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July 31, 2011

キャンパスのじめじめ度

最近家の整理で行けなかったジムに行き、その足で病院。午後コンペの審査。どういうわけか会場は東大医学部。20人くらいいる審査員のうち建築設計者は3人くらい。経済、子供、医学、などなど愉快なコンペである。
終わってキャンパスを歩きながら思う。ここはいつ来てもじめじめして陰湿な感じである。それは何故かと考えてみると建物の密度がとても高いうえ、木がでかく傘のように道を覆っているからである。以下僕がよく行く大学の印象を記すとこうなる。
東工大 密度小、緑中
信州大 密度小、緑小
理科大 密度大、緑なし
早稲田 密度大、緑小
それで
東京大 密度大、緑大
密度が大きくなって少なくなった隙間を緑が覆うと空が無くなる。
本郷三丁目からお茶の水に出てJRに乗り換えようと思ったのだが、、、、、またお茶の水にきてしまった。丸善で認知症予防の生活方法について書かれた本を買って再度病院へ。偶然かみさんと遭遇。四谷で食事して帰宅。

July 30, 2011

早稲田の講義を終えて

前期の早稲田の講義最終回。学生発表後にこんなことを言った。
この講義では建築は誰が作るのか?という問いから出発して、社会の様々な枠組み(ジェンダー、消費、視覚、倫理、世界性、他者性)が目に見えない形で建築家を規定していることを浮き彫りにした。たまさかその表現主体は建築家であったのだが、このことは衣食、あるいは文学、音楽という表現者にまで敷衍できる話である。そしてそういう社会構築的な状態を我々は自然な状態と思うかもしれないが、実はこういう規定力は一つの権力として我々の表現の自由を阻害するものになる可能性を持っている。
ここにいる文化構想学部の学生諸君は表現者になる人は少ないかもしれないが、多くは媒体を通じて表現を支える人になると思われる。そういう君達は常にそうした力に敏感になって流されず確固とした独自の意見を構築する意志を持ってほしい。
君達のプレゼンは年年深みのあるものになってきている。学部の成熟を感じる。一方でネット情報丸写しのような発表もあることが気になる。稚拙に見えようとも独自の意見を論理づける努力を僕は評価したい。表層の知識をかすめ取りもっともらしいことを言う人間はいらない。社会は前者を求めている。

July 28, 2011

修羅場をくぐる力

夜病院に行き親父と小一時間話す。話が政治に及ぶ。「民主党は千石と小沢に分裂するだろうなあ」と親父。「千石は力あるの?」と聞く。「あいつは寝技も立ち技もできるやつだからなあ。やはり全共闘世代は修羅場くぐっているから強いな」。
その昔友人のSが「独立するには修羅場を三回くぐった方がいい」と言っていた。それなので、そう感じた時日建をやめた。そして確かにこの修羅場の経験がその後の心の支えとなっている。修羅場というのはつまり何処にも答えが無く、誰も教えてくれない状況の中で難問を解くことである。昨日読んだセス・ゴーディン神田昌典訳『「新しい働き方」が出来る人の時代』三笠書房2011には人生で本当に大切にすべき2つの技術のひとつとして「考える価値がありそうな問題を解決すること」と書いてあった。その意味はグーグルで検索できないような問題の答えをだせることだそうだ。それは修羅場をくぐらないと身に着かない技術である。
会社を経営する友人Mがスタッフの給与のことで「僕の代わりに1人で打ち合わせいけるようになったら500万払う」と言っていたが、これも誰も教えてくれない、何処にも答えが無いような状況で適切な解答を出せる能力を評価する言葉である。
今求められているのはそんな人材である。

ヨコミゾ、佐藤淳によるテント課題

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●都市の壁に吸盤で貼りつくテント
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●テンセグリティを駆使した浮いたようなテント

朝事務所で打ち合わせてから大学へ。Intervention project の打ち合わせ。部屋で1人になり雑用を片づけたいのだが疲れがたまりあまりはかどらず。
夕方大学院のテントを作るという課題の発表会を見に行く。僕は今年は未だ院生を持っていないので参加していないが来年からは加わることになる。僕以外の歴史計画の先生と非常勤講師のヨコミゾマコトさん佐藤淳さんらの指導課題。単一材料を使ってテントを作り、構造的にはシンプルな原理を用い手計算でできる程度の分析を施そうというもの。興味深い作品がいろいろ学ぶ。いい課題である。

