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April 30, 2007

農学部再視察

車2台で伊那の農学部キャンパス再視察。今日は天気もよく、まるでピクニックのようである。前回来たときはまだ図面だった新しい建物ができていた(ちょっとファサードがそっけない建てもとなっている)。この学部は日建のランドスケープ室長のm氏の出身学部であり、ちょっと前まではその恩師であるランドスケープの先生もいらっしゃったようである。そのせいか、それなりにきれいなキャンパスである。まるでゴルフ場のような入り口と別荘地のような建物配置である。真夏のような陽を浴びて気分はリゾートとなりリゾートキャンパスなるアイデアも囁かれた。
往復4時間の旅。東京から加えると今日は6時間近く交通機関に揺られていた。午後大学に戻り、雑用を終えたらもう9時である。

April 29, 2007

引越し

今日は実にいい天気である。親戚の引越しがありちょっと拝見しに行った。そこに娘もやってきて妻を含め4人で夕食と相成った。ダンボールがところ狭しと並ぶ中に置かれた小さなテーブルの上で近くのファーストフードで買ってきたチキンのフライとポテトを皆でつまんだ。なかなか美味しいではないか。夕食後娘と私はさっさと退散。久しぶりに娘と二人の会話が楽しい。連休も捨てたものではない。しかし明日がまた早い。起きられるかやや不安を背負いながら就寝。

歳#2

4月28日
今日はかみさんの誕生日である。僕より3日若い。しかし先日オフクロから聞いた話だと僕は一ヶ月早く生まれてきたようで普通に生まれていればかみさんの方が一ヶ月先輩ということになる。そういう話は聞く耳持たぬという顔のかみさんに「おめでとう年女」と言ったら黙殺された。
一日原稿を書き食後ビールを一本飲んで風呂に入ってベッドで高階秀爾『芸術のパトロンたち』岩波新書1997を読む。1401年フィレンツェ大聖堂に付属する洗礼堂入口のブロンズ扉のコンペがあった。高階によればこのドアは都市国家フィレンツェの国家としてのシンボルを決める国家事業だという。東京タワーがコンペに出るようなもの。と言えば言いすぎだろうがそれに近い。それに対して二人の人間が残る。フィリッポ・ブルネレスキとロレンツォ・ギベルティである。結局ギベルティ案が採用されるのだが、このコンペで目を見張るのは残った二人の年齢である。当時ブルネレスキ24歳、ギベルティ20歳である。参加者全員がこのくらいの歳だったわけではなく、並み居るベテランを抑え彼らが最終審査まで残ったようである。いかに当時のフィレンツェ市民が新たな芸術の風を取り入れたかったのかが伝わるし、それによってルネッサンス芸術が始まるのだろう。しかしそれにしても国家のシンボルをデザインするデザイナーにならんとしたブルネレスキの歳が私の半分。二回り下。親と子である。愕然とする、、、、、、、というのは自惚れか?

April 28, 2007

デザインとは

4月27日
ofdaから斉藤君が卒業することになった。伊藤君の仕事を3年半で4つ完成させた。これはアトリエ事務所の一担当者としてはかなり恵まれた仕事量である。rcの集合住宅、木造3階建て住宅、rc+鉄骨2階建て住宅、rcビルのリニューアル、建物の種類から、構造から、規模から、ヴァラエティに富んだ仕事である。がんばれ斉藤。
本日山田忠彰・小田部胤久『デザインのオントロギー』ナカニシヤ出版2007が届く。小田部氏の論考は興味深い。美学的思考にのけるデザインとモダンデザインの概念の乖離を古典の捉えなおしによって埋めていこうとするものである。そして論考の結論としてのデザインの定義はこうである。「デザインの力それは存在するところのもの=形あるものをいまだ存在しないもの=いまだ形をとっていないものの痕跡として将来からの、そして将来への断片として捉え返し、このようにして存在するところのもの=形あるものを変容させるところにある」かなり乱暴に言い換えると、デザインとは過去のハビトゥスの影響下で過去から引き継がなければならないものである一方、過去においては横に置かれていたようなものの中に未来の可能性を感じそれを引き伸ばしていく作業であるということである。

