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岸さんが先週のゼミで言っていた速水健朗『フード左翼とフード右翼ー食で分断される日本人』朝日選書2013を読んで納得。私の知り合いの活動家(60を超えた素敵な主婦ですが)は決してジャンクフードは食べない。有機野菜に自然食である。衣食住全てがsocial changeのベクトルを持っているのである。
しかるに、、私の父は政治的には極左だが別になんでも食べる。むしろ選り好みは思想に反する(好き嫌いはあるが)。というわけで、この本の適用範囲は60代までのようである。
出先から東京駅の丸善に寄る。小一時間、新刊とナショナリズム本を渉猟。ナショナリズムは今二稿を書いているグローバリズムに深く関係しているからである。特に僕が第一次グローバリズムと呼ぶ二十世紀初頭においては帝国主義が国家としてのまとまりを作るために半ば必然的にナショナリズムを招来した。一方、建築を、始めとする文化的モダニズムはインターナショナルなスタイルを生み、世界に広がった。こうした文化的帝国主義に対して、侵略された方はこれも半ば反射的にナショナリズムの殻を被って抵抗したのである。拡大という行為はする方も受ける方もナショナリズムを纏うというのが私の勝手な仮説である。
そんな仮説に対する正解が載っていそうな本があったので早速夕飯をとりながら読み始める。
石川義正『錯乱の日本文学建築/小説をめざして』航思社2016を編集者の勧めで読んでいる。初出は『早稲田文学』2008年から2013年までに掲載されたものである。タイトルにある建築/小説とは建築のような無料ではない記号(これを著者は形象とよ呼ぶ)を内包する小説のことのようだ。つまり著者の仮説は建築と小説がある時代の空気しかも金が絡む空気を共有せざるを得ないということであり、そのことが一番わかりやすいのは(僕にとって)村上春樹、伊藤豊雄、柄谷行人が共有する形象である。
伊藤の閉じたホワイトUが開いたシルバーハットに変貌する姿と、村上の小説がデタッチメントから始まり孔を主題化していく変化、柄谷の『隠喩としての建築』におけるシステムの自律性とその不可能性、に形象の共通性を見出している。ちょうどその頃僕はやはり村上を引用し、デタッチメントからコミットメントへという論考を記しており、切り離されるのではなくつながることを目指そうとしていた。
しかし問題はこの次である。開けた孔は開けっ放しでいいのだろうか。その孔からなんでもかんでも入ってきていいのだろうか?孔を通過するものを正確にコントロールすることが重要なのだと思う。
我が家と理科大の神楽坂の間に外濠を見渡すギャラリーがある。MIZUMAアートギャラリーである。あの会田誠を世に送り出した三潴末雄が運営する。彼の著書『アートにとって価値とは何か』幻冬舎2014は彼の生い立ちそして彼の価値観が記されとても分かりやすいし納得がいく。
大学時代に学生運動に明け暮れた著者は卒業後広告業からアート世界に転身した。そこで20世紀の初期のアートが資本主義への反体制スタンスをとることでうまれるカウンターカルチャー(前衛芸術)として価値を持った。しかし市場経済がグローバル化しアートが戦う相手を失い現在アートが独自の価値を持つのが難しい。そこで著者が言うのはそうした矛盾が見えづらい現在でも西欧が世界に発信した文明に内在する人間社会との齟齬をえぐり出すのが現代アートの存在意義だという。
そうは言ってもアート自体は市場原理に従う商品であり、21世紀に成功する作家は大量生産型の工房作家、ダミアン・ハースト、ジェフ・クーン、村上隆などとなっているとこれはルネッサンスや江戸の工房型作家に回帰しているのだと分析している。著者が発見した天才会田誠などはスタンドアローン型で戦いづらいものだと嘆いている。
アートの大量生産というのはそもそも矛盾しているのだが、おそらくこれからの世界では大量生産大量情報発信というマスを相手にするアートと、オーラを纏うもう一つの一品生産型が共存する時代になるのではないだろうか??グローバルな一品生産である。
朝ジムで泳ぎ、新国立に行きルノワールを見る。最近の男性ヌードと赤いチョークのデッサンだけ面白い。2階で配偶者の書を見る。今年はいい場所に展示されている。書の世界は歳とともに磨と厚みが加わるようだ。
アクティブラーニングと反転授業が進んでいる山梨大学から二人の教授をお招きして講演会をしていただいた。きっかけは文科省の助成金でそれに応募するために2012年からまったく0の状態から反転授業(授業内容は15分程度のビデオ化して事前に見ておくことを強制し授業時間はディスカッションなどに割り当てる授業方式)を開始したそうである。その成果は目に見える物が有り効果がないということはあっても前より悪い結果を生んだ事例はないとのことであった。
素晴らしい。できることなら自分もやってみたい。得に昼間部の3年生の座学では効果的な気もする。