July 27, 2011

○○とは何か

吉見俊哉の『大学とは何か』を読みながら思う。「○○とは何か」という問いについて。人生とは何か?建築とは何か?人間とは何か?世界とは何か?、、、これらはみな答えの出ない問いである。これまでは答えの出ない問いを問うても仕方ないと思っていたのだがこの著者はそれに挑戦している。そして答えの出ない問いを問うことの意味、意義もあるものだと最近少しずつ感じている。というのも答えの出る問いだけに答えていると結局そんな人生しか歩めないからである。そういう問いがあるところだけを歩むことになるからである。答えの出ない問いに惑わされるなかではじめて未知の領野に歩を進めることができるのである。

July 25, 2011

爺さんの迫力

午前中の会議が終わって急いで事務所に戻り打ち合わせしてからあわてて大学に戻りレポートを回収してからゼミ。週末の疲れがどぼどぼ出てきた。ついでにオフクロ他界の余波で親父が入院しててんやわんやの大騒ぎである。しかしそのおかげと言っては何だが孫が暇を見つけては面会に行き小一時間爺さんと会話する。日本経済、世界経済、そしてたいてい最後はマルクスレーニン主義の可能性の中心のようなことになる(らしい)。我々息子どもは幼少のころから耳にたこができるくらい聞かされたことでもはや聞く耳持たないが、孫たちには新鮮に響くようである。この年代の子たちが学校や塾では到底味わえない学問の迫力を80過ぎの爺さんの中に見出している。面白いことだ。
病院寄って事務所に戻り書類作ってクライアントへ。帰宅後吉見俊哉『大学とは何か』岩波新書2011を読み始める。

July 24, 2011

ホームレス住居

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昨晩はモノ整理が遅くなりそのまま実家に泊まる。数十年ぶりである。親父が入院した書斎を借りて布団を敷く。亡霊でも出るかと思ったが出たのは鼠くらいである。朝起きて布団を干して、またひたすらごみとの格闘である。どうして不要なコンビニの袋とか、デパートの包装紙とか、使いそうもない什器とか、埃をかぶったぬいぐるみとか、賞味期限が切れたレトルト食品とか、缶詰とかとっておくのだろうか?、徐々にこのだらしなさが腹立たしくなる。一つの収納を終えてまた次の収納を開ける。とんでもない量のモノモノモノが眼前に迫る。生前は整理したくとも触らせてくれなかった。アンタッチャブルな世界であった。それもそのはず、さまざまなところに貴重なモノが挟まっている。しかしこうして不快に思っていたものを一気に全部捨てるのは爽快である。
庭の一角はごみの山。ホームレス住居のようである。
p.s.夏のオープンデスクを1名募集。簡単な自己紹介と住所、来られる曜日を書いてメールくださいsakaushi@ofda.jp

我が家はごみ屋敷

午前中八潮のエスキース。午後は実家に行き、もの整理。ものと言えば聞こえがいいが、ごみである。70リットルのごみ袋にゆうに50袋は詰め込んだだろうか。我が家はごみ屋敷である。
p.s.夏のオープンデスクを1名募集。簡単な自己紹介と住所、来られる曜日を書いてメールくださいsakaushi@ofda.jp

July 23, 2011

メディアの不調

早稲田の演習終えて三朝庵で昼をとりあゆみbooksに寄ってから事務所に戻る。新たに始まった保育園のスタディの様子を見てから研究室へ。ミノルタから借りている色測計を使ってみるのだがうまく測れない。購入迷い中。結論先延ばし。夜3年製図の最終提出。各班を回りながらできを見る。3年生にしては面白いと思うものもある。再来週の合評会が楽しみである。TNAの武井君がゲストで来てくれる。彼は富岡のコンペをとったとのこと。その案も見せてくれるだろう。帰宅後内田樹の『街場のメディア論』光文社新書2010を読みながら寝る。彼の本は目を見張るような発見は無い。しかし喉のあたりまで出かかっている自分の言いたいことを小気味よく言語化してくれる。例えばこんな風に。
「テレビの中でニュースキャスターが「こんなことが許されていいんでしょうか」と眉間にしわを寄せて慨嘆すると言う絵柄は「決め」のシーンに多用されます。・・・「こんなことが許されていいんでしょうか」という言い方には「こんなこと」に自分はまったくコミットしていませんよ、という暗黙のメッセージが含まれています。「こんなこと、私はまったく知りませんでした。世の中ではこんなにひどいことが行われているなんて・・・」というその技巧されたイノセンスに僕はどうにも耐えられないんです。」