April 26, 2007

概念

夕刻奥山と鹿島出版会の川嶋さんが来所。某本の出版の企画打ち合わせ。とてもいい本が出来そうである。きっと売れる。打ち合わせ後、奥山と食事。川嶋さんは別の打ち合わせで神保町に行かれた。奥山と話をしていると昨今の大学生気質が良く分かる。東工大も母校ながら余り勉強していないと感ずる。読書量が少ない。いい気になって建築を感覚だけで作っているような感じだ。地道に勉強しないといつか駄目になる。その差はすぐに出るだろう。感覚力を支えるのは概念。長続きするものは思考に支えられるのである。

April 25, 2007

構成の規則

昼食後研究室で事務所との連絡に追われていると学生が入ってきた。気にせずメール画面に集中していると何やら一人ではなさそうな気配。どどっとたくさん入ってきた。何事か?来週のゼミはやめてくれというような談判でにでも来たかと思ったら birthday を祝いに来てくれたのであった。cakeは僕が最も好きなフルーツの盛り合わせタルト。いやいや忘れたい誕生日だが嬉しかった。ありがとう。
午後の製図を終わらせ、研究室で雑用を終わらせ帰宅。バスの中でツォニス&ルフェーブル『古典主義建築ーオーダーの詩学』鹿島出版会1997を読む。古典主義建築の構成の規則をタクシスとジェネラとシンメトリーの3点に絞ったツォニスの分析はとても明快である。この中でタクシスは「グリッド」と「3分割」という2つの類型に大別される。そしてこの3分割とはギリシアの芸術においては詩でも、音楽でも構成の基本だったと書いてある。うーんそうかもしれない。2分割だとバランスとりにくいが、3分割はとりやすいからだろう。つまりそこにはシンメトリーが働いているわけだ。

April 24, 2007

最近、近いものがよく見えない。縮版図面の寸法が見えない。先日友人とどのあたりから見えなくなるか競争をした。僕のほうが少し近くが見えるのでほっとした。しかしいつの日か眼鏡をぶら下げることとなろう。見たくない光景である。
三年間禁酒していたので酒に起因する病気の恐怖は無いつもりである。メタボリックも免れていると思うのだが、メタボリックは酒が原因とは限らない。甘党の僕にとって他人事ではない。やはり人間ドッグは受けるべきだろうか?申込書を前にしてしばし悩む。
酒をやめたことを免罪符に食生活がひどいとかみさんに注意された。そこで体質改善をめざし食生活を改め、ついでに、去年一時ジョギングをした。しかし本当に一時で終わってしまった。走るエネルギーをとっておかないと止まりそうだったからである。今年こそは少し運動をと思い、先週30分ジョギングをしたら3日間人並みの生活が出来なかった。
よく考えてみると明日は誕生日である。ブログに書いておいてなんだが、歳のことは忘れたい。しかし思い出させるような事態に日々遭遇する。