こんなことを言うとアナログでアホとなじられそうだが、授業は本来エンターテイメントであり、学生が寝ているような授業をしている教師はそもそも教師の資格が欠如しているのである(だから私もないかもしれないが)。だから本来ならその欠如した資質を改善するべきなのである。しかるに文科省がすすめる施策は資質の欠如を前提にそれをウェッブの力で補おうというものである。これは本末転倒なのである。
なんて偉そうなことをいったものの、やれやれ、こんな先生の授業がおもろいはずないよなという教師の顔はゴロゴロ浮かぶ(自戒の念をこめて)。
数日前作品集の色校正があがってきたのだが白黒ページのコントラストがあまりに低く使い物にならない状態だった。こちらのレーザーで出すと問題なかったのでなんとかならないかと依頼すると3種類の違う方法で印刷してくれた。コンピューター上で白黒に直したものを二種類。印刷機上の操作で直したもの一種類。3つにはかなりの差があって二つはやはり使い物にならない。二つ目はなんとか見られるがまだ前回の作品集ほどのコントラストが出ていない。印刷機がここ数年で変わったそうだが、新しくなったのにアウトプットがダメになるのはどうして???プリンターは生き物ということか?先日のワークショップのブックレットが10冊くらい多めに届いたのはその10冊が試し刷りだったと聞いた。微妙な色の差をそこでデザイナがー修正してくれていたそうで、印刷機との格闘は不可避ということのようである。
帰国翌日のワークショップ打ち合わせ、ゼミ、講義が終わると9時を過ぎる。ちょっとしんどい。不在中の様子を助手の佐河君に聞きながら帰路につく。研究計画書問題やら、ゼミ来ない問題やら自らの始末をつけられない学生がいるのには閉口である。
ウィーンでも(世界には)社会人学生が多くいてそういう学生への配慮はしなければと思う。しかしそれでも無制限に彼らは自由というわけにはいかない。かの国にはとんでもない時間をかけて卒業する人もいるのだが、そこに研究室制度はなく教員が学生をファミリーのように面倒を見るSystemはない。日本でもそういう自由を欲す学生は研究室に所属せずに卒業するような道があってもいいのかもしれない。しかしそういう学生は当然のことながら研究室に所属することで得られる何かと同等な教育的負荷がかかるような試験などを課さないといけない。それはおそらくそう簡単にパスするものではない。しかしそういうSystemの方がお互いハッピーなのではないかという気もする。
ウィーン工科大学(TU)の学生数は約3万人。教員数は約1800人。教員一人当たり学生数は17人。建築だけで見ると学生数は7250人。教授48人助手182人(非常勤は含まず)で教員(助手を含み)一人当たりの学生数は31人である。一方理科大は学生数約2万人教員数は約720人。教員一人当たりの学生数は27人である。建築では教授、准教授32人、助教、助手22人で教員一人当たりの学生数は27人であり、TU,TUE双方ほぼ同じである。
TUの建築学科の分類を細かに見ると
⚫️歴史 Institute of History of Art, Building Archaeology and Restoration
教授7人助手16人
⚫️デザイン Institute of Architecture and Design
教授17人助手65人
⚫️科学 Institute of Architectural Sciences
教授4人助手30人
⚫️都市デザイン Institute of Urban Design and Landscape Architecture
教授5人助手20にん
⚫️芸術とデザイン Institute of Art and Design
教授3人助手17人
⚫️空間デザイン Department of Spatial Planning
教授11人助手32人
⚫️コンピューター Computer Laboratory of the Faculty of Architecture and Planning
教授1人助手2人
ワークショップを終えて、そこで見聞きしたことからするとウィーン工科大学は学生が多くて先生が少ない。とそんな印象を持ったのだが、データーを正確に見ると理科大並で、生徒が多いぶん教員も多く研究分野の細分化がしやすいようである。それにしてもん入試がないので学生が多く、施設のクォリティを挙げきれないようである。
⚫ルーベンス「自画像」
⚫ブリューゲル「バベルの塔」
⚫ヘルムート・ラング展示
⚫レイチェル・ホワイトリードホロコーストモニュメント
最終日に飛行機に乗るまで美術史博物館に行ってRubens, P.P. (1577-1640)、Burugel, P.( 1525-1569)、Dyck, van ()1575-1651を見る。彼らは今のベルギー、オランダの画家だが、当時は神聖ローマ帝国の一画であり、ゆえにハプスブルク家の財宝の中に彼らの絵画があるというわけである。ということが最近やっとわかってきた。やはりアントワープに行かねば。