p.s.夏のオープンデスクを1名募集。簡単な自己紹介と住所、来られる曜日を書いてメールくださいsakaushi@ofda.jp

July 21, 2011

選択の科学

新宿区役所行って、練馬区役所行って、自分と兄貴と親父の戸籍謄本やら印鑑証明やら併せて20枚くらいもらって(というか買って)きた。人が亡くなるとやることがいろいろある。あっちこっち行く道すがらシーナ・アイエンガー櫻井祐子訳『選択の科学』文藝春秋2010を読む。人間も動物も行動の選択の余地が無くなると元気が無くなる。一方で選択肢がありすぎてもそれは幸せにはつながらない。建築もそうである。選択肢の無い空間はなんとも単調である。一方でありすぎると迷路となり人は苛立ちを覚えるものである。

July 20, 2011

書評と建評

豊崎由美『ニッポンの書評』光文社新書2011を読む。書評は批評とは違う。本をとりまく役割分担を著者は大八車にたとえる。大八車の両輪が著者と批評者そしてその大八車を引っ張るのが編集者であり、書評家はその車を後ろから押す人だという。そして批評は読後に読み、その本の文学的位置づけ、思想の意義などについて熟考するためのことが書かれたものである。一方書評とは本を読む前に読みその本を読みたくなるための文章だと言う。
先日磯さんを講評会のゲストで読んだ時に「僕はいい建築を見つけて人に見てもらうために文章を書いているのであって評論家ではないよ」と言っていた。つまり豊崎理論で言えば磯さんは書評家ならぬ建評家である。建築をとりまく大八車を後ろから押す縁の下の力持ちということである。

July 19, 2011

実家の設計

実家の設計を始めた。母がいなくなったので、親父と兄貴家族が住むための家に実家を改築することとなった。やってみて気がつくことがある。よく知った人間の家の設計をするのは当たり前だが与条件がさっさと頭に浮かぶ。親父はこういうぐあいに動くであろうとか、兄貴はこんな場所を好むだろうとか、、、、全く知らない人の行動を想像するよりかは遥かに楽である。加えて家の環境を熟知しているのだから方位による日の光や、周辺との関係も写真と照らし合わせたりするまでも無い。しかしだからと言って案がさっさとできるかと言うとそうでもない。知りすぎているだけに考えてしまうことも多々ある。気がつかなくてもいいようなことまで気になったりする。普段の設計なら気にならないのだが、、、

帝京強し

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母校が甲子園東東京大会4回戦に進んだので応援に行こうと誘われた。相手は帝京高校である。球場に少し遅れて到着。切符を買う10メートルくらいの列。それを待っている間に球場内で歓声があがる。おっとどっちだ?と思いながら入るとスコアボードの母校の方に1点がついている。あの帝京から初回に1点をとって尚もワンアウト3塁。そして見事なヒットで3塁ランナー生還。2点目である。奇跡的。ピッチャー交代。しかしその裏あっという間に帝京に2点を入れられ同点。その後0が続く。しかし4回5回に畳みかけるように攻撃されて残念ながら5回コールドになった。
久々に母校のしかも野球等を見ながら興奮した。なでしこジャパンの奇跡がここでも起こるかと期待したがそれは叶わぬ夢。しかし帝京の一回りも二回りも小さな選手たちが奮闘している姿に感動した。試合後彼らは号泣していたが、500人くらいの観客、チアガール(ついに母校にも)の応援、超高校級の対戦相手。高校生活最後を締めくくる最高の舞台である。

