大晦日
大晦日。私の住まいは四谷。都心の中の都心だが、実に静かである。特に大晦日の今日は町が死んだかのようである。sayuriを見てから、両親、兄、甥等と食事をして都内某所に宿泊、明日は初詣に神宮に行く予定。今年は3回拝もう。コンペが取れるように。
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大晦日。私の住まいは四谷。都心の中の都心だが、実に静かである。特に大晦日の今日は町が死んだかのようである。sayuriを見てから、両親、兄、甥等と食事をして都内某所に宿泊、明日は初詣に神宮に行く予定。今年は3回拝もう。コンペが取れるように。
東京駅で前川國男展を覗いて(詳細はコラム参照)帰宅。amazonに頼んでいた高橋睦郎の『百人一首』が届いている。ぺらぺらページをめくる。2ページに一首という見やすい装丁である。林健太郎の『ワイマル共和国』が読み終わった。第一次大戦後のドイツのどん底の時代の話だが、敗戦で多額の賠償金を請求され払えず、ソヴィエトと手を結んだりしながらやっと難を逃れたのだが、その過程ではひどい屈辱感を味わうわけで、それがナチを生む一因だったのだろうか。
ナタリー・エニック著三浦篤訳の『ゴッホはなぜゴッホになったか』を読み始める。芸術社会学の分野に興味がある。でも少し重そうな本である。正直言ってゴッホは本物をあまり見たことがないので、ちょっと親近感が沸かない、、、、
今日は一日研究室。4年と院生の梗概チェック。まだ全然駄目。卒計、修士設計の進捗チェック。製図室は年末で手伝いも無くなんとなく静か。
昨日同様『a』誌のデーターベース作り。1000件程度に膨れ上がる。プリントアウトするとa3 20枚くらいになっている。まだ作業は3割程度なのだが。いずれにしても休み返上で作業した院生は御苦労様。
今日は学食も休みにはいり、昼も夜も同じ中華料理屋で食事をした。おいしかったが、やや食傷気味。さて明日は晴れてお休みかな?東京に戻って。少しゆっくりすごしたい。2年ぶりの家族と過ごせる正月か?去年の今頃は事務所で翻訳合宿をしていたことを思い出す。あの頃東京も雪が降って、出前がこれず、近くのピザ屋に買出しに行って、帰りに転倒しピザを守って、ひじを思い切り地面にたたきつけて数日腫れが引かなかったのを思い出す。今日の帰りこけないように気をつけよう。
とりあえず70冊近くある雑誌を5人で手分けしてその中にある建築をリストアップする作業を開始。1時から始めた。「2冊くらい終わったらミーティングしよう」と言って始めたのだが、2時になっても3時になっても終わらない。もう夜中の12時である。もちろんリストアップとは言っても単に建物名を書き抜くだけでなく、重要キーワードの抜粋とか写真の部位とかチェック項目は10くらいはある。しかしそれはまあ予定内。だから思った以上に時間がかかるのは作業の煩雑さにあるのではなく圧倒的なその量にある。そしてそれはやってみて初めて分かった。平均するとどうも一冊に80軒くらいの建築が掲載されているのである。それは新建築が20くらいだから約4倍も載っているということになる。
さてここから何かが出てくるだろうか?分析の切断面が重要である。
午前中m邸のエスキス。2方向に開く×2だから4方向に開く可能性の摸索。午後から大掃除。15人がかりで1時から6時くらいまでたっぷりかかる。1年分の垢を取る。へとへとになったが徹夜明けに風呂に入るような快感でもある。皆様御苦労様。掃除後、ショートミーティングを行い。帰宅しシャワーを浴びて、夕食をとり、長野に。車中、中沢新一の『アースダイバー』を読む。
