根は理系
どうにかこうにか修士論文の体裁は整ったようだ。とりあえずm2の皆はご苦労さん。しかし本番はこれから。午後一で博士課程の入試。その後キャンパス計画の打合せ。他大学の計画をネットから拾う。阪大、名大、北大、熊大。どこも結構力が入っている。まあ組織力だろうか。こちらは僕と春原さんの二人三脚。帰宅の電車でエリアーデの『イメージとシンボル』せりか書房1974を読む。精神世界の話はどうも弱い。普段は文系の脳みそだと思っているのだが、このあたりが弱い人はやはり理系なのだろうか。
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どうにかこうにか修士論文の体裁は整ったようだ。とりあえずm2の皆はご苦労さん。しかし本番はこれから。午後一で博士課程の入試。その後キャンパス計画の打合せ。他大学の計画をネットから拾う。阪大、名大、北大、熊大。どこも結構力が入っている。まあ組織力だろうか。こちらは僕と春原さんの二人三脚。帰宅の電車でエリアーデの『イメージとシンボル』せりか書房1974を読む。精神世界の話はどうも弱い。普段は文系の脳みそだと思っているのだが、このあたりが弱い人はやはり理系なのだろうか。
1月30日
朝からT邸の打合せ。設計が詰まってくるとクライアントの細かな要求も多く出てくる。そうすると設計があっち行ったりこっち行ったりする。幸いクライアントはよく知った人なのでその意向が不明になれば即電話して確認できるのが嬉しい。これでだいぶ時間の無駄を防げる。午後一で某タワープロジェクト打合せ。久しぶりに照明デザイナーの澤田さんとお会いする。彼は面出さんのところにいて独立した有能な方である。僕はニッセイの仕事をした時に澤田さんに照明デザインをして貰った。彼は建築化照明をディテールまでつめれる人である。そのスケッチがまた卓抜であった。その後arupと打合せ。雑用を片付け帰宅後夕食をとって東京駅へ。久しぶりに丸善に立ち寄りめぼしい本を購入して家に送ってもらう。そのまま長野に。
早朝大学に某市の方が見えその車で市に向かう。市の中学校建設のプロポーザルの要項と審査の方法の検討会である。この手の仕事は今年三つ目である。市長さんとお話をする。行政の透明性を確保しながら、市にとって最良のものを選ぶにはどうしたらよいのかというのが市の課題であると力説されていらっしゃった。検討会の後市の山岳博物館に案内してもらう。ここからの北アルプスの眺めは絶景である。大学に戻りまた梗概のチェック。梗概はなんとかなってきたが、論文それ自体は不安が残る。やはりスタートの遅さがこうした状態を生んでいるとしかいいようがない。帰宅の電車の中で鶴岡真弓『装飾の神話学』河出書房2000を読む。バロックの楕円の起源は「カルトゥーシュ」と呼ばれるルネサンス時代の紋章の縁取りであったという説が面白かった。横山正はケプラーの楕円軌道を示唆していたがいろいろな説があるものだ。
昨晩長野に来ようと思ったが、余りの脱力感と風邪っぽく帰宅した。今朝は少し気分転換に新国立美術館を覗いた。乃木坂駅から直ぐである。入り口付近で金箱さんのような人が横を通り過ぎたが金箱さんだっただろうか?なんて思いながらあの巨大ぐにゃぐにゃアトリウムに入る。なとも大味である。美術館が大味なら展覧会も大味である。タイトルが「20世紀美術探検」だなんてそりゃ無茶というもの。
一階ロビーでサンドイッチ食べながら3層吹き抜けの上部を見上げる。ぐにゃぐにゃカーテンウォールに高さ2メートルごとくらいにキャットウォークが8段くらい重なる。縦方向の方立てもぐにゃぐにゃの鉄のフラットバーが5メートルピッチくらいに林立する。だから水平方向も垂直方向にも視界は外に抜けない。なんとも透明性の無いカーテンウォールである。まあつまりこれは透明性などはなから諦め、こうした部材の連続を見せようと言うデザインなのだろう。キャットウォークの連続も一つの文様なのかもしれない。つまりはパターンと言うことか???そんなに好意的に見てはいけない気もするが。
その後大学へ。やってるやってる。梗概をチェック。チェック。何度読んでも赤だらけになる。梗概も設計と同じなのだろうか?設計は時間切れで決まると丹下健三は言ったそうだ。しかしどちらもただ時間切れでいいものになるというわけではない。
