発想の豊かさ
松田 森永さんの目から見て、やはりコム・デ・ギャルソンには、クリエーションだけでなく、ショップから見える経営の仕方など、他のブランドと一線を超えたような違いがあるんでしょうか。
森永 独特過ぎますね。(笑)
松田 簡単には真似できないという感じでしょうか。
森永 発想がないんですね、普通にビジネスをやろうとした時に。
松田 ビジネス的な観点からいって、一番発想がすごいと思うのはどういう部分ですか。
森永 全てすごいですけれども。ゲリラショップっていうのがありましたよね。あれ、確か、ファッションでない人がやってるんですよね。建築家とか、飲食の人とか、文房具の人とか。そんなリスクのあることっていうのを、やろうと思う発想自体が違いますね。
松田 やはり「手法」が本当に豊富なんですね。たとえば、1988年から1991年の間は、「Six」って雑誌をつくっていますね。いま手元に第1号があります。こういう雑誌の存在は、もしかしたら一時期はブランドのなかでは当たり前だったかもしれませんが、実に自由につくられていると思うんです。いろいろな人が関わっていることが感じられて、あまりコム・デ・ギャルソンの服を全面に紹介されているわけではない。コム・デ・ギャルソンが出している雑誌だとは、ほとんどわかりませんよね。ここに関わっているクリエイターたちが、それぞれ自分の好きなことをやれる場を提供しているような、そんなことを感じられる雑誌なんです。
入江 だから、現代の、ネットで知らないうちに流通することに対しての、違和感があるのかなと僕はは思いましたね。さっき店員さんの話をしましたが、店員さんとか、空間を通して、はじめてその服に出会えるというか、そういう場所性というのか、機会っていうのか。そういうことなのかなと思いますね。今や、どのブランドもネットですぐ買えたり、簡単に流通しているじゃないですか。ギャルソンは、その辺をすごく慎重にとらえているのかなという気がしましたね。それはある種、好意的に受け取ったという意味ですが。
松田 いろいろなことに手を出しながらも、超えちゃいけない一線っていうのを、すごく明確に持っていてだけど、それは絶対のものではなくて、ある時、自分の領域を一瞬変えて、インタヴューに応じたり、アーティストを起用した小冊子を作ったり、アートの展覧会を、店舗の内部でやるとか。自分の領域を少しずつ拡張して、でも一気に広げる様な事はしない。ファストファッションとも手を組むけれど、ある時、突然やって、それで驚かすみたいな。だからメディアというものを、すごく良く知っているんじゃないかなと。その中でファッションという領域を、しっかり持ったまま、ものすごいバランス感覚で40年間続けられてるんだなと、そこにあらためてびっくりします。そういう状況ってとんでもないな、という気が本当にします。
坂牛 社会の中のいろんなメカニズムのステレオタイプには、絶対迎合しないという様な。でも少し波が収まったら、乗る場合もあるみたいなところを感じますよね。
例えば照明の話ですが、洋服の店って照明もスポットライトを当てたり、少し柔らかめの光を使ったりしますよね。で、僕の経験的な話だから、正しいかどうかは解らないけど、蛍光灯をギラギラに光らせるっていうお店を最初に見たのは、コム・デ・ギャルソンのような気がする。青山の昔の店は蛍光灯がブワァーって並んでる天井でしたよね。あれは衝撃的でしたね。なんでこんな蛍光灯がギラギラしてるんだ、って。不快なくらい明るいっていうか。眼がチカチカするっていうか。今でこそ、あえて蛍光灯の寒々とした色を店で使うデザイナーもいるけれどその当時はないからね。それも、さっきのモルタルの亀裂と同じように衝撃的な事件だったなと、振り返ればそんな気がします。 |