« June 2015 | メイン | August 2015 »

July 31, 2015

日本は豊かなのだろうか?

海外出張から帰るといつものことだがたまった書類や、送られた書籍や、対応できていなかったメールなどに目を通す。これに結構時間が掛かる。加えて今日は大学院の一般入試一日目で答案の採点をする。今日一日で今日やろうと思ったことの9割は終わったのだがやり残しはある。重いものなので時差ぼけ頭ではうまくできそうもなく明日に回す。
バルセロナでは教師たちは(いや全ての人々は)7月で仕事は終わり、8月はバカンスだそうだ。少なくとも2週間。長ければ1ヶ月。日本に帰ったら休日かと聞かれていやいややることが山ほど待っていると言うとそれは可哀想にと哀れまれた。
不思議なもので、仕事がない、不景気だと言ってもバカンスはしっかりあるし忙しかろうが暇であろうが仕事は夕方で終わる。下手をすれば遅いランチで終わるスタッフもいる。これはバルセロナに特別なことではない。北欧に行ったら法律で働く時間の上限が決められている。
日本は豊かな国なのだろうかと改めて思う。給与は世界水準から見れば平均的なのだろうが、格差は統計を見ても明らかに広がりつつある。それを獲得するために皆終電まで働く。若いサラリーマンに自分の時間などまずない。教育費は恐ろしく高いし、食材も高い、住宅費もバブルがはじけて土地代が下がったとはいえやはり高い。それを払うと給与は残らない。一見経済的に豊かに見えるこの国の実態は必ずしもGDPなどの数字に表れたものを反映していない。
こんな国に誰がしたといえば民主主義国家なのだから皆の責任である。であるならば人々はそのことを主張して為政者に間違った金の使い方をさせてはいけないのだろう。生活の貧しさを改善するべく行動させるのが国民としての我々の義務である。
ヨーロッパでは教育は国が行うものであり限りなく無償に近い。住宅は現在バルセロナ新市長は若い人のために数千戸の住宅供給をすることを宣言したという。食材は日本の半分以下。オリンピックに防衛に使う金は最小限にして、教育、住宅、農業を真剣に考えたらどうなのか???海外に行くたびに思うことである。来月ブエノスアイレスから同じ気持ちで帰ってくると思うとあの間抜けな為政者たちにはほとほと嫌気がさす。

July 30, 2015

松永さんのリノベ本

%E5%86%99%E7%9C%9F-15%20%281%29.jpg
帰国、帰宅すると頼んでいた数冊の本とともに松永安光さんから『リノベーションの新潮流』学芸出版社2015が送られていた。バルセロナにいた時にIAAC(International Architectural Association of Catalunya) が工場をリノベしたもので印象的でFBに載せた。するとそのことを本に書いたと松永さんからコメントいただき、加えて丁寧にご本をお送りいただくこととなった。時差ぼけでまだ頭がふらふらするので垣間見ただけだが、世界のリノベーション事例がアメリカ、西、東、ヨーロッパも北から南まで掲載されその幅の広さに驚く。いやあこれは時間がかかるお仕事だと思ったら、10年の蓄積であることが冒頭書かれていて腑に落ちた。リノベ事例集としては小林克広さんの2巻とともに必携の書であろう。

July 29, 2015

バルセロナで思う

I150730%20MG_5581.jpg
バルセロナ最後の夜はエンリックと二人で食事をしながら様々な話をした。男二人で6時間もいただろうか。彼は今書いている博士論文を仕上げたらもうこれ以上人のことについて書くことはしないと言っていた。彼曰くTakuは既にArchitecture as Frameという自分なりの建築に対する主張を明確にしているが、自分は未だそこに至っていない。だからドクターをとって自分の建築を考えるスタート地点にたつのだという。
エンリックはそう言うが鈴木さんにはこう言われた。僕の『建築の規則』は分析の書であって建築家としての主張が書かれてはいない。それが今回のレクチャー「コネクションズ」では僕の主張が見られたし、加えてそれが内向きの建築の美学ではなく外に開かれたものであることに可能性を感じるとありがたい言葉をいただいた。しかしまだ主張が弱いのでそれらをもう少し良く考えて本にするといいとアドバイスされた。
こんな話もした。今回のBOSUのテーマはパグリックネスであるし、我々が建築の社会性を議論しなければならないのはもちろんその通りなのだが、建築は単なる社会からの要請だけでできるものではない。と僕が主張すると、そうだけれど、、、ヨーロッパではほとんどの建築は公共性を持っておりそれらはほとんどコンペでとる。だから建築である前に公共であらざるを得ないのだと。公共建築だからと言ってそれが公共を満たせば建築になるとは思わないと僕が言うとそうだなと頷いていた。
来年のワークショップをやる時までにアーキテクチャーアズフレームのヴァージョンアップをして新たなモノグラフを作りたい。それが鈴木さんやエンリクへの答えになるモノだと思う。そのタイトルは何なのだろうか?

