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May 31, 2016

困った

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今日の4年の製図の講評会プログラムを与えて敷地を選ぶという新しいやり方を試みた。うまくできたものも幾つかあったのだが、僕の研究室の学生が4人欠席したのにショックを受けた。こんなことは理科大に来てから初めてである。しかしこの手の学生の怠慢ぶりは今日に始まったことではなく、3年生の授業には半分程度しか出席していないし、3年生の製図も同様である。一体これはどうしたものか???困ったものである。

May 30, 2016

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The architect Higa received the prize of AIJ architectural design division. He now teaches at TUS. I am very much proud of him. I announced the process and the commended persons for the prize of AIJ for book.
本日は学会賞受賞式。わたしは著作賞の審査経過と受賞者を報告。理科大に教えに来ていただいている比嘉さんが武蔵野プレースで作品賞受賞。素晴らしい。おめでとうございます。

May 29, 2016

研究室の集まりなど

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昼から飯田橋で坂牛研究室の集まり。信大生5人くらい(おおなんと少ない)理科大生50人くらいが1時から4時まで楽しんだ。巨大スクリーンにOBたちの作品を写し、現役生も負けじと研究室プロジェクトを発表。それぞれなかなか面白い。発表しない人たちも携帯に模型写真などとってきたのを見せてくれた。いいよねえ皆の作品を見ると元気がでる。老化防止にこれからもみなさんよろしく。2次会の途中でいかねばならぬオープンハウスをを思い出し、横浜へ。冨永美保さん伊藤孝仁さんによるcasacoというシェアハウス+カフェをみに行った。制作プロセスを図式化しコトの流れをかいたフローチャートを見ながら建築の自律性と他律性に想いを馳せた。今作っている自著architecture as frame and reframe も同様の問題系を孕んでおり考えさせられた。

2次会に戻ろうと思ったが遅くなって戻れずすいませんでした。

May 28, 2016

ブランドとは

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今年度の茨城町の廃校小学校再生計画は計画した建物の・使い方・ブランド価値・プロモーションについて考えて欲しいという。しかしそういうことは僕らの専門ではない。ということを申し上げたのだが、実際にハードの計画をする人がそういうことを考えることに意味があると思うと説得された。
うーん。では少々勉強することにした。デービッド・アーカー阿久津聡訳『部ランド論』ダイヤモンド社2014。アーカーはカリフォルニア大学バークレー校の名誉教授。ブランド論の教科書のような人だとそういう仕事をしている人から聞いた。まずはこれを読んでみたらと言われ言われた通り読んでみた。「ブランドとは組織から顧客への約束である」。

May 27, 2016

Sakaushi lab. football team

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坂牛ラボサッカーチームは今年も準決勝の壁を破れず、3位決定戦で栢木研に勝って3位。少しだけ出ようと思って出た最初の試合で太腿裏側が少々負傷。誰が悪いわけではなく勝手に自分で筋肉の筋をちがえました。
今年は Aチームは全員経験者というすごいチームだったのですが、もっと強い高橋研に完敗でした。ああ勝てないものです。

May 26, 2016

ポピュラリティ

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中村とうよう『ポピュラー音楽の世紀』岩波新書1999によればポピュラー音楽とは、クラシック音楽と民族音楽の両方の要素を兼ね備えたものだという。クラシックが天才の才能に依拠している一方で、民族音楽は一般の人々の日常生活の中かから生まれる。ポピュラー音楽は天才の才能が資本主義による商品市場で大衆と結びつくことで大衆が欲求する音楽として生じるのである。
この音楽の生成位置はというとブルースがその典型であるがその最初の波は大衆の下層からサブカルチャーとして生まれそれが商業主義に取り込まれメインカルチャーとして広まるのである。
さてこうした文化の生じ方は音楽に特有というわけでもない。ポップアートも商業市場を意識したものであり、ファッションはいうまでもなく、そして建築も、政治も今やポップの側面を持っている。スターアーキテクツもトランプも原理は結構近い。

May 24, 2016

susan cianciolo

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スーザン・チアンチオロのドローイングの顔が好き。色もいい。緑と朱って補色だし工事現場みたい。

