原型をめざすか、ヴァリエーションを求めるか

「合理」だけではクライアントを説得できない

 坂牛  組織に10年在籍して思うのは、組織にいると「個」が薄められる、あるいはあえて薄めているのか、いずれにせよ、個人というか主体が消える部分がある。「個」が消えて、残っているのは何かと考えると、誤解を恐れずに言えば、それは「技術」だと思っているのですが、技術というのは料理人にとって包丁みたいなもので、使い方次第でどうにでもなる。そして、組織の技術の使い方の根本にあるものは、これも誤解を恐れずに言えば「合理」ということだろうと思う。その「合理」の意味が難しくて、下手をすると「制度」にからめ取られてしまうけれど、制度をすり抜けていく一つの技でもあるわけです。そして技術をすべて徹底的に合理に委ねてしまって主体を消して行けばいいのかというと、現在はそうではないと思うのですが、それで前進できた時代もあったわけです。林昌二さんの時代というのはたぶんそういう時代で、それで建築のある進歩、ある価値観が得られたわけです。それが正にモダニズムだったと思うのですが、ぼくらの世代は大学に入学したときに、ジェンクスの『ポストモダニズムの建築言語』やリオタールの『ポストモダンの条件』が既にあった、つまり、ポストモダンの真っ直中で建築教育を受けたわけで、その時、モダニズムは既に伝統だったのです。

 篠原  大学には入ったのは何年ですか?

 坂牛  1979年です。ですから、僕らの世代は実感として合理だけでは建築がつくれない。それは、ぼくらのみならず、同世代のクライアントの側もそうなってきているという感じがします。そうすると、その合理を突き破るようなエロスみたいなものがないことには、いたたまれない。そのエロスがどこから出てくるかが重要な部分だと思うのです。

 篠原  ポストモダンがその一部、あるいは全体を担ったと思いますか?

 坂牛  いわゆるヒストリシズムのようなポストモダンはまったく担っていないわけです。ぼくがアメリカに行ったときには、チャールズ・ムーアがヒストリシズム的なことをやっていましたけれど、フランク・ゲーリー、モーフォシス、オーエン・モスみたいな人たちがうごめき始めていました。ぼくの認識の中でポストモダン建築と言ったときには、ヒストリシズムだけではなくてもっといろんなものが含まれていて、それに対してある種の期待感はあったと思います。

 篠原  ヒストリシズムではない、ポストモダンのさまざまな造形を単純化して整理すれば、合理主義に対する新しい解釈ということ。モダニズムの合理主義というのはその頃すでに役に立たなくなっていた。しかし、それはもう一つの新しい合理主義なんですね。かつての合理主義とは異質の合理主義。そうすると、制度というのはどの辺にかかわるのだろう。

 鈴木  整理してみますと、今言っている「制度」とはいくつかに分かれていると思うのです。一つは合理主義やモダニズムが闘ってきた封建制などの制度がある。ところが制度への反旗をひるがえしていたはずの合理主義も、次の時代にとっては新たな制度となってしまった。そしてこの新しい制度は、普遍的な理にかなっていたからこそ逆に、非常に強い制度になった。ポストモダニズムは、その新たな制度、しかも強力で普遍的な制度に対する批判として出てきた。しかしそれも合理主義から抜け出ることができたわけではない。むしろそれは、それこそ資本主義の運動から見れば理にかなった「批判」でしかなかった。合理的な運動があるところまで来ると、一遍それを粉砕して不合理に見えるお祭りをやる。次にそれが沈静化してまた合理的な運動に入っていく。それは経済と連動していて、バブルという名のお祭りをして、また長い沈滞期に入って、そのうちまたお祭りをやるというところで理屈にかなってしまっている。もちろん、お祭りはお祭りでもいいんです。そこにエロスなり、人間の生を肯定するようなものを見いだしたのであればいいのですが、ポストモダニズムはそのお祭りに表層的に、言い換えれば軽薄にのっかっただけだった。本来、合理主義を徹底的にやっているはずの大企業が、お祭りになればお祭りの先頭に立って御神輿をかついでいた、というような情況だった。この情況に、ポストモダニズムがいわば理にかなった経済的運動であったことが現れていると思います。