朝起きれない。一週間分の疲れがどっとでてきた。その体に鞭打ち10時から事務所で打合せ。終わったら5時だった。うーん。ここまでやらないと駄目なのかと思いながらもやってしまう。心配性かもしれないがこの時期は心配なことが多すぎるので念には念を入れた打合せになる。その後日建のプロジェクト室に顔を出し打合せ。
今日は製図第二、2年生最後の課題の講評会。「貸しオフィス」というなんとも大学の課題っぽくない課題である。ゲストクリティークには日建の女性設計主管である中村晃子氏に来ていただいた。先ずは彼女のオフィスののレクチャーをしていただいた。18年間の在籍期間に18個くらい竣工しているようで大したものである。最新作の金刀比羅タワーは虎ノ門の30階建ての貸しオフィスである。今年の学会選集にも選ばれた立派な作品である。レクチャー後30名くらいの優秀作品を講評し例によって各クリティークそれぞれの優秀賞を選んだ。今回は前回の住宅と異なりかなりいいできである。やはりレベルが上がると嬉しいものである。帰りの新幹線の中で中村氏は2回目の製図でよくここまできたわねと感心していた。3年生になって更なるステップアップを望みたい。
今日で院生の講義が終わった。あと少しで今年度も終わる、、、、もちろん講義など大したこはないのであって、問題は卒論と修論。大学の教師になるとこの時期が一番忙しい。それはその昔奥山からよく聞いていた。そしてそれが本当であることがしみじみ分かる。長距離走や水泳のラストスパートの部分のようなもの。一見よく似ている。しかし実は違う。スポーツはとりあえずゴールすればその苦しさから解放されるのだが、実生活というのはそんな山とは関係なく次のゴールが降って湧いてきては割り込んでくるから。
話は違うのだが、今日の院の講義はtype型についてであった。僕等の思考はおよそこの型に枠どられている。平たく言えば固定観念とか既成概念というようなものである。思考だけではなく視覚もそうである。ゲシュタルトという考え方が既にそうである。人間はあるまとまりを視覚的に認識してしまうものである。リードの『イデアとイコン』において最も府に落ちた話は「人間は視界の中である良いまとまりを捉えてしまう」というひどく雑駁な謂いであった。しかしそれはどうも真実だと言う気がする。だから実は新しい造形を生むというのは簡単な操作でできるはず。この「良いまとまり」が崩れる閾値のあたりに微妙に形をずらすということなのである。所謂型にはまらないぎりぎりのところを狙うということなのである。
言うは易しだが、、、、しかしこれは結構正しいはず。
0時を過ぎるた。ただでさえ寒い長野。この時間になるととても外に出る気にはなれない。窓際の僕の席にはコールドドラフトが落ちてくる。m1の片岡君が2年生の製図と模型を製図室に並べてくれた。深夜2時から製図の採点である。製図室では4年生、修士2年生が奮闘中。手伝いの2年生3年生も見える。1時間見て回った。第一課題の住宅よりとてもよくなった。ほっとする。また明日見ないと判断を誤りそうなので今日は帰ろう。明日の講義は2コマめである。寝坊できない。
1月23日
連日の午前様帰宅。気が立っていて余り眠くない。こんな調子じゃいつか倒れる。きつい仕事をしていると精神が先に壊れる人と体が先に壊れる人がいる。僕は後者だった。サッカーやっていたときも、痛めどめの注射と飲み薬で試合に出続けいて、トーナメントに負けた時レントゲン撮ったら疲労骨折だった。運動選手にありがちである。その勢いが仕事でも続くとある時壊れている体に出会うのである。日建やめた時がそうだった。イヤーもうああいうことを起こすと選手生命を短くする恐れがあるのでよく考えないといけない。
1月22日
2時間睡眠のわりにはあまり眠くならない。こう言うときは次の日にくるのである。朝一で日建に行き打合せ。あたりまえだけど所内を1周すると多くの知り合いに会う。うれしいような面倒くさいような。昼弁当。事務所に戻り、午後一でt邸の打合せをし、英語資料の和訳などをしているうちに夜。今度は日建y、a氏等がofdaに来所打合せ。結局12時。日建が絡むと12時になる?
