形式性のバイパスを通り抜けるもの


*15.
J.J.ギブソン 古崎敬他訳 『生態学的視覚論』 1985 サイエンス社
J.J.Gibson, The Ecological Approach to Visual Perception, Boston, 1979
1.部分の全体性

 建築の部分を考える時「架構」とか「空間」という建築固有の概念から導かれる柱梁、或いは床壁天井という「部分」は容易に想起される。そして多くの建築家がこれらを問題としてきた。しかし、こうした建築の本来的な部分は正に建築の固有性あるいは建築空間の固有性を規定する部位として特に意味を持つものである。建築の固有性ということは建築という全体概念と密接に関連することは言うまでもない。それゆえ全体形式性をバイパスしようとする時にどうもそうした部分を対象とすることには躊躇せざるを得ない。そこでこの固有性を一端はずして考えてみたい衝動にかられる。それは建築の本来性から遠のくことであり瑣末な問題に陥る危険を孕んでいることは承知している。しかしその上で敢えて建築をもっと人間との関係の中で捉えられないかそうした中で見えてくる部分とは何か?と考えてみた。

 生態心理学者のギブソンは動物に意味を与える環境についてこと細かにその要素を拾い上げた*15 。その中にHut(避難所)がありそのHutの構成要素としてRoof、Wall、Opening、Doorwayを上げている。RoofとWallは動物を守る避難所の基本的な要素としてあり、Doorwayはそこへの入り口である。一方Openingはそれが無くとも避難所としての役目を果たすのであろうがそれを通して内外を視覚的に連続させるものとして動物に影響を与えるということである。

 建築の部分性を人との関係で考えいく上でギブソンの観察は興味深い。建築の全体性と関連しない部分としてしかも人間との関係で大きな役割を果たすものとして窓がある位置付けを与えられている。窓を自律的な部分として扱えるのではないかという期待を持った。窓という部分をあたかも生物の如く図面の上に棲息させながら、この部分に生気を与え全体を包摂するような状態へと導く。そうした模索を始めた。窓という部位を建築内に縦横無尽に走り抜けさせた。窓を様々な方向に拡大コピーし、その結果としての建築を探求した。そして、窓が部分でありしかし部分が全体性へと溶解すること。そこに全体性からのバイパスがあり得るのではないかと期待した。

 簡単な思考実験をしてみよう。黒い紙にそれより小さい白い紙を置く。最初は黒い地の中に白い部分があるのだが、この白い紙を横に引き伸ばし黒い紙からはみ出れば、白い紙は最早部分ではない。ここで白い紙を窓に置き換えてみるならば、窓を引き伸ばしていったならば全体の中に溶解する場合があるということを示している。つまり窓を部分として扱いながらも壁と言う地の面を突き抜け縦横無尽に次なる面へと連続させる時、部分でありながら部分性が消えていく。部分を鮮明化しつつもそれが消滅しても見える。この時部分は全体をも鮮明化している。つまり部分と全体がシグナルのように点滅している状態が生まれてくる。ここに窓が全体性のバイパスとして機能し始めるのを感じた。


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