 坂牛  制度にからめ取られているという意味ではお祭りにのっかっていた部分もあるけれど、しかし組織のクライテリアとしては、頑固に「合理」だったと思う。

 篠原  それは全面的に認めるわけにはいかないけれど、一応、第一次の肯定をしておこう(笑い)。とりあえず日建設計の合理主義は筋が通っていると認めましょう。問題はその合理主義の有効性です。かつての日建設計のたくましさ、その合理主義、大組織の強力な合理主義はそれはそれで見事だった。

 坂牛  合理主義を信頼して、新しい技術を開発することで生まれたものがある前進をうながした、という評価を受ける情況にあった。グリコではないですが、合理人粒で300メートルだったのです。しかし、現在ではそんなに飛べないというところでしょうか。ポストモダンについて、鈴木博之さんが、建築が技術や合理でつくっていくことができなくなったときにフラストレーションから発生した、と書いていましたが、確かに合理とか技術だけでものをつくっていても前に進めなくなったわけです。

 萩原  かつては西欧という概念でクライアントを説得できたように、林昌二さんの時代には技術というものでクライアントを説得できた。しかし、今は西欧も、技術も、大衆化した知識、言語になっている。おそらくこの二つは戦略にならないし、そのことがわれわれの世代にとっては重たくも感じます。

 篠原  いや、何もないんだから、軽い、という言い方もできる(笑い)。大組織の設計部でも、信頼に足る武器が見えなくなりつつある。現実には今までの延長上で、ある文脈の合理主義、ときにはミニマリズムのような手法を使い、あるいは反対に複合性というコンセプトでカバーし得る範囲の戦術を使いながらやってきたと思う。そして、そのやり方は決して間違っていなかった。実際に見ていませんが、「東京フォーラム」を例に取ると、とりあえずその路線で巨大なものが実現して、それなりのポピュラリティを獲得している。でも、建築家が空間をつくるという根源的な問題としてみると、それは既に完成し切った方法ではないだろうか。一種の合理主義。50年代の合理主義とレヴェルが違って、さまざまな条件に対して「合理」という答えが返ってくる、懐の広い合理主義。しかし、なおかつそういう意味での合理主義だけでは頼りないというフラストレーションが起きている。

 萩原  西欧とか合理という言葉はあまりにも一般言語として理解されていて、武器として通用しないというよりも、それを使えばクライアントとの共通認識が簡単に得られてしまって、そこには何も起きないということだと思います。しかし、その「武器」という言葉もモダニズムの特徴で、これからはそれは例えば「薬品」だとか、そういう言葉に置き換えられていくのかもしれない。武器というのは正にモノで相手を威嚇するわけです。一方、薬品は徐々に効いてくる、目に見えない空間の力のようなものでしょうか。先ほど鈴木さんが言ったように、お祭りと安定した時代が繰り返すということがおそらく歴史の原理で、2000年を超える頃にまた何か起こるという予想もあるだろうとは思うけれど、その起こり方はたぶん今までとは違うかたちを呈してくるだろうという気がしますけれど……。

 鈴木  「東京フォーラム」についてのぼくの感想は、「制度をくぐり抜けていく合理主義の亜種・変種がいかに多いか」ということでした。どんなかたちをとったとしても合理主義には変わりがなくて、それが手を替え品を替え出てきて、それなりのものができていくものだ、と。こういうものが出てくる時には何が制度であり何が反制度なのか、曖昧になっている。「武器」といっても、それが槍であるのか盾であるのかわからなくなっているような状態になっていると思います。
 なぜ、ポストモダンが結局のところ制度をこれっぽっちも揺るがすことなく、時代の空洞をくぐり抜けてしまったのか? やはりそれは一つには規範的な問題をきちんと考えなかったからではないか。他の芸術の分野を見ても、本来ポストモダンというのは、個と全体の関係をもう一度問い直すということだったはずです。モダニズムが「一般化」という方法で合理化を進めていったのに対して、「一般化」をやめて少し特殊なところで解答を見つける必要がある、というのがポストモダンのモチーフとしてあった。ところが建築におけるポストモダニズムというのは、ヒストリシズムにしても、別のかたちで一般解を出してポピュラリティを確保したという話にしかならなかったわけです。
 唯一、個と全体の関係があらわになるのは、坂本一成さんの星田アーバンリビングとか、山本理顕さんの熊本・保田窪団地といった集合住宅でした。それらはどうしても個人とか家族、全体と関係があらわにならざるを得ないビルディング・タイプだったからです。ところが、東京フォーラムをはじめとして今の公共建築は、その辺をすっ飛ばしている。例えば、公共のスペースといっても、結局それは昔ながらの広場やピロティの焼き直しでしかない。「一般化」していく限りにおいては問題は常に常にすり抜けていかざるを得ない。大規模な建築ではまさに「一般化」の極みの中で、この問題をないがしろにしている。ですから、それが武器になるかどうかは別として、建築家はもう少し小さなレヴェルの空間から考え始めた方がいいんじゃないかなという気がしています。

