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September 30, 2007

映画を見る

早起きして昨日アマゾンから届いたM.G.Turner 中越信和他訳『景観生態学』文一総合出版2004を読んでみた。景観生態学とは生態系をもとに考える景観かと思ったが、その逆で景観から考えた生態系のことだった。これは信大の山岳総合研究所の理学系の先生がやっていることに近い。少しは自然景観の把握に役立つかと思ったが少し扱う範囲が大きすぎるかもしれない。しかし使われている概念は結構参考になる。昼頃、居間に家族3人がいることに気付く。家族全員今日は何かに追われているでも無さそうなので皆で映画を見に出かける。こうなると全員の意見が合わないのだが、みんな一斉に妥協しNO RESERVATIONSというエダジョーンズ主演のラブコメディを見る。お涙頂戴型家族愛的恋愛物語。子役が話しに筋を通しているし上手かった。帰宅後翻訳中のETHICAL FALLACYの参考に佐藤俊夫の『倫理学』東大出版会2007を半分読む。結局倫理学史は哲学史。哲学の一分野と考えてよいということか。美学のようなもの。

September 29, 2007

新たな風景

とても久しぶりに雨だし、とても久しぶりに寒いという感覚を持つ朝である。雨で運動会の代わりに授業となったアンラッキーな娘を送り出し安彦一恵、佐藤康邦『風景の哲学』ナカニシヤ出版2002を読む。風景の良し悪しとは誰がどのような権利を持って言える事なのか?という問題提起があり、その一つの回答は和辻哲郎の『風土』に記されているところの自己了解というプロセスである。またその自己了解のダイナミズムは自然と人知の接点において生まれるとのことである。大いに共感する。五十嵐氏が批判した「美しい風景を創る会」なるものは普遍的な景観美が前提化されているようだがこう言う考えは私もやや批判的にならざるを得ない。和辻が言うような自己了解のプロセスが欠けている。普遍的な美の前提化とは過去に示された判例のような美に我々が飼いならされていることをよしとしていることに等しい。それはおかしい。午後フェルメールを見に行く。これら新たにオランダに発生した風俗画と同時期に風景画も生まれた。このころ人間の側に強く景観を風景化する自己了解が生まれたと言えるのであろう。しかしこれはあくまで17世紀オランダの自己了解である。21世紀日本にはまた違う何かがあるはずである。その一つが昨日紹介したテクノスケープである。そして例えば宮本佳明の『環境ノイズを読み風景をつくる』彰国社2007はそうした新しい風景の読み方を提示している。

September 28, 2007

同化と異化

朝一現場。大工が4人くらい入って急ピッチに進む。色の塗りわけが少々面倒である。現場もこの頃になると毎回どの現場でもそうだが、こうすれば良かったというような気持ちが少なからず起こるものである。まあそれはそれ。
今日は久しぶりに30度を超えて暑い。事務所にもどってもうだっている。大学のゼミスケジュールなど作り雑用を片付ける。夕食後岡田昌彰『テクノスケープー同化と異化の景観論』鹿島出版会2003を読む、この本は著者の博士論文と思われる。シクロフスキーの異化作用を景観に適用している。僕の建築の規則の概念で言えば「協調と独立」。彼はこれを同化と異化と呼ぶわけである。僕の研究室で長野のタウンスケープと山並みの関係性を研究しているものがいるけれど、その評価基準として単なる調和だけでは薄っぺらいので独立とか屹立という概念をいれたらとアドバイスしていたのだが、ちょっと不安だった。しかし景観学者がこういうことを言い出しているのであれば一安心である。若い世代の学者にやっと景観を現代的に見れる人たちが現れた。昨日の五十嵐さんの苛立ちはだんだんと解消されるであろう。