エンリックの博士論文学外審査

%EF%BC%91%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%97%EF%BC%92%EF%BC%98%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%AFIMG_5579.jpg
昼にバルセロナ駐在日本総領事牧内さんにランチに招待いただいた。ガウディの弟子が設計した20世紀初頭の建物で子羊の肉を食べた。いつもタパスをシェアしていたのでこういう料理もあるのだと改めてスペイン料理の幅の広さを知る。来年来るときは公邸に招待するのであらかじめご連絡下さいと言われた。とても建築に理解があるのでありがたい。
午後はエンリックの事務所でエンリックの博士論文を見せてもらい説明してもらう。こちらでも博士論文の審査は5人で行い二人は学外審査員が必要とのことで私がその役を担うことになった。論文ができたら送られてきてそれにコメント書けば良いと思っていたのだが、そうではなくて5人の審査委員が一堂に会して20分程度のコメントを述べるのだそうだ。天内くんの博士論文審査のときと同様である。つまり審査日にバルセロナにこなければならない。UPC(
カタルーニャ工科大学)の博士論文審査が垣間見れるいいチャンスである。
ぼくとしては論文たるもののコンポジションや論証性のcriteriaは大学ごとにあるいは国の文化コンテクストで異なるだろうからそれにコメントしたくない。もし事実に反することが書かれていればコメントすると申し上げた。それにしても審査日は11月末か12月末ということですぐである。スケジュール調整が可能だろうか??
エンリク事務所で働く宮前を確認してエンリクと夕食。丘の上から夕日に輝くバルセロナを見ながら。改めてこの地の魅力にしびれる。総領事も言っていたが、スペイン語圏でもっとも住みやすく、食事が美味く、楽しく、安全なのがバルセロナなのだと。

July 28, 2015

ジョセップの住宅

150726P1030697.jpg
バルセロナ在住の建築家小塙さんとお会いする。彼は僕のスタッフだった中島君と芸大の同級生で彼は UPCに留学して磯崎事務所、RCRで働きそのままこちらで事務所を開いて活躍中。RCRの展覧会。彼が担当した図書館、ヌーベルのリノベーション、伊東さん、RCR、ヌーベルのホテルなどを案内いただいた。その後彼の友人でもあり、バルセロナの若い世代の注目のアーキテクトジョセップの事務所に行き事務所を案内いただき、彼の設計したサンクガットの住宅を見せてもらった。歴史地区でファサドト屋根は触ってはいけない中で、中にコンクリートブロックと木で4階建ての家を作り上げている。内側の家に穴を開けて既存の古い壁を見せているのはヨーロッパらしいレトリック。内外に違う世界を作り上げていて印象出来だった。
彼とは共通のアルゼンチン建築家がいるのに驚き、さらに9月にアルゼンチンに教えてにくるという偶然も重なり、2ヶ月後の再会を誓う。
http://ofda.jp/sakaushi/diary/

July 27, 2015

パブリックスペース

150726socialP1030560.jpg
150724beachP1030578.jpg

エンリック、オルガ、学生たちとバルセロナのパブリックスペース視察。民参加型の公園。川沿いの緑地を保護しサイクリングロードを作るプロジェクト。60年代後半のソーシャルハウジングがパブリックスペースを挿入することで生き返ったプロジェクト。こんな場所は連れて来てもらわないとそう簡単に見られるものではない。バルセロナ町の成り立ちを別の角度から知る。最後はパブリックプレースとしてのビーチで遅いランチをとる。

July 26, 2015

ベンヤミン自殺の地

150725brnyaminP1030363.jpg

スペイン在住の建築家で付属の先輩である鈴木Yuichiさんにベンヤミン自殺の地Portbouに案内していただいた。ベンヤミンがナチスに追われ、フランコ支配するスペインに入国するのを断念して自殺した場所。ダニ・カラヴァンの海に吸いこまれるようなメモリアルスカルプチャーがある。静かな海に降りていく階段の先にはガラスがはまりさらにその先に階段は続く。そこには打ち上げられた貝殻、木片、砂が散乱する。近くに墓地がありベンヤミンの遺体はそこに5年間置かれていたとのこと。

