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October 31, 2006

信大の歴史

朝一でゼミ。m1を対象とした輪読ゼミ。今日はリオタールの『ポストモダンの条件』。毎回一冊読むのだが、今回はコンペもあるので2回に分けて後半部である。ポストモダンの起源のような本である。A0メンバーで現在イギリス留学中の光岡君も彼の地でこの本を原書で読んでいるようである。次回この大きな物語の喪失をテーマに書かれた東浩紀の『動物化するポストモダニズム』を読みその次にその東を再考している『ポストモダニズムの思想的根拠』を読む予定。
午後キャンパス計画の視察で上田にある繊維学部に行く。このキャンパスは信大で最も旧い。そのため明治時代の建物などが保存されている。講堂は昭和4年だが木造の洋風建築で有形文化財に指定されている。一昨日見た娘の学校同様のフンイキの漂う素敵なキャンパスである。その後菅平にある遊休施設をチェック。菅平の一等地にこんな施設があるのはもったいない。
夜工学部に戻りコンペのゼミ。残り1週間である。

October 30, 2006

ゲームのよう

急遽大学の会議に出席するためアサマに飛び乗る。午後引越しの目処を立てるためいくつかアパートを物色。安ければいいと思いつつも、いざ見ると欲がでる。でもそこをぐっと抑えて考える。12月頭には引っ越したい。夕刻研究室に戻り、東京や九州に電話。分からないことが実に多い。事務所のことも大学のことも不確定要素が多すぎて、困ったものである。不確定だからといって放っておく分けにもいかないし、だからと言って決断もできない。ゲームのようである。

October 29, 2006

初めて見る娘の学校

娘の学校の文化祭に行く。まあ中学生だから入学式など行かないわけだがそれにしても学校を見るのが初めてというのもちょっと考えものだ。いくら多忙でもう少し頭の片隅に子供のことも入れておかないとまずいよなあ。比較的歴史のある学校なので、レンガ造りの旧い建物が保存されているのは嬉しい。隣に最近できた女子大が見える。レンガ造りをまねて前川流の分厚い大きいレンガタイルが使われていた。なかなか安心設計である。よく見るとどうも日建のようであった。こんなところまでやっているのかと思うと嬉しいやらやめて欲しいやら。複雑である。午後帰宅。仕事。論文。

October 28, 2006

肌色

午前中東現美の大竹展とオペラシティの伊東展とを見て帰る。東現美の常設展に展示してあったデ・クニーングの肌色がとても綺麗だった。画集で見ててもデ・クーニングの肌色は綺麗だったが、本物はしびれる。肌色が好きになったのはその昔ゲーリーのハリウッド図書館を見たときだった。でもこの色は日本の光では合わないかもしれないと思いまだ使ったことがない。リーテムでやりたかったが肌色より木の色になってしまった。こんな綺麗な肌色の建物を作ってみたい。
伊東展のカタログで多木が「単にミニマルで綺麗な建物などなんの価値もない」というようなことを書いているのが小気味良かった。伊東は物質性に拘っているのだが、大竹の作品を見ると彼の物質性は建築屋のそれを超越している。アーティストの物質性は建築家など比にならない病的なものがある。帰宅後保坂和志の『世界を肯定する哲学』ちくま新書を読む。夕方事務所に行く。ナカジと加藤ちゃんが仕事中。状況をヒアリング。ちょっと複雑な状況だが上手くすり抜けられるといいのだが。

農学部

10月27日
午前中のデザイン論の講義を30分早く切り上げ11時半にt先生とk君、y君の4人で車で伊那の農学部に向かう。キャンパスマスタープランのための調査である。伊那まで約2時間。着いたところはとても大学とは思えない。ゴルフ場の入り口のような看板に信州大学農学部と書かれている。銀杏並木が延延と続く。やっと見えてくる建てもはしかし大学である。
早速建物を見て回る。敷地内に教員宿舎が戸建でコテージのように点在している。しかし築40年以上建っていて崩れそうである。もう少し行くと学生寮がある。中は結構きれいに使っている。しかしやはり学生寮。まあすごいものだ。農場の方に行くと動物がいるいる。ダチョウ、羊、ヤギ、牛、皆食肉用で売って大学の資金となる。信州らしく、そばの出荷の最中だった。
キャンパスとはやはりそこでの学問を露にする。流れている時間が工学部とは違う。ゆっくり、ゆっくり日が過ぎているという感じであった。
5時に農学部を出て7時に工学部に戻る。9時のアサマに飛び乗り、11時に帰宅。k君夫妻が突如訪れていた。30分ほど会話して彼らも帰る。

