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ファッション・建築読解の構造

NHK出版の『ファッション中毒』という本が面白かった。ミッシェル・リーというファッションジャーナリストが書いている。
その中で着こなしについて説明する。曰く「着こなしの技というのは往々にして、他人の意見の上に成り立っているものである。私たちは服装とは自分が思う自分の姿を表すものだと思いたがるが、それは、むしろ他人にどう見てもらいたいかの表現」であると。更に、社会心理学者キム・ジョンソンの言葉を紹介する「服というのは、自分がどれだけファッション・ゲームに参加しているか、そして、自分がどの程度のレベルでプレーしているかについて、他人に情報を与えるものなのです」

この言葉は「建築デザイン」にも多く当てはまる。例えばクライアントは服を着こなすように建築を作ると考えてみよう。値段が違い過ぎてぴんとこないかもしれないが、両者はかなり似ている。我々は服に機能とデザインを求める。寒い冬に防寒性能を要求するけれど、同じ防寒性能のジャケットがあれば次はデザインの差を問題とする。建築も同様でありクライアントは機能を満たすことに必死になるが、それが解決されれば、次に求めるものは、デザインである。ではデザインとは何か?服を選ぶ時のデザインと同じか違うか?それは多少違うはずである。服は個人的な問題であり、黄色いスーツで会社に行けば変だと思われるかもしれないが人に迷惑はかけない。しかし、家を黄色に塗れば、隣人は嫌がるかもしれない。下手すれば景観重点地区なんていう場所では許されない行為かもしれない。つまり建築のデザインは服のデザインより比較的社会性が必要でありその意味での差はある。しかしデザインが誰によってどのように読み解かれるためにあるのかと問うてみると、両者はかなり近い。つまりデザインとは服であれ家であれそれはそれらを見る人たちの読解のコンテクストの上で再現されるのである。つまりそのデザインを見せたい誰かの読解能力の上に成り立っているのである。その意味で建築デザインとはファッション同様ひとつのゲームであり、その建築ゲームにクライアントは建築家と一緒になって参加し、どの程度のレベルでプレーしているかについて他人に情報を与えながらそのレベルでの読解を期待するのである。

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