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April 30, 2017

国立ラ・プラタ大学のイアーブック

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2016年の夏に理科大の学生を10人くらい連れてブエノスアイレスのスラム調査ワークショップをパレルモ大学の学生と行った。そのワークショップの前日にブエノスアイレス南方の都市La Plataに行きそこにある国立La Plata大学でレクチャーとスタジオクリティークを行った。あれから1年半経ったのだが、その2016年のLa Plata大学のイアーブックができて学科長のダニエル・シルベルファーデンの友人が日本に持ってきてくれてついでにアルゼンチンのお美味しいチョコレートといっしょに日本橋の三井ガーデンホテルに置いていってくれた。こういうイアーブックをきちんと作るのはペルーのカトリカ大学も同じであるしきちんと届けてくれるのが嬉しいものである。

April 29, 2017

中動態の建築

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Architecture as Frame and Reframeをベースに据えて現在のプロジェクトを大分考えている。そしてふと思ったのだが、このframing reframingという行為をもう少し作為的ではなくできないか?と思うようになった。気がついたらframe があるようなそんな裂目みたいな場所が欲しい。敢えて言えばArchitecture as Framed(という受動態である)そう思いながらでもそうすると誰がframing したのだろうかと素朴な疑問が湧いてくる。一体能動態と受動態以外に「態」はないのかと思っていたらあった。
国分功一郎『中動態の世界—意思と責任の考古学』医学書院2017はまさにその疑問への答えがありアリストテレスの時代には能動でも受動でもない中動という態があったのだそうだ。
スピノザは「自由意志の否定」で「行為は意志を原因とする」という考えを斥けた。この話はとても理解できる。この前の千葉雅也の本でも我々は環境に乗っ取られているということに近い。意志は原因ではなく、結果なのである。かといって完全な受動とも言い難い。それはつまり中間である。他律と自律の曖昧なところである。そんな曖昧な状態を表す文法規定がないので困ってしまったのが最初の話である。設計のコンセプトは原因ではないのである。かといって結果でもない。中動態なのである。Architecture as Frame as it is.と言っておくか。

書斎完成

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仮住まいとはいえ書斎は書斎。もともとあった500×1500という変形テーブルの上に漆の1500×900という大きなちゃぶ台を載せさらにレンガを噛ませ高さ880の背の高いテーブルを作った。表面漆が傷つかないように大きな書道用毛氈をかぶせた。なかなか落ち着く。アユールチェアの手前にはダンボールを重ねた(苦肉の策)高さ800の高いベッド。ベッドと机の間の距離は500。ふー。天井には2000円で買ってきたペンダントを逆さまにつけて即席間接照明完成。やっとネットも繋がってGWはゆっくりと設計しよう。

April 28, 2017

オルタナティブを作り続ける

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この十字壁構造を作りつずける学生がいる。いったい彼を駆り立てているものは何かわからないのだが、前回も今回もひたすら、この構造模型のオルタナティブが登場する。その差は残念ながら格好良さのようなのだが、これだけ比較案を沢山作る学生は今時希少である。これに建築のリアルが入り込めばとても良くなると思う。

April 27, 2017

グッバイ荒木町

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2005年に信大に赴任した時に下高井戸から通うのはしんどいということで事務所のある荒木町のそばに家を探した。偶然事務所から徒歩3分のところに破格で売りに出ていたマンションを見つけ住み始めてから12年たった。今日その場所はがらんどうになった。赤坂に転居する。今度住むところはここの半分の面積なのでものを捨てて捨てて捨てまくったのだが、それでもダンボール250箱くらいはある。僕のものはほとんど本。配偶者のものは書の作品その他。普通の人の3倍くらいの物持ちだろうと思う。さてこれが新しい場所にはいるのだろうかわからない。
思えば結婚してから30年の間に3回めの引っ越し。10年ごとに移動している計算である。あと20年生きるとしてあと2回引っ越すだろうか?このマンションは外人向けの作りだそうで廊下の幅は1200。ビデがついていているので大きな洗面。書斎もゆったりで本当にすみよい場所だった。しかし娘もいなくなり。もっと身の丈の大きさの場所にあまりものを持たずに住むことにする。グッバイ荒木町。
新居 〒107−0052 港区赤坂6−5−27−202
鹿島デザインの隣の隣で鹿島デザインの設計である。

