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なぜ日本の中心市街地は衰退したのか?郊外に大型店舗ができたからというのがよく言われることだし、それも確実に一因である。足立基浩『イギリスに学ぶ商店街再生計画―「シャッター通り」を変えるためのヒント』ミネルヴァ書房2013によれば20世紀終わりにできたまちづくり三法で大規模小売店舗立地法が変わり大型店舗が出店しやすくなったわけだが、それは皆よく知るところ。問題はその先である。著者の分析では、日本の中心市街地の土地は個人所有が多く、かれらはバブル期にある程度の富を得てその後店を敢えて貸すなりして活性化しようとは思わない。そこに来て郊外に大型店舗ができたのだから勝ちめがない。これに対して、イギリスの中心市街地は借地が多く、行政の指導がきめ細やかなので様々な展開が可能となる。加えて郊外大型店舗と中心市街地を共存させる事前の調査、事後の対策が確実に行われているということである。
それにしても一番大きな差は、イギリスの中心市街地には中世の建築的な環境が残っており人々のセンスオブプレースが価値として息づいている。そもそも場所が愛されているのである。一方日本の地方都市の中心市街地が建築的価値を十分に保持しているところはそう多くはない。この差をどのように建築的に埋めていくのか?これが大きな問題のようにも思う。
朝から一気に年賀状作って印刷。問題は宛名なのだが、最近名刺はアイフォンスキャンでgmailに転送して連絡先に貯めている。というわけで今はきちんとしたアドレス帳は持っていない。宛名書くときに頼れるのは昔のアウトルックのアドレス帳だけ。gmail連絡先はイクスポートしてアウトルックにインポートできることになっているのだが、どうも途中でエラーがでる。だからアドレス帳は中途半端なアップデート。加えてこれをワードで印刷する時どうもうまくいかない。送りたい人にきちんと送られているのかはなはだ心もとない。そのうえ焦って作ったせいか郵便局言って300枚近くを別納で出したそばから誤植を発見。ああ恥ずかしい。
帰宅後年末には処分しようと段ボールに仮づめしていた書籍の最終確認。大学に送って学生に挙げようかと思ったが、送料払うだけの価値ある本かどうか怪しい。一つだけ価値あるのは開高健全集。その昔早稲田の古本屋で買ったもの。でも今の学生が開高健知らないかもしれないし、、、、
午前中ある町の来年度の街づくりの提案について打ち合わせ。既にだいぶ前からかかわっているのだがどうも話がスムーズに前に進まない。行政、企業、大学などの仕組み作りがまずは大事なのだろう。そういう提案書を先ずは作ろうと言うことになる。午後は事務所に戻り明日の打ち合わせの資料を確認し、追加の資料を作る。今年の仕事も明日の午前中で終了と思っているのだが、、、、今年もいろいろあったけれどそんな感想の一部は10+1のウエッブサイトにアンケートでお答えしたので興味ある方はご覧ください。因みに今年印象に残った本は古い本だけれど鷲田清一の『「聴く」ことの力』http://10plus1.jp/monthly/2014/01/enq-2014.php
例年年賀状は12月の頭くらいに作り始めて今頃は投函しているのだが、今年は何もやっていない。やれない状況が続いている。年末年始に連続でワークショップするというのが大きな負担となっている。昨日はロベルトから展覧会用のパネルをパッキングしたとのメールをもらう。パネル80枚を40枚ずつ二つの箱にパッキング。東京についてから宅急便にのせるようお願いしたがうまくできるだろうか??心配!!元旦にダニエル夫婦、2日にロベルト夫婦が到着する。今日はアルゼンチン大使館から携帯に電話あり。大使館の調査能力はたいしたものだ。ロベルトたちが来た際に食事などをセットしたいというもの。信州大学のスペイン語の先生橋本エリサ先生からも携帯に電話。来られる限り東京に来てボランティアでお手伝いしたいとのこと。なんと素晴らしい。3日ほど来て頂けることとなった。一方大学からはワークショップ時の学生の宿泊は認めるが、その場合は先生も一緒にとの指示。トホホ!!