時間がない一日は何も書けない

3月23日
ワッ本当に時間がない一日。そういう場合次の日の朝時間が取れるものだが、そこも会議。そして24日の夕食を食べて少し一息。なんともはや。

April 23, 2007

渋沢敬三との縁

4月22日
『旅する巨人宮本常一と渋沢敬三』を読み終えた。久しぶりに「偉い人」に遭遇した感動が心に残った。渋沢敬三は日本の資本主義のドン渋沢栄一を祖父に持ち、生物学を志すも、父が廃嫡となり渋沢家を継ぐこととなった学問を愛する経済人である。彼は第一銀行の頭取から日銀の頭取を経て大蔵大臣になるも自ら愛した民族学の場を自営し、仕事の傍ら学問をこよなく愛した人物だった。そんな彼は戦争中、日銀総裁の身分でいながらひそかに職を失っていた大内兵衛に2千円という大金を渡し、ドイツのインフレーションについての報告書を書かせ、大内は無署名でその報告書を提出したそうだ。また彼は周囲の大反対を押し切って日銀調査部顧問として向坂逸郎を迎えた。マルクス経済学者の巨頭二人を日銀が活用するのは前代未聞。彼らの経済学者としての才能ゆえではあるが、渋沢の度量の大きさが伝わる話である。さてこの渋沢については私事だがもっとびっくりする話に出会った。渋沢の秘書兼執事として代々使えていた人間に杉本行雄という人がいる。彼は戦後青森の渋沢農場の原木伐採によって得た資金を元にして東北一の観光王との異名をとった人物である。最近のカーサブルータスの東北で泊まりたい宿にも載っていた古牧温泉のオーナーでもある。この東北の大金持ちは私の祖母が営んでいた東北の料亭の顧客であった。そして私が幼少のころ夏休みに過ごすこの料亭に頻繁に訪れその当時とんでもなく珍しいキャデラックに乗せてくれたおじさんだったのである。祖母の死に際してこのおじさんと私が弔辞を読んだ記憶がある。そのおじさんが渋沢家に仕えていた人物だったとは今の今まで知らなかった。そんな私が渋沢の卒業した学校で学んだというのもまた何かの縁を感じずにはいられない。

April 22, 2007

家族

4月22日
今日はA0の勉強会。ジェフリー・スコットの『ヒューマニズムの建築』の訳読み合わせである。二班に分れてわれわれはアカデミックの伝統という章を読んでいる。本日読み終えた。ウィトルウィウスの権威がルネサンス以降低下するあたりの話が面白い。図版の無い本だから時として何を言いたいのか読み取るのが難しい。夜は久しぶりに家族で食事。食後、親から郵便が届く。忙しさを癒す家族の存在を大事にせよとの言葉が最後に書かれていた。いやその通り。

April 20, 2007

日記

今週は週5日毎日どこかで授業をしていた。ふー。朝一の東大での講義は今週は受講者が少し減るだろうと思ったが、幸か不幸か前回より多い。熱心な学生がいるのは感心するがせっかく来て寝てるくらいなら家で寝てれば良いのにと思わなくも無い。まあそれでもそんな輩は数名なのでよしとしよう。事務所にとんぼ返り。エクスナレジのインタビューの約束だったが、インタビューは5月にライター連れてきてきちんとやるとかで今日はさわりの取材。えーまた時間とるの?一回で終わると思ったのだが。まあ5ページ使うということなのでしょうがないか。午後一で大学のI先生が来所して打ち合わせ。I先生も忙しい方で二人で予定を見ていたら今日東京でしか時間が合わないことが分かる。朝と夕の会議の間隙を縫ってお出でくださった。4時に某工務店来所。T邸最後の金額交渉。見通しは暗くないようである。

April 19, 2007

早稲田での都市論

午前中早稲田のオープンスクール「感性の問いの現在」なる講座でレクチャーを行なう。今年で3回目。今年はついに建築のネタが尽きたのでで都市について話す。題して「都市の感性」。都市を見る尺度として意味の濃淡。表と裏。視点の特別性と日常性。という観点から僕の世界中での体験をつなぎ合わせて披露した。都市は建築家は作れないので傍観者、というふりをしながら、一番最後に、でも建築を作る行為は都市へのコミットを余儀なくされると告白。そこで僕のスタンスはこうした2項対立を無効化することである。あるいはこの2項を架橋することであるということを実作をお見せして説明した。この2極は結局現代と過去、社会の趨勢と伝統、ニーズとノスタルジーというようなもののせめぎあいであり、僕はどちらに加担する気にもなれない。それがこうした態度になるのである。5-6人の学生から終わったあと熱心な質問や意見をいただいた。今どきの学生にしては熱い意見があったのが嬉しかった。