そのあとMAK応用美術博物館に行くとHelmut Langが展示されているのにはびっくり。オーストリアのヒーローなんだやはり。そこを出て宿に戻る途中でレイチェル・ホワイトリードのホロコーストモニュメントに遭遇。オーストリアでは65000人の犠牲者があったと記されている。
最終日のプレファイナルプレゼンを行う。こちらのやり方は芸大型。全員で一斉に初めて一斉に終わるというものではなく、時間を予約して一人ずつ行う。医者の診察のようである。昨日も感じたがこちらの学生は働いている人間も多作品の質がプロフェッショナルな感じのものが結構多い。一方でとても幼稚なものや頭で考えてばかりいる日本型の前に進まない学生もいる。
夜はエルンストの車で20分くらい走らせて近くのワインヤードのレストランへ。初めて来たがなんとも素敵。本格的なワインヤードのある世界都市はウィーンだけだと自慢していた。夜は教会コンサートに行きモーツァルトのレクイエムとオルガンを聞く。6月のオーストリアは全国の教会で無料のコンサートが行われている。さすが音楽の国である。
二日目の1日エスキスも終わる。ムフが見ている部屋を覗くと東京に来ていたチームの数名が仕事をしていた。このスタジオは学年がいろいろだからというのもあるのだろうが、進捗も能力もいろいろである。ドローイングまで含めて終わっているかなり優秀なチームもあれば、昨日から始めたのかい?という体のメンバーもいる。教員人も半ば呆れているが、まあ最終プレゼンは2週間後だからこれでもいいのかもしれ無い。僕としては前回見たものからのデヴェロップメントを期待しているのだが、、明日のプレプレゼンに期待しよう。
今晩は前回見られなかったオペラに行く。演目はリヒャルト・シュトラウスのバラの騎士。舞台はマリアテレジア治世かのウィーン。上演時間は3時間20分6時半に始まり幕間の休憩がはいるので終わったら10時半である。こんな長いオペラ見たのは初めてだった。
カタール深夜特急でドーハ経由ウィーンにお昼着。自由に使える時間は今日しかないので、ウィーン工科大学の博士課程にいて付属の後輩でもある谷さんに連れられ、あっちこっちの木造建築を見て回る。来年再来年にウィーン工科大学と理科大で共同研究をしようと計画し、学振に応募するための作戦会議もついでに行なう。ウィーンは梅雨もなく6月は最高の季節という感じである。湿気もなく快晴。ちょっと時差ぼけの頭だがフルに稼働してだいぶ話は煮詰まったのか?そうでもないのか?とにかく先ずは谷さんにたたき台を作ってもらうことにする。
前回はゼッッセションのそばの四つ星ホテルだったので今回はドナウ運河そばのアパートメント。いやはや全然こっちの方がいいや。
午前中昨日からの読みかけの本を読み終え、ジムに行って泳いでから事務所で小西とグラフィック本の翻訳打ち合わせ。何を打ち合わせているかというと、僕の論旨の甘いところを突かれそれを釈明しているというのが実態である。しかしこうして論理がより正確になっていくのはありがたいことである。夕方荻窪に高橋堅さんの住宅オープンハウスを見に行く。ファサードに窓が一つもないのが高橋さんらしい。
四谷では昨日今日と須賀神社のお祭りで、街には法被姿の老若男女が歩いている。ここに引っ越してからはや10年。この法被をいつも羨ましく思いながら眺めている。四谷の新宿通り沿いはそんな祭りに似つかわしい和風のお店がいろいろある。着物屋、三味線屋、和風道具屋など。暖簾が大きくゆらゆらしていて素敵である。
ハワード・S・ベッカーは著書『アート・ワールド(Art Worlds)』後藤将之 訳、慶應義塾大学出版会2016(1982)においてアーサー・ダントーの有名な論考The Artworld(1964)によってある程度概念的に定義付けられたこの言葉を発展的に具体的に論理化した(ある人は無視したとも言う)。
一言で言えばアートがアートたり得るのはアートを生み出す様々な関係者がそれをそう考える時にそうなると言うことであり、そうした関係者が作り上げる場をアート・ワールドというのである。このワールドというのはどこかで聞いたことがあると思ってこの本をくくるとその答えは著者自ら25周年版へのエピローグという章を設けて対談形式で述べている。そこにはピエール・ブルデューの「場」が提示され彼のいう「場」と自らが示す「世界」との差を問題にしている。しかし二つの概念は同根である。つまりこの時代に二人の社会学者がアメリカとパリで類似した思考をしていたということである。僕はこの手の論考が大好きなのだが、それはその昔学兄である小田部胤久氏に言われた「美は作られたもの」という言葉を信じているからである。
さてこの30年以上前に書かれた本にはすでにしる社会構築論的な常識以上のことが顕著に見られる訳ではないが、具体的な説明になる程思わせることがいくつかある。その一つはアートワールド周辺にウロウロしているアーティストの類型である。彼は4つの類型をあげている。
