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January 31, 2015

atomic からnuclearへ

一部の卒論発表会でTIME誌の中で50年代から原子力発電所についてどのようなことが書かれてきたかという言説分析があった。これは結構面白い。もちろんその言説の深層にせまるわけではなく端的にどういう観点から書かれているかという分析であり、それが時代とともにどう推移してきたかという分析である。しかし25年分(だったかな?)の週刊誌の言説分析しかも英語だからこれは結構根気がいる。よくやったもんだ。この手の分析はもちろん他のビルディングタイプでもできそうなのだが(例えばskyscraper)よほど巷の噂になるようなものでないと誌上に登らないだろうから原発はタイムリーでやりがいのある対象と言える。その中でひとつ面白いのは原発をどう呼ぶかであるがその昔はatomic power plantと記されていたものがあるときからnuclear power plantに変わってきたそうだ。それはatomicが原子爆弾を連想するからと発表者言っていた。本当かな?

January 30, 2015

資本主義の終焉は何を導くか?

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私が日建設計をやめる時(1988年)マルキストである私の父親は21世紀世界経済がどのような事態になるかを予測して独立して建築なんてやれる状況ではないことを語った。そして日建をやめないよう私を説得した。しかし考えてみればマルキストが資本主義の歯車のような会社で働く息子を否定しないというのもへんな話である。その時私はもちろん父親の言うことを真に受けてはいなかった。マルキストが資本主義の終焉を語るのは当たり前のことだからである。しかし今は普通の経済学者や政治家がそういうことを言う。例えば水尾和夫は元モルガンスタンレーにいて、その後内閣府で官房審議官までして最近『資本主義の終焉と歴史の危機』集英社新書2014を書いた。その内容は20年以上前に父親の言っていたことにほぼ等しい。簡単に言えば資本主義は先頭ランナーが後続から資源を買って加工して付加価値を付けて後続に売りその利ざやで儲ける。儲けた金で工場を大きくしてもっと作ってもっと売ってもっと儲けるという成長のイズムである。しかるに21世紀に入り、すでに先頭ランナーは息切れして、後続ランナーは元気になり全員が横並びにならんとしている。こうなると作ったものを誰に売る?売る相手がいなくなるので儲からない。儲からない資本主義はもはやその死期を迎えているというわけである。昨今資本主義批判の本は巷に溢れているがこの本は最もわかりやすい。榊原英資、内田樹、佐藤優などなどが推薦し17万部も売れている。トマピケティよりはるかに説得力がありかつ明日を考えさせる本だとぼくは思う。
さてそんな本を読みながら山崎亮『ソーシャルデザインアトラス』鹿島出版会2012を並行して読んむ。そこにはこう書いてある。昨今メディアに登場する建築のほとんどは「コマーシャル建築」である。それは経済的な価値を重視し、人をどれだけ集められるか、いくらで貸せるかというようなことが問題になる建築なのである。一方建築にはそれとは異なり、困っている人を助ける類のものがありそれはソーシャル建築と呼ばれる。この手の建築は地味だし、金にならない。よってメディアにはあまり載ってこないから誰も知らない。しかしこういう建築も重要だろうと言って山崎氏はその紹介の本を作ったわけである。ここでこの両極を経済と結びつけるなら、コマーシャルは資本主義的であり、ソーシャルは社会主義的ということになる。先ほどの資本主義の終焉に説得力出てくると、コマーシャル建築は原理的に終焉するということになろう。
さらに並行してMOMAで2011年に行われた展覧会『small scale big change』を読むとこんなことが書いてあった。モダニズムは社会の最大公約数のために社会を抽象化して多くの人のために巨大スケールの建築を作ってきた。しかし時代が変わり、現在必要なことは社会を抽象化せずに、個々人を大事にして少数の人のために小さなスケールの建築を作り社会を変えていくことだと。
こうして三つの本を同時に読むと資本主義は超低空飛行をして、それに後押しされるコマーシャル建築の未来はかすみ、巨大スケールで個人を無視した建築はお役御免となる。そんなストーリーが自然と生まれてくる。おそらくその流れにそう間違いはないように思う。でもそうは世の中進まない。あるいはそれはひとつのアンチ資本主義原理主義のようにも響く。ビッグではなくスモールというのもMOMAっぽい宣伝文句に聞こるし、なにか不自然である。コマーシャルでもソーシャルでもなく、ビッグでもスモールでもないものがあると思う。