September 27, 2007

二川さんとジェフリースコット

午前中大学の書類作り。昼をとってアサマに飛び乗り辺見から送られてきたジェフーリスコットに関する英語の論文を読む。実に読みいい。スコットはリップスの感情移入理論に大きな影響を受けている以上にドイツのフォルマリズム、特にヒルデブラントひいてはカントの影響を受けていると言う(tasteが重要な概念になっているのだからさもありなんだが)。そしてそんなスコットを著者はガダマーと比較する。先日このブログでもガダマーとスコットについて書いた。そこではガダマーが真理奪回に方法主義否定からフマニスムを促したという鷲田の指摘をひき、ガダマーとスコットの共通性を推測したが、本論分はその逆でガダマーの解釈学に対してスコットは対象に意味を見出すことの無意味さを主張したという指摘だった。もちろんこの二つの話は矛盾はしてないのだが、ちょっと頭が混乱する。
事務所で雑用。大武さんに明日の現場の様子を聞いてから帰宅。風呂で五十嵐太郎の『美しい都市・醜い都市』中公新書クラレ2006を読む。一章、二章は面白かったのだがその後は世界旅行という感じでちょっとストーリーが感じられない。GAJAPANの100号を読む。写真が綺麗である。伊東さんと二川由夫さん(息子の方)の篠原インタビューを興味深く読む。伊東さんが二川親父と篠原さんは仲が悪かったのでしょうと質問。「親父は概念より視覚の人」と言っているのが電車で読んだスコットそのもので思わず笑った。上記論考ではスコットのような視角優先のフォルマリストの美学の特質はnonconceptuality of aesthetic judgementと表記されていた。なるほどnoncocepturalityとは正に二川さんにぴったりである。

ソフトと格闘

やたらと涼しくなってきた。長野に来ると時たま起こるのだが日中の日差しが強いので薄着をしていると夜大学を出る頃(だいたい深夜なのだが)とてつもなく寒くてひどく不幸な気持ちになる。昨夜もそうだった。マンションとの往復は自転車なのだが、とても乗ってられない。歩いて押して体を温めている始末である。今晩もそうだろうか?外は風音が強い。
今日は一日ワードをいじくり出版原稿のチェックをしていた。これが本当に辛いものでワード操作能力不足なのかワードというソフトの限界なのかいろいろと不測の出来事が起こる。本来は内容の精査をしたいところだがなんだかアホなソフトと(アホな人間なのかもしれないが)格闘していた。しかし不備も多少あるものの、数百ページを打ち出して、データーをコピーしてもう梱包した。とにかく今晩中にとりあえず送ろう。これで少しは気が晴れる。
プリントアウトしている間に後期のゼミ本を考えた。
ストーリーその1:徹底して社会学本を読む。そこで僕のアーカイブデーターから社会学系データーをコピーして貼る。更にそれを15冊くらいに限定する。しかし社会学なんていったって余りにジャンルが広い。社会学でも何にするかを絞らないと話にならない。
ストーリーその2:前から気になる80年代論+ポストモダニズムのみを読む。これも上記と同じ作業をしてみるが、これは逆に80年代論がまだ余り無い。一方ポストモダンは余りに多く。収集が付かない。
なんてリストを見ながら、建築を全く蚊帳の外においてしまって良いものか????m1が来年修士設計やるのにこれでは余りに概念的すぎるか?ということで景観論を収集。
というわけで、構築主義+メディア+管理+80年代論+景観論というあたりでとりあえずリスト作成終了。少し脈絡が欠如してそうだが、あまり先入観のあるストーリー作りも良くないと思いこれでよしとする。

