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December 31, 2006

大晦日の会食

一年に一度親と兄貴家族に大晦日と元旦に会うことになっている。シンガポールとオーストラリアと日本にばらばらにすんでいる兄貴たち家族もそうしょっちゅう一同に会することは無い。いつも決まって青山の焼き鳥やで大晦日の夕食をとる。美味しかった。両親は快調のようだ。元気そうで安心した。ひざを怪我した兄貴も元気そうである。オーストラリアの大学に入った甥っ子は英語が上手になったようである。早稲田学院の本庄に入った甥っ子の弟の方は通学時間が長く大好きなサッカーはやめてしまったようだ。高校時代は今思えばやっておけば良かったと思うことは沢山ある。
飲んで食って解散。明日また河豚やで会うことを楽しみに帰宅。

忘年会

12月30日
今年最初で最後の忘年会。日工大の武田先輩。伊東事務所の東さん。竹中の萩原さん。東工大の奥山、塚本、貝島。塩尻の勝者柳沢潤。奥さんの志真さん。ofdaから木島さんと僕。渋谷で飲んで食って。2次会はアトリエワン。
今年は坂本先生自身ドイツのコンペで勝利。塚本もパリのコンペに入選。大良も沖縄で勝ち。そして柳も勝った。めでたしめでたし。しかし案の定、塩尻で最後、僕が柳に投票しなかったことを散々言われる。30分おきにその話が登場する。奥山とは卒論、修士論文の梗概の話。「つらくても書き換えたら学生のためではない」と諭される。しかしそんなレベルではないことを話す。しかし笑った笑った。一年分笑った。すっきりした。朝4時アトリエワンから木島さんとぶらぶら歩いて帰る。みな良いお年を。

December 30, 2006

装飾

午前中とある打合せ。午後帰り道、神保町で山の本と装飾の本を探す。ネットで見て欲しかった海野弘の『装飾空間論』やコルの『今日の装飾芸術』『近代の装飾事典』等等、10冊ほど購入。ルカーチの『美学』に装飾論があると井上君から聞いていたので探したが、第二巻はあるのだが第一巻は見つけられなかった。帰宅後早速読み始める。ここでも確認されるのは、装飾と言うのは具象ではないということ。古代に遡れば、旧石器は動物の文様だが、新石器は土器が発明され、幾何学模様となる。この幾何学の抽象性をヴォリンガーの理屈だけではなく解明したいところである。
建築で考えれば、結局エレヴェーションを黒くしたい欲望(白地恐怖症)イコール装飾と定義してもよいのかもしれない。別にそのパターンに意味があろうがなかろうが関係ないと考えれば、つまりディテールも装飾だし、もっと言えば材料に模様があったってそれを使う意思は装飾と考えてもよいのかもしれない。

December 29, 2006

写美

12月28日
朝食をとらず、かみさんと恵比寿に行く。カフェでサンドイッチをほおばる。エッと思うくらい高いが、ちょっと日本の味じゃなく美味しい。いい気分で写真美術館へ。今2階で細江英公展が開かれている。http://www.syabi.com/details/hosoe.htmlしかもタイトルは「球体写真二元論」である。細江は同タイトルの著作があり、数年前それを読んでから私は細江のファンとなった。写真美術館は入場料が安い。二人で千円。
写美から事務所に。図面の打ち出しをして背張りして問題点の洗い出し。結局終わったのは10時半くらい。事務所に届いていた下仁田葱をひとかたまりもらって帰る。帰宅後食事。葱をいためて貰い食べた。うっ苦い。下仁田特有の味のようである。

December 28, 2006

長い打合せ

12月27日
久しぶりに8時間もの設計の打合せをした。12時から24時まで。疲弊する。ベッドにもぐりこんだのはすでに1時を回っていたが、妙に頭が冴えてしまって眠れない。こういうことも珍しい。頭の中には図面が走馬灯のように流れている。8時間も同じプロジェクトのことを考えていると自然とそうなるということか。