October 27, 2006

最近の通勤パターン

朝6時に起きて、6時45分に家を出て、7時28分のアサマに乗ると言うパターンが最近多い。寝るのは1時だから、5時間睡眠でこれは僕としては少ない。車中本を読みながらうとうとしていることもある。保坂和志の芥川賞『この人の閾』をぺらぺら。この人の文章はとにかく長い。一段落一文章なんてのはざらである。一文読んでいる途中で目を瞑ることもある。午前中講義。昼に引越しの目処を立てたくアパートを見る。午後から夜にかけてゼミ。その間、東京に何本電話をしただろうか?俺は伝書鳩?という感じである。建築のモノサシのコメントを読む。皆タップリ書いてくれている。10万字くらいはあるだろうか?疲れた。坂牛賞は今回は無し。

October 26, 2006

やっと晴れ

午前中は事務所で打ち合わせ、指示、電話、指示。午後学会選奨の現地審査。流通センターで審査員の滋賀県立大学の陶器さんと横国の飯田さんと会いタクシーで現地へ。昨日の雨があがり抜けるような青空である。審査員も全国の建物を5つも見るとのだから大変である。こちらも精一杯協力する。2時間ほどじっくり見てもらう。リーテム側も3時に我々の審査が終わり。すぐさま次のゲストである経済産業省の役人7人の見学を迎える。帰路を飯田さんとともにし、建築のいろいろな話。最後に「建築は粘り。谷口さんのところで学んだことはこれです」と飯田さんは言っていた。元気の出る言葉である。
夕刻事務所に戻りクライアント来所。打ち合わせ。その後所内の打ち合わせ。工務店に電話、指示。12時帰宅。食事。

October 25, 2006

キャンパス巡り

秋雨降りしきる中、信州大学の教育学部と附属小学校、中学校、養護学校のキャンパス調査を行う。信州大学は蛸足キャンパスで県内にキャンパスが四散している。来年末までにまとめるキャンパスマスタープラン作りに建築学科が噛むことになったのは今年から。これも法人化に伴う影響の一つである。工学部と教育と附属は長野市内なのでバンに乗って移動。地方大学特有の傾向と思うがキャンパス近辺に居住する学生が多いため自転車が多い。そして講義棟の近傍まで乗り込んでくるため駐輪場などだれも使わない。まあこれは施設計画の問題というよりは、モラルの問題でもあるが。夜工学部に戻り、山形ゼミ。さあ残り2週間である。
『ポストムラカミの日本文学』に登場していた保坂和志のデビュー作『プレーンソング』を読む。アマゾンの古本で35円で買った。なるほど確かに90年代初頭の気分である。しかしこの保坂という人ムラカミハルキにちょっと似ている。
そう言えば自分のことなのに忘れていた。JIA(日本建築家協会)で週代わりの展覧会が開催されている。4人ずつ10週くらいやるらしいが、今週は僕や安田幸一さんが展示している。このあたりを通りかかったら覗いてみてください。

October 24, 2006

秋雨

来年の東大での講義は前期、金曜日の1コマ目にすることにした。一コマ目なら余り増えまいと思っているのだが、余りに少ないとまた困る。それまでに今書いている博士論文をアレンジして、「建築の規則」というタイトルで講義用のひねりを加えた物語に作り上げたい。(という意思はそこはかとなくあるのだが、どこまでできるだろうか?)
中国で出版される本のゲラが来た。ナカジが対応していてくれたのだが、素敵なゲラである。中国にしてはデザインがいいのはドイツ人が作っているかららしい。英語中国語併記の本である。出来上がりが楽しみだし、リーテムが載るのでこれからの広報用には丁度いい。
最近いろいろな相談事を日建の人にしている。速攻で返事が返ってきていろいろと助けてくれる。本当にありがたい。いい先輩後輩がいるということは一生の財産である。
久しぶりの秋雨が降り始めた。

