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August 31, 2015

「私」の文章

編集者Iさんと2時間話し執筆中の文章のターゲットを少し変えようということになった。これはなかなか難儀である。ずーっと理工系大学生のための教科書的なものという位置づけだったのが、少々広い分野の方々にも興味深いものと映るようにしようということになった。経済、文化、哲学、倫理、ファッションへと広がる話の、それぞれの分野の専門家にも読ませるものにしようという指示である。それを可能にするのは莫大な知識か、絶妙なレトリックではなかろうか?と思うのだが、Iさん曰く重要なのはなぜこの建築を語るのにこの社会学者のこの言葉があるのか、なぜこの哲学者が登場するのかその選球眼のオリジナリティなのだという。選球眼とはさまざまなボールを知っていてその中から選ぶから選球眼なので、僕は社会学者や哲学者のすべてのボールを知っているわけではなくて、言えばかなり偶然そのボールに出会っている場合もあり。アクシデントを記せても、チョイスを記せるのかはあまり自信がない。

Iさんの要求は難しいのだが、こうやって文章が良くなるのだろうなあと期待が大きい。その昔篠原先生にもっと「私」を主語として書きなさいと言われたのを思い出す。Iさんももっと坂牛の「私」を出してくださいとおっしゃっているのである。それならなんとかできそうな。やってみよう。

August 30, 2015

憂う

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朝一で軽井沢の別荘の引き渡し。9時半から12時半まで。それでも全部の説明はできず、水抜きなどは冬になったらということで今日は終わり。東京に帰り小西と国会で落ち合う。かなりの人正門前は難しく、国会図書館の交差点であうが、時すでに4時帰りがけ四谷でコーヒーを飲んで別れる。それにしても安保問題だけではなく、経済的にはこの新自由主義に私は憤りを感ずる。書き始めればきりがないのだが、政治、経済ともにこの国に明日はあるのか?とやるせない気持ちになる。先日ドイツ留学をする学生がもうこの日本には戻らないと言っていた。その理由はその時初めて聞いたが、3.11に始まる日本の政治的対応を見ているともはやこの国に希望を持てないというようなことを言っていた。優秀な若者にこう思われる政治というのは一体何なのか?こういう学生を持った教師としては泣くに泣けない。

August 29, 2015

若者よ自立せよ

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さて若い彼らが独立するのに4年は少々短いとも思うが決断は早い方がいい。彼らに言わせると僕が「さっさと辞めろ」と言っていたというのだが、それはおそらく僕が組織事務所に長居しすぎたことを悔いているという話のことだと思う。組織は長くて7〜8年くらいがいいところなのではと思う。それ以上いるなら一生いるべきだろうが、昨今の新自由主義経済の中で偏在した富を追いかけて巨大建物を作ることの意義は希薄だろう。よって勉強が終われば速やかに独立するべきである。若者よ自立せよ!!!

August 28, 2015

鈴木理策

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ここ数日鈴木理策の言葉を引用している文章の校正を読み返している。そんなわけでタイミングよくオペラシティで行われている彼の展覧会に行ってきた。青木淳の青森の美術館を近視眼的に撮影した写真が建築界では有名だが、そいう写真を彼は撮りつずけている。その中でも僕はこの桜が好きだ。物に接近した視覚は物の全体構成を排除して物と物の関係を捨象する。関係性を失った物は宙に彷徨うように不安定に見える。
渋谷で信大坂牛研OBたちと食事をする約束をしたので、ライズでアルゼンチン映画「人生スイッチ」を見る。表現がストレートなのに驚き。ツタヤでイタリア映画「イル・ポスティーノ」を借りる。山道君にチリに行くまえに見ることを勧められた。

August 27, 2015

もっとルースに作ろうぜ

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富士吉田の製氷工場再生計画のクライアントである財団の理事長(といっても31歳の若さだが)と院生、助手と今後の地方都市や建築や街づくりについて本当に楽しい話ができた。これからの街づくりが、今までのようなものではないことはもはや明らか。金のあるところに金をかけた金の建築を作る意味もないことを確認した。そしてだからこそ、地方に金のかけない豊かで楽しい生活があることを彼の生き方を見ながら納得した。
最後に行ったお店のオーナーは実は工場のオーナーだという。そのお店「トタン」という名でトタンでできていた。このラフな感じが今度の建物にも繋がるように思えたし、工場のオーナーや理事長の考え方がそのまま形になっているように感じた。
今朝彼が日本の建築はオーバースペック。もっとルースにできていていいじゃないかと力説しているのに共感。特に今回みたいな建物はそうあるべきなんだろう。