December 27, 2006

大雨

一体何事であろう?例年なら雪であろう今頃大雨が降り出しついでに雷も鳴り響く。既に深夜1時を回っている。これからマンションに戻るのはなんとも億劫である。この時間までゼミ。ちょっと疲れた。少し明日が見えてきたもの、まだまだ頑張れよというもの、正月返上であと少し(とは言いがたいが)走りぬくしかない。
朝、椹木野衣『美術に何がおこったか』国書刊行会2006を読み始めた。村上隆やヤノビケンジと椹木の出会いやら、彼らと企画した昔の展覧会に見られる彼らの作品やら、びっくりしたり、納得したり、とにかく面白い。新聞の連載批評も歯に衣着せぬ物言いは痛快である。
明日は7時半の新幹線に乗らないといけない。東京での3つの打合せが待っている。早く寝よう。

December 25, 2006

朽ちた命

最近新幹線に乗らなければいけない状況が続く。車中の読書は東海村jcoでおきたあの恐るべき臨界事故による被爆者大内さんの闘病83日間の記録。既に7年も経っているというのが信じられない。このドキュメントはNHKで放映されたものである。僕はたまたまその番組を見ていたのだが、また読みたくなってしまった。先日同じNHKの取材班が書いた「論文捏造」がとても面白かったせいもある。しかし何故か社会問題にはいつもあまり腹がたたない僕なのだが、この事件だけはどうしても許せない気がしていたというのが強い理由である。
被爆細胞は染色体が完全にbreakしていて細胞分裂をしない。この恐ろしい事実が何を意味するか。想像通りのことが肉体に発生する。皮膚が朽ちる、内臓が溶ける。この本のタイトルは『朽ちていった命』であるがまさにそのむごたらしさである。人間にこのようなことが起こるということはあってはならないことである。大内さんの妻と子の気持ちを思うといてもたってもいられない。車中叫びたくなるような心境であった。テレビよりはるかに訴えるものがあった。
原子力発電は最早国家事業なのであり、そうした国の根幹を支える事業における、人間の尊厳を損なうような可能性は資本の競争に晒してはいけないのではないだろうか?国家が責任を持って管理すことが必要なのではないだろうか?この件に関して裁判はjcoしか裁ききれないでいるが、国の体制を見直すきっかけになるべきことである。

December 24, 2006

近代美術館

朝一で事務所でスタッフとt邸の打合せ。3案に絞られてきている。クライアントの意見を聞きたいところだが、なかなか連絡がとれない。やっと話せたが、ちょっと眠そうである。そう言う時の判断は鈍るのでよく考えるよう伝えて、3案の主旨のみ説明する。来週水曜日に打合せを行うのでそれまでに仕上げてのイメージをそろえ、模型を作るように指示。
午後家族と近代美術観の「揺らぐ近代」というけったいなポスターで最近有名な展覧会に足を運ぶ。ミュージアムレストランでランチを先ずとる。ここのレストランは皇居が一望にできる。それで気づいたが皇居の周囲には落葉樹がない。やはり木が裸になって中が見通せると警護上まずいのであろう。食後展覧会を見て(その内容はコラムに記したのでご覧ください)http://http://ofda.jp/column/その後ちょっと離れた工芸館に足を運ぶ。ここでは蒔絵の人間国宝松田権六の展覧会が開かれている。蒔絵もさることながら、化粧箱の形がなんともぬめっとしていて現代的である。この間の西沢平良氏のコンペ優勝案のようである。

December 23, 2006

阪根さんの新作

朝は少しゆっくりした。昼から事務所で打合せ。夕刻とある建物を訪ねる。阪根さんの設計した鉄骨造の建物である。彼はその昔大磯の方で彫刻家のアトリエを一本の木から作り上げた人である。その建物はsdレビューに入選し、新建築の表紙になったものである。彼は作るプロセスを大事にする人なのである。アトリエの時は一本の木から全ての部材を切り出すというコンセプトがあった。今回は下町の狭小地に鉄骨造で床も壁も天井もとにかく厚さ35ミリのpcで作るという驚異的なものである。35ミリのpcに先ず驚く。アスロックよりも薄いではないか。更にそれ以外の材料を使わないということに驚く。床も天井も壁も全部これなのである。しかも厚みが変わらないで全部同じ厚みなのである。
いやはやこの徹底ぶりはすごいものである。彼の建物にはいつも何か熱いものを感じる。すごい。