茨城町廃校再利用計画プレゼン

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茨城町の廃校小学校再利用計画のプレゼンが雪で中止になるかと心配したが、東京に比べて茨城はほとんど雪が降らず予定通り行われた。涸沼周辺の二つの学校に焦点を絞り、スポー系、コミュニテイ系、アート系の四つの提案をした。町ではすでに住民の意見収集なども行っておりそれも踏まえこれからひとつの方向性を作るとのこと。引き続き来年度にこの仕事は敷継がれ、来年は住民も交え案をひとつに絞り実現へ向けてWSなどを行っていきたい。

January 29, 2015

駐車場は貸して駐輪場は二段式になった

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うちのマンションは総戸数70戸弱。そこに駐車場が屋内が30第弱屋外が10台くらいあるのだが、屋内の駐車場には空きがでてきて、屋外の駐車場はついに使う人がいなくなり、近所の企業にまるごとお貸しすることにした。一方駐輪場は数十台分あったのだが希望者が増えて倍増する計画で一部を二段式にした。おそらくこうした車のニーズが減って自転車のニーズが増える傾向はますます増えると思う。こうなると靖国通りも新宿通りも車線を一車線減らして自転車レーンを作ることを考えてもいいのではなかろうか。もちろんきちんとした調査は必要だとしても、、、

January 28, 2015

非合法探検隊

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甲府の現場は東京同様今日の気温はぐんと下がってかなり寒い。早朝の電車で帰りは夜。一日現場をウロウロしていた。往復の車中で読みかけの本:ブラッドリー・L・ギャレット(Garrett,B・L東郷えりか訳『立ち入り禁止を行く――都市の足下・頭上に広がる未開地』青土社(2013)2014を読む。先日の朝日の書評にも載っていた話題作。著者はPhdを持つ社会学者のようだがその正体は不明である。というのも立ち入り禁止区域潜入のレポートはそれだけでひとつの犯罪を自ら暴露した記録のようなものだからである。よってその潜入先は場合によっては(本当に潜入が非合法のような場所の場合)正確な場所と日時は書き換えられ、あるいは明示されていない。主な潜入先は、廃墟、工事現場、地下インフラ、使用済みの軍事施設、などである。躯体が出来当たっがスカイスクレーパーの最上部での夜通しのバーティーなど少々気違いじみている。しかしこの手の都市探検は実は著者の思いつきのような行動ではなく、多くの同好の輩がいるというのが驚きである。

January 27, 2015

Arquitectura social

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ソーシャルアーキテクチャーの根っこを探るべく助手のS君に南洋堂に調査に行ってもらったらなんでも知っているSさんがいろいろと本を紹介してくれた。一つはRural Studioの作品集。これ2014年に出ているからかなり最新情報。20年の営為が詰まっている。それからMOMAで行われた展覧会Small Scale Big Change(2011)のカタログである。そしてBuilding Brazil ――Proactive urban renewal of informal settlements つまりブラジルファベーラの再生である。などなど。
今年は来月Arquitectura socialのシンポジウムがあり、小学校再生プロジェクトが2年目に入り、新しいリノベプロジェクトが始まりそうで、夏にはブエノスアイレスのスラム(villa)調査も行う。腰を据えて Arquitectura socialを考えてみてもいい。
しかしこの言葉の意味はラテンアメリカ行くとスラムと結びつくし、東南アジア行くと災害に結び付き、先進国だとリノベに結びつくわけで世界的に意味合いがいろいろ変るようである。