September 25, 2007

幸運

久しぶりの会議とゼミ。その合間を縫って市役所で市長に景観賞の答申書提出イベント。報道陣も結構いた。この手のイベントはテレビではよく見るがまああのとおりのことである。夕刻は雑用のテキスト作ったり、学内委員をやっている会議の資料を作ったり。夕食後昨日の鷲田さんの本の残りをぺらぺら斜め読み、どうも後半は僕の興味からはずれていく。面白かったのは反方法論的思考としてのエッセイの勧め。エッセイのような建築というのもあるかもしれないとと考えると少しわくわくした。その後越後島さんの新著『ル・コルビュジエ創造の軌跡』中公新書2007もぺらぺら。これは本当はコルビュジエ展のオープンあたりに出る予定だったのだろうか?かなり一般読者を対象に書かれているようだ(新書だからあたりまえかもしれないが)。というわけで僕には物足りないのだが、越後島さんの鋭い視点は散見される。例えばサボワ邸はコルビュジエのピークであり限界という指摘。彼の理論のピークの時に建物の条件がゆるい仕事が来た幸運として説明している。つまりこの当時の幾何学の純化を視覚化するためには建物を浮かすのが最も理想的。しかし住宅を浮かすなどということは機能的に誰でもが望むようなことではない。しかし郊外という自由な立地と潤沢な予算、別荘という機能の自由度がその浮いた箱を可能にしたというわけだ。そしてそんな幸運はそう簡単に訪れるものではない。ゆえにサボア邸以上のものは後には出来なかったと指摘する。
うーん異論もあろうがだいたい正しい。そしてこんな書き方は今までの歴史家ならしない。でもこれが建築の普通のそして本音の解釈だろうなあ。そう、建築はかなりの幸運によって生まれる。いいクライアント、いい施工者、いいスタッフ。それは多くの名作を見ると明らかである。あまり口外すると(特にネット上でボソッと言うのも失礼なので)問題もあるから固有名詞は避けるとしても一般論で言えばやはり建築家の自邸が名作になりやすいのもその幸運を待てないからであるだろうし、幸運だからこそ、名建築家だって名作なんてそんなに多く作れるわけでもない。コルビュジエだって5つもないだろうし、、、、、だから僕にもいつか幸運は来るかもしれない。

反・方法主義

A0勉強会。亀のようにゆっくり進む。倫理的誤謬の章を未だやっている。光岡訳は15ページくらいあるのだが、5時間で1ページくらいしか進まない。まだこの章が終わったわけではないけれど荒筋はロマ主義も機械論もピューリタニズムの思潮(純粋道徳主義)に後押しされながらこの時代の建築倫理(これがどうもゴシックリバイバルにおける構造的な倫理のことのようなのだが)に繋がっているということのようである。そしてこの構造的理性の制覇に対する反論が人文主義に繋がるのだが、、、、疲れた頭を引っさげ飯を食ってから長野に向かうアサマの中で鷲田清一の新刊(とはいっても初出ではないが)『思考のエシックスー反方法主義論』ナカニシヤ出版2007を読む。
先ずは近代哲学とはデカルトの『方法序説』に始まり方法主義的制覇の時代であるという。そしてその制覇のために据えられた概念が自律でありそれを支えるトポスとしての純粋があるという。「ピューリタンから『純粋理性批判』まで「ピュア」という観念はくりかえし1つの運動、ひとつの理念の名に冠せられてきた」と言う。そしてこの方法という理念は様々な分野で実体化する。「航海においては海図、建築においては設計図といった具合に、そこではなんらかの見通し、ないしは構想といったものを欠くことはできない」と述べる。僕の昔の論考で言えば全体性批判に相当するようなこの指摘には素直に共感。更にこうした方法主義的制覇への批判を行なったのがサルトルとガダマーだという。ガダマーの『真理と方法』は「近代の知の地平において次第に失われていったフマニスム〔人文主義〕の伝統を復権することで、真理をその方法主義的制覇から救済しようというモチーフである」と指摘した。
このあたりまで読んでくると、昼に苦しんで読んでいたスコットの倫理批判がどうしたって重なってくるではないか。しかしガダマーが真理と方法を練り上げたのは60年代だからスコットの発想はその40年も前のことであり、そこに1つの思潮としての流れがあるのかどうかはよくわからない。しかし人文主義が近代的知への批判として用いられていたということはスコットを読む上では重要なポイントかもしれない。

September 24, 2007

原稿

朝から原稿の整理と図版の整理をしていた。完全ではないが、とりあえず出版社に送ろうかな?著作権の目処を付け、文章を縦書きにし、前書きを考える。この3つが終わったら送りたいところ。なんとか横書きを縦書きにした。数字の書き換えだけでも結構な手間だった。著作権の目処はほぼついた。コピーライトは持ってないという出版社が3つあり、彼らも誰が著作権保持者かを知らないという。そんなことあるだろうか?でもそんなことならもう追求はやめよう。三つめも前書きだがほぼ書けた。建築の規則は本来二つありここで記すことはその第一部であることを書ければそれでいい。などということをしていたら2時を回ってしまった。さあ寝よう。

