2007年07月19日

第13講お題

質問が遅れて恐縮である。ずばり聞こう。建築にとって透明感がもたらすものは何か?透明建築が増えることをどう考えるか?結構難しい質問かもしれない。美学的に、哲学的に、工学的に考えてみよう。しかし単なる説明ではなくそれぞれの価値観をそこに照射させて欲しい。

2007年07月09日

第12講お題

今日の話は構造。建築の構造には大別すると二つの意味がある。ひとつは建物を支持する意味での構造。二つ目は主として言語学をベースとする図式としての構造である。
さて今日のお題だがここでの構造はこの最初の建物を支持する意味での構造とする。その上で次の問いに答えて欲しい「あなたにとって建築の構造はどのような意味をもつものか?」起承転結の明快な文章800字で答えよ。

2007年07月02日

第11講お題

そろそろばててきた。この講義はやる方も体力がいる。パワポを使っていないこともあり話の流れが頭に入ってないと繋がらない。そんなの教師の仕事だから当たり前のことではあるが、、、。さて今日はこの本の2つめのビッグサブジェクト、「空間」である。今日の一番の大きなポイントは皆が当たり前のように使っている建築の評価基準のひとつである「空間」という概念は社会が(建築関係者が)取り決めた建築の1つの見方に過ぎないという点である。例を挙げてみよう。空間の美を自らの建築の中心的価値においていた篠原一男の弟子である坂本一成の名作代田の町屋ができたとき篠原研の面々の一人武田光史は「この建物には空間が無い」と言って批判的な感想を述べたそうである。しかしその後建築は坂本の慧眼が予期したとおり空間から物や場へと移っていってしまった。空間を通して建築を批評するという時代は全面的ではないにしても過去のものとなっているのである。このように建築の価値付与とは普遍的なものではない。その暫定性をわれわれは常に柔軟に受け止めないといけない。
そこで皆に聞こう。「ある対象はある時代はAという価値観で評価されていたが現代その対象はBとい価値観で評価されている。そうした事例をきちんとした史実を調べその典拠を明確にして回答せよ」

2007年06月25日

第十講お題

今日はテーマが二つ。オーダーと簡潔性である。今日は実に重要な話をした。オーダー(秩序)という概念はプラトンのイデアに始まる個物の概念=デザインが制作の段階において個物に変換されるときに登場する。そして特に近代ではその変換の中に機械が必然的に介在する。そのときこの秩序概念は簡潔性を呼び込むのである。そして重要なのはその時代の制作の論理がその時代の秩序概念を決定していくという点である。モダニズムは上記の通り機械の論理が簡潔性を招来するのだが例えばゴシックの時代にはそんなことはない。神に導かれた高度を作る石積みの論理が秩序を作っていたと言えるであろう。そうした時代の認識をエピステーメーと呼びフーコーがその事実を明らかにしたわけである。さて授業の補足はこのくらいにして。今日の質問は少し建築を離れてみよう。君たちの身の回りに存在する秩序を提示して欲しいそしてその秩序が時代が異なれば通用しないものであることを示すことで秩序概念は恒久的な真理ではないことを示して欲しい。。

2007年06月19日

第九講お題

本日のテーマは自然である。自然はプラトンの解釈に始まり現代でも息づいている。そして未来永劫建築から自然と言うテーマが消えることは無いであろう。さて今日の質問である。「自然を建築の根源的テーマとしてその主軸に据えることの妥当性を自然をどのような意味で使用しているかを明示した上で論ぜよ」。尚自然を環境という意味で使用してはならない。その理由は今日環境と建築の関係を考えることは基本でありその倫理的な妥当性は明白であるからだ。つまり今日のお題のポイントはあなたの自然解釈でありその妥当性ということになろう。また今日のテーマはかなり個人差が出てくるであろうが、文章の書き方として前回注意したように、文章の平坦性を回避する意味でも、転回することを心がけて欲しい。それでは個人個人の発想の豊かさを持って僕がわくわくするような文章を期待する。

