« 2005年12月 | メイン | 2006年02月 »

2006年01月29日

上野で焼き芋

上野にバーク・コレクションhttp://www.tobikan.jp/museum/burke.htmlを見に行く。昨晩は行かないと言っていた妻が今朝気が変わったのか一緒に行くと言ってついてきた。道すがら辻惟雄の『奇想の系譜』を二人でぺらぺらめくりさてこれらがどのくらいあるのだろうと考えながら上野公園を横断。書家の妻はバークより国博でやっている「書の至宝」を先に見たほうがいいよと言う。あっという間に超満員になって見られなくなると言うのだが、あちらは開館が9時半でまだ入れないのでとりあえず、バークに入館。
正直言うと、前半半分はまったく面白くない。かみさんも同意見。その上「よく日本の芸術がアメリカに買われたことを嘆くけれど、見る目がないから、本当にいいものは日本に残ってるのよね。」と知ったようなことを言っている。でもそうかもしれない。ただ後半は面白い。それこそ奇想の系譜。その中でも、蕭白は圧巻である。ポスターにもなっている石橋図(1779) Scan1.BMPは一見の価値あり。谷に突き落とされた子獅子を橋のたもとから眺める親獅子の間抜けな表情が実に愉快である。また美しさという点では始めて見た酒井抱一の「桜花図屏風」(1805頃)は保存状態もよく、金屏風だが下三分の一に銀が貼られ酸化して黒ずんでいるところが琳派とはいえども一味違う味わいだった。
バークに結構時間がかかり、疲れた。帰ろうと思ったところに、かみさんが「私はここでランチしているから書を見てきて」というので元気を振り絞って国博へ。案の定超満員ラッシュアワーであった。音声ガイドを借りて主要なものだけ駆け足で見ようと思ったのだが、既に最初の王羲之が3列くらいの人垣で見えない。三蹟(小野道風、藤原佐理、藤原行成)はやっと背伸びして視界の中にいれ、国宝である空海の風信帖fuusinjyogen.jpgは少し粘って見る。寛永の三筆(近衛信、本阿弥光悦、松花堂昭乗)あたりになると人の流れが乱れていてちょっと待っていると隙間ができてよく見ることができた。近衛の字はなかなか好みである。
ああ疲れた。今日は天気がよく気温も比較的高い。上野公園で焼き芋買って食べながら帰宅。

2006年01月24日

きもかわ その2

ciさんコメントありがとう。

ちょうどこないだTVの特集で、日本語の「かわいい」という言葉が世界共通語に!といった特集がなされていました。これによると、いまや「かわいい」という言葉は今世界で日本文化の特徴として捉えられている”キッチュさ?”を端的にあらわす語として、「karaoke」や「sushi」などのように、”Kawaii”がそのままで通用するようなのです。たとえばフランスでは”Kawaii”というタイトルのTV番組があって、そこでは、番組の出演者が”kawaii!”と連呼しながら今流行のポップでキッチュなものの紹介をしているといった感じです。

それは知らなかった。でも『かわいい論』によれば確かにかわいいに相当する言葉は英語にもフランス語にもないそうだ。

私は「かわいい」という言葉が本来の意味からすごく広範囲に拡大解釈され、いまとなっては「あいまい」なもの一般をオブラートのようにくるんでしまう言葉となってるのではないかなぁ~と思うのですが、いかがでしょう?

そう言葉の意味があまりに広範なので諸外国語に相当する単語が見つからないのだろう。
今日みかん組の竹内氏が信大にレクチャーに来てくれたのだが、八代の保育園の遊具を自ら「きもかわ」と呼んでいたが、その言葉の真意は分からない。

ところで思い出したので書いておこう。奇形、奇想を好む日本美術史の系譜があって、それを発掘したのが 辻 惟雄 という東大美術史の元教授であり『 奇想の系譜』 (ちくま学芸文庫)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480088776/qid=1138081205/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/249-3135677-0476314は日本美術史会にインパクトを与えた 一冊であったと山下 裕二 が書いていた。積読でまだ読んでいないが僕の好きな伊藤若冲 等のグロテスクな描写を取り上げている。きっと「きもかわ」に通じる美意識があると思われる。一読をお勧め。