January 26, 2015

90を超えても知的に生きる

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外山滋比古90歳を超えてこんな本を書いている(『知的生活習慣』ちくま新書2015)一体全体どんな健康な精神と肉体を持った人なのだろうか?学生の頃読んだ『知的創造のヒント』は40万部近く売れたらしい。その頃からこの人みたいに脳みそを鍛えようと思ってそこに書いてあることを一生懸命真似たけれどまあその足元にも及ばない。そしてそれから30年たってこの人は未だに膨大な着想メモを書き続け、5つの勉強会を続けているという。恐れ入った。

January 25, 2015

不機嫌な人は幼稚に見える

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和田秀樹『感情的にならない本-不機嫌な人は幼稚に見える』新潮社2013をつい丸善で買って30分で読んだ。というのもいつも感情的になる人を見て幼稚だなあと思っていたからである。しかし読みながら、かく言う自分も論文の梗概とか読みながら学生相手に感情的になっている。ああ幼稚に見えているのだろうと反省しきり。また本書には次のようなことも記されている。Should 思考はグレーゾーンを認めず、グレーゾーンを認めない人はつまり原理主義者であり、そう原理主義者がいるとどうも周りの感情を悪化させる。しかし人のことばかりは言えない。このshould思考は別の言い方をすると曖昧さ耐性が低い状態をいうのだが、私も酒を飲んで感情的になったりするとこの曖昧さ耐性が0になり白か黒かはっきりさせるようになり、対人関係においてもあいつはいいとか悪いとかダメだとか言うようになる。
感情的になったらどうするかこの本では「放っておく」そうすると「忘れる」だそうだ。そんなことできるだろうか?できない場合は「動く」こと。なるほど。そして考えても始まらないことは考えない。はいそうしましょう。

菊竹清訓の方法論

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国立建築近代資料館に菊竹清訓アーカイブを見に行った。今日はA0翻訳会の予定だったがメンバーの一人天内君がインフルエンザにかかったために(おかげで)翻訳会は中止となりこうして菊竹展に来られることになった。
菊竹清訓は僕の中では作った建築もさる事ながら、建築の方法論を真面目に模索した日本で最初の建築家として輝いている。菊竹氏自ら言うように建築とは方法が存在しない工学でありそれはとても珍しいことである。それゆえ多くの人がその方法を確立しようとチャレンジしては失敗してきた(かくいう私の『建築の規則』もその一つである)。建築の方法論とは他の工学のそれのようにリジッドなものではなく、もっと緩いものである。とはいえそこにある種の原理があると僕は思い『建築の規則』を書いた。その時そのての方法論を古今東西有史以来調べた挙句に菊竹氏の閃きに出会ったわけである。そういう意味で建築の方法論を記した他の建築家として磯崎新と篠原一男は日本近代建築史において僕が最も重要と思う建築家である。
菊竹展では50ページほどのカタログがある。売っているのかと思っていくらか聞いたら無料だった。今時こんな立派なものを無料でくれるなんて凄いとは思うが、その必要はないようにも感じる。売ったらいいと思う。その中に山名先生の文章がのっておりアーカイブの重要性が謳われている。まったくである。噂によると建築家藤井 博巳の図面はすでにポンピドゥーが買い上げているとか、、、、文化庁頑張れ。

ご苦労様

理科第二部卒論、卒計発表会。発表できなかった人3名、出せなかった人1名。1時半から6時半までなんとか終わって会議して8時。神楽坂の一品香に意匠系の学生と非常勤の先生数名で食事に行ったら、座敷が今本研究室に占拠されていた。テーブルの方も我々以外のお客さんがいなくなり、一品香が理科大でいっぱい。
学生諸君ご苦労さまでした。

