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日本に公共空間はあるか?

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公共性には三つの属性があると斉藤純一は述べている。①開かれていること(openness)②多様性が担保されていること(variety)③人と人の間に関心が向けられること(in-between)(斉藤純一『公共性』岩波書店2000)。なるほどそうなるとやたらと規則でがんじがらめの日本の公園と言うのは公共性がやや希薄なのかもしれない。
槙文彦はスーラの「グランドジャット島の日曜日の午後」で人々が皆違う方向を向いて公園の中で自然に混ざっている姿が都市の自然な風景だと言っていたそうだ。つまり個も群も両立する空間ということである(馬場正尊の『公共空間のリノベーション』学芸出版社2013)これはまさに斉藤氏が言う多様性が担保された空間であろう。
振り返って日本の都市の公共空間と言われている場所は上で言う公共性が担保されているのだろうか?デモをするとテロだと言う人が政府の要職を務めているようではとても怪しい。この人にとっては限られた思想をフォローする人にのみ開き、多様性を排除し、国家の像を投影する場所として公共の場所がイメージされているわけである。これは公共性ではなく国家の共同性の押しつけでしかない。
レネが面白いことを言っていた。デンマークでは自転車は道路のどこに置いても許される。のだが最近お店などが駐車禁止の看板を出したりする。しかしこれは違法であるという。なぜなら道路は公共の場所だから。こんな理屈は恐らく日本では通用しないだろう。つまり日本にはヨーロッパ的な公共性はやはり希薄なのである。日本のそれはpublic ではなくofficialと言う意味での公なのである。

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