April 26, 2017

アウトライナー建築

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千葉雅也さんの『勉強の哲学』で紹介されていた文章作成ソフト「アウトライナー」のハウツー本を読んでみた。具体的にはworkflowyというようなソフトを使う。シェアソフトなのでダウンロードしての使ってみた。このソフトがすごいと言われる所以は、「文章は骨格を作ってそれを肉付けしていくもの」というこれまでの考え方を覆し、「文章は骨格を作りながら、ディテールを同時に考えそれに興が乗ると骨格を変える」つまり常に部分と全体の往還運動で文章を作れるソフトだという点である。
この画期的なアイデア:トップダウンとボトムアップをシェイクさせながらものを考える方法は文章作成だけに用いているのはもったいない。建築の設計もこれで行ける。あるいはそうしたほうがいいと直感的に思う。
その昔建築はほぼトップダウンで全体性から部分へ降りてくるのが王道の設計だった。それに異を唱えたのは原広司であり彼は部分から考えよと主張し続けている。しかし考えてみると部分から考え続けるのは一つの全体を作らねばならない建築としてはやや無理がある。あるいは部分と全体の中庸というほうが新たらしいスタンスであろうと思われる。全体の骨格のシルエットを考え急に部分の開口部のリズムに気が散りそれを徹底してデザインすると全体のコンポジションが変わり再度ファサードを修正する。というようなことをいとも簡単にやってしまうCADソフトができないものだろうか?

April 25, 2017

論理トレーニング


4年生のプレディプロマとして最初に茶室解体という課題を広谷さんとやっている。狙いは、ある既成の建築(論理構造)を換骨奪胎するトレーニングである。卒計は何らかの形で自分らしさを出さねばならないが、そう簡単にオリジナルをつくることはできない。そういう時に有効な方法は優れた論理構造を借りてきて、自分のものにしてしまうことである。さてではどうするのか。例えば内省的に小宇宙を作るという茶室のエッセンスを外向的に世界につなげるという論理の対立構造を作るのである。そしてこれをベタにみせるのか、通奏低音のように響かせるのかは建築力である。もちろんこの力もないと作品にはならない。

April 24, 2017

ロウソクが6本

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明日誕生日ですが一足先に研究室の皆様からケーキをいただきました。これめちゃうまい❗️ありがとうございます。それから大好きなマルベック。今晩呑みます。そしてヨガマット。研究室ライフが充実しそうです。ケーキにロウソクが6本。不吉です。
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April 23, 2017

ノレないこと

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この本輪読本に入れておくべきだった。千葉雅也『勉強の哲学—きたるべきバカのために』文芸春秋2017は完全に建築の哲学と読み替えられる本だし、最近建築で僕が考えていることがそのまま一般論として語られている。
曰く人間は基本的に環境というノリに乗っ取られている。勉強をするということはその専門分野のノリに乗り換えることで、それは一般のノリに乗らないことなのでノリの悪い奴になるということである。そして複数のノリの狭間で板挟みになってどちらにもノレない状態に新たなクリエィティブな状態が、真の勉強があるという。
建築はまさにそうである。大学で教わった篠原スクールのノリがあり日建設計で教わったノリがある。これは全く違うものだし、それぞれがいいねというものはぜんぜん違う。しかしそれぞれに所属していた自分はそれぞれの環境で適当にノッテいた。そして今は別にどこにも属していないのでどこにノル必要もないのだが、世の中一般というノリがある。それも日本とスペイン語圏と英語圏ではこれも全くノリが違う。そしてそのどれかにノッテはいけないのである。どれにも乗れないで困っているダサい奴にならないと建築は作れない。そしてそこにクリエィティブがあり勉強がある。大学生にはまだ早いかもしれないけれども。