December 22, 2006

ディテール

久しぶりに新幹線に乗った。一眠りすると東京である。大学で製図やって東京戻り仕事ができると言うのが久しぶりに感動的。東京は暖かい。と言うよりかは最近の長野は驚異的に寒い。しかし未だ雪が降らないのだから暖冬らしいが。帰りがけに建築知識を買い久しぶりにディテールを見たりする。新鮮だが、目新しいディテールはなかなか発見できない。雑誌ディテールは独立してから余り読まなくなってしまった。というのもアレにはアトリエ事務所向けのディテールが少ないから。もう少し安いディーテールを捜そうとすると、建築知識など他の本の変わった特集を追うことになる。

December 21, 2006

ゼミ憂鬱の季節到来

今年もやってきたゼミ佳境の季節。憂鬱といったら学生に悪いが、沢山書いた論文を梗概にできないでいる。要約することは適当に論文の要点を抜書きすることではない。短い字数に直すのだから書き換えなければいけない。冗長な表現は避けたうえで更に切り詰めなければならない。それがだれもできない。制作と並行に行うのだから大変なのはわかるけれど、書いた文章を読み返してみろよと言いたくなる。まあ友人の新聞記者が部下の原稿を真っ赤にすると言っていた。プロでさえそうなら、アマチュアなら仕方ないとも感ずるのだが、そもそもレベルが違う。
夕刻日建から電話、金箱事務所からファックス、事務所からメール、大量の即応事項が押し寄せ、研究室の忘年会には出席できなくなってしまった。申し訳ない。せいぜい皆今日の先生の罵声を酒で洗い流し、明日から気を入れなおし頑張って欲しい。このまま行くと来年の研究室はとても学生が収容できなくなってしまう。

電話会議

初めて国際電話会議なるものを行った。国際プロジェクトではこう言うことは普通なのだろうか。大きな丸テーブルの真ん中に電話回線に繋がったスピーカーがあり2つのマイクがテーブルの2箇所に置かれる。これはarupとの会議。目の前には設備と外装のエンジニアがいる。設備は日本人と、イギリス人、外装エンジニアは日本人。それをしきるpmはイギリス人。スピーカーの向こうには香港にいる中国系の英語を話す防災エンジニアと、オーストラリアにいるエレベーターのエンジニアである。イギリス英語と中国英語とオーストラリア英語と日本英語が飛び交う。これはかなり分からない。ノイズがはいると殆ど分からない。日本側は多分私が分かるほうなのでイギリス人のpmがスピーカーの向こうの話が終わる度に私の方に目くばせして分かる?と言う表情をする。分からないという顔をすると、彼が再度解説する。しかしこのイギリス英語が私としては苦手である。こんな会議がこの先半年も続くのかと思うとストレスがたまる。

December 20, 2006

打合せ

朝リーテム中国工場の打合せ。年明けに上手くスタートが切れるだろうか?とにかく日本の建築とは異なり未知数が多すぎる。午後anaホテルでニューヨーク・ジャパン・ソサイエティのダンス部門のディレクターの塩谷に会う。3月に行う横浜でのシンポジウムの打合せ、2時間お互いしゃべりまくり、おおよそのラインができた。街とアーティストを物、現象、制度の側面から追おうということにする。二人でやるのもなんだからアーティストを呼ぼうということになる。小沢さんとかいいねえという私の希望で、彼女が即電話即okを頂く。嬉しい。夕刻事務所でt邸の打合せ、延延と。おおよその方向性は2つに絞られる。

December 18, 2006

木造三階建て

t邸の検討。住宅なのにこんなにキュウキュウの設計をするのは始めてである。基本設計なのに数センチの検討が続く。それというのも貸室が二つあるからなのだが。今までおおらかな計画ばかりだったからこのギャップにはやや閉口。三階建てなので構造の制約も大きい。お金も無いからタダの箱にしたいのだが、それだと要求が納まらないということもあり変則的な構造を考える。考えたそばから金箱さんに電話。うーんとうなる。できなくは無いが、コストアップになるという。タダの箱だから簡単なので。とお願いしたのだが、設計が進むと案の定面倒になる。そんなことを予測していたかもしれないのだが、「全然簡単じゃないね」とイヤミを言われる。いや好きで複雑にしているのではないのである。タダの箱に勝るものはない。そんなことは分かっているのだが、要求が厳しいのである。

