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第8講お題

私は建築の設計をしながらそのクライアントやその使用者の記憶を蘇らせたいと思ったことは実はない。あれだけ授業でその重要性を言っておきながら。そんなものを頼りにせずに建築を作れないかと思ってきたところがある。やはり何じゃかんじゃ言ってもモダニストなのだろうか?
それは授業の最初にも言ったのだがそんなあやふやなものを頼りに建築を作れないと思っているからかもしれない。しかし一方で建築は建築家の意思が伝わるものだとも思っていない。それほど楽天家でもない。それでは一体僕は何を頼りに建築を作っているのだろうかと考えてしま時がある。その内容は長くなるのでここでは語らないが、さて、皆は建築に記憶をこめることが可能だと思うか?そしてそれはどうしてか?noと答える人はそれでは人が建築から受け取るものは何かということを含めてその理由を答えて欲しい。

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2007年06月11日 14:49に投稿されたエントリーのページです。

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