April 22, 2017

久しぶりの坂町トーク

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昼は翻訳勉強会で夜は久しぶりの坂町トーク。宮さん、木島さん、中川くん、とゲストに天内さん、呉さん、坂牛研のラトゥールがやってきた。今日は僕がペルーの話をするということで木島さんと宮さんがペルー料理をたっぷり作ってくれました。ワインはアルゼンチン。ペルーの話の後に天内くんが入ってきたラトビアの話、その後宮さんが昨日行ってきた日土小学校の写真をみせてもらい今日は盛りだくさんな夜でした。

April 21, 2017

高倉健の言葉

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NHKの「クローズアップ現代」のニュースキャスターを23年間勤めた国谷裕子さんがお書きになった『キャスターという仕事』を読みながら23年間も続く番組はやはり人で持っているのだろうなと感じた。彼女の実直で誠実で真実を追求する姿勢には頭がさがる。もしかすると彼女が帰国子女で日本的なしがらみや空気を読まない性格によることなのかもしれないと感じた。
ところでこの本の中に高倉健へのインタビューの記録が載っている。その言葉に心打たれ自らそうありたいと感じたので以下それを記す。曰く「いい風に吹かれたいですね。あんまりきつい風に吹かれてると、人に優しくなれないですね。だからいい風に吹かれるためには、自分が意識して、いい風が吹きそうな所へ自分の身体とか心を持っていかないと。じっと待ってても吹いてきませから。吹いて来ないっていうのが、この頃わかってきましたね。」本当にそう思う。いい風は待っていても吹かない。

April 20, 2017

建築家のあくなき挑戦

とある都市のマスターアーキテクトという名の相談屋さんをやっている。その市の長い付き合いになる職員の方からメールを頂いた。課長に昇進したこと。マスターアーキテクトの任期5年が終わったけれど契約を更新したいとのこと。が綴られていた。おめでとう、マスターアーキテクト喜んでお引き受けしますと返事をした。返事のついでに何か画期的なことをしましょうよと言葉を添えたら、返信に「なにか画期的なこと」については、是非検討したく、テーマは、「持続可能な地域社会への建築家のあくなき挑戦」と、地方都市の生き残りをかけてとも書いてあった。そんなかなとその危機感にびっくりした。そしてあまり挑戦していない自分を反省してさてでは何ができるのかと自問してしまった。

何か挑戦できることが思い浮かんだら電話してみよう。

April 19, 2017

鹿島デザインのそばに

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訳あって四谷の家から赤坂へ引っ越すことにした。自転車で10分くらいである。子供も家を出たのでもっと節約しようという訳である。それと10年も住むと不要なものが家に堆積してなんだか荷物に家賃払っているみたいで馬鹿臭い。もっと身軽になって生きていこうという考えの第一歩で面積は今の半分。でも場所は大学にも事務所にも近くということで千代田線沿線と南北線が交わるあたりである。鹿島デザインの隣の隣というのはなんとも奇遇。お友達がたくさんいそうである。

April 18, 2017

グアテマラのラム

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毎日酒瓶をアップするのもなんだが、今日はラム。3年前に僕の研究室に日本政府給費留学生でやってきて今年3月に修士課程を修了して母国に帰ったルイス・フェルナンドの置き土産である。僕がペルーに行く日に会いたいというので羽田で会う?と聞いたら置き土産がたくさんあるというので研究室に置いておきますとメールの返事をもらいリマから帰ると、コヒーと、グアテマラの布とこのラムが置いてあった。手紙にこのラムはグアテマラ一のラムだと書いてある。美味しそう。

April 17, 2017

オーストリアワイン

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先日ウィーン工科大学からの留学生、アンナからもらったワインを頂いた。アンナの両親が来日し、プレゼントしてくれた。オーストリアのワインはそれほど有名ではないし、ドイツも有名なのは白なのだが、去年オーストリアに行った時にエルンストが最近はオーストリアワインも美味しいのだと何軒か連れて行ってくれた。このワインもヨーロッパの味でややドライだけれど深みはある。美味しい。