July 25, 2015

コネクションズ

P1030296.jpgカタルーニャ建築家協会で講演をさせていただいた。広い会場はバカンスの割には多くの人が来てくれてありがたい。今回はフレームとしての建築から一歩進んめてConnectionsというタイトルで話をした。自分の建築は人と人、人と物、物と物をつなぐ何かになっているのだろという事後的な観察を言葉にした物である。公共性というラウンドテーブルのテーマと関連する建築コンセプトになっているのは偶然というか、結局違う言葉だけれど同じようなことを考えて来たということなのだと思う。

July 24, 2015

総領事長と夕食

%EF%BC%91%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%97%EF%BC%92%EF%BC%92%E5%86%99%E7%9C%9F-14.jpg日本のセルバンテスインティテュート(スペイン語圏の文化会館)は麹町にある。そこの官庁であるアントニオとは4年越しの付き合いだが、そのアントニオの友人であるフェルナンデス・テゥロの息子は建築を学び日本のインターンシップの口添えをしてからフェルナンドとはさらに親しくなった。たまさか息子が私のバルセロナでのレクチャーの話を聞きバルセロナにいるならぜひ父とお会いして欲しいとのメールをいただき、夕食をご一緒した。海沿いの素敵なヨットクラブに招かれ、日本の総領事長である牧村さんを紹介された。総領事長は実に気さくなかたでレクチャーにも来てくれるとのことでした。ありがたや。

July 23, 2015

公共性をめぐるラウンドテーブル

150722%E5%86%99%E7%9C%9F-14.jpg
150722P1030196.jpg

エンリックとは日本のワークショップから公共性の話をし続けている。僕自身はその前からアルゼンチン、日本のワークショップ、シンポジウムを通してその問題を議論してきており、その延長でまたここバルセロナで公共性の議論をすることとなった。タイトルはPlaces VS Scenario。
議論はPublicとは何かという話からスタートしたのだが、いつしか住民参加型の建築とは何かにずれ、さらにネット時代の現在において、参加型のデザインは今までのようなワークショップが方法ならそれはもう古いというというところまで発展していった。社会学者も交えた議論は建築家とはまた少し違う場所に議論が進みそれはそれで面白いとことである。
久しぶりに英語のディスカッションだし、周りは全部スペイン人というディベートはなかなか土俵が違うので難しいものである。参加者は下記のような人たち。
Areti Markopoulou, IAAC Academic Director
Silvia Brandi, IAAC Academic Coordinator
Olga Sezneva, urban sociologist (University of Amsterdam, European University Saint Peyersburg)
Taku Sakaushi, architect (Tokyo University of Science)
Zaida Muxí, architect (Barcelona TECH)
Francesc Muñoz, geographer (Autonomous University of Barcelona)
Enric Masdop-Bosch, architect ( Barcelona TECH)

July 22, 2015

IAACの戦略

160721%E5%86%99%E7%9C%9F-13.jpg
IAAC(International Advanced Architecture of Catalunya) では1階のギャラリーに学生作品がところ狭しと並んでいる。コンピューテーショなるなものが多いのはよくある話として、重要なのはそれを実際に制作する(家具とかプロダクトとか)ところを重視している。さらにそれらを場合によっては起業して売るところまでやる。経済が悪化していたスペインにおいて、建築家の職能を拡張して生き残る戦術でもあるのだとダイレクターのArtei Marcopoulouは説明してくれた。

IAACはバルセロナAAあるいはSCIARC

%E5%86%99%E7%9C%9F-10%EF%BC%91%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%97%EF%BC%92%EF%BC%91IAAC.jpg今回ラウンドテーブルを行うIAAC(Internationar Advanced Architecture of Catalunya)を訪ねる。2000年に発足されたこのプライベートスクールはAAやSCIARCのようでもあり、あるいはMITのメディアラボのようでもある。コンピューターを駆使し、建築の表現から製作まで一貫して教育する。また在学中に起業したり、すでに起業した入学生も多い。ようは新しい時代のニーズを感じながら、建築という職能自体も拡張しようと考えいている。場所はバルセロナの中心からやや東で工場をリノベした空間。カタルーニャ工科大学と密接な関係を持ちながら斬新な教育をしているのがよくわかった。学生は世界20ヶ国から集まりスペイン人は年に3人くらいしか入らない。教師も同様でアカデミックダイレクターのArtei Marcopoulou はギリシア人だし、みなが流暢な英語を話す。これからどのような関係を持ちますかと聞かれしばし考える。
http://ofda.jp/sakaushi/diary/