火祭り

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打ち合わせの後、富士吉田火祭りに行く。日本三大奇祭と言われている。100本近い巨大たいまつが浅間神社に向かって並んでいる。

August 25, 2015

ごつくて粗

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千葉の大屋根のクライアントは企業を早期にお辞めになって陶芸をしている。陶芸家になりたかった私としてはこういう人生を歩みたいなという欲にも少しかられてしまう。そのクライアントから先日頂いたこの器はなんであろうか?
蚊取り線香置きである。うちの事務所は風通しを考えて結構開けっ放しにしていることが多いので蚊も多い。なので蚊取り線香置きを作ってくれたのである。ところが頂いた頃には酷暑でドアなど開けられる状態ではなく、つまり蚊もおらず、しばらくお役御免となって今はデスクの上に置かれている。頂いてからしばらく見ている間にこの不思議な器がなんとなく好きになってきた、あまり手をかけず自然な感じで、ぼてっとしていて、ごつくて粗なところが、いいのである。

La Plataでのレクチャーポスターが届く

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ル・コルビュジエが南米で唯一実現した住宅がブエノスアイレス近郊の町ラ・プラタにある。その町にあるラ・プラタ大学の建築学部でアルゼンチンに着いた次の日にレクチャーをすることになった。というのもワークショップを行うパレルモ大学のディーンであるダニエル・シルベルファーデンがこの大学でも教授をすることになりこちらでもレクチャーをして欲しいと頼まれたから。一昨年ビエンナーレに招待された時もアルゼンチンで3回ブラジルで1回レクチャーをした。国が変われば同じコンテンツでもいいと思うのだが、さすがに同じ国の中で(同じ市の中で)行うレクチャー内容は同じだと少々気がひける。なのでPalermo UniversityではConnections、La PlataUniversityではWindowsという話をする予定。今年はサンチアゴでもレクチャーするがここでは同じ話とさせていただく予定。

August 24, 2015

君はエリック・ホッフアーを知っているか

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エリック・ホッファーが60年代に書いたエッセィを柄谷行人が翻訳した本がある。初版は70年台だが最近(2015)ちくま学芸文庫から出版された。
まだ私が小学生のころ父親が科学というものは理論を実験して検証するものだと言って理科の仮説と実験の話をした。そしてそれは自然科学だけではなく、社会科学もそうであり、経済や法律などにも理論と実験検証があるのであり、自分のしていることは社会科学における実験と検証なのだと言って労働運動の意味について説明してくれた。親父は実は理論をやりたかったのだろう、つまりは大学に残り学者に進みたかったのだろうが金がなくて働くことになったのだと思う。
さてホッファーという人は社会科学者として理論と実践を同時並行的に行ったまれな人である。それはとんでもないエネルギーを蓄えた人であったに違いない。サンフランシスコ港で沖仲仕として労働者のリーダーとして労務者仲間に様々な本を読ませる一方でカリフォルニア大学バークレー校の教授を務めていたのである。そしてインテリ批判をした。実践の伴わない理論の薄さを批判した。僕にはそのことの意味がなんとなくわかる。大学にはそういう輩が少なからずいるように感ずる。論文偏重主義である。ペーパーを生産すれば学者の義務は果たされているかの錯覚がまかり通っているようにも思う。もちろん実践だけ行うならアカデミックセクターにいる必要はないのだが両方やることが真のインテリであろうと思う。
その意味ではホッファーは我々のモデルのような人物なのである。

August 23, 2015

建築は体力だとつくづく思う

thumb_P1030808_1024.jpg人間は体を基礎にしてその上に意思があり、感情があっててっぺんに知性がある。いくら知性があっても感情が乱れると知性は使い物にならない。そのための意思は健全な肉体に宿る。全くそう思う。体を常に良い調子に保つことがなんと言っても僕にとっては重要である。そのためには肉体を鍛えるルーチンな毎日を規則正しく送ることが大切だと思っている。軽井沢で施主検収の行き帰りで斎藤孝の本を読んでいたら同じようなこと言っていた。まあみな思うことは同じなのである。肉体が弱っている人は時たま冴えた発想はできても持続力が無い。また肉体が鍛えられていても意思が薄弱な人は感情をコントロールでき無い。そこまで準備されてやっと知性が活かされる。
この建物の最初の打ち合わせをしてから3年。建築は持続力だと思う。体力と意思がなければできるものでは無い。