April 16, 2017

カブリロ水族館

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執筆中の本に使った参考文献の中から引用に使った本120冊を段ボールに詰める。編集者が引用文が正しいかチェックするためである。さらに本に使った写真のデーター三種類、自分で撮影したもの、上田さんが撮影したもの、ウィキメディアから借用したものを整理してお送りした。その中でもダーティー・リアリズムの説明に使うためにゲーリーのカブリロ水族館の写真を探していたらスライドを発見。スキャンした。この水族館はロサンゼルスのかなり南峰で少々遠いので見ることが難しい。留学時代に見に行ってこのチェーンにひどく興奮したのを思い出す。東京で写真を見るとなんとも粗雑な感じだが、これがLA行くとそう見えないのが不思議である。

今日はたくさんの人にお会いする

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昼早世した同じ歳の友人更田くんを偲ぶ。200人もの方が来られた。彼は本当に多くの人に慕われていた。午後事務所で中川君と打ち合わせ。案がどんどん良くなる。夕刻八潮の人たちと食事。槻橋さん、次郎さん、曽我部さん、寺内さん、皆様変わらず。槻橋さんは総理の花見に呼ばれたそうだ。御苑には1万人の人が来たとか。夜教え子たちと飲む。NSD,清水建設、日立建設設計で奮闘中。

April 14, 2017

1時間設計

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新学期が始まり最初のゼミ。金曜日のゼミは三つの学習プログラムがある。建築本を読むプログラム、建築以外の本を読むプログラム、一時間で設計をするプログラムである。今日の本はヤン・ゲールの『人間の街ー公共空間のデザイン』、ハル・フォスター編、『視覚論』、一時間設計は菊竹さんのスカイハウスを飲食スペースにコンバートするというものである。一時間設計が終わり皆で人の案を鑑賞中。

April 13, 2017

小さな者

正岡子規の『墨汁一滴』の中に食事の話がある。曰く「何でも大きな者は大味で、小さな者は小味だ。うまみからいふと小い者の方がなんでもうまい」。先日食べたタンポポが絶妙な味だったのを思い出した。

April 12, 2017

ブラジル建築

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夕方からブラジル大使館で大使に新建築内藤さんがインタビューするのでお付き合いしてお話を聞かせていただいた。とても興味深い。ロシャとリナとニーマイヤーの関係とか、彼らのパブリックスペースへの取り組みとか、オリンピックのおかげでてできた8年越しのインフラの改善、そして日本が学ぶべきはテンポラリーな施設建築だというあたり。
その後展覧会「現代ブラジル建築模型展」の打ち合わせ。この展覧会が始まる16日の次の日17日18時から展覧会会場である寺田倉庫で(仮称)リオから東京へ−建築がつなぐオリンピックと都市計画」というシンポジウムを行い、ブラジルスピーカー2名日本からは槇文彦、石川幹子氏が登壇予定。私はモデレーターを務める。是非ご来場を。

イッタラの底

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イッタラのコップは底から見ても絵になる。デザインってそういうところが重要な気がする。いつも見えないところがちらりと見えた時にぐっとくる。カバンの裏地が目の覚めるようなストライプだったり、、、、建築もそういうところがあってあれこんなところがかっこいいというのがぐっとくる。

April 10, 2017

嫌いなこともする

「毎月自己のきらいなことを二つずつ行うのは魂のためによいことだ」と言った人がいるそうだが、最近結構そうしている。昔は決して考えもしなかったり、そんなことは自分とは関係ないと思っていたり、やっても意味がないと思っていたりすることを敢えてしている。気分転換という意味と、脳を柔らかくするのと、自分勝手にならないため、というよな意味である。でも魂のためにいいのかどうかはわからない。

April 9, 2017

プロダクティビティ

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オルターナティブを作る、比較する、criteriaを確立する、選ぶ。設計ってその繰り返しであるということを教えるのが今回のWSの目的の一つ。最近のプロジェクトのプロセスを見せながらファイナルレビューの日に説明した。東京を出てから毎日一案のペースでスキームが作られた。このくらいのプロダクティビティを維持しているといいスキームにたどり着く。