October 22, 2006

来年のスケジュール

来年の講義日程をこの時点で決めるのは至難の技である。建築のモノサシの改訂版を作る余裕があるかどうかであるが????来年はもっと設計に時間を費やしたいから、改訂はちょっと止めておこう。授業だけの改訂はできるのだがhpもやると時間と金がかかる。その余裕はないだろう?春から本作りが待ってるし、翻訳もある。
先ほど気が付いたのだが、1週間ほど前に、「大学の人員整理もあるし僕も何時までここにいられるか?」と書いたら、「ずっといてください」と早川君がコメントしてくれた。ありがとう。

80年代

10月21日
宮沢章夫『東京大学「80年代地下文化論」講義』を読む。いきなり80年代に原宿にできたクラブ ピテカントロプス・エレクトゥスが登場し、「かっこいい」という価値観で語られる。ピテカンは行ったこと無いけれど確かに当時話題だった。そのころあのあたりや骨董どおりのtokioや霞町のred shoesはなんとなく大人の空気がむんむんしていて、学生の僕は背伸びしてそういう場所に出入りしていた。懐かしい話である。

October 20, 2006

金曜日

午前中デザイン論の講義、午後は同じ2年生を相手に製図のエスキス。何度か顔をあわせていくうちに意匠を目指す人とそうでは無さそうな人がなんとなく分かってくる。持ってくる内容が全然違う。まあこうやって専門が分かれていくのは今も昔も変らない。製図が終わり東京に電話、JIAのアーキテクツギャラリーの搬入が終ったかどうか確認を入れる。案の定まだ終っていないようである。ポートフォリオもまだできていないとのこと。今日はそのままオープニングだそうだが出席できない。同時に展示する安田さんから電話、僕が来られないのが不満のようである。とは言っても仕方ない。
山形のエスキス。もう時間がないから方針決定。でもまだうまく行くかどうか。とにかく粘ってやるしかない。A3一枚だから。夜『ポストムラカミの日本文学』を読む。90年代の前半の「渋谷系」というくくりの新たな作家として阿倍和重と保坂和志をあげている。阿倍は僕も好きな作家だが保坂は読んだことが無い。今度気にしておこう。

80年代論の意味

10月19日
そう言えば僕がロサンゼルスから帰国した年、1ドル250円が一気に100円台へ下降した。プラザ合意があり、日本の内需拡大に伴い時代はポストモダン円熟期とも言えるバブルに突入し、グローバル化に向かった。その年に僕は大学を出て社会人の仲間入りをした。時代の境目に自分史の境目も重なるとその社会の変貌がよく見えない。今だからこんな客観的に見えるのだが、当時は全くそんなことに気づかなかった。
建築も90年代というよりはやはり80年代後半に変ったのだと思う。その変貌を今こそ詳細に考えてみたい。

October 18, 2006

ゼミ

午前中は空間論の講義。午後は延々とゼミ。4年生はまだまだ。基本的に日本語ができていない。去年もこの頃から卒論修論は佳境にはいった。学生も先生も必死だ。でもここで僕が怒らず誰が怒る。悪気は無いけれど学生生活で最初で最後の真剣勝負のようなものだ。頑張って欲しい。コンペのゼミは今ひとつ。コンセプトを形に昇華するロジックが無い。
8時半のアサマで帰宅。昨日の寝不足がたたり珍しく車中は睡眠。大宮で目覚めルーマンのメディア論を読む。複雑性の縮減というルーマン特有の話に突入。

めまぐるしい

10月17日
朝から事務所。図面のチェック。工事の進捗を確認。めまぐるしい。淡々と情報整理と指示。夕刻日建設計のOB会「日建会」に出席。日本全国から300人ほど集まる。鬼の管理部長と言われた三宅さんに現場監理の様々な質問。未だに頼りになる。副社長の桜井さんに挨拶。jiaの審査委員だそうで新人賞に応募しているのを知っていた。やはり副社長の岡本さんと雑談。社長の中村さんから激励される。「日建の足元にも及びませんよ」と言うと「住んでいる世界が違うのだから」とクールなお言葉。同期の陶器さんとお話。彼は現在滋賀県立大学の教授。学生が住宅メーカーに就職すると嘆いていた。小堀さんは東工大客員教授だそうでおめでとうございます。理科大の教授になられた構造の寺本さんが「横断道路の仕事をした人はみんなやめたね」と言う。そう言えば、設備の近藤さんは武蔵工大の教授になっている。
早々に引き上げ事務所にもどり仕事の続き。12時頃帰宅すると待ち構えていた娘に捕まる。中間試験勉強のお付き合い。でも家族との時間はほっとする。