August 22, 2015

ドイツ留学する二人の送別会

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茨城町小学校再生計画の打ち合わせをしてから、ドイツに留学する二人の送別会を研究室で行う。一人は今秋からミュンヘン近くの大学のランドスケープ学科にもう一人はこの秋からはドイツでインターンシップを行い来秋から留学を計画中。これで今年度坂牛研からは5人が海外に羽ばたくことになる。結構なことである。

ノーベル経済学賞はノーベル賞ではない

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新宿で学生が出品したアート作品を見てから病院へ。会える時に親父に会っておかねば。気がつくと口もきけなくなっていたというのがお袋の時の後悔である。しかし病室に入るとすやすやと眠っており仕方なく本を開く。藤井聡『〈凡庸〉という悪魔—21世紀の全体主義』晶文社2015を読む。驚きの新事実。ノーベル経済学賞の正式名称はアルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞でこれはノーベル賞ではないのである。
なぜノーベルが金儲け理論に賞を与えるのかが不思議だったのだがこれで合点がいった。この賞は経済の自由化を目指し、国家介入を排除するために金融機関が勝手に新自由主義経済学者の地位をあげてプロパガンダするためのものなのである。
目が覚めた親父にそのことを話すと頷いていた。金曜日なので「デモに行ってくると言う」と「我が息子のその心意気が嬉しい」とにこにこしていた。国会前は人まだ閑散としており、首相官邸前に行って少々様子見。阿佐ヶ谷で友人と会う。

August 20, 2015

本当かい?

夕方末広町での打ち合わせの後御茶ノ水まで歩き親父が入院している三楽病院に面会に行く。部屋に入るなりとても元気に話し始めた。一昨日の疲れ果てた姿とは大違いで驚いたし少しほっとした。
先日ポツダム宣言を英語で読んだ話をしたら勢いはなしは親父が玉音放送を聞いた時の話となった。「何言ってんだか正直言ってよくわからなかった。勝ったんだか負けたんだか???」どこで聞いていたのかとくと郷里の青森だという。あれ??その時親父は20歳。大学は行ってなかったの?と聞くと「大空襲で大学は閉じていたという」そうなんだ。焼けちゃったの?と聞くと焼け野原の中に東大はポツンと残っていたという。ここだけ戦後の教育のために意図的に残して空襲したのかと聞くとそうではない。連合軍は東大を占領した時の本部にしようと計画していたとのこと。ところがマッカーサーが来た時当時の東大総長南原が頼み込み東大を大学として生かしてもらったのだそうだ。銀杏並木は焼け野原の中のオアシスだったのだそうだ。「よかったね大学に行けて」と行ったら「本当に良かった」と頷いていた。大学がオアシスだと思えるって幸せだ。

August 19, 2015

開口と目地

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千葉の現場は内装に突入。窓まわりのディテールはかなりスッキリと納まった。しなの内装は初めて目地を積極的に入れてみた。なるべく均等にいれないで開口の線をもらい半ば自動的に伸ばしていくという方法をとった。なかなか悪くない。現場はお盆を挟んでいたせいかややスピードが鈍っている。結局アルゼンチンから帰るころに検査だろうか?