April 18, 2007

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世の中ではとんでもない悲惨な事件がおこっている。コミュニケーションとは人間の過信の産物なのだろうか?昨日のルイスの話を読みながらも思う。ネオコンの旗手の話を鵜呑みにはできないが、イスラムも硬い殻に何故閉じこもるのか?それをアメリカは何故こじ開けようとするのか?ルイスに疲れて、桜井啓子『日本のムスリム社会』ちくま新書2003をぺらぺら眺める。せめて日本の中では信じるものの差が争いの種にならぬことを願う。長野はやっと桜が満開。しかしそれも束の間、突然の寒波に雨。桜散る。東京の最高気温は10度。おー寒。

April 17, 2007

一日の断片

・装飾論の分析手法のアイデアが浮かんだ。ちょっと嬉しい。誰かやらないかあと期待する。メディア論も分析手法のアイデアは浮かぶが分析対象が浮かばない。・昨日でてきた工務店の見積もりがちょっと高い。どうしたものか?最後の微妙な判断が必要。クライアントと電話で相談。再交渉のための作戦を少し考えねば。・朝から途切れない仕事、仕事。ちょっと疲れた。寝る前の最後の少しの元気を振り絞ってバーナード・ルイス『イスラム世界は何故没落したか』日本評論社2003を読み始める。ネオコンの中東政策を支える歴史学者といわれるルイスによるこの本はイラク戦争の政治的マニフェストと言われるものだそうだ。だいぶ前にまとめて買ったイスラム関係の書の中の一冊である。

April 16, 2007

大橋晃朗の家具

私の知り合いに大量の爬虫類や亀をペットにしている人がいる。彼の家では亀のうち数匹が巨大化し今では座布団くらいの大きさになりとても家の中には置けなくなり庭に放し飼いにしているそうである。その上運動不足にならないように彼の母親は暇を見つけてはこの亀にリードをつけて散歩するそうである。場所は南青山。青学の裏。さすがに亀にリードをつけて街を散歩する人は世の中にそうたくさんはいない。彼女がその亀を連れて街を歩くと皆が振り返る。その上その亀は呼びかけると振り向くそうでこれにはすれ違う人も目を疑うようである。さてこの亀、もちろん散歩中は歩くとしても家にいるときは石のようにじっとしているそうである。このほとんど動かない石はある一時動くということでかろうじて生き物としてのアイデンティティを持っているのだがほとんどそれは庭石。室内においたら家具のようなものである。しかしこの亀はこの家族に無言の愛嬌を振りまき、和みを与えているのである。
長い前置きになったが大橋晃朗の家具の本を読んでいて僕はこの亀の話を思い出したのである。人間と社会の中での家具の概念を追求した初期のシリーズからもっと自由に人間の身振りを表現した大橋の家具は世の中の類型化された家具とは根本的に性質を異にするものである。ではそれが何なのか?しばし考えていたらこの知り合いの亀のことを思い出してしまったのである。この亀は用をなさない石のようなものなのかもしれない。しかし石といえども何がしかの生き物の根源的な属性を愛らしくそして豊かに喚起してくれるものなのである。きっと大橋の家具にもそうした豊かな喚起力があるのではなかろうかと写真を見ながら想像するのである。

April 15, 2007

アンチモダニストコルビュジエ

アレグサンダー・ツォニスの『ル・コルビュジエ機械とメタファの詩学』の残りを読みアンドレ・ヴォジャンスキーの『コルビュジエの手』白井秀和訳 中央公論美術出版2007を読んだ。あらためてコルビュジエが意識的に荒々しいコンクリートを打とうとしていたことを知る。荒々しいコンクリートはご存知の通り1954年にイギリスでブルータリズムと命名されるのだが、この命名はモダニズムで忘れ去られた質料性を浮上させた数少ない言葉として重要である。一方当の本人であるコルビュジエはこの荒々しいコンクリートを「しわ」とか「出産斑」という言葉で形容していたそうだ。建築の外皮を人間の外皮になぞらえたのは、僕が坂本一成の水無瀬の町屋のコンクリートを皮膚の病と言ったのが最初かと思っていたがコルビュジエに先を越されていた。それにしても、どちらの本にもこれでもかと言うほどコルビュジエのアンチモダニズム的な側面が描かれている。そりゃ今の時代に出す本だから勢いそうなるのだろうけれど。

