本日のテーマは機能。そしてこの言葉の現代的意味=使い勝手である。しかしそういう意味でこの言葉が使われ始めたのはつい20世紀の前半であると言うことをお話した。それはドイツ語のツヴェックメーシッヒという意味合いである。その対概念はザッハリッヒである。これは物の耐久性、合理性、経済性など人間を介在しない概念と考えて良い。
そこで君達の身の回りのものでツヴェックメーシッヒではないがザッハリッヒなもの。あるいはその逆。ザッハリッヒではないが、ツヴェックメーシッヒなものを挙げて説明し評価してほしい。
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本日のテーマは機能。そしてこの言葉の現代的意味=使い勝手である。しかしそういう意味でこの言葉が使われ始めたのはつい20世紀の前半であると言うことをお話した。それはドイツ語のツヴェックメーシッヒという意味合いである。その対概念はザッハリッヒである。これは物の耐久性、合理性、経済性など人間を介在しない概念と考えて良い。
そこで君達の身の回りのものでツヴェックメーシッヒではないがザッハリッヒなもの。あるいはその逆。ザッハリッヒではないが、ツヴェックメーシッヒなものを挙げて説明し評価してほしい。
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コメント (17)
今回のお題は機能(function)。ドイツ語のsachlich(即物的)とzweckmässig(合目的的)の対概念をここでは、社会構築主義的に“絶え間なく変化していく動的なもの”として捉えたい。すなわち、これらの概念はその特定の時代・社会によって存在し、変化しているとする態度である。そこで今回は、私たちが普段何気なく使っているモバイルツールを例に、現在(2010年)と15年前(1995年)の態度をとってコメントしたいと思う。
先ずは現在であるが、現在のモバイルツールと言えば、やはり欠かすことができないのが“携帯電話”であろう。そして、もはや“携帯電話”は現在において人間を介在しないもの、sachlich(即物的)なものとなり、「あるもの」となっている。次に、その“携帯電話”のどの機種を選ぶかということが挙げられるが、それは疑う余地なく“iPhone”であろう(2009年日本のiPhone普及率は世界トップの300%増)。すなわち目的にあわせて「選択できる」ことが“iPhone”をzweckmässig(合目的的)なものとしている。
次は15年前である。15年前の主なモバイルツールと言えば“ポケベル”であろう。当時において“ポケベル”は、人間を介在しないsachlich(即物的)なものであった。しかし“携帯電話”はまだ国民の限られた人にしか普及していなかった。つまり目的にあわせて“携帯電話”を「選択できる」zweckmässig(合目的的)なものであった。
上記二つの時代的な(みたいな)態度をとってみると、それらの概念が“絶え間なく変化していく動的な”構造であることがわかる。すなわち、これらは特定の社会的状況によって人工的につくりだされる概念であるということである。ここには、機能(function)という言葉の本質的なこと(ex.合理的って何が?的なこと)が曖昧であることが関係しているように考えられる。そしてここで得られたことを加味すると、今現在そう思うことでも、10年20年先は違う価値が伴うということが推測される(上述した現在の機能の対概念の例が既に、“iPhone”がsachlich(即物的)なものとなり、“iPhoneのアプリケーション”がzweckmässig(合目的的)なものとなりつつあるように)。
よって、機能(function)は時代や国(発展途上国etc.)など、その社会の特定の社会的状況が、お題の対概念の構造を再構築するということが言えよう。
投稿者: 坂牛研究室 10TA302C 朝日大和 | 2010年05月27日 00:16
日時: 2010年05月27日 00:16
機能が社会構築的なものであるという視点は的を射ている。いいできだ。
投稿者: 坂牛 | 2010年05月27日 16:45
日時: 2010年05月27日 16:45
少し前に、ニュースで家庭用ガスボンベを利用した耕運機が今売れ筋だという特集を見た。その時は、のほほんとしたニュースだなと思いながら見ていたのだが、少し考えるとなぜ売れ筋なのかと疑問をもった。
