最初にスケジュールの話をします。5月7日(金曜日)は月曜日の時間割ですが、この日は休講とします。次の講義は5月10日です。
前回のお題は難しかったようなので、今回は少し答えやすく考えてみたい。デザインとは概念(イデア)とモノ(モルフェとヒューレ)との相克であるというのがつまるところの今日の話なのだが、建築を見ていると、ああこれはイデア先行型だよなとかモルフェだけだよなぁとかヒューレだけでモルフェがないなあとかそのバランスが悪いものが多々あるのではなかろうか?僕の建築もイデア先行型だと坂本先生に批判されたのはArchitecture as Frameを読んで頂けると分かると思う。そこで君の経験した建築においてイデア、モルフェ、ヒューレの視点からそのバランスについて批評してほしい。では北野君宜しくお願いします。
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ある切り口で見れば建築は2種類に分類することが出来、それは「イデア先攻型」建築と「モノ先攻型」建築であると思う。それらは明確な線をひいて分類することは恐らく出来ないが、ぼんやりと曖昧に境界線を設けることは出来るだろう。では、その差異は何であるか。
「イデア」先攻型建築は、作者の哲学が詰め込まれている為、知的であり、見る側にとっても知的な建築であるはずである。直感的に感性を動かされるというよりは頭で理解できるものであろう。「〜というコンセプトの元に創られたものであろう」「この開口は〜という理由で開けられたのではないか」など、冷静にその建築に向き合い、理解しようと出来るようなものだと考える。一方、写真や映像など、メディアを通じて見ただけでは伝わらない、理解できない質を建築そのものが有しており、見る者の感情を建築が揺さぶり、コンセプトや理屈では理解できない質がある場合、それは「モノ」先攻型建築であると考える。
それらを説明する建築として、安藤忠雄氏「光の教会」と「地中美術館」を例に挙げたい。これらはどちらも実際に訪れる前に雑誌などで見ており、図面も写真も沢山見ていた。「光の教会」は、直径5.9mの球が3個内接する直方体に、15度振れた斜めの壁が貫入した構成になっている。又、教会堂内部には大きな十字架のスリットがダイナミックに刻まれており、そこから入る光によって光の十字架が現出してくるのが印象的な建築である。実際に訪れてみて、そのスリットの効果が最大限に発揮されるための他の開口部の開け方、斜め15度に貫通した壁の効果、ゆるやかな段差など、神聖な場所となるべき操作が、ひとつひとつシンプルにして丁寧に考えられていると感じられた。しかし、図面や写真で見る刺激ほどのものを空間そのものが持ち合わせていないようにも感じられた。そういう意味では、これは感性を動かす「モノ先攻型」建築ではなく、知的な「イデア先攻型」建築であると言える。一方、「地中美術館」は地下に純粋な幾何学形態のスペースをコンクリートのヴォイドとしてイメージされたものである。図面で見ると幾何学形態が主張しており、単純な構成のように見える。しかし、実際に足を踏み入れてみると、単純な幾何学形態の中に自分がいるということを忘れ去ってしまうほど豊かな「光」と「闇」の空間が広がっている。写真で見た時は感じなかったドキドキ感や、「何か」が、全身を突き抜ける。メディアを通じて目にしただけでは感じない、理解できない「何か」がある建築。それが「モノ」先攻型建築なのではないかと私は考える。
安藤氏の建築に限って言えば、彼はどの建築も主にコンクリート打ち放しで構成している為、ヒューレに関しては言及することが出来ないだろう。従って、上記の2つは「イデア先攻型」のものと「エイドス先攻型」のものであると言える。作者が建築を創る際にイデアを先攻させたのか、エイドスを先攻させたのかは意外と無意識であることが多く、それを見る側の感じ方によって浮き彫りになってくるのではないかと考え、今回のお題に対してこのような回答とした。又、はじめにその境界線が曖昧だと言ったのは作者自身が無意識的であるということと、見る側の感じ方の多少異なるということによる。
投稿者: 坂牛研究室 10TA306F 内堀佑紀 | 2010年04月29日 20:18
日時: 2010年04月29日 20:18
今回、私が例に挙げるのは、坂茂の設計したニコラス・G・ハイエックセンターです。銀座に建っているスウォッチの本社ビルです。