August 18, 2015

親父も90

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一昨日親父が家の前で転んで動けなくなったというメールを同居している兄よりもらった。すると次の日その容態が悪くお茶の水の病院に入院したというメールが来た。すぐに兄に電話をして病院に行こうかと問うとその必要はないが明日にでも見舞いに来て元気付けて欲しいと言われた。90にもなると生きる気力があるか否かが大きな問題である。本日大学の用事を終えて病院に夕方行くと個室に移っていて兄が部屋にいた。親父は薄眼を開けているのだがこちらに気づいているのかどうかよく分から無い。「卓だよ」と大きな声を出して顔を近づけると「おお卓か」といつもの返事が返ってきたのでほっとした。しかしその後ほとんど何も話さ無い。兄が帰った後も話はし無いがしばらくこの部屋にいて同じ空気を吸おうと思い本を読み始めた。鶴見俊輔『文章心得帖』ちくま学芸文庫2013。読み始めたら親父のことなど忘れて没頭した。この手の文章指南の本をかなり読んでいるがだいたい得るところが少ない。しかしのこの本はプラクティカルである。
使えると思ったことは三つある。一つは紋切り型を排除せよ。そして紋切り型を避ける方法その1形容詞を使わず動詞で語れ。その2形容詞の最上級は避けよ。その3漢語の名詞には注意せよ。二つ目は文章を書くことは選ぶこと。書きたいことは山ほどあるが何を書か無いかがポイントである。そして3つ目は書きたいことの束をそれぞれとても小さな紙に書いてみること。大きな紙に書くと不要なことを含んでしまうからだそうだ。
なるほどと思うことばかり、これは明日から実行できそうである。そして実にこのことは建築にも言えそうである。極端な形(最上級)を使わ無い。人の動きを考えよ。やりたいことを減らす。などである。もしかすると文章を書くことと建築の設計をすることはかなり近いことなのである。それが証拠に設計のうまい人はだいたい文章もうまいものである。などと考えているうちに面会時間をとうに過ぎているのに気がついた。では「親父よまた明後日」。

August 17, 2015

ポツダム宣言を読もう

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日本の総理大臣がポツダム宣言を読んだことも無いということが話題になったが、自分自身高校の教科書に載っていたかどうかも記憶の彼方である。やはり終戦記念日も過ぎて一度は読んでおかねばと思い大学に行く地下鉄の中で読み始めたら金町に着く前に読み終わった。13項目からなるこの宣言は実に簡明なものである。英語で読んでも20 分はかから無い。
宣言の第二項はアメリカとイギリスと中国が日本を脅すくだりである。この部分の「イギリス」国名の表記が面白い。第一項ではGreat Britainと記されていたものが脅し文句になるとthe British Empireになっており、本国だけじゃ無いぞ世界のイギリスが日本に最後の打撃をくらわすべく着々と兵力を増強しているのだぞと言っているわけである。
このポツダム宣言は7月26日出されたものの、日本はこれを「黙殺するのみである」と当時の鈴木首相はコメントしそれがignore it entirely あるいはrejectと訳され報じられたのである。
そして8月15日ポツダム宣言を受け入れ戦争は終わった。

August 16, 2015

批評メディア論

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大澤聡『批評メディア論—戦前期日本の論壇と文壇』岩波書店2015 著者の博士論文の第一部を基礎とした著述だそうだ。博士論文が元になった本は例外なく面白いし充実している。という仮説は今回も覆されず、やはり面白かった。論壇とか文壇とかとはほとんど縁がなく、たまに文藝春秋を読むくらいである。一体論壇とか文壇は何のために、誰のためにあるのかというのがこの本を読んでみたくなったきっかけであるが、なるほどと思わせた。
つまり論壇と呼ばれる、政治経済などおよそ文学以外の論考について批評を加える場が論壇である。文壇は文学作品に対するそれである。そしてさらにそれらの批評を批評する論壇時評、文壇時評が登場する。論壇、文壇の批評の生成理由の一つは、あまり多い著作物をすべて読むわけにいかない読者のための時間節約のためのガイドブックなのである。そして二つ目の理由は多くの著作に価値付けする場として論壇文壇があり、その価値付けを価値づける場として時評が存在する。ということは時評を含めて論壇文壇は悪く言えば価値付けする利権を守るための集団の場と言い換えることもできよう。特に時評を書く人間の権力は本人が意識に関わらず相当なものになるだろう。下手をするそうした場において権利の囲い込みが行われていた可能性は大いにある。特に芸術が関わる文壇においては大いに可能性ありである。
今大騒ぎになっているグラフィックデザインの世界の権利の囲い込みは今に始まったことでもないのかもしれない。
ところでこの本の装丁中野さんなんだ。いかにもという感じです。