ガスボンベ耕運機の消費者は、趣味で農業をしている人が多いという。ニュースに出演していた方も普段は医者をしており、傍らで休日に農作物を作り始めたという。畑は8畳程度のもの。言ってみれば鍬を使っても耕せる範囲ではある。そこで、なぜかカーボーイハットをかぶりながら耕運機を動かしていた。野菜を生産するということがしたいのだが、“気軽に楽しく”が前提条件なのである。
ガスボンベ耕運機の生産者はそこに目をつける。“気軽な”ガスボンベで動く。多少燃費が悪かろうがその点はほとんど関係ないのだ。そして、機械を使うことで本格的農作の気分が味わえる。さらにそれほど疲れなく“楽しい”。
ここで消費-生産ラインが成立している。
従来の耕運機はザッハリッヒである。耐久性、合理性(耕す速度など)、経済性(燃費など)などの向上を求めた「機械」だからである。それに比べてガスボンベ耕運機はツヴェックメーシッヒではないだろうか。なぜならば、比較対象の双方は同じ「機械」であるのだが、過剰な軽量化、気軽さ、利便性などが耐久性、合理性、経済性などを差し置いて採用されている点が今のニーズにとって合目的的になっているのではないかと感じたからである。
投稿者: 坂牛研究室 10TA323F 塩入勇生 | 2010年05月27日 23:25
日時: 2010年05月27日 23:25
現代で言う機能(ツヴェックメーシッヒ)に対する対概念としての機能(ザッハリッヒ)という概念について考えた時、現代において、ツヴェックメーシッヒからザッハリッヒへの「読み変え」にある種の魅力が内在していると感じた。リサイクルという行為もその一種ではないかと思われる。曽我部さんのレクチャーで紹介されたハンガーでつくったトンネルなどもその一種で、人間が服を干すという目的のためにつくたれたハンガーの機能はツヴェックメーシッヒ寄りであり、その物質性(形、可変性)を利用してアーチ空間がつくられているときのハンガーの機能はザッハリッヒ寄りであると思われる。その他、様々な例が挙げられると思われる。
このような現代の機能の「読み変え」にある種の魅力が内在すると感じる。同様に建築でも考察してみたい。
例えば、既存建築を活用した建築について、特に用途変更を伴った既存建築の活用については、既存建築の空間は既存の用途に合った空間をもっている。これは人間の介在する機能を備えた空間であり、ここでいう機能はツヴェックメーシッヒ寄りであると考えられる。一方、新たな空間は、既存の用途に対してつくられた空間が基盤となり、新築では得られない意外性、質感などをもった空間である。その空間の基盤としては、既存建築の規模・構造・素材などが挙げられる。したがって、既存の構造体の露出、素材の対比など、物質的なものがデザイン要素が中心に添えられる。
また、既存建築の活用という背景には、既存建築自体・歴史・経済性などが挙げられる。したがって、新たにできた空間の機能はザッハリッヒ寄りであると考えられる。
つまり、既存建築の活用において、ツヴェックメーシッヒからザッハリッヒへの「読み変え」に一種の魅力が内在し、即物的なデザインが、既存建築の継承・既存建築との対比といった関係において、ある種の合理性を有すると考えられる。
投稿者: 10ta310d 加藤伸康 | 2010年05月28日 00:18
日時: 2010年05月28日 00:18
今回のお題において、家庭用ゲーム機で考えてみようと思う。4年くらい前にプレイステーション(以後PS)3が発売されたが、当初は7万円位したことから学生の僕からしたらぱっと手を出せるような代物ではない。PS3はPS2と比較すると画質が良くなりまたインターネットの閲覧も可能となり、これはザッハリッヒなものと言えるであろう。しかし、発売すると同時に、PS2をやっていた人がすぐにPS3を買うわけではない為ソフトを発売する時にPS3用のソフトだけを生産したところで需要が見込まれない。そこで、しばらくは内容が同じゲーム(ウイイレ、パワプロ etc.)であったとしても、PS3とPS2の両方でソフトを発売する。そう考えるとPS3用に画質を良くゲームを作るが、本体の普及率によりPS2用も発売することによりPS3を持っていない人でもできるようにする。そういった意味でPS3が発売された後に、生産されたPS2用のソフトはツヴェックメーシッヒなものではないか。そして、最近はPS2用のソフトができないPS3が発売されたがこれにより低価格で発売されるようになったが、昔のゲームをちょっとやりたいなと思ったときに少し不便であるが、安くなったし、PS3をそろそろ買おうかな、って思う人に対しこれは「合目的的」なものであろう。
投稿者: 土本研究室 10ta305h 井本 守佑人 | 2010年05月28日 01:42
日時: 2010年05月28日 01:42