April 14, 2007

原稿を考え

朝からいろいろな雑用を片付け。天気もよいがコルビュジエの原稿のテーマをいろいろ考える。アイデアを拾いに今日始まった藤森照信の展覧会に行く。オペラシティギャラリーはうちから10分だから便利。ちょっとした発見もあった。帰宅してアレクサンダー・ツォーニスの『ル・コルビュジエ』を読む。写真がとてもきれいな本である。

いろいろ

4月13日
今年は東大の文学部で数年おきに依頼されている特別講義を行う年。タイトルは『建築の規則』http://www.ofda.jp/t_lecture/index.html今日は初日。金曜の1コマめである。8時半スタートという小学校なみの時間を選んだのは他の仕事とのバッティングが少ないから。それから学生があまり来ないだろうから。本当はたくさんの人に聞いて欲しいのだが、学生が多いといっしょに建築見学に行けない。2004年の講義では学生を10人に絞ってガエハウスやhouse sa 連窓の家#2などを見た。さて今日ふたを開けてみると30人。この人数のままではいっしょの見学は厳しい。嬉しいやら悲しいやら。
昼行きつけのとんかつや鈴新に行くと「先日信州大学の学生さんが長野から来ましたよ」という。そういえばコラムに鈴新のことを写真入で載せたからそれを見た人なのかもしれない。事務所に戻り来週の早稲田でのレクチャー「都市の感性」のイントロ部分のパワポを作る。夕刻事務所での最近の設計終了物件や竣工物件などの報告会。みなプロジェクターの大画面に映し出し担当者が説明をする。全部で5~6件あり一人10分くらいの駆け足発表である。ofdaは合衆国のようなものだから隣の州の事件は横目で見ているが詳しくは知らない。たまに全州集まって報告会をするとなるほどといろいろ勉強になる。夜は近くのスペイン料理屋にそのまま流れて食事。総勢14人。大いに盛り上がる。

April 12, 2007

おっ!しゃれたサイン

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T邸のクライアント来所、着工までのスケジュール、変更した材料の提示、50分の1の模型の説明など2時間ほど打合せ。
さて、昨日のハプニングでなんと私はコンピューターを研究室においてきてしまった。昨日帰宅してかばんを開けたらpcが入ってないではないか!このときの私のうろたえぶりと言ったらない。頭がくらくらした。左脳を長野に置いてきてしまったという感じである。何がまずいって明日の東大の授業の初回が入っているのである。ああ。そこで午後その再生を事務所のpcで行う。
夕刻小伝馬町の集合住宅を見学に行く。監修していたy氏に偶然エントランスで会ったが「僕は玄関しかやってない」と主張していた。中身は中廊下北側がフラット、南側がメゾネットの組み合わせ。メゾネットは2層使う部分と1.5層を使う部分の組み合わせだった。45㎡で25万くらいの家賃だそうだ。帰りがけある集合住宅のきれいなエントランスサインを発見。何だろう?クロームめっきのような光沢のある一辺10センチくらいのキューブにアルファベットが彫りこんである。しゃれている。

宮本常一

4月13日
とんだハプニング。設計製図終了間際一人の学生が体調を崩し病院へ。帰宅のバスを取りやめて付き添う。幸い体調回復。良かった良かった。人間、何はなくとも体。子供を見ていてもそう思う。多少のことは目をつむりましょう。ただ体だけは大事にして欲しいと。
バスを逃したので次の新幹線まで中途半端な時間。駅前書店平安堂で1時間時間をつぶす本を探す。『これだけは知っておきたい大人の国語力』を買って駅のベンチで挑戦。わー分からない。普段学生に怒っていながら情けないものである。読めない漢字続出。慣用句の誤用が見抜けない。帰宅後かみさんと深夜まで挑戦。自信のある人ほどショックは大きいようである。
車中、佐野真一『旅する巨人宮本常一と渋沢敬三』文芸春秋1996を読む。この本は民俗学の大家宮本の足跡を渋沢との関係に焦点をあてて描いたドキュメントである。などと書くと宮本を良く知っているかのように聞こえるが、この名を知ったのはつい最近。大学の歴史の先生に教えていただき平安堂でフェアーをやってると聞きちょっと覗いた。イヤー知らないのは恥と言うほど凄い人であることがよく分かった。民俗学と言えば柳田しか知らない私としては少し世の中が広がった思いである。

