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Art Worlds

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ハワード・S・ベッカーは著書『アート・ワールド(Art Worlds)』後藤将之 訳、慶應義塾大学出版会2016(1982)においてアーサー・ダントーの有名な論考The Artworld(1964)によってある程度概念的に定義付けられたこの言葉を発展的に具体的に論理化した(ある人は無視したとも言う)。
一言で言えばアートがアートたり得るのはアートを生み出す様々な関係者がそれをそう考える時にそうなると言うことであり、そうした関係者が作り上げる場をアート・ワールドというのである。このワールドというのはどこかで聞いたことがあると思ってこの本をくくるとその答えは著者自ら25周年版へのエピローグという章を設けて対談形式で述べている。そこにはピエール・ブルデューの「場」が提示され彼のいう「場」と自らが示す「世界」との差を問題にしている。しかし二つの概念は同根である。つまりこの時代に二人の社会学者がアメリカとパリで類似した思考をしていたということである。僕はこの手の論考が大好きなのだが、それはその昔学兄である小田部胤久氏に言われた「美は作られたもの」という言葉を信じているからである。
さてこの30年以上前に書かれた本にはすでにしる社会構築論的な常識以上のことが顕著に見られる訳ではないが、具体的な説明になる程思わせることがいくつかある。その一つはアートワールド周辺にウロウロしているアーティストの類型である。彼は4つの類型をあげている。
1) 統合された職業人
2) 一匹狼
3) フォーク・アーティスト
4) ナイーブ・アーティスト
この分類が現代の建築界にそのまま当てはまりそうなので面白い。
1) 統合されたプロの建築家たち(日建設計など)
彼らは一般的な社会通念とそれを受け入れる幅広い常識人の支援のもとに確実な技術を駆使してプロフェッショナルな建築を作る。しかし得てして既存のアーキテクチャーワールドの中でしか建築を作らないので凡庸に陥りやすい。
2) 強い自我を持った建築家
彼らは建築をそれこそアートと勘違いして、それを受け入れるワールドなど無視して自らがそのワールドを作る勢いで創作する。まさに創作をする建築家である。ニューワールドが作れれば持続するがそうじゃない場合は自滅することも多い。
3) ソーシャルアーキテクト
地場の力を信じて一歩ずれると民芸調になるギリギリのところで既存のアーキテクチャーワールドにつながりながら、建築家なしの建築を標榜しながら建築家としてのアイデンティティを維持している建築家たち。しかし基本的には資本主義社会のコマになることを拒否しているのでプロフェッショナルとしての職能の維持が困難となり自滅するケースも多い。

4) 上手下手あるあるアーキテクト
2)3)同様に統合されたプロの建築家のつまらなさを逸脱しようとしてナイーブであることを装って上手下手に走る。この手法はプロの専門性が鼻に付く一部クライアント筋に受ける場合もあるが、プロはプロとしての力量を要求するのが社会であり、ニーズは多くなくいつまでもやっていると自滅する。

プロフェッショナル建築ワールド、一匹狼建築ワールド、ソーシャル建築ワールド、上手下手建築ワールド、がここにはあるが、しかしベッカーから30年経った今果たしてニューワールドはないのかと思わざるを得ない。つまりプロフェッショナルでフォークでナイーブな一匹狼である。

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