May 23, 2016

ソンナワタシニナリタイ

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これ結構いい字だな。「アメニモマケズ、カゼニモマケズ、ジュギョウニコナイガクセイノタイダサニモメゲズ、イミフメイノゼミハッピョウモキキナガシ、ナニガアッテモドウジナイ、ソンナワタシニナリタイ」。

May 22, 2016

アメリカンアートの流れ

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ポップアートのことを知るのにLucy R. Lippard が60年代に編著したPOP ARTの主要部分を読んでみた。目からウロコ。POP ART はグリンバーグがポストペインタリーアブストラクションと呼んだエレズワース・ケリー(1923〜2015 Kelly, Ellsworth)やケネス・ノーランド(1924〜2010 Noland, Kenneth)とそのヴィジュアルにおいて多くを共有していると指摘していた。ポップは具象で抽象表現主義とは繋がらないと思っていたが、確かにその色使いや形の大きさや大胆さにおいて多くの共通点がある。
そういう繋がりで言うと。抽象表現主義のポロックたちはそれ以前の二つの流れである、抽象とシュールレアルのシュールレアルの自動筆記とつながっている。これも普通だと抽象とつながるとみたくなるがそうではない。一見切れ切れに見えるアメリカンアートはこうして一つの流れの上にあることがやっと見えてきた。

May 21, 2016

ポストモダンの見方

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ユリイカ、現代思想の編集長を務めた三浦雅士が面白いことを言っている。ポストモダンとはアメリカが(西欧ではなく)70年代後半に勃興してきたアジアを無視できなくなり、このアジア文化を西欧が発明したモダニズムを否定するために利用したという説である。その証拠に音楽のポストモダニズムと言えるミニマルミュージックの淵源はガムランミュージックだと述べている。
建築では直接アジアがモダニズムを覆す力になっているとは思いにくいが、、、
三浦雅士編『ポストモダンを超えて—21世紀の芸術と社会を考える』平凡社2016

コンテンポラリーズ展覧会

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柳澤潤さん率いるコンテンポラリーズの展覧会のオープニングで黄金町ガード下を初めて訪れた。このガード下はワークステーションや宮晶子さんも手がけており面白い場所になっている。
柳澤さんはある頃から人々が自由に出入りできるコモンズとしての建築を目指し始めた。塩尻のエンパークはそのいい例である。その後も役所がらみの公共空間を多く作っているようである。そのチャレンジの成果を見るにはもう少し時間が必要だが彼の人間性と底力は必ずやいい結果を残すものと期待している。

May 20, 2016

借りてます

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研究室用の大きなマグカップが欲しいと思っていたところ、研究室の流し台に大きなマグカップを発見。さて誰かのだろうと思ったのだが、ドイツに留学予定中の大橋のものであると誰かが教えてくれた。というわけでお借りしております。ありがとうございます。

May 19, 2016

アメリカンモダニズムの源流

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⚫Armory show catalogue 1913
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⚫Cubism and abstract art catalogue 1936
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⚫Fantastic art, Dada Surrealism 1936
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⚫New American Painting1958
戦後アメリカモダニズムアートはすぐに抽象表現主義と言いたくなるのだが、そこに至る経緯をきちんと押さえきれておらず、いつかきちんと勉強せねばと思っていたのだが、いまポップアートを書くにあたり、その前段階をきちんとおさらいすることにした。そのためにまずMOMA初代館長のアルフレッドバーについて読み彼がつくったMOMAのカタログ3つ
⚫Cubism and abstract art catalogue 1936
⚫Fantastic art, Dada Surrealism 1936
⚫New American Painting1958
とMOMA以前のアメリカ美術史最大の事件と言われるアーモリーショウのカタログの4冊をアマゾンusa で購入した。
モダニズム絵画はアブストラクトとシュールレアリズムの二つの流れがぶつかり、それを寛容に受け入れたのがペギー・グッゲンハイムであり、ちゅ小表現主義は実は抽象のながれではなく、シューレレアリズムの自動筆記からきているというのがバーの読みなのであった。

