東京ブランド村
青山で目覚めた元旦の朝、家族と初詣に歩き始めると正面にやたら派手な建物が見える。あのプラダの前にカルティエができているとは知らなかった。プラダと並んでこの通りをますます派手なものとしている。そこから表参道に歩を進めると多くのブランド有名建築が並んでいるのはご存知の通り、そして今年はここに安藤さんの同潤会が出来上がる、表参道に面してスケール感を考慮し、建物高さは4層程度に抑えられている。4層の上半分3層目4層目は部分的に集合住宅、そして下半分の1,2層目はほとんどがショップ。一ヵ月後にオープンを控えたブランドショップの仮のサインが連なっている。「全部ブランドショップ?」と聞く兄に「ブランドじゃないと家賃を払えないだろうね」と私。
ところで世界のブランドコングロマリットは5つに整理されたと言われる。アメリカのペガサスグループ。今日の初詣の出発点カルティエ、モンブランを有するリシュモン・グループ、その向かいのプラダそして交差点を渡ってグッチ更に坂を下ってディオール、ヴィトンを有するLVMHである。
コングロマリットとは、異業種も含めた企業の複合体であり、LVMHはワインシャンペンから時計そしファッションと複合し、年商は兆の単位になると言われている。(社長のベルナール・アルノーはエコールポリテクニークとENAを卒業した超エリートであり、倒産したディオールの親会社を国から1円で買って再建した)。そして今や、少数のブランド、エルメス、シャネル等を除くと、多くのブランドはこうしたコングロマリットの傘下に買収され、技と個性のブランドからブランド世界制覇の一つの駒へと変貌しつつあると言われている。その戦略上の一つのポイントはパブリシティ、つまりは広告である。ファッション誌の主要広告を、(ページ1000万とも言われる)買い、坪1000万とも言われる広告塔としての建築を建てるのである。そしてその広告塔は2極文化した日本社会の上流部分もそれ以外も視野にいれ(山本耀司がアディダスと提携したり、シャネルがスノーボードつくったり)手を換え品を換え、新たなニーズと消費構造を生み出そうと画策している。
この悪魔のようなブランド力は多分枯渇しないように思われる。それはやはり一つの人間の基本的な欲望だからである。そしてそのブランド力の広告塔も当分消え去ることは無いのかもしれない。しかし、何らかの加減で食が健康を求め質素化するように、衣も何かを契機としてシンプリファイされる一時というものもあるだろうし、そのとき建築もそうした過渡期をパラレルに迎えることもあるのかもしれない。しかし、それはやはり過渡的であろう。豊穣なものと、単純化は繰り返されるものであることは歴史が証明しているのであるから。