September 22, 2007

構造改革の行く末

統計値上日本の労働生産性は低くOECD加盟30カ国中19位だそうだ。しかしそれは数字のいたずらで実質的にはそんなに低くないと『ホワイトカラーは給料ドロボーか』門倉貴史光文社新書2007に書いてある。しかし続けてこうも書かれている。少子化が進みGDPが低下していくと国の豊かさは減少する。それに対抗する手段は効率の向上であり具体的には構造改革とイノベーションであるとのこと。そういう理屈が小泉内閣の政策論理であったことは言うまでも無い。そんな本を読んだ次の日に朝日新聞の友人から『分裂日本』朝日新聞2007が届いた。彼がチーフとなってまとめた去年の連載記事をまとめて本にしたものである。内容は正に昨日読んでいた構造改革の陰の部分を浮き彫りにしている。高島平における中流層崩壊の実体、そして中国地方の地方都市の格差の現出をはじめ様々な事実が示されている。自民惨敗、安部退陣。そして麻生、福田が異口同音に格差是正を合言葉にして明日総裁選である。構造改革はどのような形で今後進むのだろうか?止めるのは簡単である。今必要なのは修正であろうと思われる。その方法が二人の言葉からはまだ見えない。

バイバイヘンリケ

9月21日
朝メールの返信など終わらせてから現場へ。東京はまだ暑い。大工が4人入って急速に進んでいる。一晩にしてボードがほぼ貼り終わったようだ。そのままリーテムへ。中国の設計院の実力がないと言ったらいきなり副社長は中国に電話をして人を換えろと要求。このあたりは相変わらずやることが早い。事務所に戻ると西澤君が来て富山の打ち合わせ。来週一週間彼が模型を作りこむ。夜ヘンリケ送別会。3ヶ月間ご苦労様。ワインを飲みながら折り紙で盛り上がった。月曜日にシュトゥットガルトに戻る。秋からまた大学で普通に勉強するのは信じられないと叫んでいた。日本に来る前はインドのワークショップ、年末はノルウェイで過ごすとのこと。ワールドワイドである。日本の学生も見習って欲しい。この行動力。

September 20, 2007

景観賞

長野市には景観賞という賞が制定されている。毎年数件を選出するのだが今年は市制110周年ということで今までの景観賞受賞作品を対象に大賞と部門賞を選出することになった。私も選定委員の一人として今日は朝から市民投票の上位16作品を現地審査した。長野は本日快晴で暑かったが朝8時半から夕方5時までみっちり見て回った。見たことがあるものからはじめてみるものまで様々。住宅もあるところが長野らしい。つまり、歴史的町並みに考慮したものとしての住宅が選出されているのである。寺社仏閣があるところも長野らしい。善光寺に限らず、戸隠の神社もある。最後は選定委員の投票で大賞1つ、部門賞5つが選出された。来週早々に市長に答申する予定である。

September 19, 2007

さてゼミでも

夏休みはコンペに時間をかけゼミが少し歯抜けになっている。意匠系の論考とは特にその方法が確立されているわけではないので工学のそれのように実験やってまとめてと言う風には行かない。ということはつまり卒論レベルの程度というものもない。もちろん僕の頭にはあるレベルというものがおぼろげにあるものの、個人の力量というものもあるだろうから後はその人に応じてということになる。尻をたたいて良いものにするのは教師冥利に尽きるのだが、それはそれで体力(精神的)勝負。まあこんなもんでいいかというのは自分の人生においても人の教育においても頭をもたげそれをひっぱたいて追い出すのは結構また体力がいる。その昔篠原先生も特にテーマを決めて論文をやっていたわけでなかったし割り切っておられたが、そうできるものならそうしたいと言う気持ちもまた頭をもたげるものである。