January 23, 2015

篠野教授最終講義のタイトルが素晴らしい「我が悲しき論文指導失敗の思い出」

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東工大の篠野先生の最終講義を聞きにすずかけ台にやってきた。篠野さんの部屋には以前一度拙著『建築の規則』ゼミをさせていただきに伺ったことがある。このキャンパスは山あり谷ありの中にあるのでアップダウンが激しい。3時の開始に遅れるかと思ったがぎりぎり滑り込む。講義タイトルが振るっている。「我が悲しき論文指導失敗の思い出」である。これはガルシア・マルケスの本のタイトルを文字ったものだそうで、そのペダンチックなところが篠野さんらしいし、自分の失敗談を語るというマゾヒスティックなところもまた篠野さんである。とは言えそんな自虐的なストーリーでしっかり自分を語るところがまた篠野さんである。この失敗談はしかし実は失敗談ではなく篠野さんのチャレンジの歴史と見るほうが正しい。型にはまった安全な論文を作り続ける凡庸な学者であることを捨てて、常に未開の地に新たな武器を持って突撃する勇敢な学者の勲章だと私には思える。
30年前と全く変わらぬ精悍な外観とはつらつとした喋り口に元気と勇気をもらった。彼がいなければ僕らのコルビュジエ論文は生まれなかったと確信もした。今日はとてもいい日である。

January 22, 2015

卒計締切

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今日は二部卒業設計の提出日。展示会場には6時から9時半までの間に模型を置いて図面を貼るのだが、その場で制作している学生が沢山いる。手伝いの学生も溢れていてさて9時半の締切までに終わるのか????製図室の片隅には先生をあしらった劇画??悪者?

January 21, 2015

サブカルチャーの震源地

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以前信大の輪読ゼミで80年代論をやったことがあった、宮沢章夫東京大学「80年代地下文化論」講義2006 白夜書房 / 原宏之バブル文化論―ポスト戦後としての1980年代 2006 慶応大学出版会などを読んで議論した。当時なぜか長野駅前の平安堂には80年代論コーナーがあり、密かにブームだった。その時の宮沢さんの本が面白く、『ニッポン戦後サブカルチャー史』NHK出版会2014を通読。サブカルチャーの始まりは56年のアメリカでありビートニク、ロックンロールそして日本に来て太陽族。サブカルチャーという言葉が日本で最初に使われたのは68年の美術手帖だそうだ。そしてその中心地は時代を追って移動。60~70年代は新宿、70~80年代は原宿、70~90年代は渋谷というのが宮沢の観察である。僕の学生時代は80年代前半だから時代は原宿だったのだろうが通学路だった渋谷によくいたかもしれない。そのころはただ賑やかな町というだけでサブカルチャーに触れていたというような意識は0。たまに原宿や麻布のレッドシューズ辺りに行くとそういうたぐいの人たちがウロウロしていたというのをよく覚えている。
宮沢さんって早稲田で教えていたときやはり先生だったので早稲田出身だと思っていたら多摩美なんだ。

January 20, 2015

やれやれ

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2月にシンポジウムがあるので参加できますかと12月ころ聞かれて日程次第と申し上げていたら、昨日2月11日に行いますとメールが来た。ネット上には既に僕の名も他の参加者もそしてシンポジウムのテーマを掲げられていた。これは参った、テーマも、他の参加者も、日程も何の相談もなしに決まり決まったことだけ告げられたという形である。そしてその日は大学の入試があるのでシンポジウムの始まり時刻までには間に合いそうもないと言ったのだが、入試が終わり次第おいでくださいとかなり強引である。やれやれ。

○○の無い建築

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大学院のデザイン論の講義は拙訳『言葉と建築』が教科書。モダニズムを生み出した言葉空間、機能、形、柔軟性などなどを一回一つずつ講義した。この授業の最終レポートとしてこうした言葉の欠如した建築すなわち〇〇の無い建築を考えよという小設計を課題とした。今日最終講評会でゲストに奥山信一さんを及びして講評した。20近い受講者の作品を一つずつ手短に議論。知的ゲームはこちらも頭をフルに動かさないとついていけない。しかしなかなか実りある課題である。

January 18, 2015

流しのしんちゃん

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夕食時にテレビを見ていたら「路地裏の名店」と称して、立石、銀座、西小山、八重洲、そして荒木町が登場した。行ってみたい場所オンパレードである。なかでも西小山は行ってみたい。というのも学生から聞いて知っていたけれど数年後に再開発でクリアランスされて無くなってしまうから、なんとも悲しい話である。なんとかしないと本当に東京からこういう場所が消えていくかも知れない。
荒木町ではあの流しのしんちゃんが登場した。前カメラマンの浅川さんと飲んでいたら彼が入ってきてなんと浅川さんとデュオしたのにはびっくりした。こんな人もいなくなってしまうのだろうか???

