僕にとって形は建築の中心にはない。建築は外界を見るフレームであって重要なのは建築の外だと思っている。だからフレームとしての建築と言う本を作った。でも絵画の額にもデザインがあり、額のデザインだって千差万別ピンキリである。つまりたかがフレームされどフレームである。フレームの形が重要だと思っている。ところで形というと皆先ず外観の形を思い浮かべると思う。つまり立面である。しかし内部でも形は十分重要な視覚対象である。それはつまり壁の形である。展開図である。僕にとっても展開図はとても重要な図面である。そこで質問しよう。君たちが今まで見た建築の中で展開(つまりは壁の形)がもっとも印象に残ったものは何か。できればその建築のhpアドレスなど載せて説明してくれるとありがたい。
コメント (18)
今まで見てきた建築の中で、壁の形が印象に残ったことはなかった。たぶん壁の形を意識して見たことがないからだと思う。もしくは、見てきたものがそれを意識させないものばかりだからか…。中には、東京カテドラルのような奇抜な外部を内部に反映させたような建築もあるが、そういった建築の壁の形に対して、興味を抱いたことはない。自分の中で、興味を抱かせる対象がそこには無いからだ。フレームはある程度、決まっていてもいいようにも感じる。たかがフレームされどフレーム、でもやっぱりフレームはフレームだと思う。ちなみに、フレームが重要じゃないと言っているわけではありません。絵が生きるか死ぬかは額次第であるし。
しかし、やはり印象に残るのは、額縁よりその中の絵ばかりだ。民家の展開図の密度の濃さ、繊細さ、荒々しさは、めっちゃかっこいい。
また時として、「図」として現れないものに心惹かれることがある。というより、それが大半を占めている。外だ。内側から見た外。大概の場合、そこに感動する。最近では、尾道の志賀直哉が住んでいた旧居の「絵」に感動した。
http://www.flickr.com/photos/mayuki727/4598048209/
この考えで突っ走ると、水族館(特にトンネル型のくぐるやつ)は、すごい面白いと思った。お魚いっぱいの展開図を見てみたい…。
ここで重要だと思うのは、これらは建築との相乗効果あってのものだということ。どっちかが欠けていたら、この感動は生まれなかった。
ザ・ド素人!のような回答になったことをお許しください。
投稿者: 土本研究室 10TA326A 田村啓 | 2010年05月19日 03:50
日時: 2010年05月19日 03:50
今回のお題に対しての回答として反しているかもしれないが、先ず、建築内部の形を認識するときの経験について考えてみたい。というのも私たちが建築の形を認識するのは、その時の経験が大きく作用していると考えられるからである。そのため、形(Form)に特化した回答は避けたい、という身勝手を許してもらいたい。
私たちは、建築の内部に入った時、先ず、視覚によってその建築空間を経験するだろう。その時の経験は、動かない対象(建築物)に対して動いて体験するというのがほとんどである。つまり、映像的に視覚体験をしているということだ。しかし、私たちは建築の形については、画像として蓄積しているように思われる。その空間の雰囲気や、音、風などは何となくではあるが、映画のように蓄積されているのに。。。そこに、何か重要で本質的なことが隠されているように思う。
では、なぜ映像として経験したはずの建築が、画像として蓄積されるのだろうか?この点について考えてみると、“建築はかつて、人々に特定の感情を催させる装置として機能していた”という青木淳の言葉が思い起こされる。それは、建築が物理的現実でありながらも、その空間の経験の中に、日常の世界の外にあるもうひとつの世界を感じさせる機能があった、ということであり、坂牛先生がArchitecture as Frameでとっている態度と近しいだろう。建築は単に見られるべきオブジェではなく、日常の現実を構成する一要素でもなく、システムの実現でもない。つまり、建築はモノではあるが、日常の外側にある経験として視覚に現れているのである。そのため、日常的(映像的)な視覚体験を通して経験したものが、非日常的(画像的)なイメージとして蓄積されるのであろうと推察される。