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カトリカ大は大学ランキングではペルーで一桁だがラテンアメリカで二桁、世界では三桁である。それは理科大も同じである。留学していたUCLAは世界ランキングでは一桁、東工大は二桁。その差はその数字が示すほどはないが僕らがやっているようなWS活動もこうしたランキングに差を生み出す要素である。だから国はそれを奨励し、国に奨励された大学もこういう活動を評価する。でも僕らはランキングをあげるためにこうした活動をしているわけではない。必要だと思っているからやっているにすぎない。
  学生や教員の研究・教育にとって大切なことはこうした活動を行う信念と行動力である。そしてそれを可能にするのは人格である。本当は教員を評価するものは人格である。しかるに大学が定める評価基準は数字である。客観的だからである。仕方ないと思いつつも煮え切らない。
  というようなことを常々思っている時にルイスが最後に学生にこう言った。It is very happy to have Taku here in Lima who is good architect, good teacher and good person と言ってくれた。建築家として、教師として、そして人間として受け取られることは尊く嬉しいことである。

April 8, 2017

感謝

建築家と建築の話をすることはもちろんあるけれどなかなか夜を徹してとか数日連続でということは難しい。それに自らの主張をきちんと説明するにはそれ相応の時間がかかるし、相手がそれを真面目に聞いてくれないと無駄に終わる。
海外でワークショップをやると受け入れてくれた教授はだいたいこの条件を満たすことになる。まずはこちらのレクチャーを主催してくれるのでその内容を真面目に聞いてくれる。真面目に聞かないとその後の質問ができないからである。その理解のもとにワークショップが始まりそして数日間(少なくとも4日間くらい)は朝から晩までほぼ三食を(朝は一緒じゃないことが多いから二食)共にする。夜はアルコールも入るので口調も軽やかになる。基本は建築の話をしているが、いつしか政治、経済、家族などと全人格的な付き合いにならざるを得ない。こうなるとお互いの理解はディープになる。その結果波長があうと(だいたい合うのだが)この人間関係は極めて緊密なものになる(らざるを得ない)。ぼくにはおそらくそういう緊密で結果的に気が置けない友人が世界に片手以上はいる。これは本当に不思議なことだがそういう風になってしまっのである。いい人を探したともいえるけれど偶然いい人に巡り合ったとも言える。感謝している(相手に)。

April 7, 2017

ペルーWS打ち上げ

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卒業設計のエスキースを外国の人間がやることの意味はあるのだろうかという不安はあったが、こちらとしてはペルーの学生が行う卒計に触れてみたいという興味でやってきた。そして僕らとは違う設計への取り組みと僕らとは違う設計の課題があるということがわかった。そんなことは想像すればすぐわかることなのだが直面して実感することである。生産のための技術なんて東京では卒計の課題としてはあまり考えられないことだし、不思議な粘土で中傷的な模型をきっとぼくらは作らないだろうと思って眺めていた。
彼らの大学は素晴らしいキャンパスと施設を備えていた。ペルー1の大学で育つ彼らがラテンアメリカの建築をしょって立っていってほしいと切に思う。そしてここに来た理科大の学生が多くのことを学んだであろうことを信じている。

April 6, 2017

理科大生も健闘

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ワークショップ3日目。理科大生もいいプレゼンをしている。エリサも学生を激励。

April 5, 2017

オルターナティブの検討

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羽田を出た時に一案のスケッチを送ってその模型写真をロサンゼルスで見たがその後こちらからスケッチを二つ送り、日本で5つの案が生まれ今日の時点で8つの案の模型写真が届いている。ほぼ毎日送られる写真をじーっと睨んでいるのだが、さすがに写真だけからだと実感できないこともあるし図面をプリントアウトできれば横目で図面を睨みながら模型写真を見ることもできるのだろうがそれもできないのでひたすら図面をあたまに思い浮かべながら模型写真を眺める。いいトレーニングである。
空間をフレーミングする構造壁の入れ方を変えて壁の向こう側さらにその向こう側がどれほど感じられるかを試している。狭さとの戦いでもある。

カトリカ大学wsの合間にキャンパス見学

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コノキャンチレバ
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素敵な図書館
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気持ちの良いカフェ

