2007年01月18日

第13講お題

今日は2つのお話だった。透明性と真実。リアルな話と概念的な話。透明建築は一時期建築界を席巻していたが、昨今は一段落した感がある。一方真実は建築に限らず、常に世の中の議論の中心に位置している。そこで今日のお題はこの後者について考えて貰う。しかし現在何か問題を設定した時にそこにおいて真実が唯一存在するということはなかなか考えにくい。正しいこととは常に相対的なものだという考え方が主流である。ではその相対的なものの考え方とは何なのか?それは場当たり的ということの言い換えではないのか?
そこでお題「建築における真実はないとしても相対的にものを考えていく上での骨となるようなことはいのか?」これはとっても難しい質問である。しかし頑張って答えて欲しい。

2007年01月10日

第12講お題

本日のテーマはストラクチャ
ストラクチャにはその名の通り、力を伝え建築を支持する意味あいともう一つ、ものの考え方という意味合いがあった。そして現在ではその「考え方としての構造」が脱構造という哲学的指向を携え建築に乗り込んできて両者が合体したところで脱構造建築が登場し、フォーティーはその行く末を案じているというのが今日の落ちだった。
ところでこの考え方は置いておいて今日はストレートな質問をしてみたい。「あなたは建築の構造は露出している方が好きですか?」yes or noそしてその理由を記して欲しい。

2006年12月21日

第11講お題

本日のテーマは空間。この本のメインイベント、最も力の入った部分でもある。それもそのはず、空間という概念は現代の建築を語る言葉の中でも最も多用されているのだから。その起源はゼンパーの囲むことに始まりロースの被覆の原理へ受け継がれ、そしてヒルデブラントの視覚性に基づく連続空間というまた別の起源と重なり合いモダニズム建築の主要概念へと醸造される。一方、建築空間論へのアンチテーゼへの起源はシュマルゾウに始まる空間身体論、リップスの感情移入から、ハイデガーの空間から物、場という視線の変更へと繋がる。
そこで今日のお題だが、建築は空間か物か或いはその並存か、そのいずれかを選びその妥当性をあなたの建築体験に加え本日登場した建築家或いは哲学者の主張を引用しながら記して欲しい。

2006年12月11日

第十講お題

今日の話は2つあった。オーダーと簡潔性。オーダーでは秩序の英語にはorderとcosmosがあるという話をした。このcosmosとしての秩序はhttp://ofda.jp/column/に書いたのでちょっと読んでみて欲しい。
ところで今日のお題だがこのコラムに関連して、数学的秩序と宇宙的秩序を考えてみたい。数学的秩序とは数字で抽象化できる秩序のこと。一方宇宙的秩序とは宇宙の中にある見える見えないを問わず繰り広げられる世界に内在する秩序のこと。そしてある装飾学者に言わせればこの秩序を顕在化させるのが装飾という行為なのだと。
そこで僕はこの意味での装飾を君たちに探し出してもらいたい。その経験でもいいし、それはこういうことではないかという推論でもいい。宇宙的な広がりと想像力を沸き立たせる答えを期待する。

2006年12月06日

第九講お題

今回は自然。
いつもは分かりやすいように適度に本の内容をはしょって話すのだが、今日は重要なので全部無理して話してみた。だから逆に分かりずらかったかもしれない。しかし自然は建築を考えるとき容赦なく我々と対峙する何かなのである。ところで僕にとって自然とは設計の中で常に自分が制御できない何かと感じている。uncontorlableなものを設計の中で常に想定しそれを自然と呼ぶのである。授業でも言ったが、分からない神秘性のようなものである。道無き道を進むような建築を作りたいとよく思う。それが僕にとっての自然ではないかと考えている。そこで今日のお題だがあなたにとって自然とは何か?ひどく抽象的な質問だが、逆にどのように答えてもよい。話が広範にわたるものであるから質問も広く答えられるようにしてみた。ただし授業の中で出てきた人物でもテーマでも概念でもよいが何かを取り入れて答えて欲しい。

