Dialogue 建てるということ


 奥山  ただ、そこに現在の建築が抱えているある種危険で、あやふやな状況があると思います。妹島さんが、今多木さんが説明されたような水準に達しているという最終形と、それらとはまったく無関係にゲーム的な方法で出てきた、先ほどメタ原理がなくても成立するといった方法で出てきたものとが、見分けがつかない状況があるわけです。妹島さんがつくる建築の最終形がもつ抽象度の高さは、同時に模倣も生み出しやすい条件を備えています。実体の追体験がものすごくしやすいが故に、エピゴーネンが大量に発生する。この建築的状況は、先ほど議論したコンピュータや携帯電話が生み出す社会の中で、どこまでが自己なのか確定しにくい状況とどこかリンクするわけです。

 多木  それは理解できます。すると建築家の中で「建築をつくるという行為は何か」という疑問がはっきり出てくるわけでしょ。その状態に対して、どういう問いを投げかけていくかが知りたいんです。

 坂牛  今メタ原理と言いましたが、若い人にとってはメタ原理ではなく、メタボキャブラリーとかメタシェープになっているところがあるわけです。表層の後ろにあるのは原理ではなく、ずらっとたくさん並んだ形のデータベースで表層に形のコンポジションがあるという二層構造が感じられます。そうしたときに、多木さんのご質問に素直に答えると馬鹿かもしれませんが(笑)、こうしたメタシェープとかメタフォーム以前ということだと僕は思うんです。原始的な形式とか、原始の原理でもいいかもしれませんが、そのデータベースには何の興味もなく、その一歩裏にどうやって入っていけるかに一番興味があって、そのためには何なのかというところだと思います。

Prev Next