October 17, 2006

施工者の実力

現在見積もり中の仕事がある、数社の合い見積。設計者としては当然どの程度の力があるか調べなければならない。経歴書はもちろん見ている。どんな建物を作っているかもわかっている。名だたる建築家の仕事をしている。それでもそこから分かることには限度がある。だから経歴書に載っている建築家にメールしてその力を聞く。いろいろな情報が集まってくる。良いと言う人もいれば駄目と言う方もいる。本当に悩ましい。施工者の力を判定する会社というものがあればきっと流行ると思うのだが。昨今施工者の力が落ちている。それは施工者自身が言っているのだから間違いない。職人も同様だろう。つまりは後継者がいないのである。匠の心を持った人たちがいなくなっていくのである。施工図を書けない所長と鉋をかけられない大工が集まって建物ができるのだろうか?日本の由々しき問題である。

October 15, 2006

仕事力

午前中某工務店の社長と会い打ち合わせ。日比谷でお会いしたので、その足で六本木ヒルズに行きビル・ヴィオラのヴィデオインスタレーションを覗く。museum shopで佐々木敦の新刊購入。内容は、池田亮治、高橋悠治、オヴァル。午後家で仕事。論文の修正。
風呂で『仕事力』という新刊をぺらぺらめくる。各界の一流の方々の仕事について書いた本だ。建築では安藤さんが書いていたり、京セラの稲盛さん、など14名。読んでいて思うのだが、とにかくこう言う方は人の倍は働いていると思う。しかも質の高い時間を倍働く。つまり一般の人の4倍の仕事をしてきたという感じがする。素晴らしい。見習いたいものである。

いろいろ

朝一で現場。クライアントと対話。その足でコニカミノルタプラザの「大野一雄写真展」へ、オープニングで上杉満代の踊りを見る。この展覧会は大野一雄100年祭と銘うって47人の写真家によって撮られた大野の写真並べられている。65年の土方と大野がうっぷした細江の写真や2002年の荒木の写真をはじめ義兄であるダイトウノウケンの写真も展示される。その後紀伊国屋に寄る。社会のところに80年代論の棚がある。80年代論というのは最近流行りなのだろうか?スーパースタジオが来るということでhttp://www008.upp.so-net.ne.jp/jiseki_archives/page/TSS/main.html昨年のアーキグラムに引き続き今年も60年代論が盛んだと思っていたのも束の間。80年代のバブル、ポストモダンへの再考がそろそろ客観視できる時代になってきている。
帰宅すると小田部さんから長野順子・小田部胤久編著『交響するロマン主義』晃洋書房, 2006が届いている。先日のゼミで扱ったカリネスクによれば、モダンには二つの相反する概念があり、その一つがブルジョア的モダン、もう一つが美的モダンとなる。そして美的モダンのスタートはロマン主義による急進的反ブルジョア主義である。こうなるとロマン主義は昔の話と言って横において置く事もできない。目を通しておかざるを得ない。夜木島と打ち合わせを兼ねて食事。

October 14, 2006

思考と実践

10月14日
ヤマとリーテム双方が学会選集に選ばれたという連絡が事務所に送られてきていた。喜ばしい。1度に2つというのはその昔SDレヴュー88年に2個選ばれたことがあるがそれ以来である。この間の大吉がそろそろ効いてきたかもしれない。
日建をやめて8年たつ、日建時代は闇雲に設計していた、もちろん自分なりの建築観を育もうと努力していたが、忙しさはそうした思考の継続を許さない。独立してそうした細切れの思考の断片を繋ぎ合わせる時間ができ、やっと自分の創りたいものが分かってきた。そしてそれを実践していく中でその思考の実体化の方法が分かってきた。つまり概念としての建築と実体としての建築の接続の仕方がやっと分かってきたのだと思う。思考と実践。建築の基本である。