上述の考察を通して、私が今回挙げる建築は、レム・コールハースの「ボルドーの住宅」である。http://www.gizmodo.jp/2008/04/post_3415.html
この動画は、家政婦の視点で撮影された建築映画である。ボルドーの家は交通事故により、半身不随となった施主のため、床や建具が可動するというのは有名だが、この動画で私の印象に強く残っている建築内部は、止まっている視点(経験する主体)に対して動く建築(客体)という、日常的経験が反転しているシーンによるものである。
今回のお題は“壁”であるため壁について述べると、油圧式エレベータの床が上下することで、ワンフロアの空間を仕切る壁が、吹き抜けの大きな壁や、トップライトが差し込む光のヴォイド、手の届かないような高い位置の本棚が足下の位置に来たり、というように建築内部の形が様々な変化を見せることが印象に残っている。そしてやはり、映像による建築内部の情報を得ているにもかかわらず、建築の形がその時々の画像として蓄積されていたということが、認識の時点において強く印象に残る要素だったと感じた。
〈しかし、動いている床(エレベータ)や建具は、なぜか建築の形としては現れてこなかった。その理由としては、床や建具が動いている時は建築と分離していて、止まった時に初めて建築と一体化し、空間として認識されるからだろうと考えられた。〉
かなり、まとまりのない長ーい文章になってしまったが、上述の考えにおいて坂牛先生の“フレームとしての”という態度に賛成であるし、建築の形は、それを体験する人によってバラバラな方向に発散し、ひとつの感情に収斂することはないだろうと考えられた。
なんてこった!お題から大胆に外れてしまった!反省・・・
投稿者: 坂牛研究室 10TA302C 朝日大和 | 2010年05月20日 00:54
日時: 2010年05月20日 00:54
今までで一番印象に残った壁のかたちは栃木県にある巨大地下空間の大谷資料館です。名前はださいですが、その内部空間は今までみた中でダントツです。地下をなぞりながら空間掘っていくというのは、地上に壁を立ち上げていくことの何倍も難しい作業だと思います。フレームをたちあげる前に空間ができあがる。男が石を1つ切り取ることによりその体積分の空間ができあがるというのは、フレームという言葉ではくくれない何か説明しがたい空間のでき方に思えます。
http://www.oya909.co.jp/
投稿者: 新井拓也 | 2010年05月20日 20:58
日時: 2010年05月20日 20:58
展開が印象的な建築、設計ヘルツオーク&ド・ムーロンのシグナルボックス。課題を見て一番に思いついたのだが、ありがちだなと思いつつ、なぜ印象に残っているか考察を深めていくと、答の断片が見えてきたような気がするので、それを記述し本課題の回答とします。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/b/be/Stellwerk_Basel_SBB.jpg
その簡単そうに見える形態の難解さが印象的だ。
形態は逆台形のようなのだが、その傾斜は微々たるもので正面からは気付かないほどだ。しかし、視点を変えると確かに傾斜している。そしてさらに、微妙にねじれていることにもここで気付く。全体をみると、なるほど、この角度は建物全体のでかさがあるからこそ具現できるとも思う。そうかと思えば建物全体の壁面が傾斜しているわけではない、垂直壁面もある。だが普遍さをあまり感じさせない。それは、これらすべてが連なってボックスという形態に収まっている所以かもしれない。そしてグラデーションのような開口は壁面の持つ量塊さを微妙に崩す程度で、そのことはボックス形態をより際立たせる。なにしろ、すべてが“微妙”にずれている。
この建築の機能は信号所。信号所と聞くと、機械室のような堅いイメージが沸く。そのような機能の場合、合理的な建築が容易に思いつく。しかし中に特殊な機能を収めつつ、外の線路や多くの電線、街並、さらには路面電車や交通量の多さなどを受け入れる形態を建築に収めようとするのは容易じゃない。だから、この“微妙”さは容易には生まれないのである。一言で言えば、この展開は物が留まっている均衡状態を体現しているかのようでもあるのだ。だからこそ、この設計するのは容易ではないと改めて思うのである。
投稿者: 坂牛研究室 10TA323F 塩入勇生 | 2010年05月20日 21:05