May 18, 2016

アルフレッド・H・バー

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その昔谷川渥氏は講演でモダニズムとはイズムの時代だったが60年代ポストモダ二ズムへと移行し始めることアートの乱立する時代へと変化したと話、弱冠27歳にしてMOMAの館長に就任したアルフレッド・H・バーJr(Alfred H. Barr Jr.1902 ~1981)の作った20世紀美術の系統図を使用していた。それはバーが34歳の時に作った図である。それ以来この図の作り方が気に入っていたのだが、今日大坪健二『アルフレッド・バーと入ヨーク近代美術館の誕生-アメリカ二十世紀美術の一研究』三元社2012を読んでいたら23歳の時彼は似たような図を書いているのに驚いた。それはプリンストンにてチャールズ・ルーファス・モーリィーのもとで美術史を学んだ後にハーバードで描いたものでモーリィーの教えのたたものだと解説されていた。
バーはプリンストンとハーバードのカラーの異なる二つの美術史の影響を強く受けたと言われているが、この系統図にはプリンストンの名残があるということのようである。

May 17, 2016

廃墟広場

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富士吉田新世界の公衆トイレ脇の火事現場を広場にする計画共同研究の研究室打ち合わせ。公衆トイレはすでにできておりミラーばり。朽ちた木造架構が反射して増幅する。そこに隣の飲み屋からの客が来て酒を酌み交わす場所が生まれる。予定。

May 16, 2016

ワインのように飲み干す

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誰かの携帯がワンワン唸ったっと思ったら突如床が揺れ始めた。僕の席の後ろの本棚も目に見える振れ幅でぐらっときた。揺れたのはその10秒だけくらいだったが震度4だった。
大学出て金町駅まで来たものの電車が30分来ず。その間に御田先生がやって来た。先生が来たら電車も来た。
長旅に疲れたの家近くのコンビニでマスカット味のアイスキャンディを買ってかえりワイングラスに出してワインのつもりで飲み干した。スカッとした。

May 15, 2016

東京右半分で大友さんを見る

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大友良英のレコードプレーヤーオブジェを都現美で見た。その昔、リーテム工場のヴィデオを作ってもらった時に大友さんに音楽を作曲してもらった。吉祥寺のスタジオで大友さんをはじめSachikoMなどそうそうたるメンバーで大友さん作曲の音を録音した。その時に雑談でクリスチャンマークレーの話になった。大友さん曰くクリスチャンも昔はタダのミュージシャンだったのが最近では(というのはすでに5年くらい前の話だが)アーティストだよ。アーティストの方が全然儲かるみたいと言っていたのが、今や大友さんもメジャーアーティストではないか!!凄いなあ!!思っていることを実現してしまう人。
都現美の周りはどんどん変わっている。都築響一が『東京右半分』を書いて東京は東から変わると言い、今面白いのは足立区、葛飾区、江東区、荒川区、、、、なんて予言したのは2012年。的中?

コパンチンスカヤ型建築

小学校のころ日比谷公会堂でメニューインのライブを聴いた。演目はベートーベンのヴァイオリン協奏曲。それ以来異なる演奏者でいろいろ聞いてきたが、昨晩you tubeでコパチンスカヤのベートベンを聴いて感動した。
彼女の音はよく聞けば
① 気を入れてきちんとビブラートかける音
② 気をぬいてビブラートもかけず弓の先っぽの方で流す音
③ 僕には聞こえない音(?)
である。つまり俗な言い方をすると彼女の演奏は何を弾いているかより何を弾いていないかを聴くことにその受容の妙がある。
そしてこれらの音が並ぶとメロディーは必然的にとても不連続的に、しかしドラマティックな展開となる。おそらく僕が都市や建築に期待する不連続性はコパンチンスカヤの視覚版である。

一流の音楽家の多くは①のみで音楽を構成し、一流の建築家視覚版①をおこなう。でもぼくにはどうもそういう建築が息苦しい。②を交えた建築にいつも憧れどこで②をやるかあるいは③を組み込むかを考えてしまう。

中欧という場所

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増田英樹、古田善文『図説 オーストリアの歴史』河出書房新社2011、加藤雅彦『図説 ハプスブルク帝国』河出書房新社2015、菊池良生『図説 神聖ローマ帝国』河出書房新社2009、という3つの歴史参考書を読んでやっとこの辺りのヨーロッパの歴史が飲み込めてきた。一番腑に落ちたのは一体なぜヨーロッパは一つにまとまろうとしたのだろうか?そしてそれが可能だったのだろうかということに対する回答としてそれはもとももと中欧(ミッテル・オイローパ)というまとまりがあったからであり、それはもとを多々出せば神聖ローマ帝国であり、それを形成したハプスブルクというファミリーだったという説明である。それにしてもローマという概念の継続性には恐れ入るが日本という概念の継続性は負けず劣らずシブトイ。やはり島国だからなのだろうか?

