翻訳は終わらない
毎月一回4人で翻訳読み合わせをやっている。今日も12時から5時まで5時間。今はエイドリアン・フォーティーのConcrete and Cultureという本を訳している。一通り訳し終わり、今は担当を変えて二回目の読み合わせをしている。翻訳という作業はきりがない。一度とても慎重に訳されたものでも人を変えて2回目のチェックを行うと必ず間違いを発見する。そして恐らく3度目をやれば、間違いはないかもしれないが、もっといい日本語が必ず見つかる。そして4回目をやれば、また必ずいい日本語が思い浮かぶだろう。しかしそんなことをしていると永遠に日の目を見ないことになるのでどこかで「しかたない」と思うしかない。翻訳の名手はどうしているのだろうか?村上春樹も「しかたない」と思っているのだろうか?