中東

9月18日
先日サイードの自伝のごときインタビュー本を読んで改めて中東の話は難しいと思っていた。そんな訳でふと本屋に並ぶ山本七平、イザヤ・ベンダサンの昔の論考をまとめた単行本が目に付いて購入していた。『中学生でも分かるアラブ史教科書』なるもの。しかしこれは中学生でも分かるというほど簡単な本ではない。半年ほど前にイスラムに関する本をいろいろ読み基礎知識が増えているのだがやはり分からないことが多い。それはそうかもしれない。主として3つの宗教と数多の宗派が入り乱れるこの地域の話は戦争ひとつ、国際会議ひとつとっても余りに複雑。サイードの本には訳者大橋洋一郎氏の懇切丁寧な註が全てのページに亘って付加されておりそれを参考に理解は深まるのだが、註が多過ぎてこれはこれで読み進むと前の註を忘れる。文体はインタビューだから気軽な会話なので騙されるが、内容は複雑な前提が多々あるわけである。山本のこの本も同様である。

September 18, 2007

富山

9月17日
富山コンペの打ち合わせ昼から夜までレイアウトを決定し、コンテンツをほぼ決める。とは言ってもデザインできていないところは多々あり、それらを埋めていかなければならないのだが、、、景観デザインなので何をすべきかは建築のように簡単にはいなかない。敷地を見ていないので直感的にこうあるべきという判断ができない。敷地を見ずに景観コンペをやるというのもなかなか大胆である。研究室の4年生に富山出身者がおり写真を送ってもらった。やはり立山は駅から見えそうだ。しかし台風の影響で天候が悪く山に雲がかかっている。

September 17, 2007

金地院

9月16日
朝一で植南先生に勧められた南禅寺金地院に行って見る。一般に塔頭(金地院)とは山内(南禅寺境内)にあるものと思うが、金地院は山門をくぐる手前右横にあるので南禅寺に来たついでに寄ることは少ないだろう。というわけで来訪者も少なくお勧めですよと言われた。確かにその内容を考えると殆ど人がいないと言うのがウソのようである。金地院を出てもう少し何か見ようかとも思ったがきりがないので午前中に東京に戻る。事務所で一仕事して帰宅。一週間ほど℡がかからないのでnttにきてもらったらルーターが壊れているとのこと。こんなもの壊れるものなのだろうか?夕刻河合準雄の本を風呂で読む。この人の文章は実にうまい。

September 15, 2007

京都

京都への車中で読んだ鷲尾清一『京都の平熱』は市営バス206番の行き先順にガイドされる。この206番は東大路、北大路、西大路の順に京都を一周するバスである。そこで僕も始めてこの市営バスに乗ってみることとした。連休のせいか道は渋滞。先ずは目的もなく一周しようかと思ったが東大路3条の手前知恩院で下車。昼食をとることに。これも鷲尾氏の勧めに従いラーメンを食す。京都はラーメンの町だとか。そして知恩院の山門をくぐる。京都には修学旅行をあわせれば6~7回来ていると思うがこの寺には初めて。大きな寺である。山門をくぐり大階段をあがり本殿がある。こう言うスタイルはもちろん京都には多くあると思われるが、結界のプロセスとして階段を上がらせる効果は大きい。知恩院を出てホテルへ。講演まで時間があるので三条にあるホテルの周辺を散策。なんと偶然高校時代の修学旅行で泊まった旅館日昇別荘に遭遇。そばにこの修学旅行で入った覚えのあるイナダコーヒーもあった。周囲には辰野金吾設計の日本銀行、町屋を改装したブティック、もちろん古い町屋も多くある。この新旧の混在が京都である。と鷲田の本には書いてあった。
夕刻京都造形芸大に行く。三条から車で15分くらい。山裾に広がるキャンパスである。なかなか壮大なキャンパスである。私を呼んでくれた植南先生にお会いする。6時半から8時半くらいまで90分の予定が2時間近くなってしまった。多少長引いたがそこそこ言いたいことはいえただろうか?終了後先生たちと夕食。ここの小野先生はなんと篠原アトリエに2年もいたとのこと。驚き。

明日は京都

9月14日
明日の講演のパワポをいじくる。ここで使おうとしている材料は2年前に考えたこととこの春書き上げた博論である。博論はともかく、2年前から考えている内容は今ひとつ進化してない。結局建物があまりできていないからなのだが、やはり物ができないと思考は深まらないことがよくわかる。午後の大学の会議を終えてアサマに飛び乗る。丸善に立ち寄りめぼしい本を購入して宅配を依頼。京都に行くにあたってかっこうの本を発見。鷲田清一『京都の平熱ー哲学者の都市案内ー』講談社2007。この本だけ持参し電車で読もう。講演は夜だが、せっかくだから昼頃までには行こうかな?