拡大レンズ

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修士論文の梗概をチェックし始めた。最近ますますだけれど小さい字は見えない。たしかに老眼に合わせて文字サイズを決める必要はないかもしれないけれど、もう少し大きくてもいいだろう。せめて新聞程度になりませんか?そもそも彼ら自身こんな小さい字は見えているのだろうか?というわけでこのごろ拡大レンズは必携である。

January 17, 2015

ホタルイカ

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夜ホタルイカhttp://www.ofda.jp/sakaushi/works/type/04commercial_facility/01/index.html#で会食。できてから12年たち入口脇のシートが取れたままになっている。加えて隣の建物がなくなって駐車場になったのでそちら側につけていた設備機器が丸見えになっている。そこまで予測して作れということか?それとももうすぐとなりも建つはずだと思えばいいことか?

January 15, 2015

メロディというオブジェクト

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だいぶ前に事務所のCDプレイヤーが壊れてCDを載せるトレイが出てこなくなった。そこで事務所に結構たくさんあるCDを少しずつ家に持って帰ることにした。とはいえ家も置き場所がないので厳選して聞きたいものだけに絞り、今日は「リプレー・ドビュッシー」というタイトルで、有名なエレクトロニクス、ミュージックコンクレートなどのミュージシャンがドビュッシーの同じ曲をアレンジしたCDを持ち帰った。聞きながら思うのだが、メロディーの力は大きい。メロディーがしっかりあると、音質を変えようと、リズムを変えようと、そう簡単に音楽の全体形は変わらない。坂本龍一もピエール・ヘンリーもポルター・リックスも兄弟である。やはり調性音楽はメロディーが力を持っている。おそらくメロディが感じられないような曲になれば彼らのアレンジは強くその差異を鮮明にするだろう。メロディは造形で言えば形であり音質は素材の色や肌理となる。メロディーの力とは形の力である。どちらも耳と目に訴えるオブジェクトなのである。

鈴木理策の目

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Photo © Risaku Suzuki/ Christophe Guye Galerie.
鈴木理策の『sakura』という写真集がある。ピントがどこにあっているのか分からない満開の桜の花が揺らいで見える写真集である。それには鷲田清一の文章が載っている。曰く
「桜」という、だれもが何かを歌いたくなる、そんな〈物語〉への陳腐な誘惑をかわし〈意味〉による盛り上がりを禁じながら、どこに向かうかも分からない妖しい軌道を描く。これが妖しいのは、なんらかの意味に寄りかかってみることの軽さを一方でつきつけながら、その軽さがそれでも匿しもっている「見る」ことの野性を、たっぷり過ぎるほど厚く撮すからだ。
つまりここに写っているものは桜なのか花なのかピンク色なのか模様なのかただのぼやけなのかもはやそれが何かという意味性を問題としていない。目に見えてきたもの、いたもののみを掬い取っているということを鷲田は言いたいわけであり、僕も同感である。これはモノをゲシュタルトとしてその全体性を見ていたモダニズム的な視線とは明らかに異なる。ものを全体性でみるスタンスはそのものの意味性に拘っている。しかし人間の目は常にモノの全体性などを見ているのではなく、目に入ってくるものとはおおむね断片なのである。その自然な視覚の状態が現代の視線であり、鈴木の目なのだと思う。

January 14, 2015

甲府の現場

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甲府の現場に昼頃到着。快晴。クライアントと新年最初の定例。年末建て方が終わり、壁の合板が大分付いて2階のサッシュも付いた。この建物は吹き抜けを介した大きな壁が十字に入っているところ。その空間の大きさを感じながらクライアントと現場を見る。さてあと2ヶ月である。