中沢新一という人の本はその昔『悪党的思考』を読んだのみでその後あまり興味が無かった。だからこの本も中沢氏だから読んだのではなく、「この本が面白い」と言う人がたまたまいたから読んだのでである。うわさその①は表象学会立ち上げのシンポジウムで司会の田中純がしきりに「やられた、なんでこれに気づかなかったのだろう」なんて大げさなリップサービスをしていた(シンポジウムの参加者に中沢氏がいた)。そこまで言うのなら騙されたと思って買ってみるかとそのシンポジウムの帰りに買って部屋に積んでおいた。そしてうわさその②、先日我が家に来た友人の小西が「最近中沢新一の『アースダイバー』と言う本が出て・・・・」と言うのである。あら?こんな人の口からも出るとは(こんな人の口と言っても彼は文学部の後輩でもあるのだから、工学をやっている僕が知っているより、自然なのかもしれないが)、そこで積んどくから取り出して、ぺらぺら眺めたのであった。
そしたらこれが結構東京ガイドとしてよくできているのだ。何を隠そう、僕が前住んでいた、上北沢の塚山公園の縄文の遺跡から始まり、新宿、そして今住んでいる四谷に話が進む。ここで先ずそのつながりに軽く驚く。そう、なんで上北沢と四谷なのか?なんでそんなところに関連があるのかと思うではないか。偶然二つの我が家を貫く視点に嬉しくなるが、要は東京を谷と丘で見るその昔から在る視点を徹底したところに凄みが在る。さらにその丘と谷の境目に現われる古墳、神社、と言う物理的環境と神話的ゲニウスロキを読み解く物語が心地よいのである。四谷と言えば四谷怪談だったり。
そんなことを考えつつ雪の長野に到着。しかし、思ったより寒くないなあ。
午前中日建設計に行き久しぶりに桜井さんにお会いする。元気そうではつらつとしている。信州大学のPRをして自分の最近の作品なども見せてくる。芦原賞受賞のお祝いの言葉をいただき恐縮した。事務所に戻り中国プロジェクト、川崎プロジェクトの打ち合わせをする。どうも進み具合が今ひとつ。学生じゃないんだからさっさとやらなければ。
今日は東京はかなり寒い。何度なのだろうか?長野も寒いのだろうなあ?研究室の輩は順調に進んでいるのだろうか?
一ヶ月前から約束していたホームパーティー。この3日間パーティが続く。日建時代は12月と言えば、クライアント、会社、友達、と忘年会でスケジュール表が埋まっていたのだが、独立してから、無意味な酒席はなくなった。しかし独立して不要となった付き合いとは別に新たに生まれた人間関係やら、四谷に引っ越して人を呼びやすくなったことなどから、今までの不義理をお返しするために酒宴が増えた(と言っても私は飲みませんが)。
今日は高校時代の友人2家族を招待。例によって4時からスタート。
ka君の作ってきたチキンの丸焼きは食べこたえあり。ka君の息子は中学受験とのことで家に来ても受験クイズで場を盛り上げてくれた。ka君はGEの子会社で風力発電機を日本で売る会社の社長である。その風車の羽(frp製)が落雷でひび割れ裂けて飛んだと嘆いていた。社長はつらいね。気持ちはよく分かる。頑張ろうね。
今日は銀座アートフィールド第四回目で詩人の高橋睦郎さんのレクチャー。レクチャー内容はコラムに書きましょう。レクチャーの後、例によって、谷川先生と画家の芝さん、山田宴三さん、山田ちさとさん、勝谷さん等と銀座ライオンで食事をしてから新宿のとあるバーに、そこで新建築の高木さんにばったり会う。その後、あの藤枝晃雄先生が吉祥寺で飲もうという電話があり吉祥寺のバーで待ち合わせ、ひとしきり飲んでさあ帰ろうと思ったが次は歌を歌おうということになる。谷川先生の美声に酔いしれ、さあ今度こそ帰ろうと思ったら谷川先生は元気満々、藤枝先生も満更ではないということ。僕も明日が無ければお付き合いしたところだが、辞して他のメンバーと帰る。すでに4時を回っているし。
藤枝先生が「僕がペンに行ったときにはカーンが居たよ」と言うのにはびっくり。更には、「坂本先生は知っているか?」と聞くので「私の先生です」とこたえると「坂本君はムサビにいたよ、いい人なんだ」とおっしゃっていました。そう言えばそうですね。しかしなんと元気なひとたちだろうか???
