建築、設計、コムデギャルソン

こぶドレスと森永邦彦

 松田  いまの森永さんのお話で、球体の服の話が出ましたけれども、その森永さんのコレクションをいくつか拝見していくと、肩に羽のようなこぶっぽいのが付いていたりするのがありますよね。コム・デ・ギャルソンのこぶドレスとの関連性をいろんなところでインタビューで聞かれていて、その度ごとに森永さんは違うと答えられていましたが(笑)、でもすごく気になりました。若い頃に、こぶのドレスを見られたという話をされていたので、きっとまったく関わりのないものではないのだろうなぁと思うのです。そういう意味で言うと、南谷さんも書かれていましたが、コム・デ・ギャルソンは幾何学的なものは、むしろ、やらなかったと。幾何学的なものを作るよりも、裁断していくうちに出てくる非幾何学的なものをそのまま使ったという印象があるんです。でも森永さんは、どちらかというと幾何学的な形状を、つまりコム・デ・ギャルソンが使わなかったものを、使われようとしている気がするんです。そういう意味で、こぶドレスも含めて実際に服を作る段階では、どのようにコム・デ・ギャルソンのことを考えられていたりするのでしょうか。


 森永  こぶドレスは、96年の秋に発表されて、僕が知ったのはそれより後なんですけれども。見たときの衝撃っていうのがすごくありましたね。まず、あれが美しいのかどうなのかということから判断ができなかったのです。コム・デ・ギャルソン自体はそのあと、どんどん好きになって、川久保さんの作るものも思想も、もうすべてを受け入れられるくらい陶酔してしまったんですが、でも、やっぱり、こぶドレスが、消化できないわだかまりみたいな形で残っていました。

で、あの時、川久保さんは、身体が服になり、服が身体になるといったことをおっしゃっていたんです。で、確かマックイーンが、異なる性や変わった体型を受け入れたり、認めたり、それを美しいと思えることが知性であるといったことを言っていたのです。にもかかわらず、僕の中では、それを美しいと言ってしまっていいのだろうかという疑問があって。要は、あの服には造形的な美しさはあると思うんですけど、日常の中での洋服としての機能を考えた場合、どうなんだろうということなんです。僕の中でのひっかかりはそこで、妹島和世さんなんかは着用されていますが、美術館や、アートギャラリーで飾られたり、手の届かないところで見る分にはいいんですけれども、やっぱり着用するという時点で、難しいところがあるとずっと思っていたんです。

 

 松田  西洋的な身体を信じない、という意味では、川久保さんと森永さんは共通しているのだと思いますが、森永さんにとって、おそらくコム・デ・ギャルソンの中で唯一フィットしないのがこぶドレスで、だけどそこに、森永さん自身は別のオルタナティブな可能性を、ファッションを通して見つけていかれようとしているのかなと感じました。こぶドレスをみて、逆に何か突破口にされている感じがあるのかなという風に僕は思ってしまったんです。

 

 森永  やはりネガティヴな印象が、どうしてもあったんですね。こぶドレスに対しては。それをポジティヴに転換していこうとしました。こぶドレス自体は今でもすごい挑戦だったと思いますし。ファッションのサイクルって半年ごとに切り替わっていくので、あれだけの素晴らしいコレクションでも半年間でクローズして、それ以降、川久保さんは語らず、誰もそこに触れてはいけないという扱いになっているように見えました。でも、自分も服づくりの道を歩き出してみると、今自分がやっている事によって、どう価値を追加できるかと考え始めていました。あの偉大なコレクションに挑戦するというか。あのこぶというのは、取れない身体のこぶっていう形でしたが、人の身体っていうのは、例えば妊娠で膨らんだり、体重の増減でも変わったりしますから、こぶというものも固定化されるものではなくて、もう少し変化をして相対的になる可能性があるということを空気を使って表現してみたんです。コレクションではこぶに見えるんですが、空気が抜けた状態では、その異質な塊が重力によって落ちて、ドレープになって日常まとうことができるという、その二面性を見せたかったんです。

 

 松田  空気を抜くとまた別のかたちにフィットするとか、必ずしも形態的な意図だけではないところもあるわけですね。そこはある意味、先ほどの球体の服と共通するところでもあるわけですね。

 

 森永  物体を流動化させることっていうのは、こぶドレスを知った当時から、もしあれが日常着れるとすればこうだろうっていう想像をふくらませてきましたから。

 

 坂牛  先程の、僕の先輩は、こぶドレスのこぶを取って来ているそうです(笑)。そうすると取ったところがホニャホニャになるんですが、それがすごくいいって言うんです。機能的に必要なところがルースになっているわけではなくて、全然関係ないところがルースになるんだけど、その感覚がすごくいいっていうことを言っていて、ちょっとびっくりしました。この話を聞くとさっき松田さんが言ったみたいに、服というのが、西洋的な美しい身体にフィットして美しいという概念は、そうじゃないんじゃないのという気になります。ある場所が少しゆるいっていう。その感じというのは、なにか、新しい服と身体の関係が生まれてきているのかなと感じます。

   

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