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孔の次

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石川義正『錯乱の日本文学建築/小説をめざして』航思社2016を編集者の勧めで読んでいる。初出は『早稲田文学』2008年から2013年までに掲載されたものである。タイトルにある建築/小説とは建築のような無料ではない記号(これを著者は形象とよ呼ぶ)を内包する小説のことのようだ。つまり著者の仮説は建築と小説がある時代の空気しかも金が絡む空気を共有せざるを得ないということであり、そのことが一番わかりやすいのは(僕にとって)村上春樹、伊藤豊雄、柄谷行人が共有する形象である。
伊藤の閉じたホワイトUが開いたシルバーハットに変貌する姿と、村上の小説がデタッチメントから始まり孔を主題化していく変化、柄谷の『隠喩としての建築』におけるシステムの自律性とその不可能性、に形象の共通性を見出している。ちょうどその頃僕はやはり村上を引用し、デタッチメントからコミットメントへという論考を記しており、切り離されるのではなくつながることを目指そうとしていた。
しかし問題はこの次である。開けた孔は開けっ放しでいいのだろうか。その孔からなんでもかんでも入ってきていいのだろうか?孔を通過するものを正確にコントロールすることが重要なのだと思う。

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