October 13, 2006

打ち合わせ、黙考

事務所で仕事。打ち合わせ、黙考、打ち合わせ、黙考。

October 11, 2006

コンペ惜敗

沖縄コンペの結果が来た。残念ながら最終の5名には残れなかった。ただ「審査員の1名以上の得票がありました」、という親切なコメントがついていた。1名以上とは1名なのか2名なのか分からないが、350名くらいの中からとりあえず目に付いたことで今回は良しとしよう。研究室のコンペ3つめで少し手ごたえがあったということだ。俎上に上るという感じが皆でつかめたのではなかろうか。次が勝負というところだが、次はもう1ヶ月先というのがちょっと厳しい。

今日はゼミと授業が集中する。ゼミ中も一日中東京からファックス、メール。携帯にメールが飛んでくるので容赦なくビービ鳴る。逐一チェックしながらも修士論文、卒論ゼミ。後期は修士と4年を一緒にやる。修士は4年のお手本たれという主旨である。その後m1を中心とした輪読。今日はカネリスクの『モダンの五つの顔』の前半を読む。(この本は稲葉振一郎の『モダンのクールダウン』の中で重視されていた本なので取り上げた。余裕のある学生はこちらも読んでみて欲しい)。その後山形プロポの打ち合わせ。最終のアサマに飛び乗る。車中『論文捏造』を読む。この本実にスリリングで傑作である。テレビ番組を本にしただけあって、まるでテレビを見ているようである。

October 10, 2006

大学冬の時代

大学冬の時代である。これから5年にわたり人件費を縮減するという会議が行われた。まあ大学に限らず民間の会社はどこでもやっていることだから大学だって当然である。しかしそれを給与を下げるのではなくポストでやりくりしようとすると結構大変である。一体どういう方策があるのか?しかしニーズに応えて行くしかないのではなかろうか?もうこうなると予備校みたいだが、それもまた仕方ない。これからますます少子化で大学は淘汰されるのだろう。僕も何時までここにいられるのか分かったものではない。厳しい時代だな。でもそういう世界に皆生きているのだから頑張らねば。

October 9, 2006

快晴

快晴。ロサンゼルスのようにこうした天気が一年中続くと嬉しい。先日台風の無い国に行きたいと言ったら、山本さんが納得した顔で笑っていた。

October 8, 2006

神頼み

朝一東京戻る。某クライアントを尋ねるが不在。お手紙を置いて帰る。本当にいい天気で気持ちも少し晴れる。帰宅すると娘が試験勉強。いっしょに理科をやる。夕刻かみさん帰宅。家族で神田明神にお参り。行事もないのにこんなところにくるのは生まれてはじめてである。招福除災の神に拝む。これ以上アクシデントが起こらないように。ついでに湯島天神に行き、娘は試験勉強、僕は論文。祈祷。
唯物論者だったのだがついに神頼みをするようになってしまった。自分の力だけでは生きていけない現実を知ったからだろか?

ヒアリング

10月7日
朝塩尻に。塩尻のコンペの2次ヒアリング。すでに聴衆は150人くらい来ている。市長もいらっしゃった。公開ヒアリングで5名に残っているのは。香川さん、柳沢さん、福屋さん、佐藤光彦さん、関谷さん。先ず1名ずつのプレゼンと質疑。そして全員集合しての、共通質問。山本理顕さん、高橋晶子さん、図書館専門家の常世田さん、信大人文教授の中島さん、市の助役、僕の6名の審査。午後4時頃1回目の投票を行った。一人2票。なんと光彦さんと柳沢さんの2名が5票で並んだ。その後また質疑をい。一人1票の決戦投票。ここでまた3対3で決着付かず。その後また質疑。そして再度決選投票。4対2で柳沢さんに決定した。
本当に我々も真剣勝負だった。ふらふらだった。柳沢さん。頑張っていいものを作って欲しい。

雨の現地調査

10月6日
ひどい台風の朝長野に向かう。金曜日は午前講義、午後製図。2年生の製図は須坂で行うということで学生は電車。教員は来るまで現地へ。市の方に案内してもらい敷地の測量。大雨の中で最悪のコンディション。

