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幸運

久しぶりの会議とゼミ。その合間を縫って市役所で市長に景観賞の答申書提出イベント。報道陣も結構いた。この手のイベントはテレビではよく見るがまああのとおりのことである。夕刻は雑用のテキスト作ったり、学内委員をやっている会議の資料を作ったり。夕食後昨日の鷲田さんの本の残りをぺらぺら斜め読み、どうも後半は僕の興味からはずれていく。面白かったのは反方法論的思考としてのエッセイの勧め。エッセイのような建築というのもあるかもしれないとと考えると少しわくわくした。その後越後島さんの新著『ル・コルビュジエ創造の軌跡』中公新書2007もぺらぺら。これは本当はコルビュジエ展のオープンあたりに出る予定だったのだろうか?かなり一般読者を対象に書かれているようだ(新書だからあたりまえかもしれないが)。というわけで僕には物足りないのだが、越後島さんの鋭い視点は散見される。例えばサボワ邸はコルビュジエのピークであり限界という指摘。彼の理論のピークの時に建物の条件がゆるい仕事が来た幸運として説明している。つまりこの当時の幾何学の純化を視覚化するためには建物を浮かすのが最も理想的。しかし住宅を浮かすなどということは機能的に誰でもが望むようなことではない。しかし郊外という自由な立地と潤沢な予算、別荘という機能の自由度がその浮いた箱を可能にしたというわけだ。そしてそんな幸運はそう簡単に訪れるものではない。ゆえにサボア邸以上のものは後には出来なかったと指摘する。
うーん異論もあろうがだいたい正しい。そしてこんな書き方は今までの歴史家ならしない。でもこれが建築の普通のそして本音の解釈だろうなあ。そう、建築はかなりの幸運によって生まれる。いいクライアント、いい施工者、いいスタッフ。それは多くの名作を見ると明らかである。あまり口外すると(特にネット上でボソッと言うのも失礼なので)問題もあるから固有名詞は避けるとしても一般論で言えばやはり建築家の自邸が名作になりやすいのもその幸運を待てないからであるだろうし、幸運だからこそ、名建築家だって名作なんてそんなに多く作れるわけでもない。コルビュジエだって5つもないだろうし、、、、、だから僕にもいつか幸運は来るかもしれない。

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