April 10, 2007

研究室所属

毎年訪れる研究室所属の日である。希望者の選定をせざるを得ない。去年の定員は6人で約その倍の希望者がいた。今年は8人の希望者の中から5人を選ばなくてはならない。この代は2年生の時から教えているので製図は大体頭に入っている。そこで今年は作文を書いてもらった。研究室で何をしたいかそして将来何をしたいかである。1時間で800字。出来上がった作文からは皆の懸命な態度はよく伝わる。しかし正直言うと今ひとつパンチが不足している。これは文章表現能力の問題なのか、頭の中がそもそも空疎なのか定かではない。しかしいずれにしてもその中から3人落とすのは忍びない。こうなると本当に微差を問題にするしかないが、それでも自分の中での基準をもうけその中で正等に評価した。結果は結果である。

最近の3冊

4月9日
3月に行われた信州大学の卒業式で学長がソローの『森の生活』の話をしていたそうだ。そんなわけで岩波文庫になっているこの本を読んでみた。ウォールデン湖畔に住み、人里はなれ、本当に自分にとって価値あると思われることを考え行動しながら生きていく話である。こうした生活は誰しも憧れるものだ。しかしあまりにも美談である。この手の気分は若いころから年に一回は頭をもたげるものだ。しかし知らぬ間に消えていく。どうしたってそこには踏み込めない現実というものがある。しかしそう括ってしまうとこの話から何も得られない。そこでこの話を少し別の角度から考えると「何が楽しくて生きているのか」ということが問われていることに気付く。もう少し具体的に発展させれば、何を報酬に生きることが幸せなのかというような問題であろう。というような話を先日友人にしたら「それは人の評価でしょう。評価されずに生きていくことができる人はよほど強靭な精神の持ち主だ」と言っていたが僕も少なからず同感である。
伊藤真『会社コンプライアンス』講談社現代新書2007が九段下の本屋に平積みになっていたので読んでみた。昨今はやりのこの言葉だが、内容としては新聞記事を上回る新鮮な話題は少ない。ただコンプライアンスの先にあるものは「他者への共感を忘れずにひとりひとりが主体的に生きること」という言葉は妙に納得してしまった。ルールを守るということは人と生きるということなのだと思う。長野駅前平安堂で先日目に留まっていた今村仁司+今村真介『儀礼のオントロギー』講談社2007が日曜日の毎日の書評に載っていた。評者は藤森照信だったような気がする。そこで今日平安堂を通ったので買ってティールームでぺらぺらめくる。儀礼は人間社会に既に存在するもの、構造的に不可欠なものとして儀礼を軸にした政治論を展開している。面白そうである。

April 8, 2007

フォーティー

春のいい天気。今村創平さん、a+uの津久井さん、建築ジャーナルの山崎さん、学芸出版の井口さん、京都工芸繊維大学の岡田栄造さんらと日仏会館でお会いする。なんとわれわれの監訳した『言葉と建築』の著者エイドリアン・フォーティーが来日するとのことである。井口さんはバートレット校で実際にエイドリアンに習っていたとのことである。彼女の関係で台湾に招待されるエイドリアンに日本まで足を伸ばしてもらうことにしたようである。日本では、京都工繊で一回東大で一回レクチャをしてもらう予定。ちなみに今のところ東大での予定は6月15日(金)の夕方のようだ。レクチャー前に少し『言葉と建築』を含めて彼の紹介などできればと思っている。しかし僕はその日が都合悪くなりそうであり、その場合はa0メンバーにお願いしたいところ。滞在中チャンスを見てレクチャーとは別に少しお話できれば楽しい。10日ほど日本に滞在して台湾に行くとのことである。