朝から某プロジェクトのスタディ。こんな解けない仕事は生まれて初めてである。5次方程式を解いているようなもの。変数が多すぎる。とき既に朝の5時ではないか!!久しぶりの徹夜!まあしかし今頃大学では卒業を目指して皆図面描いているだろうからこちらも頑張ろう。しかし明日も打合せが早い。余り寝る時間がない。やれやれ。
1月20日
センター試験の監督。受験生も大変だがこちらも結構緊張する。とにかく無事終わり(リスニングテストも含め)ほっとした。帰宅の電車でリードの『イコンとイデア』の続きを読む。
1月19日
朝から打合せ、夜明日のセンター試験のため大学へ。車中ハーバート・リードの『イコンとイデア』を読む。石器時代から始まる芸術論である。今までとても興味が湧かなかった内容だが昨今、文様の歴史のようなものを読んでいるせいかリードの言うことが理解可能である。長野に到着しy氏に電話。y氏の仕事のお手伝いをしているのだが、どうもうまくいかない。彼が忙しすぎて指示が伝わりにくいのとこちら側の理解不足。指示系統の明確化と問題意識の共有が必要である。バスから降りて電話してたら寒くて体が凍りそうになってきた。いや長野は寒い。
昨日の続きを帰りのバスで読んでいた。何故旧制高校が逐語訳を生む文化的基盤を作ったかという話。答えはその受験戦争にあるというものだった???本当かい?と思わないでもない。しかし確かに我々の受験の時でも、その採点の客観性を高めるために、やはり意訳には限度あったことを思い出す。旧制高校の語学力とは確かに高い。旧制高校出の親父に聞くとあれは語学学校だと言う。そして彼の語学力は兄に言わせれば私より高いという。えーーー?。親父は別に語学を生活の糧にしているのでもなけれ日常生活で使っているわけでもない。80近くまで、多分大学を出てから外国語を使う必要にせまられたことは無いと思われる。その人間をして留学して翻訳書まで出している人間より語学力があると第三者に言わせしめるというのはどういうことかと驚かざるを得ない。辞書を食っていたのかもしれない?ことほど作用に旧制高校の語学教育はすさまじいものだったのだろうと想像する。そしてその世界のエリート意識が翻訳書が一部の人間にしか理解されぬことを不思議と思わぬ土壌を生み、エリートの厳密性が逐語訳を生む土壌となったということは親父を見ているとなるほどと理解しうるものである。
久しぶりでバス。やや天気が悪く、乗車時に上越道は雪のため遅れるかもしれないというアナウンスがある。まずかったかな?とやや不安。しかし横川を過ぎてもみぞれであり、雪で走行困難と言う状態からはほど遠い。車中、鈴木直『輸入学問の功罪』を読む。明治維新からのドイツ哲学の輸入が国家的な方向性を持ち旧制高校に受け継がれていく。その中で翻訳なるものが何故読みやすさより、逐語訳を目指してしまったのかについて書かれている。その何故の核心に届く前に、長野に着いてしまった。1時のキャンパス計画の打合せには間に合った。3時間ほど春原さん、山田君と打合せ。その後センター試験の監督指導を受け。夜4年生の論文梗概、作品チェック。
もう直ぐ12時である。
早朝の電車でクライアント打ち合わせ。中国プロジェクトのプロマネからのメールの検討。相変わらずコミュニケーションギャップは大きい。これでは1年で終わる仕事が2年かかる。昼食後、事務所でt邸の打ち合わせ。詳細を含めみっちり5時間打ち合わせ。へとへとだが日建へ。某高層タワーの打ち合わせ。出来たら世界一になると思っていたのに。既にsomの800メートルタワーは工事中で400メートルまで出来ていることを知る。愕然。疲れがどっとでる。午前様で帰宅。昨日もそうだがあまり眠れず。かみさんと2時ごろまでお話し。