2006年01月22日

きもかわ

01[2].jpg
この写真はアメリカの写真家Diane Arbusによる "Identical twins, Roselle, N.J.1967"というタイトルのものである。一瞬薬品の副作用などによる奇形かと錯覚するような双子の写真である。僕の大学でのデザイン論「建築のモノサシ」における第二講「人間と妖怪」のイントロのイメージとしてホームページに貼っている。この講義は簡単に言うと。建築は古代ヴィトルヴィウスの分析による人間比例論が建築原理の王道を成し、其処から派生する均斉という概念は近代を通して、つまりルネサンスからコルビュジェ(モデュロール)へと影響力を持ってきたことを示す。そしてそれを全体バランスの取れた規範という意味で、人間と呼ぶ。一方そうした全体バランスに異議を唱え、原広司のように部分から考える建築家もおり、そうした部分建築を人間の部分肥大(口裂け女とかろくろ首など)からの類比で妖怪と呼び、その2極軸を示し、その軸をもとに現代を分析する。現代は人間から妖怪へと移行、あるいはまたその間を振幅し、人間的妖怪というようなものも登場する。さてそこではこの妖怪は部分肥大で規範としてのバランスを欠きある種の奇形性を示すのだが、何故現代人がそうした奇形を好むのかあまり深く考えていなかった。そしたら、昨日買った四方田犬彦の『かわいい論』ちくま新書2006がそのあたりを面白く解説してくれている。この本、説明するまでも無くいまや日本語の中で特権的な意味合いを持つに至ったかわいいという語の分析を歴史的文献にあたり、大学生にアンケートして、更にその語の反対語を確認し、それらを踏まえ、かわいいの重要な語義としてのミニアチュアに言及し、女性誌を調査し、秋葉原を調査し、世界的な影響にまで話しは及ぶ。さてその検討の中での一つの結論は、「かわいい」の反対語は意外かもしれないが、類語である「美しい」であり、逆に反対語であろう「醜い」=「きもい」は隣り合う語であり「きもい」と「かわいい」が合成された」「きもかわ」という語が「かわいい」を知るキーであると言う。さてこのきもかわの例とは学生アンケートではアンガールズやしりあがり寿の漫画なのだが、そこに四方田は冒頭のアーバスの写真を「きもかわ」の例として加えこう述べる「双生児の少女たちは『無垢』や『親和力』といった観念を剥ぎ取られ瓜二つの人間がこの世にいる薄気味悪さの証左として提示される・・・・・・・・・・今にして思えば写真家としてのアーバスの真骨頂とは『かわいい』とは本質的に『きもかわ』であり一皮剥がせばグロテスクに過ぎないことを証明したことであった」
なるほどそう考えると元祖妖怪建築である原のヤマトインターナショナルとアンガールズはそのグロテスクなあり方において隣り合っていそうであり、そしてこのグロテスクがアンガールズの場合かわいいに転んだということである。さてヤマトはかわいいに転んでいるか?転ぶ必要があるか???