今日は事務所の年金を厚生年金にするために年金機構のレクチャーを受けに新大久保に行く。一時間で終わると思ったが2時間かかりそのまま神楽に行く。教授総会に出てそのあとまた神楽で6時から文科省から出た補助金研究の打ち合わせ。なんだかいつになっても終わらないので先に失礼して事務所に戻る。今日は事務所の忘年会。OBも3人来て近くの青森料理の店で今年の垢を流す。
今日は事務所の年金を厚生年金にするために年金機構のレクチャーを受けに新大久保に行く。1時間で終わると思ったが2時間かかりそのまま神楽に行く。教授総会に出てそのあとまた神楽で6時から文科省から出た補助金研究の打ち合わせ。なんだかいつになっても終わらないので先に失礼して事務所に戻る。今日は事務所の忘年会。OBも3人来て近くの青森料理の店で今年の垢を流す。2次会は近くのうどん屋。まだ行きたかったまた明日もやることが多いのでさよなら。OBOGはまた来年もよろしく。
今年最後の講義をしてゼミしてちょっと早いが研究室大掃除。研究室蔵書の所在チェック。新たに買った本のリスト化などなどを行った。まだ研究室の作業はずううううっと続きそうなのだが、ひとまず中締め。掃除の後は秋に行ったブエノスアイレス、ブラジルのスライドを紹介しながら一杯。一緒に行った宮前君が買ってきたマルベックがとても美味しい。
皆さん今年一年ご苦労様。輪読ゼミを指導してくれた天内君感謝。研究室のあれこれととにかく何でもかんでもやってくれた田谷君多謝。そしてもちろん研究室を先輩としてひっぱってくれた院生にも感謝している。この研究室と言う日本独特の不思議な制度は世界的にはとても珍しい制度である。なんだこれはという外国の人もいる。でもある以上は上手に使わないと損であり、その場所を有効に使うも使わぬも学生次第である。そのためのいろいろな材料は僕が提供するけれどそれを自分のものにするかどうかは君たち次第。数十人もいるコミュニテイなのだから皆にとって最高の場所になるというのは鼻から無理な話である。だからこういう場所は自分が期待することの80%にできたら大成功なのだと思う。それは先生にとってもそうである。だから僕は僕が100%満足のいく場所にしようなんて全く思ってない。そう思ったらそれは皆にとって満足にいくものにはきっとならないだろう。研究室をそうしようと思う先生もなかにはいる。でもそれは間違いである。学生がプレィヤーとしてこの場所を満足いくものにすることが重要である。それは僕も意見を言うべきだろうし、所属する全ての学生が意見を言うことで、共通の満足が生まれるのである。
来年に向けて皆が自分を生かし他人も満足いくものにするためにはどうしたらいいのかを互いによく考えて行動して欲しい。来年もよろしく。
毎月一回4人で翻訳読み合わせをやっている。今日も12時から5時まで5時間。今はエイドリアン・フォーティーのConcrete and Cultureという本を訳している。一通り訳し終わり、今は担当を変えて二回目の読み合わせをしている。翻訳という作業はきりがない。一度とても慎重に訳されたものでも人を変えて2回目のチェックを行うと必ず間違いを発見する。そして恐らく3度目をやれば、間違いはないかもしれないが、もっといい日本語が必ず見つかる。そして4回目をやれば、また必ずいい日本語が思い浮かぶだろう。しかしそんなことをしていると永遠に日の目を見ないことになるのでどこかで「しかたない」と思うしかない。翻訳の名手はどうしているのだろうか?村上春樹も「しかたない」と思っているのだろうか?
