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子の心親知らず

日本を留守にしている間に安保法案が可決された。これは様々な思惑の絡み合いのなかで生まれたのだろうが、アメリカの防衛戦略の餌食にされたと僕には見える。まるでラテンアメリカでおこったキューバ包囲網と同じである。戦後ラテンアメリカではキューバ包囲網をしくためにアメリカの諜報活動と支援がほぼすべての国に軍事政権を作り、反対勢力を強制収容所に放り込んだ。その結果おそらく相当の人が拷問、虐待そして何処かへ葬られた。そんな恐るべきことを仕組んだアメリカは憎い。
 サンチアゴからヒューストンまで来た。ここまでくると言葉の問題もあるが少しリラックスする。それはかって知ったる場所だということもあるが僕がアメリカと親和性を持っているからだと思う。アメリカの国民性が嫌いではない。憎いアメリカと好きなアメリカが同居している。この感覚はなんだろう?
 当たり前なのだがここでいう憎いアメリカはアメリカ政府あるいはその中でも一握りの政治ゲームの判断をしている人々のことである。言えばビッグアメリカファミリーの一握りのお父さんお母さんたちなのである。彼らの子供あるにその罪の原因はない。彼らはその罪を忘れていいわけではないが、その罪を責められる立場にはないだろう。つまり僕の同居している感情とは子は好きだが親は憎いということである。
今の日本でも同じようなことが起こっている。一握りの政治家の判断が民主主義というシステムをくぐり抜けことを前に進めている。子の心親知らずである。
帰国の飛行機で見たビリギャルという映画はビリっかすのギャルが頑張って慶応大学に入学するという実話をもとにしたものだった。そのなかで父親はそんな娘の努力を気にもかけず、相手にもせず、鼻から無理と決め込み子の心をへし折っていた。子の心親知らずである。しかし最終的に父親は自らの非を認め。この気持ちを分かち合った。家族で起こることが拡大して国家規模でも同じことが起こっている日米の親たちが映画のように子の心を分かち合うことを切に望む。

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