January 12, 2015

付属の同期と新年会

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朝軽井沢の現場。昨晩まで雪が降っていたのでなかなか寒い。午後東京にもどりジムでサッカーの試合を見る。なかなかいい試合で結局全部見る。夜は中学高校の友人夫妻と新年会。小児科医とゼネコンとバンカー。みな活躍中。いいねえ。

January 11, 2015

社会的共通資本

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宇沢弘文の『社会的共通資本』岩波新書2000では経済、文化がバランスよく発展するために社会が共有すべき資産を「社会的共通資本」と呼ぶ。それらは農村、都市、教育、医療、金融、環境であり、これらを経済史の中に位置づけている。そうすると何が見えてくるか、現在のネオリベラリズムの中ではすべての分野で儲かるとことが最優先にされるがためにそれらの本来のあるべき姿を逸脱するものあるいはそれ自体の衰退を招くものが出てくるわけでわる。典型的なのは農村、教育、そして都市、医療、環境も同様である。著者に言われるまでもなく、これらの社会的資産は無くなっていいものはひとつもない。世界は冷静にこうした問題を直視しないといけない。

何者

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早稲田大学の現役学生小説家朝井リョウという名前をどこかで知って一冊読んでみた。『何者』というタイトルの直木賞受賞作、仲良し5人の就活物語である。最初のうちはお互いが協力したり、励まし合ったりしているのだが、終盤お互いの欠点を露骨に非難し合う結末となる。その批難のかなりの部分はツィッターで呟いていることへ向けられる。主人公はツィッターに二つのアカウントを持つ。周りからは本人だとは気づかれないと思っていた「NANIMONO」というアカウントがメルアドからバレてしまい、そこに好きに書いていたことが最後に徹底的に非難される。
「あんたはさ、自分のこと観察者だと思ってんだよ。そうしてればいつか、今の自分じゃない何かになれるって思ってんでしょ?」「あんたは、いつか誰かに生まれ変われると思ってる」「いい加減気づこうよ。私たちは何者かになんてなれない」
僕の身の回りでもツィッターで傷つく人は少なくない。SNSが普及すればするほど、SNSワールドの言葉に敏感になるのは当然である。僕らの世代が大して気にしないことでも今時の大学生はとてもデリケートである。彼らにとって現実の世界と、SNSの世界は併存しており、彼らはそのどちらの世界の中でも生きていかなければならない。そういう生き方は恐らくそう簡単に消えることもない。

Time Flies

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去年は出られなかった大学の新年会(正確に言うと理科大工学部の新年会)に出席。理事長が挨拶でinnovation, entrepreneurship, quaity of life この三つがキーワードだと述べておられた。新年会の後丸善に行って新刊を物色。去年の今頃はロベルトたちと桂を見に行ってたことを思い指す。光陰矢の如しである。Time flies.

January 9, 2015

いつになったら終わるのか?終わらないのが表現というものの宿命なのか?

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今日は朝から原稿と睨めっこ。やっと昨日一つ短い原稿を送ったのでまた長い原稿とにらめっこ。図版を加える、文章を足す、引用を足す、図版番号を振りなおす、文献表を刷新する。とりあえずここ1ヶ月分くらいの修正と付加した原稿をプリントアウト。A4表裏で100枚。そして再度読み直す。読むそばから赤が入る。半年こんな調子でずっとやっている。翻訳も平行していやっているが、こちらも何度目かの読み合わせしても絶対赤は入る。そうやって2年半。翻訳やっているとつくづく思うのだがやろうと思えば一生やれる=かかる(もちろん能力がないからなのだが)。こういう原稿もやろうと思えば一生終わらない。八束はじめさんの何かの本のあとがきに出版されたそばから直したくなると書いてあった。八束さんにしてそうなのだからいわんや私ごときおやである。スケッチも描いたそばから描き直したくなるのであり、いつになったら一回で書ける(描ける)ようになるのだろうかと思いつつもう55である。

January 8, 2015

廃校小学校

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さて今日から大学が始まり、会議は続き、研究室の活動も始まった(始まったのは僕だけで、学生は正月もなく活動中)。今日は月末の茨城町の廃校小学校計画の打ち合わせ、耐震設計をデザインに活かすがテーマである。アート、スポーツ、コミュニテイという3つの案を進行中。さてどうなる?