1) 統合された職業人
2) 一匹狼
3) フォーク・アーティスト
4) ナイーブ・アーティスト
この分類が現代の建築界にそのまま当てはまりそうなので面白い。
1) 統合されたプロの建築家たち(日建設計など)
彼らは一般的な社会通念とそれを受け入れる幅広い常識人の支援のもとに確実な技術を駆使してプロフェッショナルな建築を作る。しかし得てして既存のアーキテクチャーワールドの中でしか建築を作らないので凡庸に陥りやすい。
2) 強い自我を持った建築家
彼らは建築をそれこそアートと勘違いして、それを受け入れるワールドなど無視して自らがそのワールドを作る勢いで創作する。まさに創作をする建築家である。ニューワールドが作れれば持続するがそうじゃない場合は自滅することも多い。
3) ソーシャルアーキテクト
地場の力を信じて一歩ずれると民芸調になるギリギリのところで既存のアーキテクチャーワールドにつながりながら、建築家なしの建築を標榜しながら建築家としてのアイデンティティを維持している建築家たち。しかし基本的には資本主義社会のコマになることを拒否しているのでプロフェッショナルとしての職能の維持が困難となり自滅するケースも多い。
4) 上手下手あるあるアーキテクト
2)3)同様に統合されたプロの建築家のつまらなさを逸脱しようとしてナイーブであることを装って上手下手に走る。この手法はプロの専門性が鼻に付く一部クライアント筋に受ける場合もあるが、プロはプロとしての力量を要求するのが社会であり、ニーズは多くなくいつまでもやっていると自滅する。
プロフェッショナル建築ワールド、一匹狼建築ワールド、ソーシャル建築ワールド、上手下手建築ワールド、がここにはあるが、しかしベッカーから30年経った今果たしてニューワールドはないのかと思わざるを得ない。つまりプロフェッショナルでフォークでナイーブな一匹狼である。
クレア・ビショップと言えば、ニコラ・ブリオーの『関係性の美学』(1998)を批判した「敵対と関係性の美学Antagonism and Relational Aesthetics」(2004)の著者として有名だが、そのビショップの新刊『人工地獄—現代アートと観客の政治学』フィルムアート社2016(2012)を読んでみた。このタイトル原文ではArtificial Hells Partcipatory Art and Politics of Spectator shipなので現代アートと訳されている部分は参加型アートという意味が込められている。内容も時代はボリシェヴィキ(1917)に遡り、場所はラテンアメリカにまで広がり、参加型アートの歴史を追う。参加型アートと言えば関係性の美学出版のあたりに始まったものと錯角するがそんなことはない。また「ヨーロッパと北米の参加型アートが、消費資本主義におけるスペクタクルへの批評として特徴でづけられ、また個人の受け身の姿勢を超えた集団の営為を促そうとする」のだが、南米あるいはロシア、東欧のそれはやや異なる。南米では政治的であるし、ロシア、東欧では美的体験を希求するものだった。
ビショップは冒頭の論文で敵対性という政治概念をアート解読に持ち込んだ人であり、ティラバーニャ、ギリック等を予定調和的として批判的に捉え、サンティアゴ・シエラやヒルシュ・ホルンの作品に敵対性の萌芽が見て取れるとして評価している。敵対性は意見の論理的相違というような明示的な差異ではなく、その存在が自らのアイデンティティを危うくするというような対象にあてがわれる概念である。確かにそうした他者が混在するのが現実の社会であり、そうした他者と交わるほうがよりリアルな社会参加というのも頷ける。
昨晩突然キース・クローラックからメールをもらった。今東京にいるので明日のディナーをいっしょにどうという内容である。キースには2年前の3月にセントルイスの篠原シンポジウムで会って以来である。彼は僕の結婚式の2次会の司会でもある。ああ懐かしい。
四谷の陽だまりで会った。彼は今ニューヘブンのピカード・チルトンの事務所http://www.pickardchilton.comのデザインディレクターである。現在は日本の組織事務所と共同でとあるプロジェクトを進めているため3ヶ月に一度日本に来ている。彼はその昔はシーザ・ペリのところにいて大阪の美術館の仕事などをしていた。ニューヘブンに住んでおり、僕の娘がニューヨークに行くのをとても喜び、ついでに僕がニューヨークに来るだろうことを心待ちしている一人である。
彼と会うと(僕は彼が東工大に来た時のチューターだった)気持ちはすっかり大学時代に戻り、その時代に逆戻り。そんな彼がagingを話題にするので毎日走っているよ。でも足が痛くて今日はウォーキングだというと彼も今朝皇居を走ったと言っていた。これからずっとピカードのところにいるのかと聞くとわからないと。来年国際建築論会議を行う予定なので来日するようにお願いすると喜んでなんでもするよと温かい返事をもらった。サンキュー、キース。