坂茂は、この建物を銀座の敷地が抱える不利な条件とプログラムの条件から考えて設計している。(詳しくは、新建築の2007年10月号に載っているので読んでもらいたい。)
まずは、訪れた感想を言うと、1階の表の通りと裏の道を結ぶパブリックな空間は、他の銀座の建物にはない空間であった。さらに壁面の緑も銀座にはないものであった。
訪れた感想と、本から得られる坂茂の言葉を比べると、概念(イデア)でモノ(モルフェとヒューレ)が造られているように感じた。すべてが説明ついてしまうといった感じが、ある意味つまらない。概念から形への発展が少し単調である。こうなるという流れはすごく大切であるが、それだけでは建築は造れないと思っている。
ちなみに、施主が時計屋さんであることから、構造の原理として振り子による制振装置が用いられている。間口が狭く奥行きの長い高層の建物の短軸の揺れを抑えるために、建物上部に振り子のようなものがある。実際には、床がルーズになっており建物とは別の動きをするようになっている。原理は同じかもしれないが、実際に振り子を見ることもできないし、時計屋さんらしさみたいなものは外観としてはわからない。
つまり、意匠的にも構造的にもイデア先行型の建築であると考えられる。ニコラス・G・ハイエックセンターは、形的にはあまり特徴はないが、概念がすごくシンプルで明快な部分が良いと思う。
投稿者: 五十田研究室 10ta327j 辻拓也 | 2010年04月29日 22:55
日時: 2010年04月29日 22:55
昨年の冬にオープンハウスで訪れた「ふじようちえん」について述べます。
この建築の第一印象は、楕円形のドーナツに様なボリュームの外観から、完全なモルフェ先行型の建築、というものでした。中に入る時に頂いた図面を見ても、元からある植栽を避けることなく建物が突き抜けていたり、敷地に合わせて正楕円形を崩してプランを配置していたりするだけで、モルフェ先行型の建築という印象はそのままでした。その印象を払拭したいという思いもあり中に入ってからはとにかく歩き回りました。その型ゆえに、行き止る事無く歩き回ることができ、あらゆる場所から園内を見渡す事ができました。もし、ここで鬼ごっこでもしたら楽しいだろうな、と園児の視線に立つとこの建築がいかに園児のことを思い造られたかが解ります。また、内部は勿論のこと、屋根の上も木で仕上げられており、安全に子供たちが遊べるような材料が随所に使われていました。
一見モルフェ先行型の建築のように見えるふじようちえんは、徹底的に使用者側(園児)に、より良い環境を提供するためにデザインされたものであり、イデアとヒューレの占める割合が非常に大きいと感じました。そして、その中でモルフェの占める割合は小さいものの、楕円という形の持つ大きな力により、見る側にモルフェ先行型の印象を強く与えてしまっています。
よって、ふじようちえんは使用者側(園児)からするとイデア先行型の建築であるが、見る側(街の人とか)からするとモルフェ先行型の建築といえます。それぞれの立場によって印象が異なっていますが、その印象はそれぞれの立場にとって相応の印象であるため、立場によって印象の変わるこの建築はうまくバランスをとった建築ではないかと思います。
投稿者: 高木研究室 10TA333C 西浦皓記 | 2010年04月29日 23:39
日時: 2010年04月29日 23:39
今回、デザインは大きくイデアとモノ(モルフェ、ヒューレ)に分けられるという話であったが、私は、隈研吾の石の美術館、ちょっ蔵広場、広重美術館、那須歴史探訪館などの、栃木県に建てられた建築の批評を通してデザインというものを考えたいと思う。
これら一連の建築を実際に見ることで、共通して強く感じられるのは質料(ヒューレ)である。最初の二つは栃木県で有名な大谷石でつくられており、その素材感が全面的に用いられている。広重美術館では、地元の烏山和紙と芦屋石が内部空間で用いられ、那須歴史探訪館では藁のスクリーンが用いられている。これらの質料(ヒューレ)の背景には、歴史、地方での建築の在り方とそれに対する強い意志、概念(イデア)が感じられる。実際に、栃木県でこれだけの質料性(ヒューレ)のある建築をつくったことは、興味深く、すばらしいと思う。
しかし、実際にこれらの建築を見に行った時に、私はそこまで感動を覚えなかった。というのが事実である。それはなぜか?