日時: 2010年05月20日 21:05
スイスの建築家であるミラー&マランタによるサン・ゴッタールドのホテルを挙げる。
http://architecturephoto.net/jp/2010/02/post_2214.html
http://helvetipon.wordpress.com/2009/11/01/st-gotthard-_-altes-hospiz-miller-maranta/
この建築は、1623年に司祭の住宅として建設され、その後幾度となく増改築され、近年では教会として使用されていた2棟の建築をコンバージョンしたものである。コンバージョンでは、別々のヴォリュームに分かれていた、大きさの異なる切り妻屋根の2つの建築が大きな屋根で1つに統合され、それに合わせてファサードが部分的に一層付け足された。
※ 1つ目のURL真ん中付近の写真がコンバージョン前、2つのヴォリュームに分かれて建っていた頃のものであり、そのすぐ下のものがコンバージョン後、1つに統合された同じアングルの写真である。
この建築は真正面から見ると大きなただの切り妻屋根建築に見える。しかし、角度を変えてみると全然違う。外形は四角形かと思いきや、実は六角形。そして同じ形状の壁は一面としてないのである。このような壁面の形は、勿論、大きさが異なり、しかも微妙にずれた位置に建っていた2つの建築を無理矢理1つの屋根の下に収めようとした結果生まれたものである。切り妻屋根といったら少し歪んだものでも、少なくとも2面は同じ形状の壁で出来ていて、当然4面構成だと思っていた。それ以外のものはあまり見たことがなかった。しかし、この建築は正面から見ると全く歪んでおらず、左右対称で、切り妻の優等生のように見える。にも関わらず、蓋を開けると実は6面構成で、形状も不良級の遊び具合でした!というギャップに驚いた。そして、私にとって最も印象深い展開図を持つ建築となった。
コンバージョン/リノベーション建築にはこのような、見る人を裏切る意外性があると思う。そこに必然性があるというところがまた好い。そしてまた、この建築は、2棟に分かれていた元の形態を見る人に想起させ、歴史を感じさせる、コンバージョン建築ならではの、優れた展開図を持つものであると感じた。
投稿者: 10TA306F 坂牛研究室 内堀佑紀 | 2010年05月20日 23:49
日時: 2010年05月20日 23:49
土本研究室 10TA331G 長濵好美
私が今までで一番印象に残っている壁の形は、バチカン美術館です。
http://atsk.up.seesaa.net/Italy/vatican-arts-thumbnail2.jpg
http://blog.zaq.ne.jp/151a/img/img_box/img20071006195623610.jpg
この建築の内部の天井や柱、側面などの形は、他にもこれと似たような形をもった建築がありそうなものとなっている。では、なぜ印象に残っているのか。
この建築の内部は、側面・天井といった壁の大半が絵画や彫刻で埋め尽くされている。これらは、壁に取り付けられているというよりは、一体となって一つの壁をつくっているようにみえた。彫刻は壁から浮き出てきたかのようにみえ、これも簡単に言えば、でこぼこした壁としてとらえられると思う。私は、壁の形というものをなんとなくみているだけで、あまり重点をおいて建築をみたことがないように思う。しかし、この建築は、絵画や彫刻をみることが、同時に壁の形をみることにもなる。絵画や彫刻が壁となっていることで、それらのゆがみから形がよりとらえやすいものになっている。壁を建物のフレームとしてだけではなく、大きなキャンバスとしてみられるメインに使ったことで、私の印象に残ったと思う。
投稿者: 土本研究室 10TA331G 長濵好美 | 2010年05月21日 00:08
日時: 2010年05月21日 00:08
