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資本主義の終焉は何を導くか?

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私が日建設計をやめる時(1988年)マルキストである私の父親は21世紀世界経済がどのような事態になるかを予測して独立して建築なんてやれる状況ではないことを語った。そして日建をやめないよう私を説得した。しかし考えてみればマルキストが資本主義の歯車のような会社で働く息子を否定しないというのもへんな話である。その時私はもちろん父親の言うことを真に受けてはいなかった。マルキストが資本主義の終焉を語るのは当たり前のことだからである。しかし今は普通の経済学者や政治家がそういうことを言う。例えば水尾和夫は元モルガンスタンレーにいて、その後内閣府で官房審議官までして最近『資本主義の終焉と歴史の危機』集英社新書2014を書いた。その内容は20年以上前に父親の言っていたことにほぼ等しい。簡単に言えば資本主義は先頭ランナーが後続から資源を買って加工して付加価値を付けて後続に売りその利ざやで儲ける。儲けた金で工場を大きくしてもっと作ってもっと売ってもっと儲けるという成長のイズムである。しかるに21世紀に入り、すでに先頭ランナーは息切れして、後続ランナーは元気になり全員が横並びにならんとしている。こうなると作ったものを誰に売る?売る相手がいなくなるので儲からない。儲からない資本主義はもはやその死期を迎えているというわけである。昨今資本主義批判の本は巷に溢れているがこの本は最もわかりやすい。榊原英資、内田樹、佐藤優などなどが推薦し17万部も売れている。トマピケティよりはるかに説得力がありかつ明日を考えさせる本だとぼくは思う。
さてそんな本を読みながら山崎亮『ソーシャルデザインアトラス』鹿島出版会2012を並行して読んむ。そこにはこう書いてある。昨今メディアに登場する建築のほとんどは「コマーシャル建築」である。それは経済的な価値を重視し、人をどれだけ集められるか、いくらで貸せるかというようなことが問題になる建築なのである。一方建築にはそれとは異なり、困っている人を助ける類のものがありそれはソーシャル建築と呼ばれる。この手の建築は地味だし、金にならない。よってメディアにはあまり載ってこないから誰も知らない。しかしこういう建築も重要だろうと言って山崎氏はその紹介の本を作ったわけである。ここでこの両極を経済と結びつけるなら、コマーシャルは資本主義的であり、ソーシャルは社会主義的ということになる。先ほどの資本主義の終焉に説得力出てくると、コマーシャル建築は原理的に終焉するということになろう。
さらに並行してMOMAで2011年に行われた展覧会『small scale big change』を読むとこんなことが書いてあった。モダニズムは社会の最大公約数のために社会を抽象化して多くの人のために巨大スケールの建築を作ってきた。しかし時代が変わり、現在必要なことは社会を抽象化せずに、個々人を大事にして少数の人のために小さなスケールの建築を作り社会を変えていくことだと。
こうして三つの本を同時に読むと資本主義は超低空飛行をして、それに後押しされるコマーシャル建築の未来はかすみ、巨大スケールで個人を無視した建築はお役御免となる。そんなストーリーが自然と生まれてくる。おそらくその流れにそう間違いはないように思う。でもそうは世の中進まない。あるいはそれはひとつのアンチ資本主義原理主義のようにも響く。ビッグではなくスモールというのもMOMAっぽい宣伝文句に聞こるし、なにか不自然である。コマーシャルでもソーシャルでもなく、ビッグでもスモールでもないものがあると思う。

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