原型をめざすか、ヴァリエーションを求めるか
 篠原一男 

 萩原 剛 

 鈴木隆之 

 坂牛 卓 

(敬称略)

建築を規制している「制度」の変貌

 篠原  今回は、世代がさらに若くなって、大きな組織に所属している萩原剛さん、坂牛卓さん、そして個人的な組織で仕事をしている鈴木隆之さんに、今、何か問題となっているかを聞きたいと思います。イージーにモダニズムが口にされるような情況を睨みながら、どのような効果的な問題提起ができるか。まず、断片的なところから会話を進めていきましょう。

 萩原  今、気になっている言葉のひとつは「制度」です。第二回建築会議の伊東豊雄さんの発言にも、ある意味でそれを読みとることができるように思いました。私は今、住宅を設計する人たちのスタンスとは正反対の位置ともいえる大きな組織の中で仕事をしているわけですが、その中で「制度」という枠組みが建築をある意味で規制していると感じています。50年代、60年代の住宅建築の革命的な時代には、建築は、家族あるいは封建的社会のような大きな制度に向かって闘っていた、という読み方がおそらくできると思いますが、それに対して今は、実はそういう制度は小さな問題になりつつある、あるいは違う問題に変わりつつあり、それに替わって、近代が残した都市的スケールの問題やモダニズムのもたらしたアプリオリなもの、あるいは、日本、ヨーロッパ、アメリカといった地域固有の社会的制度といった問題が浮上し、かつそれを受け入れていくことの矛盾もわかり始めてきた。大きな建築というのはそうした変化しつつある大きな制度の問題と立ち向かわざるを得ないわけですが、その制度に一度真面目に立ち向かってみようかな、あるいはその変化を逆手に取ることから建築の変貌もありうる、と感じているのが組織の中にいる私の今のスタンスです。

 篠原  今、建築の設計に対して「制度」が厳しい条件としてありますか?

 萩原  例えばかつての住宅設計は家族制度、封建的社会制度といった問題に対峙したがゆえに建築の批評性を持ち得ていましたが、それに対して都市は、戦後の復興の中で爆発的な量のビルをつくることに邁進していたわけです。それはある意味では制度を度外視して巨大な気積をつくってきたわけで、現在のわれわれは、その結果として生まれた東京のような巨大な都市をまったく無視したかたちでは建築はつくれなくなった。それが一つの大きな制約条件、制度としてわれわれの前に現れている。実はいま、そういうことの方が建築にとって家族制度と対峙するよりも難しい問題になっているのではないかと思います。

 鈴木  伊東豊雄さんはこの会議の中で、住宅にはもはや闘うべき問題が見つからない、公共建築にのみ批評性がまだ存在し得るという旨の発言をしていた。モダニズムにはさまざまな方向の可能性があって、その中で、圧倒的な資本主義、つまりモノとお金と人間それに情報の流通によって成立する、そういう巨大な運動としてのモダニズムが残ってしまった。そうすると、モダニズムが公共建築、巨大空間、あるいは都市の問題として立ち現れてくるのは当然なのかもしれない、と一方では思います。しかし他方で、そういう言い方で小さい空間を捨象してしまうのは、モダニズムの別の可能性をどこかに置いてきてしまうような感じがする。そう思いながら、荻原さんの話を聞いていました。
 巨大建築ブームをすべて否定するつもりはありません。しかし、「東京フォーラム」ができて、「京都駅ビル」が話題になり、それから名古屋も駅前再開発をやっているし、長野オリンピックでも非常に大きな建物がつくられた。モダニズムをその原点に立ち戻って考えなくてはいけないこの時期に、大空間や巨大建築ばかりが目を引いてしまう状況には、何か納得できないものを感じてしまいます。

