建築、設計、コムデギャルソン

ルネ・ブリ、ル・コルビュジェ

 

 松田  そういえば、その青山の本店で、いまルネ・ブリっていう写真家と組んでいて、柱の一部や店内中のいろんなところにルネ・ブリの写真がありました。ルネ・ブリはル・コルビュジエの写真、特に後期の写真を撮った事で有名なんです。

 

 坂牛  れは授業でもやっていますが、建築写真家には建築をフォトジェニックに撮るシュルマンみたいな人がいて、徹底的に映画のセットみたいに建築を作り上げて、ハリウッドのモデルかなんかを置いて撮ったりするのに対して、ルネ・ブリは、建築をショーアップするのではなくて、建築と人との関係を撮る。だから、ユニテ・ダビダシオンの屋上にブワーっと人が居るとか、ロンシャンの前に参拝者が沢山礼拝している写真などが有名です。僕は今コム・デ・ギャルソンでやっている写真展を見てないからわかんないんだけど、川久保さんがエクスクルーシブにものを売ったり、作ったりするのではなくて、インクルーシヴに人を受け入れるっていう姿勢が、ルネ・ブリの写真を選んだのではないかと感じました。

 

 松田  単なる仮説なんですけれども、川久保さんは、ル・コルビュジエという人のことを、すごくよく知っていて、もしくは意識されていて、ある部分コルビュジェのやり方を踏襲したところがあるのかなと。先ほどの話もそうですけど、ルネ・ブリでまた思い出して、つながりを感じてしまったところです。

 

 坂牛  さっきの先輩の建築家に「なぜコム・デ・ギャルソンを着たの?」って聞いてみたら、「着れると思ったから」って言うんですよ。着てみると、すごく着やすいって言う。最初はそんな風に思わないじゃないですか、少なくとも僕なんかは、アートだな、みたいな。そうじゃなくて、着やすいと。で、彼女が言ったのは、コムデギャルソンにはエキセントリックなデザインと日常的な感覚が共存しているっていうわけです。おそらくクリエイターが、長持ちするのは、そういうところかなとと思いますね。建築家もそうですコルビュジェなんかも、当時にしてみれば、あんな白い箱をパリにつくるなんていうのは、とてもエキセントリックな感覚なんだけれども、カップマルタンの自分のアトリエとか、レマン湖畔のお母さんの家とかは、すごく日常的なんですよね。そういう感覚があるんですよね、どっかにね。その共存の仕方が、やっぱりクリエイターの必要条件かな、という感じがします。

 

 松田  それでは、今日はいろいろなお話をありがとうございました。コム・デ・ギャルソンについて、これだけ多方面の話をお聴きできて、とても楽しかったです。コム・デ・ギャルソンの場合は、必ず、次にまた新しいことがされていくと思うので、これからもすごく楽しみにしています。皆様、どうもありがとうございました。

 

初出 <座談会>「建築、設計、コムデギャルソン――デザインと構造分析からコムデギャルソンを解体する試み」、西谷真理子編『相対性コム デ ギャルソン論 ─なぜ私たちはコム デ ギャルソンを語るのか』フィルムアート社2012所収

   

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