August 15, 2015

コールハースの要素本

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日建をやめて住宅を作り始めた時に考えたことは、構造的な部位では無い建築要素で最も重要なものを抽出してそれを建築のテーマにしようということだった。そこで浮上したのは開口部。開口部は最も使う人との関係が強いと思った。それ以来建築の構成要素に興味があり、前期の集合住宅課題で私の班は地域の人が集う「屋根」と住人が会話する「廊下」と周囲に呼応した「窓」を設計することを課題とした。
そしたら先日後期の課題を議論していて高橋堅さんがコールハースの建築の要素本が面白いというので買って眺めている。15の要素の系譜学である。その中には屋根も廊下も窓も含まれている。おそらく殆どハーバードの学生が作っているのだろう。内容はそんなに新鮮とも思え無いし、言葉の水準がめちゃくちゃだけれどちょっとしたアイデア集として使えるかも。

お盆にバルセロナからの来客

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先日バルセロナで会った、UPCの先生が日本に来るというので神楽坂で会って街を少し散歩して食事をした。盆休みというのに神楽坂は結構な混み具合。この街は不思議。ディビッド・スチュワート夫妻もそこにジョイン。その後我が家でデザートとコーヒーという予定のところに、高校の友人から「飲まない?」とのメールが来たので拙宅にお呼びした。皆で食後の一杯を楽しんだ。

August 13, 2015

恩師と対談

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私の新著の最後に恩師との対談を入れたく本日坂本先生に時間をとっていただきました。編集者が同行すると堅苦しくなるので、私一人でレコーダーを三つ持って参上しました。編集者からは1時間半お話しきてくださいと言われ、かなり緊張して2時から話を始めました。しかし終わると5時。編集者がいればうまがガイドしてくれたのでしょうが、だらだらととりとめもなくお話しさせていただきました。さすがに終わるとフラフラでしたがおわってから事務所スタッフの方々達とコヒー飲んで雑談をして6時頃事務所を後にしました。とても実りある、あるいは先生が本音で語ってくれた対談でした。これをどこまで活字にするか楽しみです。ボスを4時間監禁してスタッフの方にはお忙しいところ恐縮です。ありがとうございました。

August 12, 2015

いい庭になった

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さすがに今日の新幹線は超満員。20分前に並んだのでかろうじて最後の空き席に座れたが廊下は人で埋まっていた。お盆の初日に事務所検査をする方もする方だが、ここしかないのだから仕方ない。建物はいい精度でできている。さすが評判の施工者。ただまだ未済部分があり完全な検査にまで行かない。来週の施主検収にはほぼ終わる見通しがついたのでまあいい。庭は地元の長岡さんにお任せしたのだがいい庭になった。もともと大きな紅葉が二つあったのでそれに連ねて3本ほど追加して紅葉の連なりを作ってくれた。地面には緩やかなアンジュレーションをつけて芝を植えた。背景の隣地の高木が見事である。切らないでくださいね。

ズレ

150811%E3%81%84%E3%82%8F%E3%81%97%E9%9B%B2.jpgだいぶ前に読んだ北田暁大の名著『広告の誕生』は広告が「どのような契機で広告として現れるのか」を問うている。一般に広告論は広告の意味内容を問うことが多かったのでこの問いは新鮮だった。
それ以来そうした視点の持ち方に惹かれ、建築に当てはめて考えることができるのではと思うようになった。建築の形態も空間も機能も一度横に置き、建築が建築として現れるのはどういう契機においてかと考えてみるようになった。
北田氏は広告の現れの契機の一つとしてコンテクストのズレを挙げていたが建築にもそれは当てはまるだろう。例えば受容する側の心理的なコンテクストや建築自体の物理的コンテクストがあるズレを生むときその建築は現れてくるということである。そう考えると建築とはもしかすると建築自体よりもそうした形式(コンテクスト)をクリエイトすることなのかもしれないと思ったりもする。

夏に見る秋の雲(いわし雲)にふとズレを感じ『広告(建築)の誕生』を思い起こした。http://ofda.jp/sakaushi/diary/

August 10, 2015

新たなメディアは可能か?