『言葉と建築』出版慰労会+スチュワート研究室忘年会を我が家で行いました。
①三浦先生の秘蔵っ子、安藤さんはプーシキン展の疲れがでたのか、勉強しすぎなのか風邪。
②鈴木博之研の戸田君は在パリ勉強中。
③竹中工務店の藤田は昨日からスペインで遊んでます。
④小沢は北大の先生になったせいか昨日からキロロでスキー。
その他のメンバーは全員集合。
⑤表象の星野君は学会立ち上げで大変だったもよう。
⑥よりよき社会を目指す天野君は美学やってIT企業で活躍中。
⑦天内君は翻訳一番の功労者。現在美学の博士で日本近代建築の研究中。
⑧井上君は久しぶりに会いました。元気そうでなにより。日本の知性としてがんばってください。
⑨光岡君はミューゼオロジーの研究者。これからも芸術社会学の先生となってください。
⑩入江君はsetenvの代表でリーテムの展来会の企画から我らのホームページづくりからなんでもできる人。いろいろと一年間ありがとうございました。本当に感謝してます。
⑪邊見とはもう20年のつきあいですが、こういうものが形にできてうれしい限りです。ありがとう。
⑫スチュワート先生は私の仲人でもある。皆に仲人と言っても、何それ?という顔をする。時代のギャップを感じました。私の恩師であります。23年前の卒論の赤原稿を見つけました。最初のページから最後のページまで真っ赤。こんな丁寧な指導をしてくれる先生はもういません。
⑬岩下はハワイから帰って、現在日本でリハビリ中、独立したくなったらいつでも相談にのりますよ。
⑭そして鹿島出版会の打海さんありがとうございます。4月からは設計部ですね、またよろしく。
このメンバーで4時頃から10時くらいまで、盛り上がりました。今までこのメンバーでゆっくり食事さえしたことが無かったので、こちらとしてはとことん飲ませてみたいという悪だくみもありました。果たして、結果は、よく飲む、よく飲む。シャンペン1本、ワインが7本、そしてウィスキーと、イヤー気持ちいい。最近の若い人はぜんぜん飲まないのでつまらないと思っていたのだが、期待に応えて用意したワインは全部売り切れ、もっと用意しておけばよかった。飲み足りなかった人はごめんなさい。
また飲みましょう。次は何の勉強会にしましょうか?意見を募ります。それから、初期収入の使い方も考えましょう。
Andreas Gursky Greeley 2003 204×254 cm
これは少し前の日記にも書いた「ドイツ写真の現在」という国立近代美術館で行われている展覧会に展示されているグルスキーのグリーリーというタイトルの写真である、本物は畳一畳より大きい。この写真は典型的な数学的崇高さが示されている。
コラムで書いたが、カントは判断力で判定される4つの感情の中で、美、と善の伝達可能性は○、崇高性は条件付○、快適性は×としたが、この写真の前で心動かされぬものはいないという気になる。この展覧会を一回りして、美で確信の持てるものは一つも無い。一方崇高であれば数点思い浮かぶ。18世紀ならいざ知らず、21世紀においてはもはや崇高の方が普遍妥当性を持っているのではなかろうか?
2年前にホタルイカが竣工する頃だったと思う。ロンドンにいる辺見とメールのやりとりをしてフォーティーの『言葉と建築』という著書に興味がわき勉強会「A0」の教科書にしてついでに翻訳して出版したいと思った。そんなことをスチュワートさんに相談したら、鹿島の打海さんを紹介してくれた、ホタルイカのオープンハウスに来てくれた打海さんはフランプトンのアンソロジーを持っていてこれを訳しませんかと言われたのだが、フォーティーを訳したいと我が儘を言った。もちろん僕個人の意見でもなく、勉強会のメンバー全体もそんな意見だった。
それから約2年。10人くらいの人数で訳すことは知恵の集結でもあるけれど衝突でもある。その意味で監訳者の私の仕事は内容もさることながらこの衝突を回避しながら、集結の場を作ることであったようにも思う。
推薦の言葉を谷川渥先生に書いていただけたのは光栄の極みである。私の建築論は谷川先生の質料論に大きく影響を受けているし、そもそも私に建築への美学的視点を開いてくれたのは、谷川先生の数冊の著書であった。それを考えると自分にとってはこの書の完成は一つの節目という気がしないでもない。
どうにかこうにか出来上がったこの書が店頭に並ぶのは今日か明日か?