May 14, 2016

今年は美術館の課題をやれる

IMG_0115.jpg前から美術館の課題をやりたいと思っていた。それもthe美術館といういわゆる美術館である。でも今までやらなかったのは美術館を設計したことのある非常勤の方がまとまっていなかったからである。今年はできるなと思いやることにした。
僕が学生の時、美術館の課題は大高正人さんが非常勤で来て教えてくれた。ちなみに小学校は香山さん、ショップは倉俣さん、劇場は磯崎さん、ホテルは伊東さんというふうに教える人はその課題の経験者だった。ということを学生たちはきちんとわかっていたし、だからこそ彼らの言葉に重みがあった。なので今でも非常勤の方をお願いする時は課題を考えながらお願いしている。
学生は分かっているし今やネットですぐさま調べがつく。この人は一体この設計の経験があるのかないのか。僕もそんなにレパートリーがあるわけではないからやったことないものは正直に学生に申告している。
手術の経験のない医者に(そんな医者いるかどうか知らないけれど)手術の授業を受けてもリアリティないだろうし。

May 13, 2016

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3年生の製図を指導していたらまるで数学のノートのようなスケッチを発見。なんだかダ・ビンチみたいである。最近の学生は僕らのころほど図学をきちんと学んでないようなので結構混乱するようである。

May 12, 2016

牛柄研究

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とある人に言われた。あなたのブログはセルフブランディングとして機能していると。その後、話はちがう展開をしたので彼が何を言おうとしているのかはよくわからなかったのだが、まあブログが僕の人となりをよく示しているということなのであろう。日記を公開しているようなものだから僕の性格がにじみ出ているのは確かである。そうしたら先日またとある人に似たようなことを言われてついでに自分のアイコンを作ったらどうかと言われた。自分のアイコンなど作る気はさらさらないのだが、牛の柄(ホルスタイン)は昔から好きでマウスパッドもそれを察知した学生が寄贈してくれた。ということでこの柄を図案化して何かに使ってみようと考え始めスケッチを開始した。さてどこで使えるか?

May 11, 2016

金と人か一刀両断か

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千葉雅也と蘆田裕歴の対談「ファッション批評の可能性と条件をめぐって」の中で千葉はファッションの公理系は金と作家以外のオルタナティブは無いのかと問うている。これって建築でもいえるのだけれど最も多いのは建築の言説も金と作家だと思う。しかしこれって実はゴシップ週刊誌のネタとしても最も多いものではなかろうか?金と人ほど俗に面白いテーマはないということである。このネタ外すとつまり売れない。売れない批評はいらないというそういう構図が日本にはあるのだと思う。そうなると、千葉さんが次にいうのは批評の一回性である。つまりアカデミックな客観性は回避して、一刀両断に言い切ってしまう批評である。おお怖い。でも怖いもの見たさというのがあってそういう批評はそれはそれで受けるわけである。

May 10, 2016

東工大建築学科記念誌

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東工大建築学科記念誌が送られてきた。別に何周年ということでもないのにこんな立派なブックレットを作られたことに敬意を表したい。ついでに拙策もob作品として載せていただきうれしい限り。紙面はキャンパスの建物ということで教授陣が設計した建物が紹介されており、最初に谷口吉郎先生の70周年記念講堂が紹介されていた。この建物は大岡山のキャンパスの顔であり、とてもいいスケールの素敵な建物。おそらく僕の記憶が正しければ、入学式や卒業式をやっていたように思う。谷口先生の水力実験棟は無残にも壊されたが、この建物は間違っても壊さないで生き続けられるように、教授陣が守っていただきたい。宜しくお願いします。