December 17, 2006

年の瀬

今日は年賀状とアルバム作り。朝一で近くの55ショップに自転車を飛ばす。アルバム用の写真を150枚注文し、四谷駅のpaulというパン屋でバゲットを買う。(この店はこれ以外は異様に高いので美味しそうだがこれしか買わない)。そして近くのスーパーでセロリとみかんを買って帰る。年賀状をイラレで作って印刷。宛名書きするために名簿整理。今年は名簿を放っておいたのでひどいものだ。名刺をかき集め、必要な人は名簿に入力。宛名の印刷をして、名前は手書き。
55ショップからプリントを取ってくる。毎年恒例でこの写真をアルバムに貼るのは娘のバイト。結構手間。毎年20冊程度作るのだが、今年は同じアルバムが9冊しかなかったのでまあ9冊でいいことにした。やっとさっき作業は終わった。クラブワールドカップもスケートも見ずにひたすらこの作業に没頭。これをすると年末という感じである。

ランチミーティング

ランチを食べながら中国からやって来た張さんから中国人の通訳候補の話を聞く。張さんは中国の竹を日本で炭にしてその粉を使いながら+イオンを吸収するエコ塗料を開発している。北京の会社の総経理だが、上海にもブランチを作ろうとしている。その会社に応募してきた日本語の上手な中国人を推薦してくれた。日本の企業と一年付き合えばその後自分の会社で雇う時にもいい経験を重ねプラスに働くだろうとのことだ。
午後ナカジとアロップのテクニカルドキュメントを読む。40ページに及ぶ英語を斜め読み。しかしさすがアロップ。しっかりした資料を作るものである。しかし完全には理解できないところもある。次回のミーティングで聞かないといけない。
夕食後、年賀状、アルバム作りをスタート。明日の日曜日に作ってしまいたい。

December 16, 2006

long day

今日は久しぶりのlong dayである。疲れた。午前中講義、午後製図、夜ゼミ、終わったら12時過ぎ。しかしかなり4年生の進捗の遅さは心配である。この調子で終わるとは思えない。かといって何でもいいから作れとも言えない。修士も遅い。卒業ゼミの後輪読。『生きられた家』が終わった。今年の輪読は終了。その後設計ゼミ。現在某住宅の仕事の設計をm1が加わってやっている。彼には絶好の勉強である。監理は事務所でやるが、できる限り図面を書いてみる。これに勝る設計の勉強は無い。明日の朝一のバスで東京に行き。昼渋谷で人に会う。早く帰って寝たいところである。

December 14, 2006

やっと終わったのだが

やっと博士論文の下見審査発表会が終わった。大げさに言えばこの日の為に約1年のろのろとやってきたのである。それだからこそ終わればもっとすっきりすると思っていたのだが、全然である。ちっとも嬉しくない。本審査やら、なにやら、最終発表会は2月だということもある。更に終わったそばから書き足したいことや、もっと深く考えたいことばかりが頭をもたげる。結局論文も設計も同じなんだな。その上贅沢にもなんとか出版したいなどと考え始めると営業活動をせっせとやらなければならない。加えて事務所の仕事のマネージメントやら、設計やら、錯綜する多くのことは一向に減る気配がない。押し寄せる怒涛の波を掻き分けちょっとづつ進まなければならないのである。もちろん押し寄せる波が無くなるとそれはもはや人生の終わりなのかもしれないのだが。

楕円

12月13日
朝一で打ち合わせ。某海外プロジェクトの総合会議。なんとも出席者が多く冗長な会議。久々にこの手の会議に付き合ったが眠くなる。午後事務所に戻り様々な打ち合わせ。目が回る。その間鹿島出版会から新しい翻訳の企画が通った知らせが来る。ほっとする。夕刻事務所を飛び出し最終のバスに飛び乗り長野へ。車中横山正の『透視画法の眼』を読む。ルネッサンスあるいはバロックイタリアと現代を比較しながら記した多くのエッセイが集められた書。17世紀バロックの楕円とやはり17世紀ケプラーの楕円軌道の類比は面白い。更に楕円を多用したボッロミーニとベルニーニの比較は楽しい。ボッロミーニは楕円を軸線に対して長手に置き、ベルニーニは短手に置く。前者は運動性が現われ、後者は優雅さが現われると指摘している。そう言われてみればそういう気にもなる。