ちょっと高い本だが、内容はある。モダニズムを探求する人には必携の書。よろしくお願いします。大学関係者など購入希望者はご連絡ください。著者割引で買えますので。
5時半に事務所に、ハーバードGSD出身で、モラレスに1年いたアメリカ人から就職希望メールが着ている。6時ごろ打ち合わせを始めたら、電話、就職希望者。「今とっていません」と言ったら、「就職はofdaしか考えていない」という。オープンデスクでもバイトでもいいからというので、それでは経歴書とポートフォリオをメールしてくださいと言う。先日は阪根さんから、香山アトリエに3年いた方が止めてofdaに就職したいという。しかし働いてもらう場所が無いので丁重にお断りした。一週間前にはデンマークの人からインターンシップで2月から来たいというメールが来ていた。
場所と、仕事があったら、多くの人に会いたいところだが、お断りしている人はごめんなさい。
昨日は笑えた。久しぶりに腹の底からいろいろと笑わせてもらいました。笑いにはいろいろと精神的効用があると聞くが、本当に今日はとても気持ちが良い。昨日の笑いのせいだと思うのだが。研究室のみんなありがとう。長野に来る疲れが吹き飛びます。
では28日29日最後のお勤め頑張りましょうね。4年とm2はくれぐれも体調管理、制作の段取り、工程管理が勝負です。現場の最後1ヶ月と同じ。とある現場でこの工程段取りをミスった所長が後期延期となって飛ばされました。本当にちょっとしたミスが命取り。そして決して自分のレベルを下げないこと。スポーツやっている人は分かるよね、最初スタートダッシュ、中間飛ばして、最後ラストスパート。
頑張れ。
大学までの道は完全に凍っている。昨日買ったスノーブーツも歯が立たない。足まであるロングのダウンを来て寒そうに歩く脇をコートも着ない女子中学生が歩いている。
研究室に着く、窓外に見えるヤマから朝日が昇らんとしている。「マルチン・ボシレフスキ・トリオ」をかけると、ヤマの向こうから音が響いてくるようである。
昨日は製図の授業が終わり、食事をしてからいろいろお願いメール。後期後半課題のゲストクリティークに最近新橋のオフィスを設計した山本想太郎氏をお願いし快諾していただいた。またデザイン論でNHK長野を見学するので、竹内昌義氏にレクチャーをお願いしこちらも快諾いただく。今日は朝からfハウスのクライアントが来てこちらのデザインに感動して帰っていく。その後川崎の家の打ち合わせ。終わって帰宅し木島邸でのofda忘年会に出かける。
新建築西牧さん、プロスペクターの今村君、山本君、信大の中尾君、芦田君等がゲストで来て楽しいひと時であった。
昨日は朝からm邸の打ち合わせ。これがなかなか条件が複雑。二棟作りながら、分筆するというもの。だから担当者も二人いる。三世代が二棟に住むと言う変わったプログラム。すごく現代的である。午後はリーテム中国の打ち合わせ。コスト、デザインの間をさまよう。終わると、三窓の雪の問題。寒冷地の建物は連窓の家#3もだったが、雪の処理は本当に難しい。身近な問題では無いだけに。5時半から建築会館で芦原義信賞の受賞式。突如スピーチも頼まれたが、この賞の受賞を一番喜ぶのクライアントでしょうと話す。受賞式の後懇親会。審査委員長の仙田先生にご挨拶。審査評を書いてくれたアーキテクトファイブの川村さんありがとうございます。
ばったりタイセイ総研社長の七字さんともお会いしました。その昔横浜のコンペで佳作を取った時の審査委員だった上山良子先生にもご挨拶。また芦原先生の奥様もいらしゃってご挨拶。素敵な方でした。パーティの後その足で長野へ。今日の朝はいい天気なだけに寒い。ロングのダウンがうれしい。朝から方々に電話しまくり、日建へのアポとり、雪問題を昔の長野の施主(営繕の方)に聞き、メール等してやっと雑務修了。10時。
やっと書かれた木島さんのコラムに返事を書こうと長野からの新幹線でタイプ打ち。気づいたら軽井沢だった。それから読みかけの阿部謹也の『物語ドイツの歴史』を読んでいたら、風邪が完治していないのかかぜ薬のせいか、睡魔に襲われ心地よく眠りに入り、気づいたら大宮だった。東京から直行で事務所。井上さんとアルバムの建cvの件、設計の件もろもろ打ち合わせ。気づいたら11時だった。帰宅後、少々本日の証人喚問など見つつ。このdiaryをつける。diaryの新設はどうなったのだろう。なんとも作業が遅いのがsetenvの特徴である。
4年、m2、m1のゼミがやっと終わる。今日はゼミやりながらメール打っていた。申し訳ないとは思いつつ、昨晩届いたメールの中で返信が遅くなるとまずいものなどにお答えしていた。やはり風邪は本当に困りもの。自己管理が悪いと怒られても仕方ない。ゴメンナサイ。