2007年06月11日

第8講お題

私は建築の設計をしながらそのクライアントやその使用者の記憶を蘇らせたいと思ったことは実はない。あれだけ授業でその重要性を言っておきながら。そんなものを頼りにせずに建築を作れないかと思ってきたところがある。やはり何じゃかんじゃ言ってもモダニストなのだろうか?
それは授業の最初にも言ったのだがそんなあやふやなものを頼りに建築を作れないと思っているからかもしれない。しかし一方で建築は建築家の意思が伝わるものだとも思っていない。それほど楽天家でもない。それでは一体僕は何を頼りに建築を作っているのだろうかと考えてしま時がある。その内容は長くなるのでここでは語らないが、さて、皆は建築に記憶をこめることが可能だと思うか?そしてそれはどうしてか?noと答える人はそれでは人が建築から受け取るものは何かということを含めてその理由を答えて欲しい。

2007年06月04日

第七講お題

本日の講義は歴史。歴史研究室の諸君にいろいろ質問したかったが、残念ながら調査欠席が多かった。今日のテーマで重要なのは歴史の二つの解釈である。1つは歴史主義といわれれる、歴史との継続性あるいは歴史の模倣をもって歴史を尊重する態度。二つ目はその時代の時代性を刻印することにより歴史を尊重する態度である。そこできょうのお題である。あなたにとって歴史から学ぶとはどちらに近いかそしてそれはなぜか。完結にしかし説得力のある回答を期待する。評者は忘れずに金曜日までに記入せよ。

2007年05月28日

第六講お題

今日は機能functionという前回に続き重い内容だった。そして「人間にとっての使い勝手」という意味がこの言葉に込められたのはつい最近という事実に皆も目から鱗だったのではないだろうか?使い勝手という概念も度を超すと昨今のコンビニ住宅のように何でも電化されてコンピューター化されてボタンひとつで家が動くような建物になってしまう。そういう場所は便利だろうけれど僕はあまり住みたい気はしない。もっと心の安らぎを得られることのほうが重要ではと思ってしまう。
さて上記使い勝手はドイツ語ではツヴェックマーシッヒという言葉で表される内容でありもう1つザッハリッヒと言う言葉も機能を表す。しかしそれは人にとっての良さではなくものとしての良さである。例えばチーターはその走る速さでは動物1である。そしてそれによって外敵から身を守る。これをわれわれは機能的と呼ぶ場合もある。この場合の意味がザッハリッヒであろう。
そこであなたにとってザッハリッヒな良さを感じる建築をあげてその理由を説明して欲しい。

2007年05月21日

題五講お題

今日は食傷気味。内容が濃い。なんといってもformだから。formには二つの意味があるというのが始まり。それは時代とともに変遷するが大別すれば形と観念である。しかし科学偏重の現代においては形式主義が勢いを持ち、この二つ目の意味を曇らせているというのがポイントである。
さて今日のお題。君は建築からform(形と観念)を感じ取ることができるか?あるいは感じ取ることに意義を見出せるか?あるいは形だけを知覚すればそれでよいか?逆に設計をするときにformを作ろうとしているか?あるいはformを作ることは可能と考えるか?あるいは形のみを作ること以外に可能性は無いと感じるか?
これら全てに答えてもよいし、受容の側だけから、あるいは創作の側だけから答えてもよい。トピックセンテンスを忘れずに正しい日本語で答えて欲しい。

2007年05月14日

第四講お題

今日は瞬間設計に時間を食って説明がちょっと軽く終わってしまった。さて本日のテーマはフレキシビリティ。今日の講義で一番大事な人は最後に登場したルフェーブルそしてその概念「流用」である。そこで君たちの想像力を試そう。今君たちの周辺の建物で最も不要と思われる建物を一個あげてそれを何に変えたいか述べて欲しい。それはしかし単純に子供のわがままのようなものではダメである。新たな機能がもとの建物の建築的特質を十分に活用できるような提案をして欲しい。さあ小森君皆が納得のいく評をお願いしたい。

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