土本研究室 10TA3338D 松田 航:
ツヴェックメーシッヒとザッハリッヒ。これらは、対概念的なもので、人を介している「使い勝手」という意味合いのツヴェックメーシッヒ、人を介さない「そのもの自体の性能」という意味合いのザッハリッヒとがある。
これらを踏まえた上で今回のお題について考えてみた。
先ず頭に浮かんだものが、インスタントコーヒーと店で挽かれるコーヒーとである。一般に家庭で飲まれるコーヒーは、インスタントのもので、既に挽いたものを使っている。これに対して、喫茶店やコーヒー専門店では、豆から直接挽いたものを出している。やはり、インスタントコーヒーは店で飲むコーヒーに比べて、香りや味が落ちてしまう。しかし、インスタントコーヒーは、売れる。それはやはり誰もがコーヒーを手軽に飲めるというインスタントコーヒーの使い勝手の良さからくるものであると思う。
これらを踏まえ、ツヴェックメーシッヒとザッハリッヒとは、互いに機能という意味を有しているが、現在、世の中に出回っているものの多くがどちらかの機能に特化しているものであると言えるのではないかと感じた。
投稿者: 10TA338D 松田航 | 2010年05月28日 01:51
日時: 2010年05月28日 01:51
機能というものをツヴェックメーシッヒとザッハリッヒに分けて考えようとすると、僕の極論は人工的なものとそうではないものにいってしまう。しかし、人工的なもののなかでも、即物的、本質的なものは何かを考えると、やはりそのものがこの世界に誕生したときから変化することのないものがザッハヒッリとよべるのか。そうなると現代の身の周りにはザッハリッヒなものなどないと愚かにも僕は思ってしまう。ザッハリッヒ・ツヴェックメーシッヒという言葉が、その時代、環境によって変化するものだということは僕も同感ですが、1つの「もの」の立ち位置が、時代や環境によって言葉を変えて変化するのであれば、僕には「単語」そのものが最もツヴェックメーシッヒなのではないかと感じました。こうやって単語ーツヴェックメーシッヒと記述すること自体がもはや単語にとらわれています。「エコ」という単語は自然を連想させるイメージのよい単語ですが、その裏には、より性能のよい商品の販売、企業のイメージアップなど、様々な企ての仕組まれた実に人間らしい単語です。このように、単語は往々にしてその使用者の目的に対して理にかなった効果を発揮するツヴェックメーシッヒなものだと思います。そして、単語そのものがツヴェックメーシッヒだとすると、それと対をなす単語は存在しないことになります。
投稿者: 新井拓也 | 2010年05月28日 02:49
日時: 2010年05月28日 02:49
ツヴェックメーシッヒ=使い勝手のよさ(使い勝手のよさというのは、どうしても主観が入るので、あるモノに対して、自分と他人では、使い勝手が良い悪いはありますが・・・)とすると、使い勝手の良いものは、ザハリッヒを踏まえた上でつくられていると思います。例えば、火を起こすためにつくられたライターは、火を着けるという目的を踏まえ、使い勝手の良さを追求した結果としてできたモノであるといえるのではないでしょうか。つまり、使い勝手の良いモノは、ザハリッヒを前提としてつくらているため、ツヴェックメーシッヒであるがザハリッヒではないものは、ないと思います。
それでは、ザハリッヒではないがツヴェックメーシッヒなモノは、何か。それは、ある目的を達成するためにつくられ続けているモノだと思います。例えば、防弾チョッキは、人体に何の影響もなく弾丸を防ぐことを目的としていますが、現在もその目的は達成されていいません。
つまり、モノの機能は、ツヴェックメーシッヒのみで存在することはなく、ザハリッヒのみ、あるいはザハリッヒを踏まえた上でのツヴェックメーシッヒが含まれていると考えます。
投稿者: 土本研究室 10TA315E 北野淳基 | 2010年05月28日 03:32
日時: 2010年05月28日 03:32
物という実態のあるものではないが、構造設計(Stress-Strainの計算に始まる工学的設計)と構造デザインについて考えてみた。
構造設計という作業はザッハリッヒであると思う。応力から断面を算定したりする作業などは、人間がいなくても必然的(機械的)に決まってくると思う。
これに対して、構造デザインとはツヴェックメーシッヒであると思う。構造デザインとは、建築家が考える建物に対して、どのような構造システムが提案できるか思考することであり、人と人のコミュニケーションでもある。建築家にとって使い勝手のよいシステムを提案することとも考えられる。