July 21, 2015

web_150.jpg
明後日23日19時からバルセロナ カタルーニャ建築家協会でお話をします。今回はフレームとしての建築を考えてから5年、自らのやっていることを事後的に観察してその後の変化をコネクションズという言葉にしました。先日いただいたInternational Architecture Award2015のPine Galleryを中心にここ10年くらいの建物を紹介しながら建築が人と人、人と物、物と物に繋がりの場を作るということをお話します。お近くに来られる方がいましたらぜひおいでください。

Connections

Kazuo Shinohara as he designed Fissure Space wrote that although Fissure Space looks disconnects spaces on both sides they arouse connection between those spaces. That`s true indeed. It is normally thought that continuity between two points should be stronger with nothing in between than with something. If there is something it breaks the continuity.
But is that true? Although physically it seems true psychologically it is not always true. It could be said that something between two spaces sometimes could work as the device which connects them.
Isn`t architecture something that attains this kind of connection?
Isn`t it the main role of architecture to connect people and people, people and things and things and things?

https://www.arquitectes.cat/ca/conferencia-taku-sakaushi-coac

明後日バルセロナでお話します

web_150.jpg
明後日23日19時からバルセロナ カタルーニャ建築家協会でお話をします。今回はフレームとしての建築を考えてから5年、自らのやっていることを事後的に観察してその後の変化をコネクションズという言葉にしました。先日いただいたInternational Architecture Award2015のPine Galleryを中心にここ10年くらいの建物を紹介しながら建築が人と人、人と物、物と物に繋がりの場を作るということをお話します。お近くに来られる方がいましたらぜひおいでください。

Connections

Kazuo Shinohara as he designed Fissure Space wrote that although Fissure Space looks disconnects spaces on both sides they arouse connection between those spaces. That`s true indeed. It is normally thought that continuity between two points should be stronger with nothing in between than with something. If there is something it breaks the continuity.
But is that true? Although physically it seems true psychologically it is not always true. It could be said that something between two spaces sometimes could work as the device which connects them.
Isn`t architecture something that attains this kind of connection?
Isn`t it the main role of architecture to connect people and people, people and things and things and things?

https://www.arquitectes.cat/ca/conferencia-taku-sakaushi-coac

ミラーレス

%EF%BC%91%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%97%EF%BC%91%EF%BC%98%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%B9P1030152.jpg

バルセロナ近郊エンリック・ミラーレスがデザインした墓地がある。昨日エンリックにモンジュイックの墓地に連れて行ってもらい壁に作る墓地というものを見せてもらったが、ミラーレスの墓地もそのスタイルである。打ち放しを多用し部分的には石も使い、抽象を具象を使い分ける彼の手法はここにも生きていた。

July 20, 2015

建築の世界化を引き起こすものは?

150718P1030086.jpgエンリクと建築のグローバライゼーションとローカライゼーションの話をしていて鋭い指摘を受けた。僕のストーリーはローマから始まる帝国の歴史はグローバライゼーションの始まりで、そしてモダニズムの時代に次のグローバライゼーションが来るという話に対して、彼はその間にもゴシックスタイル、パラデイオニズム、ネオクラシシズムは立派なグローバライゼーション的なものであり、それに対してロマンチシズムはローカライゼーションと位置付けられると言う。なるほどこれらは立派に文化の世界的(といえば言い過ぎだが)伝播である。だから僕のストーリーには条件をつけておかねばなるまい。すなわち、柄谷が言うところの世界システムである「帝国」、あるいは「経済」を基盤としたグローバライゼーションと歩調を合わせた建築の世界化である。ではそこに差があるのだろうか?うーん地理的な範囲を比べるなら、世界システムを背景に持つ方がその範囲が広くかつ正確に伝わっているという気がするが、気がするとしか言えない。もう少し考えてみよう。
今日見たセルトがまだバルセロナにいた頃のコルビュジエそっくりのモダニズムを見ると人のつながりも国境を越えるとても大きな要素であるし、、