May 9, 2016

ファッションにしないファッション

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皆川明『ミナを着て旅にでよう』文春文庫2014の中で皆川はファッションをシーズン一過性のものとはしたくない。だからコレクションをやらないし、だから短いサイクルでモデルチェンジしないと言う。僕は昔ファッションでとの鼎談で、ファッションって最も現代的じゃないと言ったが、やっぱりこういう人はいたわけだ。昨今エコをテーマにする若いデザイナーは増えているけれどミナは昔からそうなのである。ファッションにしないファッションを目指しているのである。

May 8, 2016

絨毯洗濯

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天気が良かったのでボロボロになって捨てそうになっていた絨毯をテラスで洗濯した。床に敷いて毛糸用の洗剤を振りまいて高圧洗浄機でひたすら水をかけた。圧力が強い上に空気がだいぶ入るので洗剤の泡立ちがすごくテラスが泡で真っ白になった。パキスタン絨毯とトルコの絨毯と、ついでにタオルや、ブランケットまで。高圧洗浄機を使うと繊維がほぐれてゴミはとれそうだが、圧力が強すぎて生地は痛む。風もあってほぼ乾いているが一晩干すことにする。

母の日

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ウィキペディアによると母の日はアメリカから輸入されたものである。1907年アンナ・ジャーヴィスは亡き母を偲び母が日曜学校の教師をしていた教会にカーネーションを送った。彼女は1913年に青山学院に母への感謝を示す活動のメッセージを送り宣教師たちが日本でその活動を始めたのが日本で普及するきっかけである。母校青学で始まったのも何かの縁。今日再びあちらにいる母と、そして配偶者の母の生前の労に感謝しよう。ぶっ飛んだ二人が今生きていればどれだけ楽しかっただろうか?返す返すも残念である。

May 7, 2016

オートクチュールは放っておけば無くなるだろう

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ファッションの起源は宮廷貴族の服飾デザイナーが独立してオートクチュールを作り始めた所にある。その最初がシャルル・フレデリック・ウォルトである。オートクチュールの顧客は20世紀半ば約2万人いたが、現在は100人代と言われている。オートクチュールの顧客は高級プレタポルテで欲求を満たせることを知ってしまったのである。加えて現在では昔ならオートクチュールを着ていた階層の人々がギャップやユニクロなどの製造小売業の衣類を着る時代になった。

建築も状況はかなり近く、昔ながらのオートクチュールで顧客によりそうアトリエ建築家がいる一方で、世界中で半ばマニュアル化した設計手法を駆使してグローバルに仕事をする製造小売業のような設計事務所、設計施工の会社がまさにプレタポルテのごとく大量大規模な生産をしているのである。

果たしてオートクチュールは無くなるのであろうか?ファッション界の予言は難しいが建築界では残る。高級高価なものは減少するかもしれないが、普通廉価なオートクチュールは残るだろう。なぜなら今世界で求められている小さなローカリティーへの対応は製造小売業型の設計事務所ではできないからである。アルゼンチンのエスニック民族の現在住居群を製造小売業設計事務所は設計しないからである。

野生の建築家はその意味では日本にいるだけでは今に絶滅するだろう。製造小売業が世界のマネーに食らいつくように野生の建築家も世界のローカリティーに食らいつくしか生き延びる道はない。そう思って僕は世界を嗅ぎ回っている。

人生訓とは、エスキスチェックとは

人生訓みたいな話を聞いたとき、それを受け入れるかどうかは、その話の内容の真実さによるのではなく、その話をしている人の生き様に納得がいくかどうかにかかっている。というのもその人はその言葉によって成長してきたのだからその言葉を受け入れればその人のようになっていくからである。
人生訓とまでいかなくても建築のエスキスチェックの言葉の半分はそれに近いようなところがある(半分は技術的に真偽がはっきりしている問題である)。だからそのエスキスチェックを受け入れるかどうかはそのエスキスチェックの真実さによるのではなくそのエスキスチェックを語る人が作ってきたものに納得がいくかどうかにかかっている。
その意味では現在僕らがやっているように教員が自分たちの作ってきたものを示し学生が教員を選べるシステムは妥当だと僕は考える。もちろんどこでもそんなことができるわけではない。私立大学で学生も先生もたくさんいるからそういうことが可能で、国立大学ではそれは不可能である。僕が非常勤で行っていた国立大の3年生は否応なく全員が僕のエスキスを受けねばならなく彼らに選択権はなかった。
話を人生訓に戻すと、大学の教員はあるところでは専門領域を離れて人生訓的な話をする機会もあるのだが上記のとおり、そこで重要なのは自らが依拠した人生訓を晒すことではなく、彼らが依拠すべき人生訓を想像することなのである。そんなことはほとんど不可能に近いのだが、唯一やれて、やるべきことは自分が依拠した人生訓とそれによって自分が培った価値観を相対化することである。そしてその上でそれを前提にした上で、自らを晒すなり、殺すなり、そこからは自由である。