1月15日
東京から武田さん小野寺さんが信大の浅野先生を訪ねてこられた。某建物の雪の相談である。2時間ほどみっちり打ち合わせ。豪雪地帯では下屋を作るのが原則という話し。現在のデザインでは厳しいようである。雪は奥が深い。
その後教員会議。そして夕刻は学科の先生たちの新年会。今年は(というより去年は)忘年会が出来なかったので新年会。
夕刻、連窓の家#1で新年会が開かれた。クライアントは中高時代の同窓生であり現在は某外資系メーカーに勤めいている。3家族ほど集まる。連窓の家#1は僕が日建をやめて最初に設計した住宅であり、格別の思いいれのある建物である。竣工7年たって、植栽がとても大きくなり豊かな庭に変貌していた。シャラの木はクライアントの要望だったがそれ以来僕のお気に入りとなった。外壁の打ち放しの上にスポンジたたき塗装もこのとき発明したもの。その塗装の上にアクリルシリコンのクリアーは7年たってもびくともしていない。L字型の既製品キッチンに建築工事で継ぎ足したコの字型キッチンはゆったりとして使いやすい。
気負いもあるが思いいれも大きいだけにそれぞれの部位に思い出が多い。そして「とっても気に入っている」と言われるとほっとすると同時にやはり建築家冥利に尽きる。
朝から論文書類作成。昼は散歩がてら、かみさんと駅前の四川料理を食べに行くことにする。そこの坦々麺が美味しいらしい。麻辣房 (マーラーファン)という名で四谷の駅から麹町側に100メートル程度行ったところの左側東急ビル B1Fにある。餃子も美味しい。
昼食後「paul」でバゲットを2つ買う。新宿通りから少し横にそれ、「わかば」で鯛焼きを2つ買い食べながら歩く。食べ終わる頃に津の守坂の交差点。スタバで一杯カプチーノを飲み。僕は事務所にちょっと顔を出す。ナカジが出ている。午後大学ラグビー決勝を少しテレビ観戦。早稲田vs関東学院である。3連勝をかけた早稲田だがラインアウトが全く取れない。これでは無理だろうとおもっ見ていたがやはり負けた。残念。夕方からゴンブリッチの『装飾芸術論』読み始めた。
ハーバート・リードの『インダストリアル・デザイン』を通勤電車の行き帰りで読んだ。昭和32年に初版翻訳(みすず書房)されたこの本をネットの中古で購入した。もとはと言えば海野弘の『装飾空間論』に紹介されていたものである。この中でリードは装飾を空白への恐れという人間の本能に位置づけている。もちろんその由来はヴォリンガーである。そしてこの空白恐怖以上に装飾の起源への思考を進めず、モダンデザイン(装飾否定)称揚へ理論展開している。1953年という時代を考えればいたし方無いのかもしれない。
装飾否定時代?の現代においてネットの中古には装飾の面白い本がいろいろ転がっている。昭和29年繊維意匠創作協会編出版の『世界模様図鑑』という本では古代からの世界各地の模様の相関図が載っている。これはなかなか傑作である。これに拠れば、世界の模様は全て相関線で繋がっているのだが、唯一繋がっていない地域がある。本当か嘘か分からないが、それは南米(インカとマヤ)である。
1月11日
午前中早稲田大学。静心先生の書のレクチャーを聞く。久しぶりに小田部氏と会う。ワープロの普及が字を書くという人間の身体感覚を喪失させるかもしれないと彼が言う。そうかもしれない。小田部氏も私もヴァイオリンをやっていたので音が流れてくると勝手に左手が動く。同様に日本人は漢字を見れば書き順というものにそって手が動くのだがいずれ手が動かない日本人が現われるかもしれない。