July 19, 2015

PORRO

%E5%86%99%E7%9C%9F-9%EF%BC%91%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%97%EF%BC%91%EF%BC%98%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B5.jpg7時にバルセロナ。エンリクが迎えに来てくれた。土曜日に恐縮である。ホテルでシャワーを浴び、彼とゴシック地区を歩く。ローマの遺跡が所々残るのだが、前来た時はどれがそうなのかは知らなかった。今日レクチャーを聞き改めてその古さに驚く。イベリア半島は全てローマだったのだが、一体彼らはどこまで自国のスタイルで作ったのだろうか?もちろんぱっと見ではローマンアーチもありそう見えるのだが、それは厳格にそうだったのだろうか?興味深い。バールで一杯。彼の上海の展覧会、ドクターロン論文、来週のシンポジウムなどの話をしてから海沿いの居酒屋で夕食。カタルーニャ流のワインを飲む道具PORROに驚く。これはデカンタではなくこの道具を高く掲げて口に注ぎこむのである。

July 18, 2015

公共性の様々な側面

%E5%86%99%E7%9C%9F-8150718%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%B9.jpg昨日の4年生の製図の打ち上の紹興酒が少し残っているのを走って流し、7時頃家を出て成田へ。非常口前の席がネットでとれていたのだが、ウィンドウサイドはドアの厚みで圧迫感。機内で最近よく名を聞く篠原雅武『全—生活論—転形期の公共空間』2012以文社を読む。タイトルの通り「生活」を考察の対象とする本である。現代人の生活は快適なようで様々に失調している。そして何よりも問題なのはそうした失調を我々は見て見ぬ振りをするところにあるという。それは見るのが怖いというのと同時にそれを回避する様々な装置が備わっているからである。世の中に溢れる便利グッズやITグッズはその最たるものである。そしてそうした回避は往往にして私的空間で安楽を求めて起こる。それが公共性への無関心をも促進する。そうして公共空間は縮減して包容力を失う。この悪循環が生活をますます狂わしていくと著者は言いたげである。
バルセロナでは公共性をめぐるシンポジウムを行うが公共性問題は様々な位相に展開している。ことを再任する。その中でフィジカルな枠組みがどこまで何をどう変えられるかを考えないといけない。

July 17, 2015

%E5%86%99%E7%9C%9F-150718%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%A2.jpg
ウリオール・ブイガス稲川直樹 訳『モデルニスモ建築』みすず書房(1983)2011はモデルニスモを学ぶ基本書と友に言われ斜め読みしているが、なるほどわかりやすい。ガウディで有名なカタルーニャのモデルニスモ建築はヨーロッパで起こる新しい波とある同調をしているわけだが、カルーニャのそれは質量ともにその充実度が高いようである。しかし何故にここまで奇想となったのだろう??その説明はおそらく後半。飛行機で続きを読もう。
それにしても著者はあのバルセロナをここまで素晴らしい街にした都市計画局長だったボヒガスなんだ。設計やって、都市計画して、これだけ大部の書も書く。すごいなあ。

アルゴリズミックストラクチャースタジオ

%EF%BC%91%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%97%EF%BC%91%EF%BC%96%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%99%A2%E5%86%99%E7%9C%9F-5.jpg
夜大学院製図の講評会。竹中さんと小西さんのアルゴリズミックストラクチャースタジオ。中間発表から大きく前進したものと、似たり寄ったりものも。建築につながりそうなものと、習作段階のもの。だいぶ差が出た感じであるがこういう発想で建築を作る可能性を感じるものだった。

July 15, 2015

怒る


%E5%86%99%E7%9C%9F-3%EF%BC%91%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%97%EF%BC%95%EF%BC%91%E5%A4%A7%E9%87%8E.jpg
%E5%86%99%E7%9C%9F-4%EF%BC%91%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%97%EF%BC%91%EF%BC%95%E5%9B%BD%E4%BC%9A.jpg
今の事務所をそろそろ出ざるを得なくなりそうな時に、近くにいい場所が見つかった。以前から存じ上げていたOさんが場所を貸してくれそうである。ありがたい。現地を少々見学。今日の暑さだが、半分土に埋まったこのスペースは冷んやりとしていた。夜は国会へ。卒制が国会議事堂の改築だったのを思い出す。若者が多数いたのが頼もしい。かたや老人も多い。この多様な人々を見ると党派性のない素朴な疑問と怒りが感じられる。声を張り上げたら気分がスッキリ。