May 6, 2016

孤独な野生児

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常山さんからヴェネチアビエンナーレ日本館カタログをいただいた。迫力ある作品のオンパーレードに心動かされる。昨日のマトリックスでいけば彼らは野生の建築家である。「遠く」に「孤独」で進む人たちである。決して「早く」「群れ」をなす人々ではない。そしてこの野生の建築家たちの知恵が連携して新しい建築が生まれてくるのかもしれない。

設計図をCC化する

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すでにファッションの世界では数年前から型紙をクリエィティブコモンズとしてシェアするTheater yoursのようなデザイナーが現れている。建築界では吉村さんもそんなことをされていたような気がする。われわれも設計図をシェアする方法を考えたい。フレーム#1とフレーム#2を今年中にCCに入れる方法を入江くんと相談したい。

May 5, 2016

新しい建築フィールド

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水野大二郎+ファッションは更新できるのか?会議実行委員会『ファッションは更新できるのか?会議——人と服と社会のプロセスイノベーションを夢想する』フィルムアート社2015の中に水野大二郎は「ひろがりとゆらぎ、角度と精度、ひとりで速くとみんなで遠く—インターネット全体社会のファッションデザインを想像する」という長いタイトルの論考の中でこれからのファションデザイン界を上のマトリックスにまとめている。
このマトリックスは横軸に、個人⇄組織、縦軸に、遠く(間接ビジネス)⇅速く(直接ビジネス)が設けられている。つまり従来の個人ブランドは左下、組織ブランドは右下でありこれらは原則ビジネスとして商品を作っていた。それは基本的には世界的に成長することを目標としていた。一方マトリックス上部はセルフクリエートの場を想定しており原則ビジネス的ではない。そうした野生のクリエーターが集団化すると新たな創造が生まれる。
そんな図である。このマトリックスが実に建築界にもあてはまるので赤で少し書き込んでみた。この場合左上のセルフビルドの野生の建築家は単に生きられた家を作っていた住人を超えた存在と言えるだろう。その野生の建築家が集まったところに生まれるさらなるクリエーションはまだそれこを夢想段階である。

とあるファッショデザイナーの教育

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ファッションデザイナーの山縣良和は作るだけではなく「ここのがっこう」というスクールを創設して教育をしている。彼の教育の方法を読んでいたく共感した。彼の重視するのは作るものと人生の連動であり、親や教育や社会によって歪められた自分を素に戻して「自分が今のような美意識や価値観を持っている」ことについて徹底的に向き合うことをさせるという。そしてその素の自分は「共感」を生むかどうかで判断していくという。ただの「素」では意味がないという。そのために作品の批評はまず学生同士で行わせるという。

May 4, 2016

泣く

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先日やっとの思いでとったオーストリアヴィザを喜々としてウィーン工科大学に送ったのだが、ヴィザ期間を実際入国する期間ではなく、客員教授の契約期間に合わせなさいというメールが届いた。ええええええもう一回あの大使館に行って再発行頼むわけ???ああ悲しい。それもさっさとやれと厳しいお達し。
配偶者曰く、こういうことは日本なら事前に言ってくれるのだろうけれど、自己責任の諸外国においては言わないものね!と。そうなんだろうね、常に先回りして質問しろということか?しかしねえ質問しようにも何を質問していいかさえわからないわけで。まあとにかくまた(泣きながら)勉強させてもらっている。

slouchy

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とはいえ僕はロンドンのファッションがそれほど好きな訳ではない。それはきっとパンクをそれほど理解できていないからだと思う。その中ではステラ・マックイーンの服は好み。英語ではslouchy と表現される「前かがみな緩さ」は建築にも使えそうな形容詞。

May 3, 2016

ファッション潮流はやっぱりロンドン、アントワープかな?