January 7, 2015

もっとゲーリーを

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12月にエンリクが来た時ザハの国立競技場の話からスターアーキテクト問題に移り、ビルバオの話になった。彼はビルバオをどう思うかと聞くので僕はビルバオであの建物を見て感動したと言うと、彼もビルバオの街はあの建物で復活したと言った。しかしと僕は続けて、世界中であれを作り続けるのはどうかと思うと言うと、その通りと同意した。しかしこの間読んだglobal architectなる本に書いてあるとおり、スターアーキテクトに頼むクライアントはスターのブランドイメージが欲しいのであって、デザインを変えることは容易ではないと書いてあった。そうだよなあと思いつつ本当だろうかと疑心暗鬼だったのだが、今日ジェンクスが10年くらい前に書いた本(Charles Jencks Iconic building Rizzoli 2005)を読んでいてやっぱそうなんだというインタビューが載っていた。それはジェンクスがゲーリーに行ったインタビューである。
CJ:フランク、アイコンの作り方が変わったよね・・・
FG:ビルバオから僕は「フランク・ゲーリービル」を作るために仕事を頼まれるようになった。彼らは「フランク・ゲーリー」を欲しいと言うんだよ。打ち合わせでデザインを置くとクライアントはこう言う「うーーんこれはゲーリービルではない」・・・・
もっとゲーリーっぽくというわけである。これはゲーリーだけではないだろうなあ、、、、、ザッハもリベスキンドもアイゼンマンもであろう。

January 6, 2015

外国向け年賀状

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去年末は理由はよく分からないが例年に比べてとても忙しく、ついに年賀状を作る暇が無かった。いつもは12月の1週目くらいにできているのだが、、というわけで去年末に腹をくくり年賀状はこちらからは出さない。来た年賀状に返信するだけと決めた。そして正月三が日以降にはもう来るまいと踏んで、3日に年賀状をつくり一度に返信してさあ終わったと思っていた。しかしそうは問屋が卸さない。今日6日になってもまだ年賀状は少しずつ届く。しょうがなくちょぼちょぼ返信しているのだが、外国からもご丁寧にカードが届く。そういうのは日本語の賀状を訳してメールに添付して返信している。しかしせっかく作ったのに10通くらいしか出さないのももったいないので、ブログにあげることにした。たまたま見た方にHappy New Year!!である。

January 5, 2015

数学者の文章は論理的

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重い腰を上げて篠原先生のアフォリズム集の英訳を始めた。最強のメンバーで臨むこの翻訳チームのなかで最弱小の私はページ数を最も少なくしてもらったが、そうは言っても和訳と違って英訳は大変である。そう思って始めたが、たしかに大変は大変なのだが、実に篠原先生の文章は主語述語が明快で英語にするのに困ることは何も無い。とりあえず本日の文においては。これが最後までそうかどうかは分からないが、数学者の文章はやはり論理的ということか?

January 4, 2015

繊細の精神とは

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パスカルは『パンセ』の中で人間には繊細の精神と幾何学の精神があると言っている。これを聞くと数学者パスカルの考えは数学者篠原一男の精神を見事に言い表しているように感ずる。篠原の空間はまさに大胆な幾何学と繊細な空気感を両立させるところに生まれているように思う。
話は飛ぶが、あの紙の会社である竹尾が原研哉編『SUBTLEサトル:かすかな、ほんのわずかの』竹尾2014という本を作った。その中でパスカルのこの話は原研哉と数学者森田真生の間で話題となっている。たしかに紙をデザインするということはまさにこの二つの神経の交錯するところに生まれると思う。この本に登場する作品を見ているとよくわかる。どちらかに神経が偏ってもいい作品はできないのだろうと思う。さて建築はというと??繊細さを単に質料的なとしてしまうと話は歪曲されてしまうので、これはあくまで幾何学精神と繊細精神と考えておきたい。
繊細とは何か、壊れやすい、虚弱な、力弱い、、、、言葉はいろいろ出てくるのだが、言葉にしてしまうとどうにもしらけてしまうので、今日の作品集のなかで一番繊細に見えた葛西薫の作品を記録として残しておきたい。これはマット紙の上に小さな宝石をおいてその上に和紙を被せた作品である。