今回のお題に対する建築を自分の記憶から探すのは中々難しかったです。というのも、自分が建築を経験する時は、大概の場合、壁・床・天井に囲まれた空間を見ているのであって、さらに壁に注目して見ることをあまりしていなかったからです。今、これまでに経験した幾つかの建築の壁について記憶を思い起こしても、どれも同じような、薄くて装飾的でないシンプルといった、どれも同じようなボンヤリとした印象しか残っていません。しかし、ただ一つハッキリと記憶に残っている内壁のある建築があります。それは、安藤忠雄と日建設計の国際こども図書館です。既存を極力残す形でコンバージョンされたこの建築では、既存の外壁のさらに外に新しく外壁(ガラス)を設けることで、元々外壁だったものが内壁へと変わっています。本来の内壁では有り得ない、厚み・窓や扉の大きさ・素材がやはり印象的に記憶に残っています。元々外壁なので内壁にはない魅力が当たり前と言われれば、当たり前なのですが、もっとも印象に残ったものと尋ねられれば、この国際こども図書館になります。
⇒http://www.kodomo.go.jp/profile/intro/index.html
投稿者: 高木研究室 10TA333C 西浦皓記 | 2010年05月21日 00:30
日時: 2010年05月21日 00:30
私が最も印象に残っている展開はアルヴァロ・シザ・ヴィエイラの「農村の住宅」である。農村の住宅は、既存の住宅に別棟増築した建築である。増築部分の外観は、既存部分の形態や、経年変化の質感などを用い、完全に既存部分と同調関係にある。この建築で特徴的なデザインがされているのは、内部の展開である。外観のシンプルさとは一転して、一面が白に塗られた内部の展開は様々で、新設の壁や、天井と既存の形態がつくる内部の展開の「ずれ」と、開口の位置関係によって、遠近感が狂い、空間が広く感じられるように思われる。また、その「ずれ」によって、いたるところに陰影ができ、多様な空間を演出するとともに、陰とは対比的に開口にうつる外部空間が強調される。さらに、廊下の一側面が斜めに建てられ、パースを強調した廊下は、平面的な操作ではあるが、内部の展開の見え方が意識されているのがわかる。このような、既存の風景や建築を意識した外観からは想像しえない、内部の展開デザインが印象に残った建築であった。
http://image-search.yahoo.co.jp/detail?p=alvaro+siza&ei=&b=5&d=24&ib=119
既存建築の活用において、展開は重要な要素のひとつであると思われる。
既存建築を活用する際、内部に新設部分が付加される場合、既存部分は新設部分の外側にあり、さらにその外側に外部がある。また、外部に新設部分が付加される場合、新設部分が既存部分の外側にあり、さらにその外側に外部がある。つまり、既存建築を活用した建築においては、既存と新設という二重のフレームを通して、外部との関係があり、また、そのフレーム間にも関係をもちうるため、展開が重要な要素であると思われた。
投稿者: 10TA310D 加藤伸康 | 2010年05月21日 00:39
日時: 2010年05月21日 00:39
壁の形が印象的なものは、茅葺き民家の天井裏です。茅葺き民家の天井裏の空間は、屋根裏と床でできていおり、屋根裏は壁ではないと言われそうですが、壁を外と内をわけるものであるとすれば、屋根裏も壁とみることができると思います。
なぜ屋根裏の展開が印象的なのか、それは展開図のような図面として、現すことができないからです。叉首やヤナカは一本ごとに太さや曲がりが異なるし、垂木は、里山の中のどこにでもありそうなものを使用して、その間隔もバラバラだからです。茅も同じものは、ひとつとしてありません。
では、屋根裏が展開図として現すことができないのか、それは、茅葺き民家が人の手によって丁寧につくられているからだと思います。また、年月によって、屋根裏の表情が変化するからでしょう。民家は、たいした図面もなく、各職人(杣、大工、茅葺き職人、左官など)のカンによってつくられています。とりわけ、茅葺き屋根は、図面もなく職人のカンによって、現在もつくられています。
以上のように、展開図として表現できないような展開をもつ建築が印象に残ります。
とりあえず小谷村にある千国の庄資料館のHPを貼るので、興味ある方は見てください。
http://www.vill.otari.nagano.jp/kanko/infomation/tikuninosyousiryoukann/tikuninosyou.htm
投稿者: 土本研究室 10TA315E 北野淳基 | 2010年05月21日 02:05
日時: 2010年05月21日 02:05