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午前中事務所に平瀬さん、川尻さん、中野さんが来られてグラフィック英語版作成の打ち合わせ。Idea booksという販路http://www.ideabooks.nl/catalogsearch/result/?order=publicatiedatum&dir=desc&q=kajima+instituteがあることを知る。ここからamazon ukなどに広がるとさらにヨーロッパでの広がりが出ると思われる。
中川君と木島さんが熊本から帰京。木島さんから事務所の人全員に必携の品ということでレスキューキットが配られた。いつ何が起こるかわからない。
夕方青山ブックセンターで本買いだめ。その中の一冊がロンドンのファッションライターでヴィヴィアンウエストウッドと働いた経験もあるLinda Watsonの新刊(2015)Fashion Visionariesである全盛期からの伝説的ファッションデザイナー75人が収録されている。それを見ると彼らの活躍国はフランス30人で全体の40%、イギリス16人で21%、アメリカ10人で13%、イタリア9人で12%、日本6人で12%、ベルギー3人で4%、スペイン1人で1%ある。その後配偶者と森美を観察。http://ofda.jp/column/
しかしこの活躍国比率は1950年代以降に生まれたデザイナーに絞るとフランスは23%と激減、イギリスは29%と激増、アメリカ、11%微減、イタリア11%微減、日本4%激減、ベルギー17%激増という結果である。つまりフランス、日本が低調で、イギリス、ベルギーが好調ということである。それを裏付けるように出身学校を見ると、全体ではロンドンセントマーチンズ・スクール・オブ・アート4人で、文化服装学院3人、パーソンズ美術学校3人、アントワープ王立芸術アカデミー2人であるが50年代以降のデザイナーで見るとセント・マーチン4人、パーソンズ2人、アントワープ2人、文化服装1人という結果である。

May 2, 2016

せっかくの篠田桃紅が

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竹中工務店の展覧会が世田谷美術館でやっている。招待状をいただいた。どうせなら竹中設計施工の美術館でやればいいのにと思うのだがないのかな?それにしてもこの題字せっかくの篠田桃紅があまり目立たない。ピンクの半券が強すぎる。

May 1, 2016

マリタのお土産

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エンリックのワイフMaritaがお土産をくれた。開けていいかと聞いたらYukoへということで開けずに持って帰ってきた。以前Yukoからたいそうたくさんプレゼントをもらったのでそのお返しだとか。帰国後開けると万華鏡のような幾何学模様のテーブルクロスとコースターのセット。それと同じ模様の箱に入ったソープ。カサミラに入っているお店だとか。チョコレートは定番。なんともバルセロナである。

アンビバレンシー

エンリック論文の仮説としてユニークなところは篠原一男が一般に言われる前期後期の二つの性格(前期(A):秩序、抽象vs後期(B):秩序破壊、野生)が初期から同居しておりそれを調停する中でどちらかが強く出てきた結果として4つの様式を捉えたところにある。その仮説を裏付ける例として彼は白の家と地の家が同時に作られたにもかかわらず白の家は秩序、抽象の系(A)にあり地の家が無秩序、野生の系(B)にあることを例示する。そして(A)の系は第二の様式である亀裂の空間へ至りそこで終わる。一方(B)の系は第三の様式である野生、裸系の空間を通り第四の様式へとつながるのである。
このように二つの性格が同居する対象として建築家を捉えたのはチャールズ・ジェンクスがル・コルビュジエをアポロとデュオニソスと捉えてその初期のラショードフォンのデザインを説明したように前例のあることである。前例があるからといってエンリックの仮説の価値が減じられるわけではないが、人間の性格として二重であること特異なことではなくむしろ自然であると言えるだろう。
建築家を含めて表現者は表現の一貫性を貫きたく一つの性格(A)に固執するが、往往にしてそれに反する性格(B)が無意識の中に隠れており、時としてそれが噴出するのが常ではなかろうか?様々な表現者にこの考えを適用して分析したわけではないので推量の域を出ないがそれほど間違っているとは思わない。