October 5, 2006

早大レク

午前中ゲストスピーカーとして早稲田大学に行く。早稲田にはオープンスクールと言って、どの学部の人も受講できる教養講座のようなものが用意されている。タイトルは「感性の問いの現在」というもので年間を通して開講されている。様々なゲストが呼ばれて話をしているようだ。その全貌は知らないが僕は僕のかみさんとともに3年前から呼ばれ僕は建築かみさんは書について講義をしている。
この講座は早稲田大学で行われているのだが、仕切っているのは東大の小田部先生で僕も彼に呼ばれて毎年参加している。今日の演題は「建築の規則」まるでブルデューのパクリのようだが、パクリである。本当は小田部先生に敬意を表して「建築の条件」にしようかとも思ったがそれは来年にする。内容はまあ今書いている論文を一ひねりしたもの。論文発表会の予行演習のようなもの。でも100名近くが一生懸命聞いてくれて楽しいレクチャーだった。終ると質問に来る学生もいて熱心さが伝わってくる。やはり文系の学生の方が僕の言うことは伝わるのかもしれない。
レクチャーが終わると、小田部さんがこれを本にするなら文系の学生も買うでしょうと言ってくれた。文系の学生もと言うより、文系の学生の方がと言うべきかもしれない。更にこのオープンスクール全体を統括している早稲田の酒井先生から2年後くらいに新しい学科ができるので協力をお願いしたいと頼まれた。ついでに小田部さんからも来年美学での協力を依頼された。文系の学生との対話は望むところまああとは脳みそと時間の使いよう。やれるところまでやるしかない。

October 4, 2006

クビ

午後一で東京。新幹線の中で『ドキュメント検察官』中公新書を読んでいた。テレビの潜入警視庁なんて番組見ているようだったが本を持ったまま寝ていた。事務所に着いていろいろ雑用して銀行行って。ああ本当に苦しいこの状態。なんとか脱出しないと。普通の会社なら経営者クビだ。

October 3, 2006

明日から授業

朝から研究室でお仕事。後期のゼミ輪読本を決める。建築的なものにしようと思ったが、やめてモダニズム、ポストモダニズム論をいろいろ読むことにする。この手の本はまとめて数冊読まないと駄目というのが僕の持論。論文ゼミの日程も決める。人数が多いので4年と修士をいっしょにやり発表は隔週ということにする。それでも5人ずつやることになる。
自分の論文の手直し。あるはあるは直すことが。もう何度書き直しているのだろうか?9月頭には一応書き上げそれから、5回は少なくとも書き直している。それでも読むたびに出てくる論理の乱れと内容のダブりと根拠不明瞭な勝手な推測。そして誤字脱字。いい加減嫌になってしまうが、耐えて読み直すしかない。
夕方院生が新たな公募プロポの話を持ってくる。山形大学記念館。1ヶ月しか無いがやることにする。なんだかこの時期自殺行為のようでもあるが、A3一枚なら一か八かやってみたい。
明日から講義が始まる。言葉と建築第二部。読み返していたら、ここにもミスがある。マイッタ。今晩は駅前の平安堂に行って、本でも眺めよう。
信州の夜は少し冷え込む。

後期始まり

後期も始まり最初の会議。朝から昼まで。大学というのは民主主義だから、トップダウンではない。小学校のホームルームのような場面が結構ある。それはそれで結構なことだが、時間がかかる。民間会社にいた人間からすると奇妙でもありのどかでもある。
午後は研究室で仕事。後期の製図の打ち合わせなど。夕刻学会賞をとられた中込先生のお祝い会。構造の学会賞がどれほどのものかは知らないが、でも立派なものである。おめでとうございます。その後飲まない私も数軒つきあい10時頃お開き。

October 1, 2006

読書

一日書斎の中にいた。外に出たのは銀行に行って、コンビニで昼ごはんを買った時だけ。最近買った『都市空間の地理学』加藤政洋編著を読んでいた。読み終わって、『摩天楼とアメリカの欲望』を読み始める。2006年に工作舎からでているが、原著は1986年である。20年前の旧い本である。と思って本棚をよく見ると原書が入っていた。読み始めたが、難しくてやめた記憶がある。訳書は三宅さんの訳なので読みやすそうだ。