形式性のバイパスを通り抜けるもの










fig.2
fig.2
Robert Smithson, Double non-site California and Nevada, 1968.

*11.
美学者谷川渥は筆者とのインタビューに対しミニマルアートからランドアートへの拡大変貌をモダニズム以降の質料性の噴出として60年代の最も重要な変化と捉えている。
谷川渥「質料としての素材考」インタビュアー坂牛卓 『GA素材空間02』 A.D.A.EDITA Tokyo 2001
II 質料性の噴出


前節で確認したことは篠原・ミニマルアートにおいて、自律的自己言及性の中にその外部へ出るバイパスがあるということであった。本節ではそれらのバイパスを通るものが何であるか確認してみたい。


1.客体の力

 ランドアート作家はもともとミニマルアートを作成していた。R・スミッソンは60年代の半ばキューブの連続体をシリーズで作成していたが、60年代後半にはある特定の場所の砂や石を採取しそれらを鉄製の容器に入れてギャラリーに展示するようになる(fig.2)。

 同様に、デ・マリア・ウォルターもジョン・ケージを参照したと言われるケージなどシンプルな彫刻を作成していたが、68年の最初の個展でミュンヘンの画廊の床全体を土で埋め尽くしたという。形式を極限的に制限したその表現において、意識的かどうかは別として、結果的には質料にその表現の強度が噴出する。そうした質料性の欲望がギャラリー内にとどまりきれずに広大な地球それ自体に向かっていったものがランドアートであった*11

 こうしたランドアートへ発展拡大していく起源としてミニマルアートを眺める時、改めてミニマルアートにおける客体すなわち質料性への傾倒を確認できる。もちろんこの質料性をこそフリードは批判的に捉えたのだが、しかし、この非難は歴史的に見れば強い影響力を行使できなかった。それはこうした質料性がミニマルアートの影響を受けたその後のミニマル的アートに受け継がれていることを見れば明らかである。例えば磨かれた壁(カーリン・ザンダー、1996)という作品がある。壁のある一部分(15センチメートル角ぐらいの領域)をただ丹念に磨いただけのものである。作品プレートは認識できても下手をすると作品自体は見過ごしそうなきわどい作品である。正方形という領域の形式に加え、その作品の大きさそれ自体が徹底して最小限に抑えられた作品としてミニマルアート期以降のミニマルアート影響下の作品としてミニマルアート以上にミニマルなものと言えるであろう。そしてそこで行われていることが質料の差異を作ることだけであるということが、ミニマルアートの本質の一端を鮮明に物語っている。

 前節で記したとおり、ミニマルアートはモダニズムアートの終着点として自律的自己言及性を標榜しながらそのバイパスを内包するアンビバレントな構造を持っている。そしてこのバイパスを通過するものが質料性だったということを確認しておこう。

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