sas杯

中高の友がゴルフの会をやっている。その昔高校時代スキーにいっしょに行って騒いでいた仲間である。その会の名は名プレーヤーであり元祖幹事でもある人間の名をとりsas杯という。彼はその昔テニスで名を馳せた男である。関東大会で準優勝までした。決勝戦の前の日までわれわれと一緒にスキーをしていて、ちょっと行ってくるわと決勝当日出かけていって、その日の夜に「負けちゃった」と言ってスキー場に戻ってきたツワモノである。僕は今のところプレイでは参加せず、終わったあとの会食には行かせてもらっている。6組もとってやっている上に夜のみ参加組みも多くさながら同窓会のようである。職業分野は広告、銀行、建設、商社、医療、その他もろもろいや多種多彩である。この歳になると男も女も(働いている人は)それ相応のポジションにいるのでここでは書けないような話がごろごろあって面白い。そしてここが勝負なのかもう終わっているのか知らないが皆あと10年余りのサラリーマン生活の身のこなしかたに対して戦々恐々としている。

April 6, 2007

環世界

ユクスキュル著『生物から見た世界』岩波文庫2005を読み始めた。客観的科学的な対象としての身の回りを環境と呼び、主観的な身の回りを還世界と呼びその差を重要視しながら生き物の世界像を探るという本である。動物が行動を起すための要素は自然に組み込まれている反応の因果関係によるのであり、実体の把握から目的に対する効率的な行動の選択によるものではない。つまりはそれぞれの個に組み込まれた身の回りからの状況選択の篩がその個の行動を決定していくという事実が述べられている。それはある意味種によって身の回りが異なることになりそれをユクスキュルは環世界と述べようとしている(未だ読みはじめなので誤読かもしれないが)。
この話を人間に敷衍すれば民族によってあるいは人種によって、環世界は異なる。それは生物学的差異が環世界の差を生みだしているとも言えるが、それ以上に文化的な差が環世界の差を生み出していると思われる。

新聞も建築も同じかな

久しぶりに友人mと会えた。朝日のデスクをやっている彼は僕の中学からの親友でありサッカー部で同じ釜の飯を6年間食った仲である。お互い年度末の忙しさが峠を越えちょっと会うかということになった。しかしあいつが飯おうと言うと僕は長野、こちらが食おと言うとあいつは徹夜という状態が続いた。この歳になってもブンヤというのは社を空けられないようだ。が、今日はなんとか夜遅くに二人の時間が空いた。荒木町で飯を食ってジャズバーに行く。そこでスタッフを呼んでまた一杯。新聞社のデスクと言うのはいかにして部下に面白そうな記事を書かせられるかが勝負だそうだ。この辺が面白そうだというその登れそうな山の登り口と頂上を示してやるのが仕事だとか。なるほどそれは僕の仕事とよく似ている。与件をもとに目指すべき建築のおぼろげな姿とその手の付け所を示してやるのが僕の仕事である。ホー、業界が異なれど、世代に求められる役割というのは似ているのかもしれない。建築も新聞も何かあやふや姿形を見えるものにするという作業のようだ。ジャズバーでサッチモを聞いていい気分で帰宅。