G05-0011-051205[1].jpg

2006年01月20日

ロマン主義

どうもロマン主義は苦手で、それが出てくるとつい迂回したくなるのだが、言葉と建築の講義をしているともう逃げるわけにもいかなくなる。例えば前回の講義truthでは1、ルネサンスの自然としての真実、2、構造的真実、3、表現的真実、4、歴史的真実となる。名前を入れれば自然:ウィトルウィウス、パラディオ、構造:ロドーリ、ロージェ、カンシー、シンケル、ピュージン、ヴィオレルデュック、表現:ゲーテ、歴史:ヘーゲルとなる。もちろん表現:ゲーテに代表されるのがロマン主義なのだが、何故これが苦手かというとその熱く語る言葉にこちらの心が負けてしまうのである。俗っぽく言えばついていけなくなる。
例えば、ゲーテは「ドイツの建築について」という論考を1773年に最初に書いている。これはゲーテ23歳の時の論考であるが、ヘルダーの『ドイツ的様式と芸術』というパンフレットに掲載されたものでドイツにおけるゴシックリバイバルに火をつけた論文である。シュトラースブルク大聖堂について書かれたものである。行ったことが無いからなのかもしれないが、「・・・その気品と壮麗さを眺めるために、何としばしば私は立ち戻ったことか。・・・」とか「・・・黄昏の中で無数の部分が一つの魂に解けて・・・」という心の底から湧き上がってくるような言葉の一つ一つがこちらの心に入ってこないのである。ああ悲しいかな!さてしかしゲーテはその50年後「ドイツの建築について」第二弾を書く。今度はケルンの大聖堂について書くのである。こちらはいささか肩の力が抜けている。(というのはケルンについてはそれほど肯定的ではないからなのかもしれないが、やはり歳のせいで昔ほどの熱い熱情が薄れているという感じがする)例えば「人間が何か法外なことを成し遂げようと企てると、未完なものが我々に迫ってくる。」とか「大聖堂内部そのものも、率直に言えば、なるほど意味深くはあるが不調和な印象を我々に与える。」このくらい理性的な文章なると腑に落ちる。しかしこうなると最早ロマン的では無いわけである。
後者の方が受け入れやすいというのははなはだ時代的である。表現的真実なんていうのは今の時代が最も嫌うような言葉だし、信じられないような言葉であり僕以前に時代がついていけないということなのかもしれない。

2006年01月15日

自由な社会と自由な建築

今日は14度近くまで気温があがったようだが、家の中にずっといたのでその暖かさはあまり感じられずにいた。そう言えば昨日ブックファーストに行ったら人文の階に東浩紀の『波状言論s改』を読解するための参考書を陳列するという妙にマニアックなコーナーがあった。この本は一ヶ月くらい前に読んだもの。鼎談の連続で、東、鈴木謙介を中心に、北田、宮大,大澤という豪華な顔ぶれ。それだけにテンポの速い対話で分からない概念も他出する。そんな人向けのコーナーなのだが、そこに森村進の『自由はどこまで可能か』という新書があり、購入し、読んでみた。リバタリアニズムの入門書である。何故読んだかというとリバタリアンという言葉とリベラルの差が分からなかったからである。本書には分かりやすい図がのっていた。それは二つの指標からできたマトリックスである。一つの指標は経済的自由でもう一つは人格的自由。双方を尊重するのがリバタリアン。前者のみ尊重するのがリベラル。双方尊重しないのが、権威主義。経済的自由のみ尊重するのが保守派だそうだ。なるほどそうだったのか。

建築においても政治と期を一にして自由が尊ばれている。建築で自由の概念は表出できるのかという疑問はあるが、(フォーティーはヒンメルブラウの建物を建築家の構造からの開放ととらえしかしそれは建物の開放ではないと言う。そうである建築家の自由への希求は建築が自由(あるいは開放)の概念を表出することと同義ではないのである)物理的な側面からこうしたマトリックス分析ができないものかと思案した。例えば、建物の物理的ヒエラルキーという指標と機能的制約という指標を置いてみる。そうすると先ず両方の指標が高い建築が現れる。それは割りと普通な秩序正しく、機能的に室が配置された、所謂オーソドックスな機能的建築を指すことになる。一方両方の指標が低いものはミースのユニバーサルスペースのようなものがあり得るのかもしれない。更にヒエラルキーは高く、機能制約が低いものはコンヴァージョン建築(例えば学校が事務所になったと考えてみよう、秩序付けは物理的に高いけれど、機能は決まってない)、最後はヒエラルキーは低く、機能制約が高いもの。これはミースの住宅のようなものだろうか?