卒計や修士設計のアドバイスは難しい。事務所の仕事ならある程度、こうしようとこっちから決められる。それはクレジットの問題でもある。人のクレジットのモノにこうしようというわけにも行かない。
だからおそるおそるこれはちょっと違うよなあと思うと、なんて言っていいのか分からなく無口になってしまう。あるいは「つまらない」なんてアドバイスにもならないようなことしか言えない。それはつまり、私的なつぶやきだということの表明だったりする。こうしてああしてさあいいだろうというアドバイスはさすがにできない。
それにしても設計のアドバイスは戦い。(今日はすいません、風邪のためそのモードではありませんんでしたが)香山先生がもう学生と格闘する元気はないのでと言い残し、明治を去っていかれましたが、そう思います。
昨日の朝長野に来て昼食、珍しく食欲がない。まずいなと思ったら寒気がしてきた。ついに風邪かと思い、院生に薬を買ってきてもらった。飲んで寝たいところだったが、出なければいけない打合、会議、そして、忘年会。最悪。幹事なので欠席することもできず。
この間乾さんが、風邪引いたらお風呂でお湯を飲めばいいと言われたので試してみた。効いたかもしれない。夜中にシャツを4回変えるほど汗が出た。
ところで、コンペが二つ落ちたのでそろそろいいことないかなあと思っていたら、芦原義信賞受賞の連絡を頂いた。あーよかった。
日曜の朝に近くの美術館行って、ランチ食べて帰ってくるのは気分いい。なるべくさっさと見て帰る。ついでにパソコン持って行ってランチが出てくるまでの間に感想を打ち込んで、コラムに載せる。今日のオラファーは原美術館の庭を見ながら誰もいないレストランでカプチーノ飲みながらタイプしてました。気持ちいい。
帰って、読みかけの『カーニヴァル化する社会』の続きを読み、事務所行って、4時からfプロジェクトの打ち合わせを井上さんとする。少し面白くなってきた。
家に帰って食事して、アルバム送る人の名簿整理して、明々後日の授業「言葉と建築」のサマリー作りをする。
製図の授業を終えて、学食で夕食、ネット上に提出された学部生のレポートだけでもチェックコメントを書いて、新幹線に飛び乗り、帰宅、シャワーを浴びて、院生のレポートチェック。学部生は少し文章が書けるようになってきた。院生のレポートは今回は凡庸。アマゾンに頼んでいた、宮台真司、鈴木謙介、盛山和夫の本が届いていた。まとめて一気に読んでしまおう。
後期に入ると私が東京に居る日が減った。どうも月火はつかまらない。木の夜は長野に行ってしまうし、金の夜東京に帰るのは遅い。それを察知しはじめた私の知り合いは水曜の夜狙い打ちで予約をしてくる。しかしこちらも水曜木曜でなんとかスタッフとの打ちあわせはしたいのである。
午前中大学院の空間設計の授業、今日のテーマはnatureちょっと重い。午後文部科学省に出す書類を諸先生達と作成。3時53分の新幹線で東京へ。社内では東浩紀の新刊を読む。面白い。その中に紹介されている社会学者の本を買いに丸善に寄りたいところだが、そんな時間はないので事務所へ直行。雑務をこなし7時に来た井上さんと打ち合わせ。8時30分に失礼し、会食。
先日リンナイのガスファンヒーターをネットで買いました。学生部屋のために買ったのだけれど、自分の部屋が一人で寒くなってきたので学生部屋から頂いてきてしまった(ゴメン)。4万以上するのがネットで1万3千円くらいで大変お買い得。しかし安いだけあってこれがすごいデザインなのである。大型ランチボックスのような形の上色はマンゴ色である。驚き。
朝研究室に来たとき(7時半)は普通に曇りだったのに会議が始まる9時には10メートル先が見えないほどの大雪。それが11時くらいにはもうやんでいた。そして昼間は晴れ。どうも今晩も降るらしい。会議の時に「坂牛先生始めての雪ですね」と言われ「はい」と返事をした。とにかくただびっくりしてしまった。
今日は会議の後そのまま次の打ち合わせに突入し、朝から夜までご飯食べられなかった。さあて、これから授業の要約作ったり、会議の資料作ったり。もう少しやることはあるなあ。
昨日レクチャー終わって谷川先生たちとご飯食べたときの話題で杉本博司の写真が登場。谷川先生はあれは「劇場でシャッター2時間開けっ放しという技を思いついただけ」なんて割と冷めていたのだが、勝谷さんなんかは、あれはすごいというのでじゃあちょっと見てくるかと、どうせなら近代美術館でやっているドイツの写真とザンダー展も見てこようと、朝一で竹橋へ。
