住宅の大きさ
すっかり参加が遅くなってしまってスミマセン。久しぶりにコラムを見たらかなり量が増えてきていて、いっぺんにレスポンスしてしまうのは無理ですし、もったいないので、毎回少しずつ触れさせてもらいたいと思います。
随分戻りますが、まずは、坂牛さんが書いていた、水平/垂直の話。自力で資金を調達するような上昇志向の高い人は都心に垂直的な住まいを求め、親族の土地や資金などを譲り受けられる人は、やや郊外に比較的水平的な広がりのある家を構える。確かに大きくはそういう傾向はあると思います。自らの資金で自分の環境を整えようとする人は、小さくても、環七より内側に土地を探す人が多いですし、クライアントは、その土地で実現可能な垂直的な家のイメージをある程度は頭の中にも描いているのだと思います。水平的な家のクライアントも、もちろん漠然と水平的な家のイメージを頭に描き、それを暗に志向しつつ、設計が進められていくのです。
でも、このことは僕は坂牛さんに指摘されるまでは全く気がつきませんでした。僕が気が付かなかったのは、二つのプロジェクトを並べてみたことがなかったからだけでなく、この垂直/水平という二つの志向性がクライアントの要望というより、ほとんど敷地から決まる必然的な条件として、無条件に受け入れてしまっていたからだと思います。
これに対して、話をしていて、人よって随分異なるものだとしばしば思うことがあります。それは、住宅の大きさについてです。同じ時代の、しかも世代が近い人達が、それぞれ随分異なる大きさの家を希望するように思います。個人的な経済状況が違うと言ってしまえばそれまでかも知れません。実際住宅の規模は予算が決めるという事実は否定できません。しかし、コンパクトな家でも十分に満足して生活している人もいれば、かなり余裕のある家でも、「もうすこし広さがあれば」と思っている人もいるようです。住宅の<適切な>大きさというものが、極めて相対的なものだとすると、僕らは、それについてかなり意識的であらねば、求められているものに決して近づけないと思います。
建築雑誌は一時期、小さな住宅を特集し、限られた面積の中で豊かな空間を実現するためにさまざまな実験的な試みが行われた住宅が紹介されていました。これらに出ている住宅の部屋構成は、大体(LDK+寝室+子供部屋)です。
アトリエや倉庫などが付くこともありますが、特筆すべきは、子供部屋が二つある家が非常に少ないということです。建売の住宅は、3LDK(子供x2+主寝室)が圧倒的に多いのになぜ建築雑誌の住宅には子供部屋は一つしかないのでしょうか。これは、都心の狭小地に住宅を構えるクライアントがそれを必要としない人が多いということももちろんありますが、日本の平均で、一人っ子の世帯が5世帯に1世帯だとすると比率が多すぎる。むしろ、この偏りは、雑誌側の選考基準によるものでもある思うのです。子供部屋が二つあると、室の関係にヒエラルキーが生まれ、住宅の持つ形式性にとらわれたものになりがちだからだと思うのです。メディアのその方向性は間接的に建築家の作り方にも影響します。限られた中で最低限必要なものを探り当て、それを充実させること。面積制限の中では何かを実現するために何かを切り捨てること。是非はともかく、小規模な住宅では、小さいことが免罪符になって、むしろ筋の通った空間が実現ができる場合があるのだと思います。
しかし、小さな住宅のほうが大きな住宅よりも面白いという風潮はどうかと思う。どちらも同等に豊かで一般性のあるものであるべきです。60坪の住宅は決して上記のような方法ではできないし、作るべきではありません。「豪邸は問題がないのが問題だ」というような言い方も聞いたことがあります。小さな住宅で有効だった、いい訳めいた形態の説明もここでは無効になるでしょう。ここで必要なのは、建築家のよりクリアなビジョンなのだと思います。それは極端な問題解決方法などよりもずっと射程の長いものであるべきです。豪邸を堂々と作ること。そのあたりを考えてみたいと思っています。