July 18, 2011

官僚制という化け物

最近よくテレビで見かける古賀茂明『日本中枢の崩壊』講談社2011を読む。経産省のキャリアであり公務員の制度改革のために本音で勝負している数少ない官僚である。であるからオール霞が関を敵に回し官房付と言う閑職に回されている。
これを読むとこれまで読んだ『原発官僚』や『原発社会からの離脱』に書かれていることの裏がとれる。日本の官僚制がいかに日本を間違った方向へ導いてきたかという点である。著者は日本の官僚は優秀なのに日本が良くならないのは彼らの乗った電車(制度)が悪いからだと言う。つまり、官僚制は構造的欠点が利点をはるかに上回ったシステムであり、それを改革しようとする人間(著者のような)を弾き飛ばす構造になっているというわけである。もはや政治がどうのこうのではない。この官僚制という化け物を一度たたき壊す必要性があるのだと思う。

July 17, 2011

母との別れ

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新宿の斎場で母と別れの会をした。親族と一部の親しい方々を呼んでお花をたむける会。昔懐かしい写真をロビーに飾り生前の母を思い出した。80なので悲しみもなかったのだが、母と同年代のいとこたちが来るとやはり少々早いと言う気にもなる。落合で焼いた後皆で食事。その後骨を持って実家に行き線香をあげた。これであの世に旅立ったわけである。兄貴とシャンペンあけて、赤ワインあける。

July 15, 2011

「原発をどうするか」から「原発をやめられない社会をどうするか」へ

午前中の早稲田の演習を終えていつもの三朝庵で親子丼を食べようと思ったらどういうわけか休みだった。あゆみbooksで数冊本を買って昼食。事務所に戻り夕方大学へ。打ち合わせの合間を縫って宮台真司×飯田哲也『原発社会からの離脱』講談社現代新書を読む。序文の宮台のタイトルがとても説得力がある。「原発をどうするか」から「原発をやめられない社会をどうするか」へというものだ。つまり日本の社会はシステムへの盲目的依存が高く「ブレーキの壊れたタンクローリー」のようであり、特にそれは行政官僚制に顕著に表れていると言う。昨日読んだ本の内容と同じである。

July 14, 2011

キャスクという悪夢

七尾和晃『原発官僚』草思社2011を読み終える。原子力エネルギーの発展がいかに政治的に役所的に経産省を中心に行われ、特にその省権の拡大のために使われてきたかがよく分かる。そしてキャスクと呼ばれる放射性廃棄物の処理をどこでやるのかという見通しがないまま60年来てしまったこともよく分かる。つまりは問題の先送りを延々してきたということである。
そしてこの震災を機にますますこのキャスク処理場の候補地は激減するであろう。広大なアメリカでもキャスク処理場が住民の反対にあって見つからないのだから、日本では国有地で閉められるような無人島のようなところしかもはや現実性がない。そしてそんな場所があるだろうか?あったとしてもそこに隣接する住民の反対は避けられない。NINBY (not in my back yard 自分の裏にはあっては困る)という言葉は世界共通である。どこかの知事が通産官僚は福島に住めばいいと言ったが私も同感である。これ以上作るならキャスクはあなたの裏庭に埋めて欲しい。

July 13, 2011

お別れの音楽

お別れ会で流す音楽を選ぶ。

式前のBGM
・バッハ・平均律クラヴィーア
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6400683

黙とう
・ブライアンイーノ・AMBIENT 1 MUSIC FOR AIRPORTS
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12272755

献花
・ヘンデル・ハープ協奏曲

花入れ
・ジョージウィンストン・秋

お別れの言葉
・バッハ・フルート協奏曲

喪主挨拶
・キースジャレット・ケルンコンサート
http://www.nicovideo.jp/watch/sm12045520

出棺
・コレッリ・ヴァイオリンソナタ

聞きながらしみじみ涙が出てきたりする

その着眼点は建築を必要としているか?

4年生の製図第三の講評会。30名近い発表を6時から10時まで聞く。宇野さん、郷田さん、山名さん、僕、そして助教の3人の先生計7人で採点して最優秀賞と優秀2人を選出した。中間発表の時も感じたのだが、2部の学生は人生経験が様々(昼間働いている人、文系の4大終えて編入してきた人、高専から編入してきた人など)なので着眼点が豊かである。ただその着眼点が建築を必要としているか?建築がその問題を解消できるのかに頭が回っていない。つまりそれら着眼点が建築的特徴に結びつきやすいものとそうでないものがあることにスタート時点で見通しがきいていない。だからしやすいものを選んだ人は幸運にも短時間で結果に結び付くし、そうでない人はなかなか建築にならない。じゃあ最初にそのことを伝えればいいではないかと言われそうだが、言うと前に進まなくなってしまう場合が多く相手を見ながら伝えざるを得ない。