つまり、建築の構造を考えるときは、前半はツヴェックメーシッヒであるが後半はザッハリッヒであるのではないかと考える。
私は、力学や経済性、施工期間だけでは、本当に合理的ではないと考える。まずは、建築家との間で建築に対する構造システムが使い勝手がよいかが重要である。
実際は、前提条件にコストや施工期間などがある場合もあると思うので、そういった条件の中でどういった構造システムを提案できるのかという場合も多いと思いますが。
投稿者: 五十田研究室 10ta327j 辻拓也 | 2010年05月28日 10:07
日時: 2010年05月28日 10:07
『土が食べる事が出来ないことを知らない幼児が作った泥団子』について考えてみる。
これは、本来の団子を作る粉と同じように、砂は水を含ませ泥にし、握ることで塊とすることができる性質を持つという意味で、ザッハリッヒである。団子は本来、食べ物という大きな枠組みの中にあり、食べるもしくは食べさせるという目的があるので、ツヴェックメーシッヒであるが、幼児の作る泥団子は、その目的には合わない。よって、この泥団子はツヴェックメーシッヒではないザッハリッヒなものである。しかし、泥団子について客観的事実に基づいて考えた時、それを作る側の人間(幼児に対して大人)はそれを食べないものと認識している。そして、それは食べる以外の目的のために作られたものである。この時、泥団子は、ツヴェックメーシッヒであり、ザッハリッヒである。
今回のお題で、シンプルに“もの”に対して、ツヴェックメーシッヒかザッハリッヒのどちらかにのみ当てはまるような“もの”など、存在しない様に感じた。そして、“もの”に形容する言葉を加え、“もの”を小さく限定していく事でのみ、ツヴェックメーシッヒかザッハリッヒのどちらかを消す事ができるのではないだろうか。
投稿者: 高木研究室 10TA333C 西浦皓記 | 2010年05月28日 14:58
日時: 2010年05月28日 14:58
ツヴェックメーシッヒが単に使い勝手であるというのは、間違いだと思う。現代は手間を大切にする時代であるように感じるからだ。
大衆消費社会では、手間をいかに省くかに重きが置かれてきた。耐久性、合理性、経済性を優先してきたのである。その結果として様々な弊害が発生した。人が人として生きていくのに大切なことが、失われてきたのだと思う。大切なことの一つが、手間であろう。UIJターンが流行って、田舎暮らしが盛り上がっていることなんて、わざわざ手間を、金払って買いに行くようなものだ。都会では実現しなかった、人間として満たされた生活をする目的の為に、使い勝手の良さを捨てたのである。
このたとえは物ではないが、物に対してもこれに当てはまることは多分にあると思う。小雪が「そういう時代でしょ。」ってCMで言っていたが、そういう時代でもない気がしてきた。
投稿者: 土本研究室 10TA326A 田村啓 | 2010年05月28日 18:52
日時: 2010年05月28日 18:52
人為的なもので、目的をもたない「もの」は存在しないのではないかと思う。すべては何かしらの欲求を満たすという目的に、結局はたどり着く。だから「人為的」=「ツヴェックメーシッヒ」とならざるを得ない。
そこで今回は、「人為的でない」ものということで、「副次的・後天的」なものがザッハリッヒなものとなっていくのではと考えた。これは、大和さんのいう時代や環境の変化が、ザッハリッヒ・ツヴェックメーシッヒの概念に変化に関わるというところにも、多少通ずる。
ここで、「副次的・後天的」なものの例として、メイド・イン・トウキョウにも紹介されている「ビルの上に建てられた、自動車教習所」を挙げてみる。これはビルの存在いう前提のもと、その事実に沿って、率直に対応しただけのザッハリッヒなものであるといえる。自動車教習所という用途に対する欲求は、二の次に置かれ、勝手の入る余地がすでにない。
ということは、ザッハリッヒなもので、ツヴェックメーシッヒなものではない!!と思うのですが。
すなわち、「副次的・後天的」といったのは、ザッハリッヒなものは、前提がすでにあって、それとの対応のもとで生まれるが、ツヴェックメーシッヒなものには、前提は必要なく、欲求との距離が最短なのではないか?という結論で終わりたいと思います。
投稿者: 坂牛研究室 林和秀 | 2010年05月28日 20:24
日時: 2010年05月28日 20:24
今日の批評社は誰?
投稿者: 坂牛 | 2010年05月28日 21:17
日時: 2010年05月28日 21:17
間違えた。今日の批評者は誰?