壁の形が印象的であったものは、吉村靖孝設計のNowhere but SAJIMAである。周辺に建つマンションからの視線を遮り、海だけを縁取るように多様なframeの形が用意されている。
その壁の形は、Frame in framesと言った感じである。さらに、そのframseのスケールやプロポーションが違和感を感じさせる。12個あるframesは、各々形が異なり、正方形も在れば長方形、アーチ、家型など様々である。普段目にすることがある、1m×1m程度の大きさの正方形frameがあるかと思えば、それをそのまま拡大した、2m×2mほどのものがあり、太っちょなアーチがあるかと思えば、のっぽなアーチも登場する。普通の家に比べても、小さすぎる家型のframeも、この建築の展開が僕に印象を残すのだろう。
投稿者: 坂牛研究室 林和秀 | 2010年05月21日 03:27
日時: 2010年05月21日 03:27
私が実際に見て最も印象に残っている建築の壁は、安藤忠雄の「光の教会」である。単純な操作で最大限の効果を生んでいる壁であると思う。幾何学な空間に、十字から差し込む光は、教会にふさわしい空間を演出していた。今度は、集会などの行われているときに訪れてみたいと思った。
投稿者: 五十田研究室 10ta327j 辻拓也 | 2010年05月21日 04:39
日時: 2010年05月21日 04:39
最も印象に残っているものは地中美術館である。その理由はまず外観がないというところ、そしてそれゆえに内部が複雑に感じるところである。この美術館の構成はそれほど難しくない。しかし、形が見えないだけでその内部空間に対する興味は非常に増すにも関わらず、その内部はイメージしにくい。また地中ということもあり感覚的な温度や静かさ、光というものが今まで感じていたものとは異なる。つまり、外観というものが地中に物理的にあっても、これが視覚的になくなったとき人の知覚は全然違うところに向かう可能性があるのではないかと思う。また視覚的な部分では、壁の微妙な傾きや地中だからこそできるであろう壁のスリットは何とも言えない緊張感を与える。この美術館は最近の中で純粋に空間を楽しんだものかもしれない。
投稿者: 坂牛研究室 久保一樹 | 2010年05月21日 10:45
日時: 2010年05月21日 10:45
前回に引き続き2度目の参戦です。(どうも「柳瀬研究室」が入ってないのは寂しい気がして。。)
僕の最も印象に残っている壁は「こまくさ寮」の壁です。第一印象はただひたすら「汚い」という最悪の印象でした。
柳瀬研究室のOさんが第五のテーマにしてますし、信大の学生なら誰しも知っているであろうあの寮です。僕自身が入寮してたわけではないのですが、卓球をするためにちょくちょく遊びに行ってました。
なぜあの寮の壁が印象的だったかというと、その壁には無数の「落書き」が施されていたからです。そのため、第一印象は最悪でしたが、その一つ一つを見てみると、19歳(大学1年)ならではの目標や夢、下○タ、本当にどうでもいいことなど様々で、思わず笑ってしまうものばかりでした。
この壁は図面で描いてしまうと何の変哲もない壁ですが、そこに落書きを書いた(描いた)人にとって、その壁は思い出の壁であり、19歳に戻れる壁になります。
つまり、「普通」の壁が人の手が加わることで、その人にとって「唯一無二」の壁になります。背比べで傷つけた柱や兄弟喧嘩で穴の空いた壁なんかもそうかもしれませんね。そんな壁が僕は好きです。
講義でいう「形」とは少し違うのかもしれませんが、これも「形」の一つなんじゃないかと思いました。
ちなみに、残念ながら数年前にこまくさ寮はきれいに改装されてしまったみたいですね。Oさんの第五に期待しときます。
投稿者: 柳瀬研 原 尚平 | 2010年05月21日 10:47
日時: 2010年05月21日 10:47
土本研究室 10TA338D 松田 航:
僕が一番印象に残った建築は、軽井沢の石の協会です。
アーチ状の石積みが連なって一つの建築をなしており、そのアーチの隙間から差し込んでくる光はまさしく教会の厳かな雰囲気をかもし出していて、光と石のアーチによって包み込まれた空間は正しくそのなかで執り行なわれる儀式を飾る美しいフレームであると感じたのが印象的でした。