自分でスタジオ持って見た最初のプロジェクトであったが修正点はいろいろある。

July 11, 2011

炎天下の自然園

昨晩からスタッフが徹夜でプリントアウトした340枚の図面(170枚2セット)と17枚のcdを梱包し事務所を出る。古河はとんでもなく暑い。駅で昼をとり迎えの車に乗ってクライアントの事務所へ。成果品を納める。事務所のエアコンが壊れているようで汗が噴き出てくる。外気は35度を超えているようだ。納図を終えて新しいプロジェクトの話を聞きその敷地を車で回る。1ha以上ありそうである。平坦な農地である。自然をふんだんに取り込んだ子供の施設をというのがクライアントのイメージ。それを聞いて信州大学の付属小学校を思い出した。付属小のマスタープランを作る調査をして校庭とは別に自然園があることを発見した。そこには羊やヤギが住んでいて池がありビオトープとなっていた。自然園専用の昇降口があり、泥んこになって遊ぶための長靴と泥を洗い落す洗浄スペースが用意されていた。校長先生の自慢の庭だった。そんな泥んこランドが考えとしては思い浮かびはしたのだが、今日の炎天下で敷地を目の当たりにすると思い浮かぶのは砂漠である。お似合いの動物は当然ラクダ、、、、、、

生まれたところで亡くなる

午後一で最後の図面チェック。部分詳細図がやっと全部そろった。足りないところは言葉で補いながら最後の詰め。明日の納図にはなんとかまにあいそうである。
実家に行きエンバーミングから戻ったオフクロを眺める。蝋人形のようである。しばらくオフクロの横に添い寝する。兄家族、親父と飯を食いながら親族の話などする。いつもはビール一缶の親父も今日は調子よく2缶目を開けていた。甥っ子とは建築の話をする。兄貴はオフクロがこういう会話の場を設けてくれたような気がすると言っていた。確かにそうかもしれない。忙しい家族がもっとも集まりやすいお茶の水に入院し、家族のコミュニケーションの場をセットしてさっと消えて行ったような気もする。親父の証言によるとオフクロは亡くなった三楽病院で生まれたそうだ。生まれた所で死ぬのと言うのも運命的である。僕は本郷、兄貴は広尾、甥っ子はアメリカ???

July 10, 2011

母逝く

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7月9日朝、母逝く。敗血症から腎不全、肺の機能低下で血中酸素濃度が減り昏睡状態となり呼吸が止まる。享年80歳。
僕の人格、気性、文化的な興味の大半は母によって導かれてきたと思う。そのことに感謝したい。
入院から11日、まるで見舞いや付添の大変さを配慮するかのようにさっさと逝ってしまった。実にあっけないものであった。兄貴と相談、1週間は防腐処置(embalming)して実家に置き、通夜はせず家族葬。無宗教。戒名なし。焼香なし。香典なし。献花をしながら音楽を奏でる音楽葬そすることに決める。午後遺体をエンバーミングすべく戸田の施設に運ぶ。処置に4時間くらいかかるので実家に戻る。モノを捨てぬオフクロの膨大なごみの山をかき分けて音楽葬に陳列する思い出の品を探す。
中から若かりし頃の写真を発掘。親父の証言によれば大学を卒業した当時のものとのこと。息子、孫一同あまりの凛々しい顔つきに驚愕。「よくこんな人と結婚できたね」と孫が爺さんに質問ともため息ともつかぬ発言。さらに幼少のころの写真を見ると東京の風景が多い。親父にオフクロの生まれを聞くと東京だということが分かる。オフクロは青森県出身ではなかったのである。親の生まれ育ちを死ぬまで間違っていたなんて言うことも珍しい。さらにたんすの中を発掘するとわが中高時代の通信簿、出産手帳、オフクロの大学時代の名簿など、いろいろ出てくる。いつか時間をかけてこれらを整理せねば、、、、