April 4, 2007

ゼミ方式

今年のゼミの本を考えている。ゼミと言ったって週一回である。普通に考えれば前期後期あわせて30回。去年までのやり方なら一回に一冊の本を輪読するから30冊の本を読むということになる。しかし、、、、そんなことではいけないのではと悩む。少しやり方を変えたい。基本的にはm1が主体となるゼミ。まあ入りたければ4年やm2も入っていいのだが、彼らは後期は制作で全部のゼミに出ることは難しい。だから前期だけは参加と考えると、4年で僕の部屋に来て卒業するまでに、60冊の本を読む計算になる。本嫌いの現代っ子だから、ゼミ以外でまともな本を読むとは思えない。となると3年間に60冊読んで卒業ということになる。やはり少なすぎる。せめて1年間に50冊は読ませたい。いや読まないと意匠論なんて身に付かない。そのためにはどうしたらよいのだろうか?やはり輪読は1冊としてもそれに密接に関連する本を提示しそれも読ませ適宜質問すると言うのはどうだろうか?上野千鶴子方式。質問して答えられなければその場で退場。そうするとゼミでは一回一冊だが、読むのは2冊。それなら3年間で120冊読むことになる。これならまだ何とかなる?そう、そのやる気のある学生だけを採るようにしよう。その気がない人は他の研究室が向いている。

April 3, 2007

4月なのに零下

この寒さは応える。長野の何が嫌いと言ってこの寒さは大嫌いである。寒いのはイコール不幸である。ケビンリンチは都市の中で迷子になるのは不幸だと言ったが寒い方がよほど不幸だと僕は思う。迷子など誰かに聞けば解決する問題である、しかるに寒いのは誰かにすがって解消されるわけではない。ただただそこはかとなく物悲しく、耐え難いことなのである。下手すれば死にいたることだってある。昔長野で仕事をしたときにクライアントの偉い方が長野は寒くて嫌いだと言っていた。そのころはたまに来て夜遅くなれば暖かいホテルに泊まりいい気分になっていてこういう声をまともに理解してはいなかったが、片足を長野におく身となって初めてこうした言葉の意味がヨーク分かる。本当に寒い。

受胎告知

4月3日
急に宗教づいている。『旧約聖書を知っていますか』の次に『新約聖書を知っていますか』を読み始めた。すると最初に出てくる話題は受胎告知なのである。おお、そうかそうかそれは知っている。とにかく知らない話ばかりなので知っている話題は嬉しい。先日国立博物館で見てきたぞ。そのうえ一昨日の日曜美術館でも壇ふみが久しぶりに派手な服着て説明していた。あれだあれだ。しかし読み進めると作者はダ・ヴィンチではない「フラ・アンジェリコって誰?」と叫ぶとかみさんが、「その受胎告知が一番美しい」とのたまう。「見たことあるの?」と聞くと「確かある」うーなんだか知らぬところでいろいろ見ているのだこの人は。知識をひけらかさないが厚みがあるなあ。そこへ行くとこの僕なんか、かなりペダンティックである。しかし世の中には10分前に得た知識をさも10年前から知っているかのように騒ぎ立てる人もおりそういう輩よりかは奥ゆかしいと思うのだが。
さてこのフラ・アンジェリコの受胎告知はネットで見ると確かにダ・ヴィンチのそれに比べて遥かに合点がいく。どこが?マリアの顔が。壇ふみも言っていたが、ダ・ヴィンチの描くマリアは私には身に覚えがないのにという驚きがない。一方アンジェリコのマリアの顔には「えっ!どうして」という怪訝な表情が描かれている。http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ed/Fra_Angelico_043.jpg

April 1, 2007

宗教

阿刀田高の『コーランを知っていますか』を読むとコーランと旧約聖書や新約聖書のつながりがなんとなく分かってくる。たとえば預言者。コーランには旧約聖書や新約聖書に登場する預言者イブラヒーム(アブラハム)・ムーサー(モーゼ)・イーサー(イエス)たちは頻繁に登場するそうだ。そしてその最後を飾るのがマホメット。しかしそうなるとコーランを知るにはまず旧約聖書から理解しなければならないわけである。そこで同じ著者の『旧約聖書を知っていますか』を読んでみた。なるほどアブラハムやモーゼの英雄伝説が登場する。深い話だ。それにしても昨日まで読んでいたバルカン半島しかり本日の舞台であるパレスチナしかり、宗教的な差異がこれだけ平面的に連続していればいざこざが絶えないのも無理は無い。