うーんまだぴんと来ないのだが、自由度というのは現代建築のかなり重要なファクタでありそれを社会の分析指標を参考に検討してみると面白い分類が現れるのではないかとふと思ったのだが。

2006年01月11日

雰囲気的なもの

ベーメの『感覚学としての美学』では美学の対象を拡張しようとしている。それは先ず芸術以外にデザイン・自然へ拡張する。そして次に、それら対象に対する知覚を問題にする。これまでの美学は基本的に対象の「実在性」を問題にしていた。ここで実在性とはそのものの背後にあるイデアのことである。つまり美しい花を見たときにその花が美しく感じるその美しさはどこからやってくるのであろうかとその背後を一生懸命考えることが美学だったのである。それに対してベーメは「現実性」を問題にする。現実性とは今私のこの前に現実にあるそのもののことである。つま美しい花そのものである。(と書くと正に小林秀雄の「花の美しさがあるのではなく美しい花がある」という言葉になるのだが)ベーメのこの拡張の本質はつまりそこに自己が現前しているというところにある。さらにベーメは知覚内容の拡張へと進む。それまでの美学がモノをその外部から対象化したのに対し、自己の主観のあり方を記述する。その最も主観的な状態を雰囲気という言葉で表現する。これは必ずしも対象に左右されるものではないが、ものの演出に左右される場合もある。更にもう少し対象の側にによって「雰囲気的」という概念を措定する。それは物とはいえない「準物体」と呼ばれるものによって影響を受けた主観のあり方をさす言葉である。さてその準物体に挙げられているのが「風、眼差し、声、闇、夜、寒さ、冷たさ」というものである。
さあ前置きが長くなったが、眼差しという言葉がひっかかった。そう僕が「窓」を意識する理由の一つは内外の眼差しの交錯する場と考えるからでそれがベーメ的に言えば雰囲気的なものを作っている。それゆえ、眼差し以外の風、声、闇、夜というのもひどく惹かれる(寒さ、冷たさはちょっとつらいけれど)。これらを建築の中に取り込めないものだろうかと考えてしまう。風は単に衛生としてではなくもっと主観へ働きかけ雰囲気をつくるものと考えると急に面白い。声というのも不思議。闇、夜。いろいろと想像を掻き立てられるではないか。そしてそれが生むであろう雰囲気的なものが何か得体の知れないものへつながりそうな期待がするのだがどうだろうか?

2006年01月09日

『コルはなぜコルになったか』

ナタリーエニック著、三浦篤訳『ゴッホはなぜゴッホになったか』という本の方法論を用いて例えば『コルビュジェはなぜコルビュジェになったか』を書くとするとこうなる

①何よりも先ずそれはコルに関する本ではないその死から今日にいたるまで、コルに興味を持ったものたちに関する書物である、
②それは作品の特質を説明するための試論ではなくどのようにしてこの特質が後世の人々によって構築されたのかを説明する試みである。
③それは芸術社会学と共通点を持ちながらも、社会学的還元の試みではない
④それは人々によって知覚され議論されたやり方を明確にすることによってその特質にたどり着く
⑤それはコルが合理的機能主義者であったことを覆す真実を発見するにとどまるのではなく、その伝説の構築が果たす機能を理解することなのである。
⑥作品への唯美主義つまり希少性の倫理と人物への常識的社会学主義つまり順応性の倫理との間を探ることである。
⑦コルの発した数々のマニフェストの意味を探り当てることに意味はなく、どうしてそういうマニフェスト(例えば「住宅は住むための機械である」が有名な言葉として語り継がれなければならなかったのかその言葉の機能を理解ることに意味がある。

さてこう書いてみるとある本を思い出す。井上章一氏の名著『作られた桂離宮神話』である。僕の記憶が正しければ、この本はタウトという名を利用して桂離宮を一躍日本の名建築に仕立て上げたその政治的内実を明らかにした本なのである。つまり桂の美にせまるものでもなければ、桂自体の特質の何かを明快にしようとしたものではないのである。