なんといってもティルマンスが目玉と意気込んでいったのですが、気持ち悪いほど圧倒されたのはAndreas Gursky でした。デュッセルドルフ芸術アカデミー卒だからベッヒャーと同窓。15くらい若いけれど。ガスルキーの写真は香港証券取引所と称してそこに見事に並んだ机で同じユニフォームでコンピューターを睨む証券マン500人。あるいはアメリカの牧場を高さ100メートルくらいからやや斜めに見下ろす。グリッド状に柵が作られておりその中に見える馬の数約一万頭である。
つまりはその量に訴えている。数学的崇高さと言ってもいいかもしれないその訴求力は問答無用である。もちろん現物のその画面の大きさもすごい。一つの写真の大きさが2メートル×3メートルくらいある。
昨日の話で言えばこれはもちろん圧倒的な視覚性に訴えているのでる。一方ティルマンスは日常派であり、日常の風景。ペットボトルの水、隣であくびしている兄ちゃんなどなど。写真の大きさも大きくてA1小さいのはキャビネである。
Thomas Demandoはまるで安村崇のようである日常の解像度の高い切り取りで、輪郭はシャープだがその内側はきわめて平面的でポスターカラーで塗りつぶしたようである。HansーChristian Schinkも土木的規模の物の形の力に訴えている。とても視覚的である。
昨日の話でなぞらえて言えば、日常的な視覚性の力に期待したいところだが、今日の作品で見る限り、崇高的な形や現象の方が強度ありというところなのである。
さてその足で六本木に行き杉本博司を見た。この人はとても分かりやすい人でテーマを決めたらそれで何十年も追い詰めるのである。多分皆さんもそういうと思うけれど、見た中ではseascapeという世界の海をとった写真がいい。何十年もとっているから同じような写真がたくさんある。そしてそれが真っ暗な部屋に水墨画のように飾られ池田亮司の音楽が流れる。この総合性と量である。
やはり量である。まいったな今日は。非日常性や量にやられてしまった。
boseのラジカセ買って研究室に置いてみた。すごくいい音。とても気に入った。boseの特徴は間接音を計算して作っているということなんだそうで。あまりオーディオのことは知りませんが、すごいものだ。朝7時頃研究室に来てこのラジカセで最新のチルアウトの曲聴いていたら、そのまま深い眠りに入りそうだった。
昨晩は『SD2005』の打ち上げをホタルイカで行いました。
http://www.ofda.jp/sakaushi/works/type/04commercial_facility/01/index.html
鹿島の久保田さん、打海さん、ナンジョウアンド アソシエイツの長田さん柴田さん、乾建築設計事務所の乾さん加藤イオさん、青山秀樹さんと久しぶりにここのイタリア料理を頂きました。久保田さんは風邪で声が出ず、苦しんでいました。長田さんからは最近行かれたという青木さんの青森の美術館が新品なのに新品に見えないところがすごいと言うのを聞いてとても興味が沸きました。今度行ってみよう。両親の故郷でもあるし。乾さんは初めてお会いしましたがいろいろなことを噛みしめながら理解されているところがとてもチャーミングです。
一足先に帰り最終で長野に来ました。どういうわけか建築のことをいろいろ考えて寝たせいか、夢にワークステーションの高橋晶子さんが出てきて「坂牛君、ビタミン速度が足りないよ」と言われモット速度、と怒られているのでした。因みにこの速度については2日前の大学院の授業でサンテリアの話しになってモダニズムの教義に速度を取り込んだのは未来派だけだし、それは現代ヴィリリオが理論家しているなんて話しをした後だったのでした。
うーん速度が足りないか?
水曜の午後は授業が終わり次第なるべく早く東京に戻り、皆と打ち合わせ。4時ころから、木からsuの一年め検査の結果を聞き、saの色の話。5時から、中、有とreのお金、スリム案の検討。6時から新たなsaプロジェクトについて大、加のタッグチームと打ち合わせ、これまでの経緯を説明。7時からi井とfuの案の検討。人と会う約束をしているので、8時に帰った。
suでは北向きトップライトの熱さ対策を考える。saの色は黒の外壁をクライアントが難色を示している。別に黒にこだわっているわけではないので、今度の定例に事例をみせることとする。reでは基本設計見積もりでお金を詰めるという今までないやりかたをしている。スペックダウンはもとより、形をスリムにすることで少しいい方向に動いている。しかし為替レートが効くということを始めて経験する。初めての国外プロジェクトだけにがんばりたい。新たなsaは2棟だて3世代住宅ということもあり担当者も二人というこれも新たなやり方である。うまくいくであろう。fuは坪60万の木造住宅で、これも僕としてははじめてのローコスト住宅である。