投稿者: 坂牛 | 2010年05月28日 21:20
日時: 2010年05月28日 21:20
今回は、ツヴェックメーシッヒなものとザッハリッヒなものについてであったが、一昨年の書き込みも全く同じお題だったので目を通してみたが、各々の解釈の仕方が多少(かなり?)違うように感じた。
私の解釈としては、昨晩、数時間議論し合ったということもあり、林君の意見と似ている。考えをまとめると、ザッハリッヒなものとは、人間が介在しない合理的、経済的なもの。ツヴェックメーシッヒなものとは合目的的なものとあるが、人間が創り出すものというのは何らかの目的がある訳だから、合目的的なもの、つまりツヴェックメーシッヒであると言える。お題にあるように、ツヴェックメーシッヒとザッハリッヒが対概念であるとすると、人間が創り出すものはザッハリッヒであり得ないのではないかということになる。つまり私たち人間は合理的なもの、すなわちザッハリッヒなものを創り得ないということになる。本当か?そんな瞑想を続けていると、副次的に創り出されたものは、目的を持って創られたものではないから、ザッハリッヒなものなのではないかとひらめいた。人間はザッハリッヒなものを創り得る気がしてきた。どういうことかというと、例えば、「高架下」は高架下という空間を創り出そうという「目的」の下に創り出されたものではない。「高架橋」という交通網を創り出そうという「目的」の下に創られた「高架橋」の副産物である。また、「酒粕」は日本酒をつくる際に残る固形物であり、酒粕の起源としては酒粕をつくろう!という目的の下に創られたものではないことが想像され、これもまた「日本酒」の副産物であるといえよう。しかし、こうして創られた、目的を持たなかったザッハリッヒな副産物たちは、ツヴェックメーシッヒなものに姿を変え得る。酒粕を例に挙げると、はじめは酒粕をつくろう!としてつくられなかった、ただの酒の粕ではあるが、今や酒粕には数種類のものがあり、中には半年近く発酵させてつくられるものもあるようだ。これは完全にツヴェックメーシッヒなものに変化していると言えるだろう。
私は、別にザッハリッヒなものとして生まれ、ツヴェックメーシッヒに変わる、酒粕のようなものを評価したかった訳ではない。只、人間が創り出したものは大概ザッハリッヒなものであろうから、そうではないものを見付けたかった。そして、それがそのまま商品として、ものとして、人々に使用されたり、注目されたりするためにはツヴェックメーシッヒなものに変化しなければならないだろうということが述べたかった。だから先ほど例に挙げた高架下はツヴェックメーシッヒに変わったとは言い切れないように思う。
あれやこれやと瞑想していたら、書き込みがかなり遅くなってしまいました。すみません。
投稿者: 10ta306F 坂牛研究室 内堀佑紀 | 2010年05月28日 22:14
日時: 2010年05月28日 22:14
10ta307d 土本研究室 榎本昇人:
遅くなりましたが、榎本が独断と偏見で評価させていただきます。
機能は社会の影響を受けて構築されているという朝日さんの意見に同感ました。僕が思うに、大衆消費の時代には、ザッハリッヒなもの、文衆の時代には、ツヴェックメーシッヒなものが多くを占めていたと思う。同じものを消費することから同じものでなく、個性の重視への変化という社会の影響を受けて、機能が再構築されいったように考えられる。ただ、今の時代は、単に使い勝手を求めている時代ではないように思える。それこそ、田村君がいうように、手間を求めているのかもしれない。それは、ある種の欲求で、その欲求をも満たすものが今の時代求められているように思う。iPhoneのように自分の欲求(目的)を満たすために自分でカスタマイズできるもののように。そこで、うまくたとえている朝日さんが優秀者です。
以上で評価となっていないような評価を終わらせていただきます。では、よい週末を。
投稿者: 土本研究室 10ta307d 榎本昇人 | 2010年05月29日 01:51
日時: 2010年05月29日 01:51
厄年って本当にやばいね!って最近メチャ実感してます。
こんにちは、朝日です。
今週も一通りコメントが終わりました。なんだか今週は難しい(建築的じゃない)感じ。ということで、自分自身のコメントも含め、少し省察してみました。今回のお題の機能(function)に対して、僕はドイツ語のsachlich(即物的)とzweckmässig(合目的的)の対概念を社会構築主義的なものとして捉えました。でもそれってよくわからない、とみんなから言われ続けています。確かに難しそうな言葉で語って(演じて?)しまったような?僕が今回考えたことは、存在(ある)と生成(なる)という言葉を上述のドイツ語にそれぞれ読み替えたものです。そして、それらが時代や社会の状況によって変化していくというものでした。全員のコメントを読んでみると、使い勝手・・・的なコメントが多く、その例が(自分も含めて)建築以外の“もの”に言及したものが多かったように感じます。そこに理解を困難にする要素があったのではないかと思います。ノブ・カズ・ツジは建築で語っていましたが。
そこで、今回問われたお題に対して、「建築的用語を使って例を探してみませんか?」という問いを投げかけて見たいと思います。実際の建築物でもいいし、写真や批評でもいいので、建築のフィールドで言われる機能(function)について話してみましょう。もちろん自分も考えてみます。
ということで、今回はそんなパスを出してみます。
投稿者: 坂牛研究室 10TA302C 朝日大和 | 2010年05月29日 13:49
日時: 2010年05月29日 13:49