December 12, 2006

松本経由新宿

午前中大学キャンパス計画のための協力者の面接。いい人が見つかった。そのキャンパス計画のために午後松本へ。初めて快速電車に乗ってみた。これが快速とは名ばかりでのんびりゆっくり進んでいく。会議は2時間ほど。皆で夕食をとり、私は一足先においとまし8時のあずさで新宿へ。ミケランジェロを読み終える。彼はルネサンスの建築家とは言えども晩年のカンピドリオなどは既にバロックの様相を呈している。面白いものだ。

December 11, 2006

ミケランジェロ

朝一のバスで長野へ。アレッサンドロ・ノーヴァの『建築家ミケランジェロ』を読む。この年になって改めてルネッサンス建築をじっと見ると、やっとマニエリスムと呼ばれる修辞的な建築操作が少し理解できてくる。そしてブルネルスキを読んだ時も痛感したのだが、彼等は無尽蔵の金と権力に後押しされて好きなことができた建築家でもなんでもなかったということである。
例えば彼の初期の作品となるはずであったサンロレンツォ聖堂のファサードの設計においてはある時期工事費が25000から35000ドゥカーティに増加することをミケランジェロは報告する。そしてそれ以外の理由も併さり、教皇レオ十世は工事を中止した。ミケランジェロは3年間を棒に振ったことで精神的な大打撃を受けるのである。最近私にも似たようなことがおきた。3年とは言わずとも、少々時間を無駄にし、それなりに精神的には打撃を受けた。しかしこんな俗な私の出来事に近いことがミケランジェロにも起こっていたことを知ると、不思議なようでもあるし、この天才にしてそうなら自分も頑張らねばという気にもなる。

December 10, 2006

多忙な日曜日

論文発表会の練習をしてみた。30分で話すのは至難の技である。その時間で話すと内容が異様に薄っぺらくなってしまう。
午後事務所。昨日のcad図では要求がさっぱりクリアできていない。自分で書かないと駄目なのだなあやっぱり。つまりどうも細かいニュアンスが伝わらないのである。書いてpdfにしてメールする。帰宅後食事。食事後明日の授業の予習をしながら「秩序」についてcolumnに書く。装飾の起源とヴォリンガーの言葉とモダニズムとの関係が気になる。井上君に聞いたルカーチの美学を読んでみたいのだが、古本ネットでも見つからない。

人文主義

12月10日
昼から事務所で打ち合わせ。今日は雨。夕方からA0の勉強会+忘年会。忙しくて用意の暇も無く、かみさんに食事を運んで貰う。辺見のスライドショーが流れたから各自「人文主義」について15分お話してくださいというのが宿題。
そもそも古典教養への取り組みだったこの言葉humanusがオーギュスト・コントやヘーゲルあたりから人類尊重の意味も持ち、フロムらの社会主義ヒューマニズムまで視野に入っている。昨日の入江君による説明だと、岩波の哲学辞典や社会学事典では「人間主義」という訳語は見あたらないとのことだったが、僕の書架にある『哲学思想翻訳語事典』(論創社)ではむしろ「人文主義」という見出しはなく「人間主義・ヒューマニズム」がhumanism(英).Humanismus(独).humanisme(仏)の訳語として載っている。そしてこの訳語には「人文主義、人格主義、人類主義、人道主義など多様に表され」と記されている。