回りくどくなったが、僕がとても興味をもっていることはこういうことなのである。コルはどうして近代建築の巨匠に成らなければならなかったのか?極論すればそういうことである。もちろんこれは現代にも通用する。伊東豊雄はなぜ現代のトップランナーでなければ成らないのか?それには理由があるはずであろう。こう考えていけば。

2006年01月06日

大きな家の可能性

やっと伊藤君がやって来た。
建築のサイズの話をスケールという観点ではなく、社会的なあるいは構成的な視点からそのプロブレマティックを質すという論旨であったよう思う。そして話を住宅に絞り、こう問う。建築ジャーナリズムは大きな家より小さな家の方が現代建築の問題を多く抱えていると思っているがそれは果たして妥当か?

小さい住宅だけが現代性を抱えているのだろうか?たしかに結果的に現代人は大きな家に住めない。その理由は土地代が高いのと収入が低い。ただそれだけのこと。しかし100人の若手建築家の95人が狭小住宅の設計を余儀なくされていることを考えれば、狭小住宅は現代の建築設計の基本となっているかもしれない。つまり、狭小なところにいかに上手に設計するかが先ずは学ばなければならない技術であり、そのためにはその教科書が巷に出回るであろうし、雑誌もそういうものの方が売れるということになるのは当然かもしれない。しかしそのことを持って豪邸のプロブレマティクを見過ごすわけにもいかない。

さてそうなると大きな家の問題系とは何かということが次に問われるのであろう。そういう仕事は世の中に少なく、だから若い建築家の関心も薄く、もちろん雑誌を買う人たちの大半は狭小住宅を作ろうとして、そういう類例が掲載されているものを探すにもかかわらず、それでも大きな家を世に問うことの意義は何なのか?
それは二つあると僕は思う。一つは小さい家には無いものを示すことである。つまり大きいからこそありうること。例えば考えられないような大きな架構であったり、不思議なくらい広い暮らしであったり、あちら側が見えないほど大きな部屋だったり、すなわちその昔篠原一男が言ったようなことである。掃いて捨てるほどある狭小住宅には間違っても現れないようなコトやモノたちである。
そしてもう一つはその逆である。小さい家にもあるようなものを示すことである。つまり大きさがまったく関与しないようなことがらを提示することである。それはテクスチャの問題とか色の問題とか空間の問題とかつまりは建築の構成とか配列の問題ではなく原質としての何かである。

これらのテーマは現代建築において必然的な問題系である。もしある種の左翼的な問題意識から豪邸が社会的リアリズムに反するというような認識のものとに、豪邸が排除されるとするなら何たるアナクロであり、何たる馬鹿げたことであろうかと首を傾げたくなる。何故なら、確かに冒頭記したように、土地代の高い日本でバブル以降相対的に低収入化した現代人が狭小住宅を作るのは社会的リアリティかもしれないが、それは数の上での話しであり、一方で様々な理由から数は少なくとも大きな家があるのも事実であり、その大きな空間にはそれ固有の可能性とリアリティは保持されている。その空間を数が少ないという理由で排除する理由は建築家としてはこれっぽっちもないからである。

2006年01月04日

住宅の大きさ

すっかり参加が遅くなってしまってスミマセン。久しぶりにコラムを見たらかなり量が増えてきていて、いっぺんにレスポンスしてしまうのは無理ですし、もったいないので、毎回少しずつ触れさせてもらいたいと思います。

随分戻りますが、まずは、坂牛さんが書いていた、水平/垂直の話。自力で資金を調達するような上昇志向の高い人は都心に垂直的な住まいを求め、親族の土地や資金などを譲り受けられる人は、やや郊外に比較的水平的な広がりのある家を構える。確かに大きくはそういう傾向はあると思います。自らの資金で自分の環境を整えようとする人は、小さくても、環七より内側に土地を探す人が多いですし、クライアントは、その土地で実現可能な垂直的な家のイメージをある程度は頭の中にも描いているのだと思います。水平的な家のクライアントも、もちろん漠然と水平的な家のイメージを頭に描き、それを暗に志向しつつ、設計が進められていくのです。
でも、このことは僕は坂牛さんに指摘されるまでは全く気がつきませんでした。僕が気が付かなかったのは、二つのプロジェクトを並べてみたことがなかったからだけでなく、この垂直/水平という二つの志向性がクライアントの要望というより、ほとんど敷地から決まる必然的な条件として、無条件に受け入れてしまっていたからだと思います。