先ず、第一に考えられることは形(モルフェ)がピンとこなかったことが挙げられると思う。形(モルフェ)がピンとこなかったというのは、形(モルフェ)が面白くないというのもあり、内部空間も魅力的な空間がなかったように感じた。また、質料(ヒューレ)が内部空間にまで、それほど影響を与えていないというのが大きいと思う。極端に言えば、そこには現地の素材が用いられているだけで、構成される空間にその素材性が浸透していない。したがって、さらに極端に言えば、概念(イデア)が完全に建築化されていない。つまり、先に挙げた概念(イデア)は分かるが、建築として魅力を感じられなかったため、その概念(イデア)の可能性、意義が薄れると思われる。
これらの建築は、建築が概念(イデア)だけではいけないということを、如実に表しているように思う。建築は、人が使用し、人の目に触れ、周囲に与える影響が大きいため、ある概念(イデア)を必要とする。しかし、ある概念(イデア)のもとに形(モルフェ)と質料(ヒューレ)の相互関係で、空間としての魅力をつくりださなければ、その概念(イデア)の可能性、意義が薄れる。したがって、私は、あるイデアのもとに、一見モノ先行である建築をつくれるようになりたいと思う。
投稿者: 坂牛研究室 10TA310D 加藤伸康 | 2010年04月29日 23:52
日時: 2010年04月29日 23:52
私の挙げるイデア・モルフェ・ヒューレ各々の比率の高い建築は、都庁・サヴォア邸・慈光院である。
まずイデアとヒューレについて述べさせていただきたい。私にとってはこの二項が少し近いからである。
まず、東京都庁。都庁の存在は、現在の新宿にも劣ることなく圧倒的だ。それは一瞬あの軸の強い形態からくる感情のようだが、少し違うようにも感じる。おそらくそのように感じた起因は体験の圧倒さだろう。まず都庁に行く前に、副都心というシチュエーションがある。今までいた雑多な街に向けていた視線が少し解放される。そして近づき、都庁舎前の円に入る。そして都庁舎の目の前に立ち見上げ、展望台にいくためにエレベーターをつかい、昇る。そして、東京都を一望する。つまり、イデアは想像の前に立ち、それを引っ張っていっていると思う。
次に、慈光院。奈良の寺院で、茶室が有名である。私の記憶にはその歴史観が訴えている節もあるが、それ以上に、ここでも空間体験が印象に残っている。書院にいくと、借景という景色が並ぶ。景色は当時に比べ変わってしまったと嘆いておられたが、「今の風景」として趣を少し感じ取ったのは、それを縁取る書院の空間のお陰である。書院の床は色が濃く、逆光のときの黒のような質を出している。そして奥深い茶室にいく。曲がったり、しゃがんだりする行為を繰り返し、結局はもとにいた書院の横に配置された部屋にたどり着く。客人が座る箇所からは、例えば障子に映る光の色が窓ごとに少しずつ異なるなどといった、小さいけれども驚嘆させられる工夫があった。材料は、そこにあるのが当たり前のような顔をしていて、じつは空間の質に大きな影響を与える。つまり、ヒューレは想像の後ろに立ち、取り巻いていると思う。
私にとって、イデアとヒューレは表裏。遠そうだが、そこに近づくアプローチ法など、類似点も多々ある。
そして、サヴォア邸。モルフェはその性質ゆえにイデアにもヒューレにも絶えず関わると思う。サヴォア邸も5つの要素を表したり、白というマテリアルの印象があったりする。イデア的でもあり、ヒューレ的でもあるというのか。おそらくそうであり、それこそ比率の問題かもしれない。でもそれ以上にあの方形の幾何があって、まっさらな芝生にあって、天井の低さや動線のつながりもあるという、空間も含めた建築の形態そのものが想像させる。そのとき想像力は前にも後ろにも立たないと思った。よって、モルフェとして挙げることとする。
長くなりましてすいませんが、以上が私の見解です。
投稿者: 坂牛研究室 10TA323F 塩入勇生 | 2010年04月29日 23:58
日時: 2010年04月29日 23:58
土本研究室 10ta338d 松田 航
昨年の夏に訪れた「横浜大桟橋ターミナル」について述べます。
この建築については、新建築等ので見かけたりして、前から気になっていたのですが、昨年の夏休みに旅行で横浜を訪れた時、立ち寄りました。
印象としては、波打つ様なその形状とボリュームからモルフェ先行型な建築だと感じました。
