最終講義(透明性、型)
最終回の講義は透明性と型についてお話した。透明性のポイントはliteralな透明性とphenomenalな透明性である。literalな透明性はここで議論しても意味が無い。そこでphenomenalな透明性について、君たちの実体験を交えながらその建築的意義について述べて欲しい。
最終回の講義は透明性と型についてお話した。透明性のポイントはliteralな透明性とphenomenalな透明性である。literalな透明性はここで議論しても意味が無い。そこでphenomenalな透明性について、君たちの実体験を交えながらその建築的意義について述べて欲しい。
谷口吉生設計葛西臨海公園展望台を構造的視点から論ぜよ。
今日の講義で言い忘れたが、来週28日の講義は休講。29日の異文化交流レクチャーを講義の代わりとし、出席をとるので29日総合研究棟1階4時半からのレクチャーに必ず出席すること。
さて今日の講義は空間。しかし20世紀前半、空間は建築の本質ではなく、その場所にあるモノやヒトの方が重要だとハイデッガーは言う。そして20世紀後半建築家は皆こぞってこの考えになびく。そこで皆に聞こう。ある建築空間の中で家具やヒトがその場所の雰囲気を作っているなと感じた事例をあげて欲しい。そして何故そう自分が感じるに至ったかについて説明してほしい。なお講評者は松田君だが彼は本日欠席だったので飛ばして久保君にお願いする。
一昨年もこういう質問をしてみた。秩序の反対は無秩序、簡潔性の反対は複雑。そして秩序は往々にして簡潔。無秩序は往々にして複雑。なのだが、では、秩序があるけれど複雑。無秩序だが簡潔と言う例を示して欲しい。先ず秩序の君なりの定義を示したうえで解答せよ。
本日のテーマは自然である。今となっては余りに当たり前に使われる言葉だろうが、この言葉も浮き沈みがあった。ギリシアの昔から使われている言葉だが20世紀前半は建築の主軸では無かったと思う。それが20世紀の後半になって徐々に建築を追い抜いて行った感がある。ところで自然には文字通りの自然と、自然の概念化されたもの、そして僕なりに「無理の無いもの」という定義をしてみた。そこで今日はこの「無理の無いもの」という定義について考えてほしい。「無理の無い建築」、「無理しない建築」とは何か、もちろん建築の本質として何かを表現しているという前提で「無理をしない」とはどういうことか考えてほしい。他の芸術を例に挙げながら肩の力を抜いた表現を提示せよ。
古いものには意味がある。それは経年的意味であり歴史的意味である。前者は時間を経たというその事実の持つ意味。後者は歴史に残るような出来事に関わっているという事実が生み出す意味である。しかしそういう事実にわれわれが気づくためにはそのモノがある種の兆候を見せてくれなければならない。風化したその姿であったり、現時点では見られない昔の形だったり。しかしそうした場合、われわれはその風化したモノの物質性に惹かれ、昔の形そのものに感動し、もはや上にあげた二つの意味などどうでもよくなっていることはないだろうか?つまり古いものに僕らが魅かれるのは上述二つの意味なのか、古さによる物や形なのかその境界があいまいになっている場合もあるだろう。
そこで君たちの経験のにおいて、意味に惹かれた経験と、物や形に惹かれた経験をそれぞれ述べそれぞれの意義と価値について論じて欲しい。
本日のテーマは機能。そしてこの言葉の現代的意味=使い勝手である。しかしそういう意味でこの言葉が使われ始めたのはつい20世紀の前半であると言うことをお話した。それはドイツ語のツヴェックメーシッヒという意味合いである。その対概念はザッハリッヒである。これは物の耐久性、合理性、経済性など人間を介在しない概念と考えて良い。
そこで君達の身の回りのものでツヴェックメーシッヒではないがザッハリッヒなもの。あるいはその逆。ザッハリッヒではないが、ツヴェックメーシッヒなものを挙げて説明し評価してほしい。
僕にとって形は建築の中心にはない。建築は外界を見るフレームであって重要なのは建築の外だと思っている。だからフレームとしての建築と言う本を作った。でも絵画の額にもデザインがあり、額のデザインだって千差万別ピンキリである。つまりたかがフレームされどフレームである。フレームの形が重要だと思っている。ところで形というと皆先ず外観の形を思い浮かべると思う。つまり立面である。しかし内部でも形は十分重要な視覚対象である。それはつまり壁の形である。展開図である。僕にとっても展開図はとても重要な図面である。そこで質問しよう。君たちが今まで見た建築の中で展開(つまりは壁の形)がもっとも印象に残ったものは何か。できればその建築のhpアドレスなど載せて説明してくれるとありがたい。
本日は建築のフレキシビリティについてであった。目先を変えて、衣服のフレキシビリティを考えてみよう。ボディコンシャスなピチピチの服は体形が変わると着られなくなってしまう。一方ルースフィットな服は対応可能だ。プリーツ・プリーズがオバさんに売れるのはそこに理由がある。どんどん体形が崩れて行ってもずっと着られるのである。長持ちする衣服だと思う。そこでルースフィットな建築を考えてほしい。建築を蛇腹で作るのかい???なんて投げ出さないで。3人分のスペースが必要な時はこんなだけれど、10人来たらボヨーンと広がります。なんて言う建築を考えてほしい。では奇想天外なアイデアを待ってるよ。
今回の評者は林君よろしく。
最初にスケジュールの話をします。5月7日(金曜日)は月曜日の時間割ですが、この日は休講とします。次の講義は5月10日です。
前回のお題は難しかったようなので、今回は少し答えやすく考えてみたい。デザインとは概念(イデア)とモノ(モルフェとヒューレ)との相克であるというのがつまるところの今日の話なのだが、建築を見ていると、ああこれはイデア先行型だよなとかモルフェだけだよなぁとかヒューレだけでモルフェがないなあとかそのバランスが悪いものが多々あるのではなかろうか?僕の建築もイデア先行型だと坂本先生に批判されたのはArchitecture as Frameを読んで頂けると分かると思う。そこで君の経験した建築においてイデア、モルフェ、ヒューレの視点からそのバランスについて批評してほしい。では北野君宜しくお願いします。
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