高等学校の指導要綱の改訂について文科省の方が理科大に来られてレクチャされた。昨今の英語教育の変化には驚いた。英文解釈や和文英訳など日本語が介在する作業は行わないそうだ。もちろん授業は全部英語。英語は言語を教えるのではなくコミュニケーションを教える学科と言う風に考え方を換えたそうだ。つまり日本語を知らない世界中のだれが来ても英語を覚えられる授業でありテストなのである。なるほど結構なことかもしれない。そうした教育を受けた学生が来れば国際ワークショップもさらに実りあるものとなろう。
先週木曜日から初めたレネワークショプ1週間かけて終了。総勢二十名二部の二年、三年、大学院一年、先週の木曜日自転車を借りて全員で皇居を一周した。その後4チームに分かれてスタートした。エスキスチェックは基本的に英語で行われ都心ネットワーク、自転車による東京デートコース、衣食住と自転車、都市醜をラップなどなどなかなか魅力的なテーマが現れた。レネも満足したようだ。最終講評は一チーム15分オール英語、講評15分。終わって飲んで歌って楽しかった。帰宅するとレネからメールI will miss our good students (I will take them with me in my heart).
我が家の冷蔵庫がいかれてきた。買い換えようと配偶者に言われている。どこが壊れているのか僕にはよく分からないが、最も使う人(というか管理責任者とでも言おうか)がそう言っているのだからあまり逆らうといいことは無い。そこで情報収集し始めた。しかしはっきり言って容量と野菜室がどこにあるかぐらいが差と言えば差で。後は全体のサイズで入るか入らないくらいが決定要素である。
数年前某家電メーカーのエアコンを作る工場長の方が言っていた。家電製品はもはや進歩のしようがない。特に洗濯機や冷蔵庫はそうで、仕方ないから何か新しいおまけみたいな機能(付加価値)をつけてなんとか値段を上げる理由としている。それでも限度があり、利益率は極めて低い。家電って儲からないんですよと言っていた。
冷蔵庫のラインナップを見ていてこの機能は是非欲しいと思うのはアイスディスペンサー。学生時代家庭教師先の邸宅にアメリカ製の冷蔵庫がありそれにこの機能がついていた。暑い夏の日にドアを開けずにコップを押し付けるだけでクラッシュアイスが山のように出てくるこの機能に目が点となった。30年以上も前の機能が未だに一番欲しい機能だと言うところが進歩しない家電製品を象徴している。
でもこの冷蔵庫でかすぎて我が家には入らない。
朝からレネワークショップのエスキスチェックをする。先週でコンセプトメーキングは終了して今週からはデザインに入るようにと言っているのだが、未だコンセプトをいじくっているチームがあるので注意した。ワークショップは限られた時間で成果を出す作業なので時間配分は自ずと決まってくる。いつまでもだらだらやることでは無い。
午後主任会議が3時間。その後就職関連のリクルーターとお会いしてからゼミ。なかなか連日タフである。それらをこなしながら来年早々に始まる次のワークショップ、展覧会などで決まっていないことはないかと心配になる。さすがにこの時期に国外から人を招いてワークショップなどを二つもこなすのは神経が疲れる。
来年1月6日(月)~1月9日(木)まで東京理科大学神楽坂校舎にて国際ワークショップを行います。講師はアルゼンチンの建築家ロベルト・ブスネリ氏とダニエル・シルベルファーデン氏です。テーマはブエノスアイレスのスラムを社会化して地域とつなげようとするものです。
理科大の学生が主体ですが学外からも10名参加できます。参加無料です。ご希望の方は坂牛研究室助手田谷公人までご連絡ください。電話5876ー1379 メールtata@rs.tus.ac.jp
詳細は下記をダウンロードください
画像の確認
午前中のワークショップのクリティークを終え、午後レネと一緒に羽根木の集合住宅のオープンハウスにお邪魔する。設計は東利恵さん。去年市ヶ谷で個展をやられたときに大きな模型で印象的なプロジェクトだった。現代の集合住宅とは思えぬ和風(的)なデザインと木の多さが印象的だった。