December 8, 2006

ブルネルスキ

製図の第二課題の敷地は僕が設計した長野県信用組合の前面。確か去年もこの時期この自分で設計した建物の前に来てこの建物を見た。既に10年近い年月が経過しているのだが、風化していない。改めて日建のスペック、日建の納まりの安心感というものに感心する。
学生に一通りの説明をして直ぐそばに最近やはり日建の高村さんの設計で竣工した再開発ビルtoigoに行きtaや助手とコーヒーを一杯。金曜の夕方だが人が少ないのが気になる。その後次のバスまで時間があるので駅前の平安堂でバスで読む本を物色。来る時岡崎乾二郎の『経験の条件』のブルネルスキを再読し興味が沸きアントニオ・マネッティの『ブルネッレスキ伝』を購入。3時間半揺られながら読み終わる。面白いねえ。この時代の建築家なんて芸術家だと思っていたが、金の話やら、施工の話やら、まるで僕等が抱えている諸問題を彼らも抱えていたのである。ブルネルスキがだよ。その上、大した仕事じゃないとスケッチだけで模型は作らないなんて結構いい加減なものである。それに比べれば現代の建築家のほうが大変だし努力している。ルネッサンスの時代なんてたいした創作ではなかったのではないか?マニエリスムでローマの規範を適当に比例をもとに入れ替えていた、修辞に過ぎなかったのではないか?規範も、目標も無い僕等の時代のほうがはるかに創作に苦しんでいるような気がしながら新宿に着いた。
車中小西から飯食おうとのメールが入っていた。小1時間ほど、小西、可児と食事。皆いろいろと苦労しているようである。40代後半とはそういう時期である。

金沢

12月7日
学会の役員会があり金沢まで行く。直江津まで各駅停車にゆられ1時間40分。そこで乗り換え。20分間って特急はくたかに乗り換え2時間。いや遠い。はくたかの車窓からは北陸の寒そうな海が見える。金沢に来るのは大学院の1年の時に学会で発表した時以来である。せっかく来るのだから少し早くきて21世紀美術館にでも行こうかと思ったが、今日はお休みだとか。駅前に巨大なトラス屋根がかかっている。このトラスはなんとアルミ製。一緒に行った中込先生が教えてくれた。アルミで耐火被覆しないというのもすごい。火事は起こらないという前提なのだそうだ。会議終了しまた4時間電車に揺られ長野に戻る。車中いろいろと仕事もできるがそれでも往復8時間。沖縄往復してもそんなにかからないのに。

December 6, 2006

アルベルティ

午前中、研究室でt氏と電話で話す。殆ど毎日である。まあそうでもしないとこの突貫スケジュールにのらないので仕方ない。しかし木造で貸室の有効比あげようとすると結構面倒なはめに陥る。構造のことを考え始めるとがんじがらめである。rcの方がいい空間になりそうなのだが。
午後講義。natureについて。長野に来るバスで岡崎乾二郎の『経験の条件』のブルネレスキの所を読み返していた。一般にプラトンの自然観(自然の中に比例と幾何学の美を見る)を受け継いだのはアルベルティと言われるが、実はブルネルスキにも違う角度から比例を捉える視線があったことをフィレンツェのドーモの話をもとに展開する。natureの項にはやはりブルネルスキは登場しない。アルベルティのみが人文主意の正統派のように記されている。

December 5, 2006

復習

夕刻リーテムの中国プロジェクトの復習会。委託するCMをほぼ確定したが仕事を進めるにあたり通訳が必要。しかしその通訳の採用についてなかなか話しが進まない。じれったいがどうしようもない。リーテム側も慎重である。それにしても早くプロジェクトを動かしたいところである。5時からの打ち合わせが6時半頃終わり、7時半のバスで長野に行こうと思ったが、携帯に重要なメールが二つほど飛び込んできたので、今晩行くのは諦め事務所に戻る。打ち合わせしているうちに10時になった。11時頃帰宅夕食。明日の授業の予習はバスの中で行おう。

久々のリーマン

朝から混乱の会議。掛けた梯子をはずされ窮地に立ったのであったが、情のある先生の救済で何とか困窮の場を凌いだ。やれやれ、日建をやめて既に8年。こうした組織社会の荒波から遠のいてのんびり生きていたのだが。再び昨年から給与所得者を始めてしまった故にこうした荒波の中で格闘せねばならぬはめに陥った。大学も面倒な場所だ。まあそうは言っても民間会社に比べればかわいいものかもしれないが。
午後のゼミ。おいおいまだそんな状態か?と問いたくなるような部分も散見されるが後はとにかく走るしかない。頑張れ。頑張れ。7時のバスに飛び乗り東京へ。事務所による。伊藤君と渡辺さんがまだ仕事していた。ちょっと雑用を片付けようかとも思ったが、郵便物を持って帰宅。