投稿者: 10TA338D 松田航 | 2010年05月21日 14:57
日時: 2010年05月21日 14:57
お題は「form」ということで井本が評価していきます。
今回はみんなが体験した建築において印象に残ったものということで、それぞれの建築に対する感動などが書かれていて読んでいて共感する部分も多々あった。一部の人はできればその印象に残ったわかりやすい内部空間のHPアドレスなどを載せてほしかった。
さて、ここから評価に入っていきたいと思う。まず新井君が挙げた大谷資料館ですが、確かにかっこいいと思う。ただ説明をしてほしかった。また内堀さんのサン・ゴッタールドのホテルは見ていておもしろいと思った。もとは2つあった建築をコンバージョンすることにより、形がきまり、それにより内部空間も決定したということもあり、内部空間もとても面白そうである。今までこのような建築を体験したことがないので素直に行きたいと思った。またノブの既存の部分と新しい部分からできる内部空間にも非常に魅力を感じた。
そこで今回の優秀者は内堀さんとします。佳作はノブとします。
端的な文章で申し訳ありません。
投稿者: 井本守佑人 | 2010年05月21日 18:06
日時: 2010年05月21日 18:06
Hola chios
壁をあまり意識していなかった、というコメントが興味深い。
藤森照信は、著書『看板建築』で「西洋の都市は壁で構成され、日本の都市は屋根で構成されてきた」というようなことを述べていた。まさにそれが反映されているような文章ですね。
Buenos Airesで壁ってのはめちゃくちゃ重要な要素。
隣の建物と壁を共有しなきゃいけない。
そうなってくると、建物の観察の仕方が全く変わってくる。外からでは奥行きなんてのは全く想像がつかないし、まず見れない。そうしてくると、建物立面がめちゃくちゃ重要になってくる。他にデザインする場所がめちゃくちゃ限られてくる。
さて。
今回のお題だが建物内部についての形であったと捉えている。立面では無く、展開。
多くのコメントが、建物内部から外部を見る方向、もしくは一番外側にある壁についての言及が多かったように感じます。でも間仕切り壁について書かれた人は極端に少なかった気がする。
唯一西浦だけが、それについて触れている。子ども図書館の外側のガラスの外壁についてではなく、元々外壁であったものを内壁として使用した面白さを述べている点が評価できると感じた。
そこで、香川の印象に残った建物です。
Pablo T. Beitíaによる「Museo Xul Solar」である。Xul Solarというアルゼンチンの画家から着想を得て作ったそうです。単純な幾何学で構成された壁によって切り取られる風景は、建物内部の奥行きを作っているように思う。展開図で書いた時には、単純な幾何学が描かれているだけなのだけれども、それが壁として立ち上がった時に、それらの展開が複雑に絡みあってくると想像する。
フレームと壁の中間くらいの切り取り方が好きなんです。実はまだ行った事が無い…w
行きたい。Xul Solarの絵も好き。見てみてください↓
http://www.flickr.com/search/?w=all&q=xul+solar+museo&m=textに写真が掲載されています。
最後に幾つか感想。
ノブは、最後の分析もそうだが、紹介した建物についての現状のある形や構成も詳細に書かれていたところも評価できる。写真が無くても想像できるし、言いたいことがわかる。ヤマトのボルドーの家以外の話は好き。北野君の図面というもの自体を疑う姿勢もまた、共感できる。その面白さについてもう少し分析してほしかったけど。
原ちゃんのコメントを見ると良い刺激になる。前回のコメントだが、人の認知の仕方(感じ方)について真っすぐ書かれているように感じる。自分の思いつく考えとは全く違うので考えさせられる。
投稿者: shokunkagawa | 2010年05月22日 07:04
日時: 2010年05月22日 07:04
いやー、今週もやってきましたね。ザ・朝日モノローグ。
翔勲、原、田中さんのコメントは毎度参考になります。ありがとう!おかげでダイアローグへの兆しが見えてきましたが・・・ま、いいや。