2006年11月28日

第8項お題

ちょっとお題が遅れました。恐縮です。
今回のお話は記憶である。これはかなり建築から遠ざかり心理学や哲学の分野に突入している。今回の話もかなり哲学的な内容が多かったように思う。しかしあまり難しく考えなくてもよい。覚えておいて欲しいのは3つの表象である。それは知覚表象と記憶表象と想像表象である。そして今日のお題だが、あなたが建築を見たときにこれら3つの表象が融合した経験はないか?あるいは2つでもよいのだが、そうした融合によって経験がより豊かに感じたことはないか?その経験を言葉にして欲しい。字数は800字くらい。

2006年11月16日

第七講お題

今年は波乱含みだ。今日はじめて授業に来る人とかもうやめたと思っていた人が取っていたりとか。
デザイン的な講義しているのは僕だけだからまあ広く聴いて欲しい。だからあまり厳しい規律は作りたくないし、欠席何回で単位あげないとか最初に言いたくはないと思って言わなかったのだが。

とにかく最後までがんばろう、欠席多くとも単位が欲しい人はそれなりのレポートを最後に課すので心して欲しい。それから講義日の変更は恐縮ですがよろしくお願いします。なるべく落ちが内容に調整したつもりですが、。

さて長くなった。今回の話は歴史。歴史は踏襲するものか、創るものか。そんな話から始まり、ヴィオレ=ル=デュクとウィリアム・モリスが登場した。今時、歴史は踏襲するものだと考えている人は少ないとそ思う。そこでとりあえず、歴史は作るものであるというモリスの立場に立ったとしよう。しかし作るにしても歴史から何かを受け入れるというのは作る派においても多かれ少なかれ認めていたことである。
そこで聞きたい。歴史は作るものとして、しかしあなたは過去の歴史から何かを踏襲する。さて何を踏襲するだろうか?善光寺前藤屋ホテルを建て替えるという想定のもとに記せ。800字。

2006年11月08日

第六講お題

今日の話は機能。最初に皆に機能の意味を書いて貰った。大体は物の役割とか能力と書いてある。そして一人使いやすさと答えた人もいた。この後者はドイツ語のツヴェックマーシッヒに相当する概念であり、役割というあたりは機能が生物学の類比で建築に登場したあたりの意味になる。ヴィオレ・ル・デュクあたりの使い方である。ところでドイツ語では機能にあたる言葉にもう一つザッハリッヒという言葉もありこの2つの言葉の微妙なニュアンスの差の重要性を講義では強調した。
そこで今日のお題だが、あなたにとってザッハリッヒな建物とツヴェックマーシッヒな建物を例に挙げ、それらの差異を言葉の意味に照らし合わせ特徴付けた上で、これらの建物の将来的な可能性、あるいはあなたにとってどちらの性質の方がよりよい建築となりうるか考えていただきたい。800字。

2006年11月01日

第五講お題

今日も淋しく少人数授業である。土本研究室の諸君。調査はしっかりやってくれたまえ。しかし授業にも出たまえ。つまり講義の無い時に調査をすることを勧める。レポート量が多くなるよ。休みが多いと。

さて今日の話はフォルム、形である。これはなかなか面倒くさいテーマである。だから講義内容を反芻することはしない。即お題である。「あなたは建築の形をヴェルフリン的に認識することができるか?」できる人はその経験を記せ。そうではない人はヒルデブラント的、シュマルゾウ的そのどれかの認識方法に則り自らの経験を記せ、800字とする。

2006年10月27日

第4講お題

さて、今日の話はフレキシビリティ。『言葉と建築』では柔軟性と訳したがどうもあまりいい訳ではなかったと反省。しかしそれに代わる言葉も見つからない。この内容の現代的意味で言えば、コールハースが使うredundancy(余剰、過剰)とか僕の言い方ではcapaciousness(包容力のあること)等の言葉の方が内容をを正確に言い当てている。
さてグロピウスが言うようにこの概念の登場とともに建築家の設計は単に竣工時の建築を設計するだけではなく、100年後の建築を設計するところまでその射程は延びてしまった。これは結構面倒くさいことである。100年後の建築など、いや社会など予言できない。自分の死んだ後のことまでどうやって責任をとれようか?しかし建築家はそれを期待されることになってしまった。そこで「あなたは100年建築をどういうコンセプトで設計するか」これが今日のお題である。800字以内で答えよ。

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