その後たまたま僕の研究室の学生が卒論で世田谷の森を残すプロジェクトのリサーチを行った。その中に羽根木で行われてきた坂さん、大江さんのプロジェクトも調査された。この東さんの仕事もその延長線上にある。そんなわけで興味津々でやってきた。この写真でも十分分かるように樹齢の古い木がそのまま残されたり、移植されたりしてこの通り建築が木に隠れて見えないというような状態である。東京とは思えない風景にびっくり。
公共性には三つの属性があると斉藤純一は述べている。①開かれていること(openness)②多様性が担保されていること(variety)③人と人の間に関心が向けられること(in-between)(斉藤純一『公共性』岩波書店2000)。なるほどそうなるとやたらと規則でがんじがらめの日本の公園と言うのは公共性がやや希薄なのかもしれない。
槙文彦はスーラの「グランドジャット島の日曜日の午後」で人々が皆違う方向を向いて公園の中で自然に混ざっている姿が都市の自然な風景だと言っていたそうだ。つまり個も群も両立する空間ということである(馬場正尊の『公共空間のリノベーション』学芸出版社2013)これはまさに斉藤氏が言う多様性が担保された空間であろう。
振り返って日本の都市の公共空間と言われている場所は上で言う公共性が担保されているのだろうか?デモをするとテロだと言う人が政府の要職を務めているようではとても怪しい。この人にとっては限られた思想をフォローする人にのみ開き、多様性を排除し、国家の像を投影する場所として公共の場所がイメージされているわけである。これは公共性ではなく国家の共同性の押しつけでしかない。
レネが面白いことを言っていた。デンマークでは自転車は道路のどこに置いても許される。のだが最近お店などが駐車禁止の看板を出したりする。しかしこれは違法であるという。なぜなら道路は公共の場所だから。こんな理屈は恐らく日本では通用しないだろう。つまり日本にはヨーロッパ的な公共性はやはり希薄なのである。日本のそれはpublic ではなくofficialと言う意味での公なのである。
デンマーク王立アカデミーのレネ先生を迎えてのワークショップ初日、大学院生約10人3年生も約10人それに2年生数名。10時からレネの英語のオリエンテーション。分かっているのかどうかが分からないが前へ進む。教える方はレネと僕と呉さんと田谷君。誤さんと田谷君は外国に長く住んでいた人。僕を含めて教える方はかろうじてインターナショナルなのだが学生はドメスティック。それは仕方ないことだが、それを仕方ないで済ましてしまってはこんなことをやっている意味がない。自分をグローバルにしたい人は自分の殻を破って努力をしないといつまでたってもドメスティックなのである。ドメスティックでいたいならいつまでもそうであればいい。グローバルになりたい人はこのワークショップを機会に自分の枠を広げてもっと自由にそしてもっとチャレンジしてほしいものである。殻の中に閉じこもっている人はいつまでたってもそういう人でしかない。
問題は英語力ではない。そうではなくて違う文化の人間に自分の言いたいことを日本の文化の枠組みを超えて相手の分かるだろうロジックを組み立てられるかと言うことなのである。
がんばってほしい。
その昔、自作の建物でアートイベントをした時、近藤一弥さんにインスタレーションをお願いした。安倍公房の著作装丁などを手掛けてきた近藤さんの作品は安倍公房の部屋。建物の中に入れ子でもう一つ部屋をインストールした。そんな近藤さんから解体近い安倍公房自邸の記録をお願いされた。今後何らかの形で再現する機会を作りたいとのこと。研究室の学生10人を引き連れ安倍邸にやってきた。名だたる文人、芸術家が集まった応接間、趣味の写真を現像した暗室、伴侶真知さんのアトリエ、そして書斎。家を見るとその人となりが分かるとはまさにこんなことなのだろうと感じた。
書斎には脚の短い、茶色のビロードでくるまれた椅子が作り付けの机の脇に置かれていた。彼はその椅子を机と並行に置き、膝の上に画板を置いてその上で執筆していた。決してその椅子が机の方を向いていることは無かったそうである。
○藤島学長を表敬訪問