なかに入ってみると内部は思っていた通りあまり使われていませんでした。屋上のデッキは、意外と利用者が多かったのですが・・・。まぁでも本来の役割、ランドマークとしての役割、観光スポットとしての役割、これらはきちんと成り立っていたので、いい場所ではあったと思います。やはり機能としての役割の大きい、公共物において先ず機能が先んじると考えるので、そのなかにイデアという要素を加えることで付加価値を与える。こうすることがバランスの良い建築をつくることだと考えます。
投稿者: 10TA338D 松田航 | 2010年04月30日 00:07
日時: 2010年04月30日 00:07
僕はこのイデア、モノについて考える上で「代々木体育館」について述べていこうと思う。最初に代々木体育館を訪れたのは高校生のときでまだ建築を学んでなかったが、モルフェ、ヒューレ共にすばらしいと思った記憶がある。ここからも、建築に携わっていない人に、建築家の概念を伝えることは難しいことだと感じ、モノしかわからないのではないかと思う。
そして大学生になり再び代々木体育館に行ったときにこの建築はイデア先攻型であると感じた。建設当時はあの規模で柱をなくす技術がなく、それを実現させる為に構造設計者がサスペンション構造を造った。また内部も人の流ればどがしっかり考えられていて、非常に実用的であり、日本を代表する建築であると思う。
以上から、建築においてイデアが基盤となり、そこにヒューレ、モルフェを加えることにより、いい建築が生まれるのだと感じた。
投稿者: 土本研究室 10ta305h 井本 守佑人 | 2010年04月30日 10:38
日時: 2010年04月30日 10:38
土本研究室 10TA331G 長浜好美
今年の3月に訪れたカサ・バトリョについて述べたいと思います。
この建築は、イデア先行型だと思います。最初は、目につくものほとんどが、ステンドグラスやタイル、外観・内観にあわわれる曲線、柱・階段・ベランダの形状といったモノ(モルフェとヒューレ)で、ただただきれい・すごいと思うばかりでした。しかし、内部にあるエレベーターに乗って下へ降りるとき、これらには概念(イデア)があることを強く感じました。エレベーターの側面には透明のステンドグラスがはめられており、エレベーターの外は壁に青色系のタイルがはられた吹き抜け空間になっています。エレベーターで下降しながらステンドグラスを介して青色のタイルをみると、ステンドグラスによって水の流れのようなものができ、あたかも海底に潜っているかのような感覚になりました。エレベーターのステンドグラスとタイルには、海底を思わせる仕掛け、設計者の概念(イデア)がありました。つまり、イデアありきのモノだと考えられます。他にも柱やベランダは骨を、階段は特に背骨をモチーフにしていることが感じ取れました。なぜ骨や海なのかまでは、本やガイドなどを読まないとわかりませんが、この建築はただきれいだからステンドグラスを使ってみたり、曲線にしてみたというわけではなく、設計者の意図があってそのようになったと思います。
この建築体験で思ったことは、概念(イデア)を相手に伝わりやすいように上手くモノ(モルフェとヒューレ)に取り入れた建築は、魅力的でその建築を体験している人に楽しさを与えると思いました。少なからず私は、設計者の意図を感じることができたとき、とてもうれしく、体験していて楽しいと感じます。
投稿者: 10ta331g 長浜好美 | 2010年04月30日 12:25
日時: 2010年04月30日 12:25
結局、近代以降の建築家がデザインした建築って、「イデア先行型」ではないの?と感じた。何らかの「コンセプト」をもとにデザインしているんであれば、それがどんなにモルフェやヒューレが表に現れてこようと、「イデア先行型モルフェ建築」とか、「イデア先行型ヒューレ建築」とか、はたまた「純イデア先行型建築」というように、結局イデアの枠組みの中の話のような気がする。
やれ「お前のコンセプトはなんだ」、それ「おれのコンセプトはこうだ」といってる時点で、土台はイデアなわけだ。例えばノブがあげたように、隈研吾の場合、コンセプトをもとに大谷石使うかってなって「イデア先行型ヒューレ建築」をつくったわけだ。しかし、あの建築は残念の極みだったね。せっかくおっさんおばさんたちと見に行ったのにね。
