恥ずかしさの共有
アガンベンによれば「恥ずかしさ」とは「引き受けることのできない受動性に引き渡されること」である(菊池久一『<恥ずかしさ>のゆくえ』みすず書房2011)そうだ。言い換えれば、自分ではどうにもならない泥沼のようなところに落ちてしまうことである。
研究室で人と人との繋がりをテーマとした空間作品作りのためのブレストをしていて、「恥ずかしさを共有することが繋がりを生む」と言う意見が出た。その時このアガンベンの定義が思い出された。つまり自分ではどうにもならない泥沼を数人同時に体験するような空間作品である。ちょっと蟻地獄のようなもので不気味ではあるが。
夜病院。心拍数の振れが激しくなってきた。80台と180台を30分おきに行ったり来たりしている。血液検査の結果は相変わらず腎臓の指数が悪化している。