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多木 ところで他者性をひとつの糸口として、建築家が相手にしている他者ははっきりイメージできるものなのですか。
安田 目の前にいる具体的な施主は当然大きな意味での他者ですが、われわれが設計するときは、その施主を通り越してどこかに違う他者が存在していると思っているわけです。公共建築はその最たるもので、目の前にいる施主は施主ではない。では、その少し奥にいる○○長が施主かというとそうではなく、もっともっと奥にいるわけです。もちろんその目の前の人の言うことは建築家としてはっきりと回答します。単純な例として、施主が「石を貼れ」と言ったときに、こちらは「そんなお金をここに使うべきではない」と思うかもしれません。ただむだだと思うような石をも受け入れるくらいの許容度があることが大切かもしれません。何処か遠くに施主がいるという感覚だと思います。
多木 みんな少なくとも頭の中では見えない地平を描きながら建築をつくる、と理解していいですか。
安田 現象的にはそうだと思います。それは建築家の職能として、自分なりの判断システムを持っていなければならないと思います。どこか地平の彼方に視点があって、そこからわれわれ建築家が操られている。それは主体性がないという意味では全くなく、どこかそのような見えない力を及ぼす遠くのポイントが存在するのではないかという気はしています。
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