話がそれかけました。
では、「モルフェ先行型」や「ヒューレ先行型」の建築とはどんなものか?それは恐らく、現代の日本ではもはや見い出すことが難しくなった「必要性」の中にあるのではないだろうか。例えば、私の研究している山小屋は、卒論の発表で熱く語って、語りすぎて失笑をくらったぐらい厳しい環境に立地している。そこでは、必要なものを、それがあるところから、必要なだけ使って建築をつくっている。それは、吉坂隆正が設計した涸沢ヒュッテに関してもいうことができる。涸沢ヒュッテは、雪崩を避けるため、地下に埋没させ、周囲を石垣で取り囲んでいる。純粋に、「必要だから」そのような形態になったのだ。そうしなければ、山小屋なんかたてれる場所ではないからだ。良いリンク先がなかったので写真が無いのが残念だが、涸沢ヒュッテのごつごつした岩が周囲を囲むその様相は、まさに「ヒューレ先行型」であるように感じた。ん、「モルフェ先行型」か?どっちにしろ、「モノ先行型」であったことは間違いない。
涸沢ヒュッテが見たい人は、土研の田村まで。
投稿者: 土本研究室 10TA326A 田村啓 | 2010年04月30日 14:43
日時: 2010年04月30日 14:43
自分たちがやっている製図に関して言えば完全にイデア先行型だと思う。また現代の建築の多くはイデア先行型であると思う。むしろその中でもイデア先行型で町が形成されている顕著な例が東京の表参道であるように感じる。またこれだけイデア先行型で可能になったのは技術によるものであって、昔はイデアの前に技術が立ち塞がっていた。
しかし、イデア先行型であっても現在の場合、その形状や材料を自在に実現可能にできるので結果的にそれがどこからの起点で出発したのかがわからなくなっている。でもイデア先行型であるように見える。それは先の技術のこともあるが、世界全体でいろいろなものを共有できる(教育、技術、材料)ようになった結果、それぞれの土着的なもの(モルフェ、ヒューレ)が失われている。場所によってはモルフェやヒューレは残っているが、そのような場所は文化材や世界遺産などになっている(白川郷とか…)。この行動はつまりモルフェやヒューレに対する飢えなのではないかと思う。このままモルフェやヒューレがあまりない現代は、のちに残すものは何もない。だからモルフェやヒューレ先行型の建築をつくりたいと今思っている。
投稿者: 坂牛研究室 10ta318k 久保一樹 | 2010年04月30日 15:44
日時: 2010年04月30日 15:44
今回のお題に対し、中銀カプセルタワーを挙げて述べたいと思います。これは、去年の9月頃に新橋に行く機会が多々あり、そのときに銀座はすぐ近くだったので、この建物を何度も拝見した。中には入れてもらえませんでしたが。
中銀カプセルタワーは、黒川紀章さんによる設計で、高度経済成長の中で、その変化に建築も合わせようとするメタボリズムの代表的な作品です。建築のモノ以前に、建築の社会に対する立ち位置が主張されており、「イデア」先攻型の建築と言える。カプセル化されたユニットによって、新陳代謝というコンセプトが理解できる。これはつまり、どのようにしたら入れ替え可能なシステムをつくれるかという(概念)からカプセルという形状(モノ)が生まれたのであろうと考えられる。
「イデア」先攻型の建築とは、自ら空間を体験する前に、説明が付き、「価値」を得ているものだと思う。対して、「モノ」先攻型とは、前提条件よりもできたものが、後に「価値」を得るものではないだろうか。そう考えると中銀カプセルタワーは、写真で見たカプセル内部を見てみても、美しい空間だとは言い難い。実際、使いにくそうだし。もし、あのカプセルが学生用のアパートのように、6ユニットぐらいで構成されていたら、議論にあげられていないだろう。
しかし、「モノ」先攻型の建築とはどんなものだろうかと考えても、思いつかない。学校の課題に関しても、コンセプトが最初にあって、そこを原点にスタディしていくのだから。もし「モノ」先攻型でスタートしたときに、現在のアイデア飽和状態では、苦しくなってくるのではないかと考える。
そうなるとお題にもあったバランスは重要になってくるが、中銀カプセルタワーは少々「イデア」先攻型過ぎるのであろう。
投稿者: 坂牛研究室 林和秀 | 2010年04月30日 18:29
日時: 2010年04月30日 18:29