September 13, 2007

21時

朝コンペの図面をチェック。研究室は皆徹夜。ご苦労さん。10時からキャンパス計画の会議。新たに二つのキャンパスの提案を行なう。半年くらいいろいろ進めてやっと4つの計画が発表され、それでもまだ本部松本が残っている。まあ蛸足大学というのは大変である。午後会議が終了し、再びコンペ図面チェック。一昨年初めて研究室を持ち院生とともに最初のコンペを行い、そして昨年やり、3回目である。確実に年々いいものになっていると思う。今回は一番難しい課題だったかもしれない。是非とも最初のインタビューに残りたい。プリンターが回り続ける中こちらは明後日の京都造形大での特別講演の内容を考える。だいたいできているのだが、自分の中ではどこかで話したことのつぎはぎであり、少々飽きている。何かもう1つ自分にとって新鮮な内容を加えたいのだがすでにパワポで60枚。90分の講演では多過ぎで減らさなければならないのに何か加えたいというのは大いに矛盾。20時に郵便局に持ち込む予定が、、、点線がプリントされない、室名が抜けている。レトラを貼ったり、インキングしたり、郵便局は諦め、ちょっと遠くの黒猫まで持ち込むことに。締め切りは21時。間に合うか?

さあ最後のもう一踏ん張り

朝雨。よく降る。某クライアントのアフタケアに行きながら彼のプロジェクトの相談。彼はアーティストインレジデンスのような別荘を作りたがっている。場所は海のそば。「坂牛さんのやる気が出るたらやろう」と言われる。ありがたい話である。やる気はあるのだが今のところ体がついていかない。長岡のコンペが終わったら考え始めたいところだ。午後事務所に戻り富山のコンペの打ち合わせ。ほぼ方向性は決まる。なかなか行けそうな気がしてきた。ヘンリケが関西旅行から帰ってきた。広島に痛く感動したという話を聞きながら、きちんと広島を見たことがない私は赤面。なんやかんやと雑用を片付け夕食を近くのとんかつ屋に食べに行き安部退陣を知る。驚きである。ブッシュの感想を聞いてみたい。笑い話のような本当の話である。夜のアサマに飛び乗る。車中エドワード・サイード+タリク・アリ大橋洋一訳『サイードが語るサイード』紀伊国屋書店2006を読む。厳格な親父と包容力ある母に育てられ、父からは厳しさを、母からは文化を学んだと言う。自分の境遇に結構近く親近感が湧く。しかも母の勧めでピアノを学びプロになろうか悩み学問を捨てきれず音楽家を断念したと言う。このあたりも自分に似ている。僕の場合は学問が捨てきれずではなくサッカーが捨てきれなかったのだが。10時半研究室に到着。長岡コンペのラスト一歩手前のパースが到着している。模型はなかなかのできである。よくなってきている。だいたいのレイアウトが完成、模型写真の取り直し中。写真の色み、レイアウト、文章のチェック。後ひと踏ん張り。明日の昼くらいに最終のパースも来るだろう。

September 12, 2007

東京へ

8月12日
中国の設計事務所との打ち合わせ。ローカルアーキテクトの仕事というものは自分自身もやったことがあるのでなんとなく分かるのだがあまりやる気の出るものではない。海の向こうから建築家がやってきて好き勝手なこと言ってそれを実施設計しろというのは言われる方からすればあまり気持ちのいいものではない。彼らの顔にはそんな雰囲気がにじみ出ている。この障壁を先ずは取り除くことからしなければならない。なかなか難しい。大倉を昼に出て上海市内を通りkpfの超高層を眺めそして空港へ。東京は大雨。機内放送は東京の気温は22度と言っていたがとんでもなく蒸し暑い。