 篠原  それは「個」という問題になるわけですね。「個」の建築家と生身の人間がぶつかり合う「個」の空間。小さな空間がもう一度出てくる可能性がある。

 坂牛  小さい空間の中に凝縮した意味を見いだし、それに一般性を持たせるという考え方は確実にあると思いますが、例えばコルビュジエやミースの空間の祖型が住宅に表現され、それが彼らの一般的な建築論、建築になり得たという大きな理由は、モダニズムの一つの概念として「反復」というものがあったからです。マスプロダクションに乗っかるというような意味でも「反復」という概念が重要だったわけです。彼らのドローイングなどを見ていても、画面からはみ出るように集合住宅が描かれていて、ドミノでも、シトロエンでも、住宅の祖型が並んでいく中に全体としての意味を持っていた。モダニズムにおける小さい空間が持っていた大きな効果がそこにあったと思いますが、それが今の時代、小さな空間の有効性をどういうふうに見いだし得るのか。また、個性的なものがあり、それが大きな空間を貫くなにがしかの思想になっている必要性はあるとは思いますが、そのとき個の空間、あるいは小さな空間に現在どのような状況を凝縮することが有効かということを考えます。実際の仕事の上ではわれわれに住宅の仕事はほとんどありませんが、ドーム建築みたいなものを別にすれば、結局大きな建物もシーンの連続、小さな空間の連続と考えてよいのだと思います。
 個の空間を読み解くヒントとして、以前、竹山聖さんが妹島和世さんの建築を評して「妹島さんの建築は見る人に対してお前は誰だと問い掛けない建築だ」と指摘されていましたが、これは妹島さんの建築において建築と人間主体の対峙が希薄であり、もっと言えば建築をつくる人間主体もぎりぎりまで放棄しているかに見える雰囲気に魅力があるのだろうとぼくは理解しているのです。別な言い方をすれば、個がその周囲の状況からデタッチする雰囲気を持っていると思うのです。これはニヒリスティックになることを運命づけられた現代の状況にフィットしている。ただオウム事件とか震災などに見られるボランティア活動を見ていると、なにか若者の中にニヒルな構え方に飽きたらないものが出てきている、あるいは癒されないつらさみたいなものがあるような気がするのです。そこで個がもう少し周囲の状況にコミットしていくような空間というものが出てくるのではないでしょうか。

 篠原  例えば妹島さんの住宅はコミットに入る?

 坂牛  いえ、妹島さんの空間はデタッチの空間だと思う。

 篠原  あなたの文脈で言うと私がデタッチで妹島和世さんがコミット、と言おうと思ったのだけれど(笑い)。

 坂牛  それはどちらかと言えば逆のように思います(笑い)。

 篠原  「住宅は建築の集中表現である」というのは、モダニズムを支えた基本的な構図で、ポストモダンではそれはもう言えなかった。モダニズムの初期、50年代、60年代に成立した全建築の原型としての住宅という性格は、モダニズムの成長期に許された幸運であったと思う。もしこれから「個」あるいは「小空間」の中で新たな建築の確認ができるとすれば、実はそれは次のステップに入り込んでいるという証明になるはずです。ポストモダンでも、ある小さな家具の中に全体的な思想が凝縮されたようなデザインもありました。私はポストモダニズムを冷たく批判したけれども、それはポストモダニズムは第二幕にはならない、幕間劇にしかすぎないということで、それが楽しいものであるというのは否定しなかった。みんながあそこまでなだれ込んでいった理由は、やはりチャーミングな力があったからです。ただ、その運動の一番大きな問題は、技術を捨象したということです。楽しければいいという、その楽しさの度合いがかつてと違っていて、複合的な楽しさ、俗悪さも抱え込んだテクニックで、目的のためにはすべて合理、調子に乗った、限界まで拡大された合理主義でした。

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