正式名称をPontificia Universidad Catolica del Peru と言う。カトリカ大学でもPontificia(教皇)がついているのは格が高い。ペルーのトップ校である。キャンパスは低層で図書館(赤いコンクリート打放し)など最近できたものは少しヴォリュームが大きい。サンパウロロ大学もそうだったが、年間を通して15度を下らないので、エアコンはほとんどない。通風がよく考えられている。打ち放しのコンクリートは実にきれいである。
建築学部の学生数は一学年150人くらい。教員数は非常勤も入れて全部で70人くらい。建築学部棟は独立していて実験用の空中ピアが突き出ている。模型や実物大のオブジェを作るためのワークショップがあり実に使いやすそうである。

April 4, 2017

ペルーカトリカ大学でWSとレクチャー

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⚫ランドスケープチーム
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⚫工学部の図書館は学内のコンペ。とてもいい。これに比べると自分の大学の図書館のデザインはちょっと寂しい。
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⚫たくさんの人が来てくれてたくさんの質問も受けたいいレクチャーだった

今日はワークショップの初日。このワークショップはカトリカ大学建築学部の卒業設計のデザインデヴェロップメントを行うもの。ルイス・ロドリゲスの指導する20人のカトリカ大学の学生に加え理科大の学生が3人加わり23のpechakucha が行われた。ペチャクチャとは20枚のスライドを5分で説明するプレゼン方式である。23人のプレゼンは5つに分類された。
1) future scenario
2) urban re-integrattion
3) landscape
4) ecological system
5) productive technology
そしてそれぞれのグループは話し合いを行い、どのように自らの案をデヴェロプさせるか、そのために何を明日までに描くか作るかを決めさせた。
1) 未来のシナリオはインテリアパース
2) 都市の再統合は断面パース
3) ランドスケープは10枚のセクション
4) エコロジカルシステムは模型
5) 生産技術はアクソメ断面
テーマに合わせてツールを変えるという試みはしたことがなかったがルイスの提案である。面白い。

ワークショップの間に記念レクチャーをさせていただいた。海外の大学でレクチャーをすると毎回思うが、きちんと学部長などが来てくれて最後にはしっかりといい質問をしてくれる。本当にありがたい。今日も150人くらいでホールは満員。質問も連続し、いいお話だったと思う。

April 3, 2017

作戦会議

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明日からのワークショップに備えて夕食をとりながらカトリカ大学の教員チーム4人と食事をしながら明日からのやり方、学生の志向、ぼくへの期待などを話しあう。やり方は半日個別クリティーク、半日プレゼンテーション、学生の志向はかなりソーシャルプロブレムを扱うプロジェクトが多いとのこと。ぼくへの期待はソーシャルプロブレムからスタートしているので案がリアルに凝り固まっている。なんとかそれを解きほぐして、もっと多くの代替案を作らせてもっと自由に飛び立たせて欲しいとのこと。賢い学生なだけに最初の教育が地道だと、卒業するときに急に自由にと言ってもそう簡単になれるものでも無いような気もする。

April 2, 2017

スタイルの断絶面が見える。

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クスコは15世紀半ばに確立したラテンアメリカの帝国インカ帝国の首都だった。その帝国の一つがマチュピチュである。首都クスコは16世紀にやってきたスペイン人にクスコから追い出された。スペイン人はインカの建て物の多くを破壊し、一部その基壇の石積みの上に自分たちの建物を築いた。その典型的な例がサンドミンゴ教会修道院である。インカの石積は、目地が無く複雑な形状をしている。彼らは文字を持たなかったので、その技術の内容が神秘的なベールに包まれている。建物スタイルが政治的に変わる時、それが征服や革命の場合、スタイルは融合することはなく断絶する。しかしこういう風に断絶面が綺麗に残るのはあまり見たことがない。

April 1, 2017

インカの建築

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インカ帝国のマチュピチュでは壁は石積みだけれど屋根は木の小屋組である。数年前見たマヤの遺跡では屋根も石を積んで作っていた。作り方が少々異なる。なぜ屋根を木にしたのか?降雨量の差だろうか?勾配が物語っている。ところで最盛期に1000万人くらいいたインカ帝国の一般の人々はどういう空間で暮らしていたのだろうか?それらは朽ちて亡くなったのか?スペイン人が焼き払ったのか?そんな昔の話ではないのでどこかに何かが残っていそうなのだが。