午後連続的に3つの打ち合わせ。
ゼミ授業ゼミ。年明けからはゼミはマンツーマンである。フー。去年より進捗は遅い。後は体力勝負。輪読はヴィドラーの『不気味な建築』。ここにもジェフリースコットが引用されていた。やはりヒューマニズム建築の基本文献のようである。
1月9日
夕刻、工信会なる工学部の教職員の集まり(新年会)に出席。出席するつもりはなかったのだが、つい誘われて出たせいか、雑用がたまった。
来年度の講義のヴァージョンアップを行うべく「大きい小さい」という講義用のパワポ作りをはじめた。更に順番やタイトルの見直しをした。1日で終わるとたかをくくっていたが無理そうである。諦めて昼頃スタバに出かける。そこでは朝から勉強に出かけているかみさんがいる。スタバでお勉強をするというのは不思議なものだが、スタバに行くと確かに半分くらいは勉強しているお客である。
規律社会に対する管理社会としてよく例にでるマクドナルドの硬い椅子の話がある。マックでは満面の笑みをたたえホスピタリティを示しつつ、回転を上げるために椅子を硬くしているとものの本には書いてある。それに対抗してスタバは高いコーヒーを柔らかい椅子で飲まそうと考えた。その結果がこうなっている。図書館代わりの喫茶店と化している。かみさんの話では4時間くらい長居している人たちが4~5人はいるという。そしてそれはこの店に限らないとのことである。果たしてスタバの戦略は思い通りなのか?はずれたのか?
朝からいい天気である。長野は雪のようだが。日曜美術館を見ていたら宇都宮美術館の亀倉雄策展が紹介されていた。亀倉雄策もさることながらこの美術館(岡田新一)を見たくなり、さあ出かけようかと思い立ったがクライアントから電話があり、別案を作って欲しいと頼まれた。事務所でスケッチpdfで送っていたら、天気が悪くなってきた。その上寒い。遠出は中止し、今日届いたいくつかの古本を読み始めた。若宮信晴『西洋装飾文様の歴史』、ルカーチ『美学』(一番最後に装飾の章がある)。
去年僕の研究室を修了したF君が事務所を訪れた。仕事のことで相談ごとであった。大雨の中10時頃来て1時頃帰って行った。次の打合せが1時であることをすっかり失念し、飯を食いそびれた。打合せといってもスタッフといっしょに住宅のプランを練るというもの。気付いたら8時である。余りにお腹が減ってめまいがしてきた。帰宅して夕食をとったが体にエネルギーが広がらない。
キャンパス計画をするのに芦原義信の『外部空間の設計』を探していた。ないないと思っていたら、机のすぐ脇の本棚に発見した。良かった。その後書きに、バシュラールに啓発された芦原が大きい空間と小さい空間の対比について語っている部分を発見。そして小さい空間の本質として胎内性という言葉をあげ、これが大都市の荒廃に対抗する精神性であろうと結んでいる。大きさと小ささは僕の論文の一つの骨子でもあるし、その昔からずっと考えていることであるが30年前に既に触れられていることに普遍性を感じた。