September 11, 2007

習慣の違い

中国でリーテム中国工場を作る。そのためには先ず申請関係を担当する中国の設計事務所と協力しなければならない。もちろん構造の基準も違えば設備の使用可能な機器も異なるから、実施設計もその事務所にお願いする。とは言っても基本設計書を渡せばそれが実施図面になるかといえばそうではない。法的基準が違うのだから構造は楽にできる。意匠的にも使える材料が違うから思い通りには行かない。そこで実施設計は共同でやることにした。ofdaから中島君が隔週で中国に1週間ずつ滞在して中国の設計者と共同で図面を作っていくことにした。またこうした図面の作成からその後の工事の全体的なマネージメントをする会社を雇うことにした。中国には所謂ゼネコンがないので各工事を統括する責任者がいない。そこでこうしたプロマネ会社が存在し、そこが一括して全体の金と時間と品質の管理をすることになっている。とは言うもののこうした会社がどこまで責任をもってどのような方法でこれらの項目を管理していくのかが未だ不明なのである。今日はこの不明な点を明らかにする会議であった。会議の結果1つ明らかになったのは、少なくとも我々が相手にしているチームは施工図を描かないという点である。こうした習慣の違いに対してドラフトマンを雇って図面を描かす事を考えることも可能である。しかし施工図をもとに施工をする習慣が無い人間を相手にして、コストをかけて描いたものがそれだけの効果を生むのかという疑問が生じる。相手の習慣の中で最も効果的な方法を考える方が上手くいくのかもしれない?そのあたりは少し情報を仕入れなければならないし、悩むところである。

September 10, 2007

中国景気

昼の飛行機で上海に。空港にはリーテム中国の総経理の劉さんが迎えてきており上海を通らずに大倉へ。地元の政府関係者たちと夕食。毎度のことだが、この夕食が気が重い。乾杯の嵐。ごまかして飲まないでいるとすぐ見つかる。中国も田舎に来るとまだこの風習が根強い。これを無視するとコミュニケーションがとれずまた気まずくなる。仕方なく少し付き合うのだが、あっちからこっちから乾杯を求められる。フー。中国はますます景気がよいらしく、かつインフレ。物価はのきなみ三割近く上がっているらしい。食品もひどく値上がりしているらしく豚肉の高騰を抑えるために専門の政府の組織が立ち上げられたなど言う話を聞く。上海からは新たにモノレールが郊外に向かって建設中である。どこまで続く中国の景気。

September 8, 2007

荒木町で久しぶりに食事

台風一過で猛暑。朝現場に行く前に事務所で昨日のアイデアを模型にする。誰もいない事務所で一人作業するのは気持ちいい。たまに模型を作ると勘が鈍っているのか間違える。縦方向の縮尺が半分になっていた。とりあえず終りにして現場。3階で打ち合わせ。一時間ほど打ち合わせしていたらシャツがびしょびしょになった。スタッフを現場に残し事務所に戻る。長岡コンペのパースのモデリングとアングルのコンファームをして欲しいとのメールが届く。今回パースは北京のパース屋さんに初めて外注してみた。まだモデリングなので最終仕上がりがどうなるのか分からないが、今回上手く行けば今後も使ってみたい。その後富山のコンペ打ち合わせ。6時ごろ終了して事務所の鈴木さんと夕食。荒木町の棘屋という店に行く。ある人がこの店は荒木町で一番魚が美味しいと言っていた。その評判に違わず刺身といい、土瓶蒸しといい。素材が新鮮で美味しかった。

ホワイトキューブを否定しないこと

コンペのチェック。研究室員みんなご苦労さん。でもまだこれから。いつもそうだが、このあたりまで来るともっとこうしたかったとかこうすればよかったと言うことがいろいろ出てくる。しかしそんな時期でもないからとにかくできることをするしかない。フー。台風が過ぎてほっとするけれど台風は一回きりではないのだから気も休まらない。帰りの電車で暮沢の本を読みながら面白い記事に出会う。青森美術館がホワイトキューブを否定しながら実は否定していたわけではないという話である。それを指摘したのは実は椹木が最初で椹木はフリードを引用しながらそのことを語っていたそうである。フリードの論考は僕も読んだことがあるが、暮沢の引用からだけではフリードと青木淳の意図がどう重なるかはわからなかった。しかしともかく青木がホワイトキューブを否定すると見せかけてそうしなかった。(あるいはそう見えなかった)ということ。つまりモダニズムの残滓と新たな思考を重層させたことが面白い。そこを読んだ瞬間に思わず富山のコンペの案が浮かび車内でずっとスケッチをしていた。明日朝早く起きて現場に行く前に模型を作ろう。