December 3, 2006

引越し

朝早くから研究室の片岡君、松田君、望月君が引越しの手伝いに来てくれた。午前中にベッド以外ほとんど運んでもらい、パティオ大門で昼食。僕は初めてここに来た。昨年末頃オープンした善光寺近くの中庭型の商業施設である。スケールや雰囲気はとてもよい。東京にもこの手の中庭型商業施設はうんざりするほどあるが、いい加減なそうした施設より、よく出来ている。
午後ベッドを運び修了。御苦労様でした。新居でガス開栓したがファンヒーターがつかない。コンロも無いし、風呂は電気なので、ではガスはいりませんと開けずに帰ってもらった。この冬エアコンだけで厳しいか???風邪がまだ完治していないので、一眠りしてから研究室へ。Rachel Whitereadのカタログを読んでいた。面白かったのでコラムに書いた。その後いろいろスケッチ。

December 2, 2006

風邪

昨日から風邪っぽく、保健室で薬をもらい飲んでいる。悪化させないように気をつけながら午前中は引越しに備え、マンションの掃除。明日は現状確認に旧い不動産やがくる。こう言う経験はないので、一体何をみるのだろうか気になる。別に破損したものはないしたいして汚れているようなところもないと自分では思うのだが。掃除をしたついでに、バスローブから、バスタオルから、シーツからフトンカバーにいたるまで洗濯。天気がよいのでついその気になった。終ったら昼。
大学に行く。昨晩は若松と夕食をとりタクシーで彼を駅に送ったので自転車は大学。とぼとぼと歩いて来た。土曜日に長野にいるのは実に久しぶり。いつもにも増して通りに人がいない。不気味なくらい静かな町。昨日の講評会の講評を書いてメールする。t邸のスケッチ。お腹が空いてきたがまだ頭が朦朧としている。今日は帰ろう。

講評会

12月1日
昨日は2年生後期の前半課題住宅の講評会。東京から若松均氏をゲストでお呼びした。若松には講評会前に住宅のレクチャーを1時間ほどしてもらった。その後講評。出てくるものがどれもこれも似たようなもので今ひとつ秀でたものがない。いささか腹立たしかった。講評後、若松氏に一作品を選び若松賞を与えて欲しいと頼んだが、彼も今ひとつぱっとしないと言っていた。しかし一夜明けて昨日の作品を反芻してみると結構よく考えられているものがあったなあと少し気を取り直した。図面が稚拙で模型が模型になっていないということが苛立ちの原因である。彼等の進歩は4年や修士の卒業制作にどれくらい参画するかにかかっている。設計に進みたい人はとにかく手伝いに勢力を注いで欲しいものだ。

December 1, 2006

どくとるマンボウ

11月30日
日建設計の中分氏山崎氏と昼食を共にする。久しぶりに会った。懐かしい。最近のお仕事を聞いた。中東によく行くとのこと。そこで会う外国の事務所はsomだそうだ。やはりsomと日建は世界中で競合しているのだろうか?ディビッド・チャイルズのような腕力のありそうな奴がいれば日建とも張り合うであろう。その後日本橋のショールーム、東京駅の丸善で数冊本を購入し大学に送る。事務所に戻り、打ち合わせ、夕刻のバスに飛び乗り長野へ。
車中北杜夫の『どくとるマンボウ青春記』を読む。普通こう言う本は青春の門などと共に中学、高校時代に読むものだろうが、私は読んだことが無かった。では何故今頃読んでいるかといえば、私が信州大学に赴任した時に親友の小西がこれ読んだか?読んでないなら貸すと言って置いていったからである。北杜夫は信大の前身である旧制松本高校出身であり、この本はその寮生活が記されている。小西はこれを読んで信大に行こうと考えたらしい(行かなかったが)。
確かに古きよき旧制高校の香りと信州の清清しさが伝わる。