July 14, 2015

百日紅

%EF%BC%91%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%97%EF%BC%91%E7%99%BE%E6%97%A5%E7%B4%85.jpg我が家の猫の額ほどのバルコニーのプランターに引っ越した時から、何本かの木を植えているのだが、元気に育った試しがない。かといって死んで枯れてしまうということもないのだが、瀕死状態というのが多い。あのどこにでも育つレッドロビンもこのプランターではまったく冴えなくてやはり瀕死。ついに諦めて先日小さな百日紅に植え替えた。百日紅といえば3メートルくらいのものしか見たことがなかったので40センチくらいの百日紅に驚き思わずその花も近くで見ることも初めて。接写してしまった。百日紅の花はきくらげのようであることを知った。

July 13, 2015

すごい編集者

150713%E6%9C%AC%E5%86%99%E7%9C%9F.JPG
土日が父母会でつぶれたせいかやることが溜まる。特に大変な作業は、現在執筆中の本の参考文献を一度ダンボール詰めする作業。これが100冊以上あり書斎の本棚に大体入っているはずなのだが数時間かけて出して並べると3分の1はない。事務所に10冊発見。残りはおそらく研究室。それにしてもなんでこんなことをしているかといえば、編集のIさんが僕の原稿の引用箇所の文章が正確かを校正するというのである。実にありがたいお話である。ここまでしてくれる編集者はいるものなのか?私が甘やかされているのか?彼が素晴らしいのか????

July 12, 2015

分類とは

150712%E5%88%86%E9%A1%9E%E5%86%99%E7%9C%9F.JPG
先日読んでいた分類学の本マニュエル・リマの『The book of trees』の翻訳者である日本の分類学者三中信宏の『分類思考の世界―なぜヒトは万物を種に分けるのか』講談社現代新書2015を読み終わる。新書と思って、たかをくくっていたが分類学の基礎を形而上学的に語る本で難解だった。建築を分類するうえで参考となる話しは2つ。
一つ目のポイントは分類思考が縦軸となる系時的な可変性を捉える系統樹的思考と横軸となる共時的な生物相を問題とする分類思考に別れるという指摘である。建築分類ににもこの両方の思考が可能であり、現代を切り取るとするならそれは「分類思考」になるわけである。 
二つ目のポイントは生物分類たるものそもそもは本質主義的に異なる種を類似度に従ってクラス分けするものだったが、現在では変化の物理的システムを明らかにするものだというわけである。ということは上記二つの分類思考においてはどちらかというと系統樹的思考が一歩前に出そうであるが、著者は双方が車の両輪だと述べている。
建築に置き換えてみると、変化のメカニズムを明快に語ることはおそらく不可能に近いだろう。それはあまりに多くの因子が絡んでおり、それを何かと特定することは生物のようには行くまい。そう考えると系統樹思考は緩い因果関係から推定することはできても証明することは難しい。一方で分類思考は生物では意味がなくても建築おいてはある時代のある状態を記述するものとして可能なのだと思う

July 11, 2015

ホテルは満室

150711unnamed.jpg
大学の父兄会を名古屋で行い、夜は静岡に移動して明日は静岡の父兄会。静岡に泊まったのは名古屋に宿が取れず空いているのはバカ高い部屋ばかり。事情を聞くと中国からの団体観光客でホテルが埋まっているとのこと。

Unite

%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88%E7%9D%80%E6%83%B3.jpg
来週末行くバルセロナではカタルーニャ建築家協会でレクチャーやシンポジウムをする予定。今朝は早く目が覚めてしまい、そのレクチャーの構想を練る。今おぼろげに生まれてきたアイデアは「ユナイト」。建築は「人と人」、「人と物」、「物と物」を一体化する装置あるいは場所。というもの。今までフレームとしての建築ということで「建築」よりも「建築外」のものが重要だと考えて「建築」はその「建築外」を切り取る「フレーム」だと言っていたが、どうも建築はもう少し積極的な意味を持っているはずだと思うようになってきた。もっとポジティブでもいいなと考えるようになった。

篠原一男が亀裂の空間を構想した時の文章を読むと亀裂の空間は両側の空間を非連続にするように見えて、実は両側の空間の連続性を強調すると言っている。それは確かにそうである。A,B二つの地点があったとしてその間には何もないほうがA,B間の連続性は高いと普通は思う。その間に物があればその連続性を邪魔するのだが、本当か?物理的にはそうかもしれないが、心理的にはその物があればこそ両側はその一体性を高めるとも言える。建築はそんな一体性を高める物としてあるのではないか?建築の様々なあり方がその双方の場あるいはその場にある人、物をユナイト(Unite)するのではないか??