September 6, 2007

台風上陸

台風の接近で大荒れの天気。岩岡さんから上松先生との鼎談のテープおこしが届く。まあただおこしたおいう状態で読んでも意味が通らない。もちろん自分の所もかなりひどい。普通おこしたものはもう少し筋を通すものだろうが、学生がやっているのでは多くは望めない。来週末のレクチャーのパワポを作る。タイトルは「建築の規則」だが、内容が多すぎる。博士論文の内容だけではつまらないので、建築の規則2を作り始めた。とりあえず作っていたら60枚になってしまった。これでは90分では話せない。困った。コンペのスケッチをする。今事務所には信大の小沢君がオープンデスクで来ている。黙々と仕事をするのが彼の特徴。リーテムとコンペの両方をやってもらっている。明日は大学なので模型のスケッチを4案ほどおいて帰宅。台風はそろそろ上陸。

September 5, 2007

不思議な駅舎のコンペ

富山の駅前景観コンペに取り掛かった。これはなかなか難しい。駅舎の景観と言いながら駅前のビルに阻まれて駅舎の3分の1しか見えない。3分の1の見える部分の景観を考えるとは何を考えると言うこなのだろうか?周辺ビルという額縁に切り取られた風景を考えるということなのだが。新幹線の駅舎でそんなプアーな状況ってあるのだろうか???
台風接近。雨がひどくなってきた。雨の音を聞くと気分が悪くなる。早く過ぎ去って欲しいものである。

久しぶりに雨

夕刻会議、間を縫ってコンペ。そしていろいろ大学の雑用。夕刻友人から℡。転職二日目だとか。近いうちに食事をしようと約束。最終で東京へ。久しぶりに大雨の中を新幹線は疾走する。車中暮沢剛巳の『美術館の政治学』を読み始める。

September 3, 2007

トホホ

今日の長野は暑い。突如暑くなったらしく東京より暑い。この時間になっても涼しくない。昨晩は時差ぼけ直らず1時間ほどしか寝ていないのに会議と会議の合間を縫ってコンペ作業。うーコンペで頭が一杯のところに遥か先の講演の題目と内容を早急に送って欲しいとのメールが届く。来週末の講演の内容さえ考えていないと言うのに。トホホ。

まだjet lag

9月2日
まだ時差をうまく解消できずにいる。たまに海外に行くとこういうことになる。レポートの残りを読む。リーテム東京工場についての批評なのでどれも興味深い。建築を額縁として考えるという僕のコンセプトを汲んで、絵画の額縁と比較しながら論じたレポートが興味深かった。コンペの図面などが送られてくる。不在中の未決の部分を決定していかなければならないのだが、どこまで挽回できるだろうか?胃が痛い。出版に関する著作権交渉の状況を整理。まだ10件以上返答の得られていないものがある。使用しないか、別のものに交換するか、そろそろ決めて今月中にはまとめたいところである。

September 1, 2007

jet lag

時差ぼけ頭で半日打ち合わせは少々応える。T邸不在中の報告を受ける。工程はやや遅れ気味。リーテムはエレヴェーションの新しい考え方の発展が上手くいくか?その後新しいコンペの打ち合わせ。駅の景観デザインだが、範囲が曖昧なので多くの判断が提出者に委ねられている。書類の読み込みだけで数時間。提出物はA2、2枚だけなのだが。夕方人に会い、帰宅後郵送された月末締め切りにしていたレポートの封を切る。なかなか分析の深いものから字数を稼いで終りのものまで様々。半分読んだら時差ぼけの頭がくらくらしてきたので終了。風呂に入って寝よう。