July 8, 2011

丸善からあゆみbooksへ

午前中早稲田の学生発表。昼食後あゆみbooks。信大時代は週一くで東京駅丸善がお決まりコースだったが、今は週一あゆみbooksである。ここは5千円以上買うと2階の喫茶店の無料コーヒー券がもらえるので、毎度コーヒー飲んで買ったばかりの本をめくる。しかしここには売れ線の面白本は並んでいるのだが、哲学、社会学系の新刊は乏しい。
午後事務所でどさっと来た設備図をチェック。意匠図の線が濃すぎて設備の線が見えない。昔は裏図と言って意匠の線を裏から書いた図面に設備の線を表から書き込んでもらったものなのだが、、、、、時間があればもう少し調整するのだが、、、
夕刻大学、雑務、製図、一時間設計、輪読、そしてワークショップの打ち合わせ。夜病院。10時ころ病院に来る面会者も少なかろう。病室には兄貴と孫3人集合状態。僕と入れ替わりで彼らは帰宅。今晩は僕が泊まりの担当。寝ながら七尾和晃『原発官僚』草思社2011を読む。

未来派の古典性

1914年サンテリアの未来派建築宣言はこんな言葉で始まる「18世紀以来もはや建築は存在しない」この言葉は当時の建築を否定すると同時に17世紀以前の建築を肯定している。そして言葉はこう続く。「近代建築と称するのは・・・カーニバル風の装飾でけがされている。それらの装飾は構造上の必然性をもっているわけでもなければ。また趣味によって是認されているものでもない」。この「趣味」という言葉が最初の一節を裏付ける。趣味とは17世紀に生まれ18世紀末には既にその働きを失った古典的な美の判定概念だからである。つまり「趣味」の肯定は17世紀以前の建築の肯定につながる。20世紀のアヴァンギャルドが古典的側面を併せ持つというのはコルビュジエを始めよくあることだが、未来派にもそうした古典性が垣間見られて面白い。

July 6, 2011

恥ずかしさの共有

アガンベンによれば「恥ずかしさ」とは「引き受けることのできない受動性に引き渡されること」である(菊池久一『<恥ずかしさ>のゆくえ』みすず書房2011)そうだ。言い換えれば、自分ではどうにもならない泥沼のようなところに落ちてしまうことである。
研究室で人と人との繋がりをテーマとした空間作品作りのためのブレストをしていて、「恥ずかしさを共有することが繋がりを生む」と言う意見が出た。その時このアガンベンの定義が思い出された。つまり自分ではどうにもならない泥沼を数人同時に体験するような空間作品である。ちょっと蟻地獄のようなもので不気味ではあるが。
夜病院。心拍数の振れが激しくなってきた。80台と180台を30分おきに行ったり来たりしている。血液検査の結果は相変わらず腎臓の指数が悪化している。

家と墓

夜久しぶりに兄貴と2人で食事をしながら話をした。2人きりで飯なんて数十年ぶり。というかそんなことは初めてかもしれない。両親ともにもう80を超えて話さなければいけないことが山とある。ということに気づいて2人で呆然とする。そういうのは兄貴の役割ということで放っておくわけにもいかない。必要なのは親を面倒みるための家。そして我々もいずれははいるところの墓。家と墓(生きることと死ぬこと)をいっぺんに考えると言うのも妙な取り合わせであるが仕方ない。

July 5, 2011

環境科学という分野

大学でいろいろ打ち合わせ。夜講義。その後病院。オーストラリア、クイーンズランド大学を卒業した甥っ子が日本に戻って来てその足で病院に。数年ぶりに会う。懐かしい。何の学士をとったのかを聞いたらbachelor of environmental science(環境科学士)。日本だと東北大学や筑波大学に大学院の専攻としてあるようだが学部の学科ではあまり聞かない。オーストラリアはこのあたりの意識がかなり高いようである。実際に何を学んだか聞くとリモートセンシングだそうだ。それなら信州大学では、情報、機械、そして建築の先生でも専門にしている方がいた。人工衛星を使い地表面の温度や緑被率を調べたりするわけである。甥っ子の調べたのは放牧されている牛がどれだけ緑を食べ尽くすかをしらべたそうである。あまり食べると生態系が崩れるので、放牧エリアのバランスを考える資料を作ることだとか。なるほどいかにもオーストラリアらしい。