July 10, 2015

ゲストの増田信吾さん面白い

150710%E5%A2%97%E7%94%B0%E5%86%99%E7%9C%9F.JPG
先月最終稿をメールし1ヶ月ぶりの出版打ち合わせ。ほぼこれで脱稿と言えるのだろうか?これからは15日おきに3章ずつ赤を入れて送るとのこと。そして来月は巻末に載せる対談を行い、10月末にレイアウトも校正も終えて12月出版。なんと引用文章のチェックを編集者がしてくれるという。そしてその引用図書を取りに来るというのだが、170冊ある。ええ本当ですか???一体ダンボール何箱になるのだろうか??
夜三年生の製図合評会。ゲストは増田信吾さん。ショートレクチャーが面白い。ちょっとしたことに気づく建築。

July 9, 2015

International Architecyture Award 2015 松ノ木のあるギャラリーが受賞

150709%20mito%E5%86%99%E7%9C%9F.JPG
gm05ns_F8G6615.jpg

昼ころ事務所に行くとChicago Athenaeum Museum of Architecture and Designから一通のエアメール。開けると一昨年水戸に設計した松ノ木のあるギャラリーがinternational architecture award2015を受賞したとの連絡と賞状。久しぶりに明るい知らせで元気がでる。世界中から60のプロジェクトが選ばれているのでまあ世界の作品選集というようなものでどれほどの価値が有るのかはわからないけれど、リーテム東京工場、中国工場、に続いて今回3度目の受賞である。どんな建築が賞をもらっているのかウェッブサイトを見るとなかなかの力作が多いので嬉しく思う。
https://chi-athenaeum.org/the-2015-awards/?page=5今後アメリカ、ヨーロッパで巡回展が行われるとのこと。

July 8, 2015

OOO オブジェクト指向存在論

%EF%BC%91%EF%BC%95%EF%BC%90%EF%BC%96%EF%BC%90%EF%BC%97%E3%81%B2h%E3%81%A8%E3%81%86%E5%86%99%E7%9C%9F.jpg
Log の2015年冬号がオブジェクト指向存在論OOOの特集だと言う。それを枕に日埜直彦さんが磯崎新にインタビューをしている。途中の議論は置いておいて最終的にOOOがカント以前(人間中心主義以前)を標榜する理由をビッグデーターにおいているという日埜氏の推論はなるほどなと思わせた。社会は人との関係だけで動いているのではなく、得体の知れない人みたいなもののうようよしているということである。

July 7, 2015

インフォグラフィクスのオリジン

%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A9150707%E5%86%99%E7%9C%9F.JPG
マニュエル・リマ 三中信宏訳『The book of trees 系統樹大全――知の世界を可視化するインフォグラフィックス』ピー・エヌ・エヌ新社2015の樹形図見てびっくり。樹形図は紀元前からある。その昔は聖書の解説、あるいは家系図、その後進化、分類に使われ、現代ではデーターのディレクトリーから統計データー表現まで、木は知のシンボル。およそ昨今沢山購入したインフォグラフィクスの実例のオリジンはほとんどここにあるように思う。その意味ではなかなか使える本ではないか?グラフィックデザイナーの中野豪雄さんも持っています!!分析ダイアグラムを描きあぐねている建築の学生諸君必読。

July 6, 2015

英語で考える

150706%20zemi%E5%86%99%E7%9C%9F.JPG
ゼミのパワポを英語で作ってきた学生がいてその理由を聞くと英語でないと考えがまとまらないとのこと。この彼はその昔ニューヨーク大学で経済を勉強しており、経済と建築を関連付けて考えたいので英語で考えたいとのこと。それでプレゼンは日本語なのだから面白い。英語で考えて日本語に翻訳して語る日本人。

July 5, 2015

オーストリアに習う

150705%E9%87%8C%E5%B1%B1%E5%86%99%E7%9C%9F.JPG
NHK広島取材班+藻谷浩介『里山資本主義―日本経済は「安心の原理」で働く』角川新書2013の中でオーストリアが一つの日本の未来モデルとして掲げられている。オーストリアは人口が日本の10分の1以下1000万に満たないがひとりあたりの名目GDPは日本が27位で3万6千ドルなのに対して13位5万1千ドルである。日本の1.5倍である。そんなオーストリは70年代に原発直下で自身の可能性が指摘され国民投票で核エネルギ―使用禁止の法律ができ、80年代のチェルノブイリで反原発が加速され、99年に新憲法が制定されその中に脱原発がうたわれた。なんと速やかな流れだろうか、そして原発に代わるエネルギーとして木質バイオマスが開発されている。
日本よりはるかに森林面積の少ないオーストリアでそれを可能にしているのは徹底した木材利用を励行しているからであり、石の街を木の街に作り替えているからでもあるようだ。では日本はそう簡単にオーストリアの真似ができるかといえば、セメントの原料である石灰石が自給でき、製鉄産業が力を持っている中で全ての建築を木造にしようとカジを切ることはまあ難しいし、すべてが木造になって欲しいとも思わない。しかし現状ではあまりに木造の可能性に法的な限定が強すぎる。この改善をして、そして木造資源を地域の自給エネルギーとして活用できるようにするべきと思う。
明日ウィーン工科大学から一時帰国している谷さんにお会いするのでこのあたりのことを聞いてみよう。