突如事務所にカナダ人の建築家が現われた。日本人の友人といっしょなのだが、こちらは一体何が何だか分からない。友人曰く、事務所で働きたい旨メールしたとのこと。そしてそこにポートフォリオも添付したと言う。しかしまったくその記憶がない。しかしとにもかくにも本人が目の前にいて、ポートフォリオも持っていて見てくれという。カナダの大学院まで出て、カナダの事務所で三年働き日本で働きたいという。こちらは意地悪だから、日本で働きたいなら事務所は一杯あるよと教える。こちらは何故ofdaで働きたいかを聞いているのである。すると僕宛の手紙を出す。手紙はなかなか良く書けてある。しかしそう簡単にこの手の人を受け入れることは難しい。先ず日本語がまったくできない。これでは僕とコミュニケーションできても仕事はできない。デザイン力も飛びぬけてあるわけでもない。この手の人は何度か来るのだが、まあ難しい。日建設計あたりに聞いてみたらどうかとアドバイスする。午後打合せ。また長い打合せとなる。終ると10時。皆で食事をして解散。
大学の仕事始めである。工学部長の挨拶を聞く。去年はこの会には出席しなかったので、新年挨拶を聞くのは始めてである。その昔日建で社長挨拶を聞いたことを思い出す。若い頃はこの手の挨拶を聞くのは苦手だったし、そもそも面白くないし、興味も無かったのだが、ある時期から結構いいことを言っていると思うようになった(年嵩を増して社長の言わんとすることが理解可能になったということなのだろうが)。それ以来、この手の挨拶は興味深いし身に沁みることが多い。今日の話もすっと腑に落ちる内容であった。
昨日から読み始めた原宏之『バブル文化論』慶応大学出版会2006が面白い。バブル真っ只中を生きた僕のような人間にとっては、最も身近で肌身で感じられる話である。やっと80年代も語られる時期に来た。以前にも紹介した宮沢章夫の『80年代地下文化論講義』等と共にこれからますますこの手の分析は増えていくであろう。ただ僕としてはこれに続く90年代にも分析の手を伸ばして欲しいと願うところだが。
昔からそうだが、1月も3日になると、今年一年(と言えば大袈裟だが)今年度にどうけりをつけるかプレッシャーが襲いかかる。いろいろなことがうまく回転するか自分でも分からないことも多い。特に今年はいくつか先の見えにくい仕事も多く不安は多い。大学も2回目の卒業生をいかに送り出すか頭が痛い。毎晩4年や修士の学生の顔がちらちらする。更に来年度の新たな勉強テーマの開拓として装飾とヤマをどう発展させるか頭の中が錯綜する。
夕方事務所に雑務を処理しに行く。木島さんが仕事中。事務所も人数が少ないとひどく寒い。早々に切り上げ帰宅。1月のスケジュールを作り。かみさんのレクチャーのパワポを作り。そしてガウディの装飾論を読みながら就寝。
2日というのは気が抜ける。元旦のような晴れがましさはないし、年賀状は来ないし、街は死んだように静かだし。午前中はゆっくりし、午後銀行に行ったり(今年は1日から銀行は開いている)雑用を片付け、装飾論の続きでガウディの装飾論を読み始める。ガウディがアラベスクを相当研究していたと言うのは面白い。そして装飾と構造を別個に考えるボザール流の考えを否定し、装飾と構造を一体化して考えていたという論点も面白い。そうした考えの行く末は構造イコール装飾である。僕はそうした視点から現代の装飾を位置づけ検討できないかと考えている。さてその方法はいかに??
2007年元旦
午前中読書。年末に買いためた装飾論の本を読み続けている。かみさんが年明けに早稲田でレクチャーするため僕の書斎は使用中。そこで僕は広間の大きなローテーブルに本やら地図やら散乱させて勉強している。天皇杯後半をテレビ観戦。浦和レッズがレギュラーメンバーを大幅に怪我で欠き、圧倒的に不利な戦いを強いられながらも、守って守ってワンチャンスを入れて勝った。こう言う勝ち方はあるものだ。
夕刻、家の近くの須賀神社に参拝。続いて浅草寺に行く。すごい人で本殿にはたどり着かず遠くから拝みおみくじを買って帰る。「吉」だった。