これに対して、話をしていて、人よって随分異なるものだとしばしば思うことがあります。それは、住宅の大きさについてです。同じ時代の、しかも世代が近い人達が、それぞれ随分異なる大きさの家を希望するように思います。個人的な経済状況が違うと言ってしまえばそれまでかも知れません。実際住宅の規模は予算が決めるという事実は否定できません。しかし、コンパクトな家でも十分に満足して生活している人もいれば、かなり余裕のある家でも、「もうすこし広さがあれば」と思っている人もいるようです。住宅の<適切な>大きさというものが、極めて相対的なものだとすると、僕らは、それについてかなり意識的であらねば、求められているものに決して近づけないと思います。

建築雑誌は一時期、小さな住宅を特集し、限られた面積の中で豊かな空間を実現するためにさまざまな実験的な試みが行われた住宅が紹介されていました。これらに出ている住宅の部屋構成は、大体(LDK+寝室+子供部屋)です。
アトリエや倉庫などが付くこともありますが、特筆すべきは、子供部屋が二つある家が非常に少ないということです。建売の住宅は、3LDK(子供x2+主寝室)が圧倒的に多いのになぜ建築雑誌の住宅には子供部屋は一つしかないのでしょうか。これは、都心の狭小地に住宅を構えるクライアントがそれを必要としない人が多いということももちろんありますが、日本の平均で、一人っ子の世帯が5世帯に1世帯だとすると比率が多すぎる。むしろ、この偏りは、雑誌側の選考基準によるものでもある思うのです。子供部屋が二つあると、室の関係にヒエラルキーが生まれ、住宅の持つ形式性にとらわれたものになりがちだからだと思うのです。メディアのその方向性は間接的に建築家の作り方にも影響します。限られた中で最低限必要なものを探り当て、それを充実させること。面積制限の中では何かを実現するために何かを切り捨てること。是非はともかく、小規模な住宅では、小さいことが免罪符になって、むしろ筋の通った空間が実現ができる場合があるのだと思います。

しかし、小さな住宅のほうが大きな住宅よりも面白いという風潮はどうかと思う。どちらも同等に豊かで一般性のあるものであるべきです。60坪の住宅は決して上記のような方法ではできないし、作るべきではありません。「豪邸は問題がないのが問題だ」というような言い方も聞いたことがあります。小さな住宅で有効だった、いい訳めいた形態の説明もここでは無効になるでしょう。ここで必要なのは、建築家のよりクリアなビジョンなのだと思います。それは極端な問題解決方法などよりもずっと射程の長いものであるべきです。豪邸を堂々と作ること。そのあたりを考えてみたいと思っています。

2006年01月03日

ファッション・建築読解の構造

NHK出版の『ファッション中毒』という本が面白かった。ミッシェル・リーというファッションジャーナリストが書いている。
その中で着こなしについて説明する。曰く「着こなしの技というのは往々にして、他人の意見の上に成り立っているものである。私たちは服装とは自分が思う自分の姿を表すものだと思いたがるが、それは、むしろ他人にどう見てもらいたいかの表現」であると。更に、社会心理学者キム・ジョンソンの言葉を紹介する「服というのは、自分がどれだけファッション・ゲームに参加しているか、そして、自分がどの程度のレベルでプレーしているかについて、他人に情報を与えるものなのです」