明後日から始まるワークショップの先生レネ・クーラルは「学長特別外国人招へい研究者」として来日した。というわけで先ずは学長を表敬訪問し、学長の前で30分ほどのプレゼンを行った。彼はデンマーク王立アカデミーの准教授でありかつ王立アカデミーの一研究機関であるスポーツ・建築研究センターの所長でもある。スポーツと建築と聞くとスタジアムの専門家と思う人が多いがそうではない。健康で豊かな生活を生み出す日常のエクササイズを誘発する建築・都市環境を考えるという意味合いである。そこでの彼の専門は自転車である。自転車が街を健康的にサステイナブルにし、そして自転車が街の新たな体験を生み出すというわけである。
彼と話をしていてバートレットのプログラムヘッドであるイアン・ボーデンを思い出す。彼は自転車ではなくスケートボードである。レネにイアンの話をしたらとても共感していた。
理科大建築学科に大森晃彦さんを特任教授としてお招きして早速金町建築トークなる新しい企画を立ち上げていただいた。初回のゲストは松隈洋さん。新国立競技場を考えるというお話。現国立競技場の歴史を踏まえた考えさせられるお話しだった。
僕は以前より二つのことが問題であると考えている。一つはオリンピックとは何を目的として行われているのかということ。オリンピックと言うもともとスポーツの祭典がいつしか経済復興あるいは国威発揚に利用されてきた。世界が戦後復興にしゃかりきになっているときは未だそれも許せる。しかし経済成長が2%を下回るような時代にそういう視点でオリンピックを行うのはおかしい。
まだこれから伸びる中国やブラジルならありうる話と思ってもみたが先日ブラジルで聞く話はだいたいがオリンピックに否定的で貧富の格差をもたらす以外の何物でもないという言い方なのである。そう思うと日本の今の経済成長の中であれだけのお金を投入してさてそんなものが今後の日本によく作用するとは思えないわけである。
さてもう一つのことは誰もが言うようにあのコンペの要項書は誰が作ったのかという問題にからむ。おそらくあの要項を作るためには誰かが疑似設計をしているはずで、それができる組織は民間の設計事務所かゼネコンである。どことは言わないが民間の会社であり彼らにしてみれば巨大で大きな金が投入されるものを作る方向に手が動くはずである。それは仕方ないことである。設計事務所や施工会社が作るのを止めて現国立競技場をリノベしましょうなどと言うわけがない。いやお役所でさえ経済活性化を狙うのだからなにかどで買いお金を動かしたいわけである。となれば発注側と受注側の利害は一致して誰も批判することなくあの要項書はできてしまったと思われる。そこがおかしい!!!オリンピック施設のおよそすべて、コンペコンペ外を問わず、第三者機関がチェックをするべきだった。いや今からでも遅くない。すべての予定建築をチェックすべきである。
6時から修士の設計課題講評会。日建亀井さんと山下さんが指導するスタジオ。前期の藤原さん小西さんのコンセプチャルなスタジオと真逆な超プラクティカルなスタジオに学生は右往左往しているのがよくわかる。本当はここに構造の人も入れて4万㎡の実施プロジェクトの様な課題をやってみても良かったと言う気もする。社会に出たときのギャップを学生時代に味わっておけばもっと学生時代と社会とがつながるだろうと思うからである。
まあこれだけ面倒くさい課題に対してそれなりによくやったと言う気もする、、、、甘いかなあ?
昨晩は学会の建築論・建築意匠小委員会が早稲田で行われた。夏の学会での会合は学生と建築見学をして出席できなかったので今回は是非出たかったのだが昼間は翻訳勉強会があり欠席。夜の懇親会だけ参加。今年から主査になった京都大学の西垣先生からからじっくりとハイデガー論を聞かせていただいた。さすが京都大学増田研の血が流れている。建築は道具であり道具は場を作り、道具は信頼を生むものだと言うハイデガーのテーゼをベースに自分の建築論構築されている。ああ夜だけでも参加させていただいた甲斐があった。この西垣先生が日建の桜井潔さんの同級生+同じ研究室だというのにはびっくり。桜井さんも学生時代にハイデガーを語っていたのだろうか?