July 3, 2011

ホワイトスペース

家で図面のチェック、四谷ヨガ経由竹橋。クレーhttp://ofda.jp/column/を走り抜け月島。伊藤君のオープンハウスで川辺さんや高橋堅さんとすれ違いお茶の水三楽病院。
血液検査の指標を見ると白血球が減り体全体の炎症も減。肝臓も良好だが、腎臓、特にカリウムの量が減らないのが心配である。一昨日のモルヒネ(だと思うが)で幻覚症状が激しい。
ベッドに横たわりマーク・ジョンソン池村千秋訳『ホワイトスペース戦略―ビジネスモデルの<空白>をねらえ』阪急コミュニケーションズ2011を読む。ビジネス書は読まないと書いたのだが、これも帯にマッキンゼー賞受賞とあったので思わず購入。ホワイトスペースとは副題にあるようにビジネスモデルの空白のこと。企業には以下のようにコアスペース、隣接スペース、そしてホワイトスペースがあると言う。
1)既存の組織に適合し既存の顧客ニーズを従来の方法で満たすのがコアスペース。
2)既存の組織に適合し既存の顧客ニーズを従来と異なる方法で満たすのが隣接スペース
3)既存の組織に適合せず新しい顧客ニーズを従来と異なる方法で満たすのがホワイトスペース
イノベーションとはこのホワイトスペースへの参入によって可能性が高くなる。
僕に照らし合わせてみるならが、例えば事務所では不向きな研究的なプロジェクトを事務所とは全く違う方法で作り上げるというのがホワイトスペース的かもしれない。研究室で事務所と同じようなことをしても確かに仕方ない。

天井に丼が見える

明け方、痛み止めの点滴でオフクロは眠りにはいった。10時ころ甥っ子と入れ替わりで帰宅してシャワーを浴び大学へ。昼から修士の推薦入試。僕の研究室は他大学から2名、学内から4名の受験者。8月に一般入試があり年明に社会人入試があり来年の院生が決まる。夕方病院へ。オフクロがうなされて「船ドンブリ」と連呼している。目はパッチリ見開いているのだが天井にあるカーテンレールがそう見えているようだ。
この連呼を聞きながら昨晩読んでいた古賀一男『知覚の正体―どこまでが知覚でどこからが創造か』河出ブックス2011を思い出す。知覚とは二つの部分で構成される。感覚と呼ばれる神経系が外界の刺激を取り入れる前半部分。それがどのように感じられたかという後半部分。前半は物理的客観的事実であり、後半は「環境、経験、学習を加味して適切に、あるいは不適切に修飾される」。さらにその後の段階は認知と呼ばれ知覚現象の主観的評価が行われる。そうした一連の脳の作業の中で我々は一体何処までが事実で何処からが創造なのかを見誤る可能性があるわけである。そんなことはどうでもいいではないかと思いつつも、建築の知覚をある程度客観的にとり出そうとするとどうしてもこういう問題にぶつかってしまう。下手するとオフクロのように記憶がオーバーラップしてあるものが違うものに見えてくることもあり得るわけである。

July 1, 2011

民に来て分かる官の甘え

大学でミノルタ製の色測計の話をミノルタの方から聞く。数種類置いていってもらい1週間使ってみてどれかを購入するつもりである。
理科大は研究費が比較的よい。加えてその購入のシステムが分かりやすい。毎月買ったものの領収書と集計表を紙で提出して月ごとに清算していく。これが以前いた国立大学ではコンピューターで買ったものを一品一品(消しゴム一個まで)入力していく。一見スマートだが、入力の最中コンピューターはのらりくらり動き、時たまフリーズし、数万円の買い物を1時間くらいかけて入力し、、、それが会計係で止まりどこまで清算されているのかが分からない状態になる。にもかかわらず、これが問題なのだが、このシステムではコンピューター上に残金が出ているのである。しかしこの数字は何時の時点のものかは誰も分からないのである。この大学での最後の年は赤も黒も出せないので、予算と執行額を合致させようとこのシステムをもはや見捨てて、幾度となく会計に直接残金をヒアリングしていたのに、蓋を開けたら(つまりが4月になってみたら)結構な赤字だった。機械もダメなら人も頼れない。実はこのシステムは以前の入力システムを改善して数年前にできたものだった。何かを改善したモノがこれほど使えないのも珍しい。民に来て分かる官の甘えである。