この言葉は「建築デザイン」にも多く当てはまる。例えばクライアントは服を着こなすように建築を作ると考えてみよう。値段が違い過ぎてぴんとこないかもしれないが、両者はかなり似ている。我々は服に機能とデザインを求める。寒い冬に防寒性能を要求するけれど、同じ防寒性能のジャケットがあれば次はデザインの差を問題とする。建築も同様でありクライアントは機能を満たすことに必死になるが、それが解決されれば、次に求めるものは、デザインである。ではデザインとは何か?服を選ぶ時のデザインと同じか違うか?それは多少違うはずである。服は個人的な問題であり、黄色いスーツで会社に行けば変だと思われるかもしれないが人に迷惑はかけない。しかし、家を黄色に塗れば、隣人は嫌がるかもしれない。下手すれば景観重点地区なんていう場所では許されない行為かもしれない。つまり建築のデザインは服のデザインより比較的社会性が必要でありその意味での差はある。しかしデザインが誰によってどのように読み解かれるためにあるのかと問うてみると、両者はかなり近い。つまりデザインとは服であれ家であれそれはそれらを見る人たちの読解のコンテクストの上で再現されるのである。つまりそのデザインを見せたい誰かの読解能力の上に成り立っているのである。その意味で建築デザインとはファッション同様ひとつのゲームであり、その建築ゲームにクライアントは建築家と一緒になって参加し、どの程度のレベルでプレーしているかについて他人に情報を与えながらそのレベルでの読解を期待するのである。

2006年01月01日

東京ブランド村

青山で目覚めた元旦の朝、家族と初詣に歩き始めると正面にやたら派手な建物が見える。あのプラダの前にカルティエができているとは知らなかった。プラダと並んでこの通りをますます派手なものとしている。そこから表参道に歩を進めると多くのブランド有名建築が並んでいるのはご存知の通り、そして今年はここに安藤さんの同潤会が出来上がる、表参道に面してスケール感を考慮し、建物高さは4層程度に抑えられている。4層の上半分3層目4層目は部分的に集合住宅、そして下半分の1,2層目はほとんどがショップ。一ヵ月後にオープンを控えたブランドショップの仮のサインが連なっている。「全部ブランドショップ?」と聞く兄に「ブランドじゃないと家賃を払えないだろうね」と私。
ところで世界のブランドコングロマリットは5つに整理されたと言われる。アメリカのペガサスグループ。今日の初詣の出発点カルティエ、モンブランを有するリシュモン・グループ、その向かいのプラダそして交差点を渡ってグッチ更に坂を下ってディオール、ヴィトンを有するLVMHである。
コングロマリットとは、異業種も含めた企業の複合体であり、LVMHはワインシャンペンから時計そしファッションと複合し、年商は兆の単位になると言われている。(社長のベルナール・アルノーはエコールポリテクニークとENAを卒業した超エリートであり、倒産したディオールの親会社を国から1円で買って再建した)。そして今や、少数のブランド、エルメス、シャネル等を除くと、多くのブランドはこうしたコングロマリットの傘下に買収され、技と個性のブランドからブランド世界制覇の一つの駒へと変貌しつつあると言われている。その戦略上の一つのポイントはパブリシティ、つまりは広告である。ファッション誌の主要広告を、(ページ1000万とも言われる)買い、坪1000万とも言われる広告塔としての建築を建てるのである。そしてその広告塔は2極文化した日本社会の上流部分もそれ以外も視野にいれ(山本耀司がアディダスと提携したり、シャネルがスノーボードつくったり)手を換え品を換え、新たなニーズと消費構造を生み出そうと画策している。
この悪魔のようなブランド力は多分枯渇しないように思われる。それはやはり一つの人間の基本的な欲望だからである。そしてそのブランド力の広告塔も当分消え去ることは無いのかもしれない。しかし、何らかの加減で食が健康を求め質素化するように、衣も何かを契機としてシンプリファイされる一時というものもあるだろうし、そのとき建築もそうした過渡期をパラレルに迎えることもあるのかもしれない。しかし、それはやはり過渡的であろう。豊穣なものと、単純化は繰り返されるものであることは歴史が証明しているのであるから。