150810jyuria.jpgトマ・ピケティの妻であるジュリア・ガジェの著した『なぜネット社会ほど権力の暴走を招くのか』山本知子+相川千尋訳 徳間書店2015はフランスで出版と同時に10誌以上でとりあげられ、10番組で著者インタビューされた注目の書だそうだ。しかし内容はいたって当たり前のことが書かれている。
世界の新聞は財閥に買収されもはや記事の中立性が担保されづらい状況にある。そして新聞広告収入が激減し、新聞はネットにとって代わられる。そこに新たなニュースメディアができるべきでそれは株式会社と財団の融合したような形をとり単独オウナーの言いなりにならない仕組みが必要だと主張する。
日本のジャーナリズムはフランスなどに比べれば巨大資本に買収されたりはしないものの、広告主と政府の言いなりになりもはやその中立性が瓦解している。そんな時に我々は我々のメディアをもつべきだとつくづく思うのである。そんな時この本は多くのヒントを与えてくれる。

August 9, 2015

異質なものの共在としてのシェア

%E5%86%99%E7%9C%9F-23.JPG編集者の飯尾次郎さん出原日向子さんが最近企画編集した本をいただいた。『「シェア」の思想/または愛と制度と空間の関係』LIXIL出版2015。編集協力している門脇さんの前書きと、巻頭の西沢大良さんのインタビューと橋本健史さんのエッセイと千葉雅也さんのインタビューを読んだ。
門脇さんの前書きは分かりやすく、近代は世界を分業化した時代でそうやってばらばらになったものをポスト近代は縫合する時代なのでシェアという概念が生まれてきたとすると解説している。なるほど、こう言われるとよく分かるが、昨今のいわゆるシェア・ハウスのような人々が何かを共有するという風潮の説明にはなっていない。その昔日建設計で「共有する価値観」というプロジェクトがありそのまとめ役をやらされほとほとまいった。そんなものありゃしない。あったら80年代という時代が成立しない。そしてその後もまあ難しいし必要もない。と思ってきた。先日バルセロナでパブリックネスを議論する冒頭、司会のオルガはパブリックネスとコミューナルは異なると力説していた。もちろんコミューナルは現代には暑苦しいという意味合いである(と僕は理解した)。
コミューナルな意味合いでのシェアには可能性を感じないと千葉雅也は述べている。むしろ異質なものが同じ場所に共立することの意味と可能性を問うべきであると言う。それなら僕も大賛成である。数十年前の問いも共有する価値観ではなく、異質なものの共在という問いにすれば良かったのである。

格差を変える気はないのか?

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三浦展『格差固定—下流社会10年後調査から見える実態』光文社2015を読むと上位1割の層が6割の資産を持ち下位5割の層が4%の資産しか持てない状況にまで来ていることに驚く。少し前までは一億総中流だった国が今では格差が最も激しいアメリカ(トップ1割の資産保有は全体の8割)に次ぐ国になっているhttp://www.huffingtonpost.jp/2014/05/03/super-rich_n_5260898.html加えて著者の紹介する統計が伝えるところはいかに金持ちほど選挙に行き自民党に入れて貧困層ほど選挙に行かないかということである。これではますます格差は拡大するばかりではなかろうか?今回の安保法案への反応を見ていると自体は少々変わるかもしれないという期待もあるがさてどうなるだろうか?

August 8, 2015

アルゼンチンでのWSのテーマは THE EDGE

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国連の統計では現在世界に10億人のスラム居住者がいてこれは世界人口の3分の1である。http://www.unic.or.jp/activities/economic_social_development/social_development/human_settlements/
もちろん日本では起こっていないことではあるが、建築家として真剣に考えるべき問題と思っている。
リオデジャナネイロでもグアテマラシティでもメキシコシティでももちろんブエノスアイレスでも僕の訪れた中米、南米の国でスラムが見えなかった街はない。一体こんな自然発生的とも言える巨大な貧困地帯に建築家は何をできるのか?そこではおそらくクリアランスなんていう発想では何も改善されず丁寧な繊維の縫合のような作業が求められるのである。そしてこういう経験が実は日本においても既存の都市の繊維を丁寧に繕うこれからの新しい街のデザインをする基礎となる。ゆえにこの経験を学生にさせたいのである。