 篠原  それは制度にぶつかっているからではなくて、むしろ制度にうまくのっかっているからですね。

 鈴木  巨大で「新しい」空間の実現、という題目の陰で、根源的な批評性がどこかに飛んでしまっている。巨大建築の量産が可能になって、それ自体が目的化している。零細企業の社長としては無力感を感じるところでもあります(笑い)。

 篠原  例えば、丹下健三さんの最初の都庁舎というのは、制度と相当ぶつかっていたはずです。ガラス張りのあの建築が当時の、今でも同じかもしれない、役人の職務スタイルとどのくらいギャップがあったか。書類の山でお互いのプライバシーをつくるという日本の役所の典型的なスタイルがあの中にぶち込まれていた。でも、われわれは丹下さんがあそこで導入した最盛期モダニズムをそれとは切り放して分離して見ていた。賢い分離だった。今、建築家が持っている方法が制度、社会、資本主義の何の制度と、具体的にどうぶつかっているのか。

 坂牛  建築家が制度から逸脱するということは現在ではたいへん難しいことだと思います。丹下先生の時代、あるいは磯崎さんが違犯と称して銀行をつくったり、篠原先生が伝統を解体していった時代と異なり、現在では制度と闘い、制度を突き破ったかに見えた瞬間に次の制度を生み出すようなところがあるわけです。だから制度との距離を過大に取ろうとしてもそれは徒労であり、微少に保ちつつ、あるいは制度に埋没しているかの如く振る舞い、しかし何か得体の知れないカビのようなものを少しずつくっつけていくことが現在の制度との付き合い方だと思います。もちろん、ミクロに見れば制度との摩擦はたくさんあると思いますけど。

 萩原  今まで、さまざまなクライアントとお付き合いをして、日本の社会というのはある家族社会の集合だということを、日本の「制度」の根幹として実感しています。例えば大企業の意志決定の手法は、いまだにピラミッド型の封建的システムでなされるわけで、建築家はそのシステムと対峙して建築をつくっていく。それは、かつての住宅設計が直面した意志決定の仕方と似たものがまだ残っているわけです。
 そして、先ほどのモダニズムの問題と関連しますが、われわれの世代はもう一つ新しい「制度」を貰っちゃったなあ、と感じています。というのは、われわれは戦後のモダニズム建築が都市の中につくり出してきたスカイラインを既存のものとして建築をつくらなければならない、という状況にある。つまり、平板なプレートの上に建築をつくるということはもはやあり得ないという中でつくらなければならない。今進めているプロジェクトも50年代にできたモダニズム建築三棟を段階的に解体し、新たな建築を移植していくというものです。まるで複雑な手術のように。そういう意味でわれわれは新しい制度を貰ってしまったし、こえも今日的な問題なのかなと感じています。伊東さんが行っている公共建築における制度とか制約は、比較的リアルな問題で、その根幹にもうちょっと大きな問題が出てきているのかな、という感じを持っています。

 篠原  住宅設計も同じで、今、誰もその「制度」にぶつかっていない、全部素通りしているのではないか。問題は、かつて、われわれが出会った日本封建制度社会の生活様式との闘いや対決はもう存在していない。しかし一方、建築家のかつてのその活動も、制度そのものと真正面からぶつかり、闘い勝ったというわけではない。民主主義社会の外国から学んだモダニズムという説明をすれば日本ではそれで通るわけで、これこそ新しい世界、新しい社会であるという旗印のもとに、建築家は生活と空間をめぐる制度と真っ正面からぶつからないでやってきた。建築家は社会学者ではないから、制度とまともとぶつかったら仕事はできないはずです。だから、制度に関しての根本的な改革ではなく、モダニズムを通すための戦術を考えながらやってきたと思う。その点は今も同じだけれど、ただ、半世紀前の社会が持っていた封建的なものは薄められてきているのではないか。それは、公共建築もそうで、今はそんなに強くないのではないですか?
 問題は、制度の問題が建築を良い意味でも悪い意味でも変質させていく契機になるかどうかですね。

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