ではないようだ。無理にとは言いません。無理に頼んで上手くいく試がない。
ついに論文第8章までとりあえず図版まで入った。内容はちょっとまだだけど少しほっとした。まあこれからじっくり読もう。これで少し読書再開できるだろうか?

September 5, 2006

松本

午前中ゼミ、午後松本の本部まで出かけてキャンパス会議に出席。普通列車で行くと1時間ちょっと途中姨捨(おばすて)というとても景色のいい場所を通る。ここを通いなれた人には普通の風景だろうがたまに行く僕にはちょっとした旅行である。松本はそう言えば先々週くらい家族できた。その時は純然たる旅行であったが今は仕事。大学までバスに揺られて行く。松本は長野と違って風景がいろいろあって楽しい。
夜長野に戻りコンペの打ち合わせ。狙いが複雑で案の内容よりも先ずスタディの方法を考えていた。結局地道に模型を作ろうということになる。
中国からナカジの電話。二社に絞られたCMの作品を見たら予想に反していい勝負だそうだ。これはちょっと予想外、スキッと方針が出ると思ったのがそうでもなくなってしまった。明日打ち合わせだが決着が付かないか?
メールで前から相談にのっていたアパートつき住宅の話始めたいとのこと。また超ローコスト。それなら今度は最初からその気でやる。ミニマルでやるしかない。

いい建築

この数日とても天気がいい。東京で一つ、長野で一つ補修工事しているのだが、天気がいいとほっとする。補修工事ほど気を揉むものはない。だいたい非がこちらにあるからこう言う工事は発生している。しかしこちらと言っても設計にあるわけでもない工事にある。しかしあちらの人は(クライアント)はこちらとしてまとめてみるからつらい。こちらは2つに分かれているのである。何かそういうことをきちんと明確にするようにこれからしていかねば。建築は3者でつくるものである。昔モノの本にいいことが書いてあった。いい建築ができる確立は千分の一だと。いいクライアントがいるのは十分の一、いい施工者がいるのも十分の一、そしていい建築家がいるのも十分の一。そして三者が偶然幸運にも出会えた時いい建築ができると。だからその確立は千分の一。まったくその通りである。

September 3, 2006

非力

いい天気の日曜日である。しかし大学には学生が結構いるもので、卒論やら修論やらやっている。朝から論文の再構成。9月に入るとコンペの審査が2つあるし、学内キャンパス計画なるちょっと気が重い仕事があったり、引き続きのネゴたあったり、中国の仕事が本格的に動きそうだったり、jtの対談があったり、いろいろと忙しそうなのである。その前に論文にけりをつけたいと思うのだが、何度読んでも読むそばから駄目なところばかり目につく。書きたいことの半分くらいしか書けていない。なんとも文章力の無さを痛感するばかり。

September 2, 2006

信州大学には山を研究する研究所がある。いろいろな学科がそれぞれの分野から山を研究する。建築も景観という立場からこの山と対峙するのである。山みたいな建築を作った僕としてはちょっと気になる分野である。最近動物建築は流行りだが、山建築もいけてると思っている。川建築とか海建築というのもありだと思うのだが。では具体的に建築は山や川から何を貰えるのだろうか?というあたりを研究しようということである。そんなプロジェクトのプロジェクト長にいつの間にかなっていたのでそのプレゼンppを作っていたら昼になってしまった。学食はやっていないので近くの中華で麻婆豆腐を食べ、午後は論文読んでいたら夜になり、また同じ中華に行って焼肉定食を食べた。今日は秋晴れで爽やかな一日である。山並みがきれいに見える。

September 1, 2006

大学は楽しい

大学で会議があるのを思い出し、急遽長野に(委任状出しておけばよかったのだが忘れていた)。ついでに週末は長野で論文書くことにする。まあその方がはかどりそうか?と一瞬思うがそうでもない。

研究室には本が無い。(そんな研究室あるのか?)
疲れたからって床でごろごろするわけにはいかない。(やはりソファーベッドが欲しい。ミースの)
ちょっとのどが渇いたからといって「アイスコーヒー」と叫んで誰かが持ってきてはくれない。(家なら奥さんの機嫌の良さそうなときを見計らって叫べば持ってきてくれる)
論文に飽きても遊び相手はいない(家なら家族がいなくても犬がいる)
気分転換に風呂に入ったり、草木に水をやったりすることはできない(大学だからしかたない。まあ菅平でも見て目の疲れをとるくらいはできるが)
夕飯は毎度学食か中華くらい(家の食事は美味しいなあ当たり前だけれど)

というわけで家にいるほうが圧倒的に楽しくて楽である。でもそんなこと言っていても始まらないのでこうして研究室に11時までいてさあ帰ろう。