January 3, 2015

建築理論を語る難しさ

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東京大学建築学専攻編『これからの建築理論』東大出版会2014によれば東大の建築学科では建築学専攻に4つの軸を作っているという。それはデジタル、サスティナブル、メディア、そしてシンクタンクだそうだ。どこにでもありそうなテーマではあるが、早速行動に移し、本まで作っている行動力が素晴らしい。とまあそのお膳立てはともかく、本の内容はいささか散漫ではある。隈研吾司会の原、槇、磯崎鼎談は目玉なのだろうが、まあお話はまったく噛み合わない。それは彼ら自身言うようにその昔はまだしも、30年くらい前から3者の間に会話も何も無いという状況なのである。それはそうだ80年代のポストモダンとは皆が好き勝手を語る時期なのだから。
こういう本を読むと、建築理論を語ることの難しさを改めて感ずるのだが、もう少し議論の範囲を絞れば噛み合うのだろう。その手の現代建築理論を系統だてた参考書(洋書)に沿って、その中のどこを扱うかを定める必要があるだろう。もちろんそのどこをテーマとするかを決めるのが難しいかもしれないが。僕なら現象学とその限界などが面白いと思うが。

January 2, 2015

反グローバリズムの克服とは脱グローバリズムに繋がる

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年の初めに少し自分の意見を客観視しようと思い、自分と逆の意見と一見思える本に手を伸ばす。今書いている文章で批判しようとしているものがいくつかあるが、その逆の立場からの意見として八代尚宏『反グローバリズムの克服――世界の経済政策に学ぶ』新潮選書2014を先ずは読んでみた。さて読んでみると反対すべきこともあるが賛同できることも多々あることに気づく。そもそも僕は反グローバリズムではなく脱グローバリズムなのだと自らの立場を改めて考えた。つまりグローバル全てを悪だと思っているわけではないし、グローバリズムと密接に絡むネオリベラリズムの主張である競争を何でもかんでも不要と考えているわけではない。国際性なき地方主義に未来はないと思っているし、全てに平等を主張する怠惰は回避しなければならないと思っている。そうした視点からすると、八代氏が指摘するように中途半場な政府介入が破綻仕掛けた金融機関を救済し、それによって民間はそれを見越して行動し、より高いリスクの商品を生み出すインセンティブ(誘因)となるというような指摘はその通りだと思う。こういう人がグローバリズムを是々非々で記してくれると良いと思うのだが。

資本主義は不平等を解消できるか?

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日記を振り返ってみると2001年の正月から年の初めは両親と兄家族と初詣をして食事をとるようになった。そしていつのころからか、年の瀬に青山に皆で宿泊して初詣をして食事をするようになった。この週間は兄家族が海外に居る時も正月だけは帰国して続き、3年前に母が他界してからは、初詣の前に墓参りをして吉祥寺でフグを食べるようになった。15年続く年始の行事になった。となっているので年始はどこにもいかないで家にいる。そもそもこの頃の旅行は値段が高いという問題もある。
今年は陸郎はデンマーク、太平はオーストラリアにいるので欠席。オヤジは杖をつかずに歩けるようになり驚きである。頭脳も明晰である。朝刊にでていたトマ ピケティ『21世紀の資本』の話は既に知っており資本主義が不平等を解消できるかと投げかけたら、それは難しいだろうと返された。
そういえば夜タモリがテレビで同じようなことを言っていた、資本主義でも共産主義でもなく、その間のような主義が世の中の問題をより多く解決することを期待する、、というような、、、