今回のお題にあまり的確に答えられなかったので、若干の反省を含めて今週は書こうかなと思います。今回のお題は形(form)で、かなり馴染みの深い言葉でした。建築学生(特に学部生)の間では、盛んに用いられるこの言葉。僕もよく「ふーん、結局形だけじゃん」的なセリフを(エラそうに)何度も吐いていますし・・・。こうして振り返ってみると、世間一般には“デザイン=形”という認識が広く許容されているんだな、と改めて実感します。これを打破する言葉も特に浮かばないのが悔しいですが、講義でもあったように、形(form)は建築有史以来共有されてきた言葉であるため、それが持つ力や影響力は認めざるを得ません。今回のお題に対してのm1のコメントを読んでいてもそこを疑っていたのは土本研の数人だったし。しかし、その数人のコメントを読んでいると講義でも坂牛先生が触れられた“伊東・坂本・冨永”の巨匠さんたちの態度と共通するものがうかがえました。それは、“建築以外の何か”に求める態度、繋がりたいという態度です。このような態度に行き着く過程は全然違うと思いますが、携帯世代である私たちの年代では、そのような感覚はある種全体的に共有されているもののようにも思います(東浩紀、濱野智史参照)。
しかし、上記数人の形に対する批判的コメントは、単なる職人讃美、偶然性の讃美にも聞こえます。では、その良さとは何か?ということを分析して書き込むべきだろう!と思いました(翔勲も言っていましたが)。その点で言えば、ノブと原さんのコメントはわかりやすくまとめられていて見習わなければと思わせてくれます。
そして、これは全員(自分も含めて)のコメントに思う感想ですが、建築を学んでいる土壌があるからでしょう、形を見る目線が同じであったことが面白かったです。建築内部の壁に対する態度が一様であることは、ある種の慣習のようなもので、その共有された認識から外れたものに対して印象が残ったのだろうと読み取れました。でも、唯一原さんのコメントは、そういった建築的な態度とは違うもので、形をここでは壁の表層に描かれた落書きと捉え、時間を留める要素としてコメントしていたことが僕としては印象的でした。外観の話では、ロッシの都市分析がそれに近いことを既にしているというのを講義で聴いていますが、上述したように一般的に理解しやすいノスタルジックな言葉(これについては何とも言えませんが・・・)を駆使して説明している態度が好感を持てました。参考にさせてもらいます。
今回は新たな意見というより、回答のしかた(態度)に関心が強くあったので、こんな感じで終わります。
投稿者: 坂牛研究室 10TA302C 朝日大和 | 2010年05月22日 18:24
日時: 2010年05月22日 18:24
こんにちは。坂牛研究室のふじおかです。
たまにはコメントしたいと思います。
今回のお題である展開図というのは、面と面がいかに連続しているか、が結構重要なポイントなのではないかと思います。そこが単体の面や立面とは決定的に違うという点だし。さらにここでいう面というのは、壁だけではなく、同じく空間を包んでいる床、天井も同様だと捉えておく事も重要なんじゃないかと思いました。
その辺を踏まえて、山本理顕設計の横須賀美術館を挙げます。
http://photo.date2.jp/photo/74/2007052216581774_1.jpg
この建物の内部空間は、二重のハコによる入子構造になっています。二重のハコの間にできた隙間の空間も面白いのですが、今回のお題については内側のハコについて取り上げたいと思います。
横須賀美術館の内側のハコは、壁にも天井にも同じような丸い開口が開いていて、角が丸まっており、白い繭みたいなボリュームになっています。そこは展示室とかいろいろだったりするのですが、本来面と面の切り替わっているはずのところが、角が丸いせいでくっついてしまっている(連続している)。そのせいで、中に入ると壁との距離感がつかめず、どこまで空間が広がっているのかわからない状態になります。フワフワした感覚に陥るというか。普段しっかりした面に囲われているせいで、丸みを帯びた空間というのは、違和感というか、非常に奇妙に感じてしまいました。
内部の展開において、面と面の連続性についてのコメントがなさそうだったので、ちょっとコメントしてみました。
いやーどうですかね・・・かずさん。
投稿者: 坂牛研究室 M2 藤岡佑介 | 2010年05月23日 15:11
日時: 2010年05月23日 15:11