July 4, 2015

オルボー大学ピーターのレクチャーは刺激的

150704%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%BC%E5%86%99%E7%9C%9F.JPG
オルボー大学のピーター・マンダル・ハンセン准教授は毎年学生を50人近く連れて日本にやってきて、京都、広島、直島、金沢、東京を3週間で旅する。これを既に10年近くやっている。この学生ツアーは23万円だそうだ。安いといえば安いが毎年50人近く来られる学生の経済力もすごい。48人の内半分は母国に帰り、半分はあと3週間くらい日本を旅して帰るらしい。やっと解放されたピーターを理科大に来てもらってレクチャーをしてもらった。風邪気味で申し訳なかったが、話し始めたら饒舌。タイトルはデンマークの現代建築。BIGをはじめとるすOMA的な建築の連続。一応その新しいトレンドはpragmatic architecrueと呼ばれているが本当か?僕がpretending というと苦笑いしていた。デンマークの現代建築はかくのごとくオランダ建築に影響されている。ピーターにレクチャー後一体ノルディックアーキテクチャーとの連続性はどこにあるのかと聞くと、それは重要な問題。今度体調が良くなったらまた話そうと言われた。

しかし久々に形が舞う建築たちを見せてもらった。これはこれで刺激的である。

July 3, 2015

ピーター来日

peter_0704_lecture600.jpg
明日の夜大学間協定を結んだデンマークのオールボー大学のピーターマンデル教授が理科大に来てレクチャーをする。そのレクチャーサマリーをポスターに載せたく、だいぶ前に送って欲しい旨メールをしていたのだが、今朝送られてきた。うーん明日レクチャーというのに、遅すぎるとも言えるが、律儀とも言える。オールボー大学には去年の夏訪問してウッツォンの遺作のホールでレクチャーをさせていただき満員御礼だったのだが、さて明日はどうなるかちょっと心配である。
Contemporary Danish Architecture
The architecture of Denmark has throughout the 20th century been strongly grounded in the modernistic tradition combined with a special Nordic approach. However, in the past 10 years the Danish architectural scene has been challenged by the emergence of a number of architectural studios, led by younger architects who are been inspired by the new Dutch architecture. This “new wave” of Danish architecture is characterized by a pragmatic approach, a joy for the architectural design and use of strong concepts for the architecture.
The lecture will take its outset from this new departure for the contemporary Danish architecture and show some examples of the new wave in Danish architecture - with BIG, as the most internationally renowned architectural studio. The lecture will show current works by COBE, NORD and Transform, but also include examples of the Danish architecture outside the new wave, among others Lundgaard Tranberg, Henning Larsen Architects, 3XN and Dorte Mandrup Arkitekter.
デンマーク建築はノルティックの特徴的なモダニズムだったのがオランダ建築の影響を受けて大きく変わったという。そして話はやはりBIGに行くのだろうか????

July 2, 2015

憲法とは

image.jpg
橋爪大三郎『国家緊急権』NHKブックス2014。憲法の一番大事なことが書かれている。それは憲法とは政府が国民を律する規則なのではなく、国民が政府を律する規則であるということ。つまり主権者である国民が政府の暴走を防ぐものが憲法なのである。然るにその憲法の解釈を政府が主権者の了解なく変更することは言語道断である。多くの憲法学者がこれに異を唱えるのは当然である。

July 1, 2015

茨城町づくり

image.jpg
アジサイ祭り中の茨城町に研究室の学生15人でおじゃまする。廃校になる小学校の利活用計画技術指導の2年目最初の打ち合わせである。去年もこの時期訪れたが梅雨の中休みで快晴で暑かったが今年は雨。アジサイがしっとりと綺麗に咲いていた。去年までは廃校2校を対象に案を作っていたが、今年は1校に絞り、来年度予算から手当される地方創生の助成を獲得すべく検討する予定。