August 7, 2015

マスターアーキテクトの仕事

150806yashio%E5%86%99%E7%9C%9F-19.jpg埼玉県の八潮市でマスターアーキテクトなる仕事をしている。市長直属の非常勤アドバイザーであり、ある規模以上の開発に対して助言するのが仕事である。今日は4万平米近いマンション開発への提言を求められた。今までは工場や商業施設でマンションは初めてである。こうやって年に1〜2回呼ばれてそうした開発を見ると街がこういう風に地表面を失っていくのだなということを痛感する。暑い日だからなおそう思うのだろうが、こうやって地表面が失われると気温がまた一度上がるのではと不安になる。
マンション開発の図面を見ると、まあ見事に経済原理でできているのに呆然とする。大学の設計製図だったらさあここからデザインしましょうというヴォリュームスタディの段階で設計が終わっている。これに対して提言することはもはや不可能である。こうなる前に提言の機会が与えられなければ意味がないのだろうと思う一方、そうなるとそれはもはや設計行為なのであり設計を受託しないとできないことでもあると感ずる。なんともジレンマである。
そうなると助言できることは地表面を残しましょう。ということくらいであるがそれも地上は平置きの駐車場によってアスファルト化されている。せめて屋上緑化できないものだろうかと提言する。大きな会社が大きな開発をするのだからその程度の環境への貢献をしても良いと思うのだが。帰り際、われわれが少々お手伝いした駅前公園で休みながら、駅前に地表面を残したこのプロジェクトの意義はあると再認識。

全学年合同講評会

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理科大二部全学年合同講評会。2年生から4年生までの前期の優秀案をプレゼンしてもらい非常勤、常勤全員で評価する。毎年のことだが今年も一番評価の高かったのは2年生。なぜだろうね?

August 5, 2015

カトリカ大学のレクチャーシリーズ

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9月にアルゼンチンパレルモ大学でワークショップを行った後、サンチアゴに行きカトリカ大学でレクチャーを行うのだがそのポスターが来て驚いた。このポスターはレクチャーシリーズなのだが8月から12月までの講演者が記されているのだが、その数に驚く。隔月10名前後いる。ということは3日ひとり外部講演者がやってきて講演するということである。そんなレクチャーシリーズ聞いたことない。

August 4, 2015

千葉の現場

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千葉の現場はやっと外装が終わり内装が目下進行中。外装はグレーに染められたレッドシダー。4回塗ってかなり染まった。軒天もケラバも同材である。傾斜地のはね出しはRCスラブ。テラスも同様である。

August 3, 2015

同じアイデアを鍛える

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藤木忠善『ル・コルビュジエの国立西洋美術館』p17
理科大建築学科の教科書を工学部、理工学部全員で作っている。作り方はなかなか面白く、西洋美術館を題材に様々な側面から具体的なコルビュジエの手法を追いながら、一方で一般論も記す。それを設計の始まりから工事の終わりまで書くのである。私の担当は配置計画なのでしばらくはお勉強。藤木先生の書かれた『ル・コルビュジエの国立西洋美術館』鹿島出版会2011を読んでいてアーメダバード1958の美術館とチャンディガール1968の美術館は西美の相似形。加えてアーメダバードはスパンまで同じ6.35mである。同じアイデアを使い込んでいる!!

August 2, 2015

成長して生きながらえる家

%EF%BC%91%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%98%EF%BC%90%EF%BC%92P1030728.jpg安田幸一さんが林さんの自邸を引き取られてから2年ほどたつ。最初はぼろぼろだったそうだが、内装や設備を全面改修して新たに生き返って住まわれている。前から見せてくださいとお願いしていて本日その願いが叶う。実は日建時代に何度かお招きいただきお食事をご馳走して頂いたりしたことはあるが、さすがに上司の家(中高大の先輩でもあるが)だから入るのを遠慮した場所もあるし、聞きたくても聞けないこともあったのだが今日は安田さんにいろいろ質問させていただき、4年にわたるスケッチの束も見せていただけ、いろいろな発見があった。この建物の一番の特徴はやはり増築のなかで生まれた空間の妙である。建物が成長するとはこういうことを言うのだろう。

ますますのご活躍を

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坂本研究室のOBが集まり72歳の誕生日を先生の設計した大岡山の建物で祝った。この暑い中70名近くが集まった。大学を退いてからの坂本先生の仕事ぶりには驚くべきものがある。10近いプロジェクトが進行中。現場あり、実施あり、基本あり、加えて展覧会が進行中。そしてこの11月には上海で巨大展覧会が行われる。健康に留意してさらなるご活躍を。