土本研究室 10ta307d 榎本昇人:
民家は、昔の人々が知恵を出してたてた建築です。その形態は、その地域の気候や地形に対応し様々な形態をとります。そして、使われている木材は、周辺のものを利用したものが多いです。この民家は、モノ先行型のイデア建築ではないかと考えます。まずは、近場の木材で建築の架構をつくる。その後、住み続けることなどによりここはこうしたほうがいいのではと、そのイデアに沿って、形態が変化していき、理にかなう形態ができる。一方、最近の建築は、イデア先行型の建築ではないかと考えます。昔と違い、材は様々なものがあり、日本中、世界中から得ることができる。さらに、建築家の考えが内包される。この考えが基盤にある限り、イデア先行型となるように感じられる。
昔の建築と違い現在の建築は、モルフェ、フューレが失われつつあるように感じられる。そして、イデアが多くを占めていると思う。
投稿者: 土本研究室 10ta307d 榎本昇人 | 2010年05月01日 02:36
日時: 2010年05月01日 02:36
評者の北野です。時間が遅くなりまして申し訳ございません。いかんせん設計に関することについて知識が無いもんですから、私が批評を行って気分を悪くする人がいるかもしれません。いろいろツッコミたい人がいるかもしれませんが、ご勘弁願います。それでは、私なりに批評をさせていただきます。
まず、みなさんのコメントについての感想を述べさせていただきます。みなさんが選んだそれぞれの建築に対する概念とモノの分析に関しては、よくできていると思いますが、何人かの方は、分析のみで終わっているように感じました。お題の目的は、分析を踏まえた上で、その建築に対しての概念とモノのバランスについて批評を行うことなので、分析のみだけでは、お題の目的を達成できていないように感じました。
つぎに、みなさんのコメントから概念とモノのバランスに関しては、大きく分けて、「イデア先行型」、「モノ先行型」あるいは、「イデアにモノを取り込む」、の3タイプに分けることができました。この3つのどれが良くて、どれが悪いようなことを述べることはできませんので、今回は、私が納得することのできるコメントを選ばせていただきした。最優秀賞は、ノブにします。ノブのコメントは、1つの建築(1人の建築家)に対して、その建築を分析し、イデア、モルフェ、ヒューレ、それぞれの視点から批評を行った点、自分がどのように設計を行うかを少なからず述べていた点を評価しました。他の方は、どうしても、建築の分析のみを行ったり、何かしらの視点が欠落しているように感じました。
最後に、みなさんのコメントから感じたことは、概念とモノの関係について、どちらかが排除されたり、概念がモノの上にくるような、概念とモノの上下関係が成立していることです。しかし、建築のデザインは、歴史的にみて、概念とモノの2つの意味を含んでいるため、この2つを並列に捉えていくことも忘れてはいけないと思います。かつての建築のデザインはモノであり、そして近代建築以降、デザインに概念が導入されましたが、これからは、相反する2つを互いに尊重させながらデザインすることが、求められていくように思います。
以上で批評を終わらせていただきます。つたない批評で申し訳ございません。批評にもなっていないと思いますが、批評に関する文句は、GW後にうけつけます。
投稿者: 土本研究室 10TA315E 北野淳基 | 2010年05月01日 12:49
日時: 2010年05月01日 12:49
北野君ありがとう。北野君の評価基準には一理ある。ただそれに僕の意見を付け加えよう。
今回の僕のお題であるモルフェ、ヒューレ、イデアを軸に建築批評せよというお題には次のような問題意識が内在している。それは、形か素材か考え方かどれが建築で大事なのか?ということと、それでは鑑賞のプロセスとしてそれをどう感じ取れるのかということである。
何が大事かについては結構皆が具体的に書いている。ノブのもそうだろうし、田村君や久保君も書いている。ただ、後者のどうやってそれを感得できるのかについて書いていたのは内堀だけである。そしてその感じ取り方の説明は簡潔にして的を射ていると感じた。その意味でノブに加えて内堀も優秀賞に加えてもよいだろう。
投稿者: 坂牛 | 2010年05月04日 10:20
日時: 2010年05月04日 10:20