連窓の家 #2 窓図
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日常的形式の反復
つまり素材が言葉に回収されないためには、素材と形の組合せが重要である。もちろん未知の素材が提示されればそれは形とは無関係に言葉にならず、驚きが残る。しかしさしあたりそうしたエキセントリックな素材の露呈は、形式主義に対する質料主義という単眼的主張の隘路にはまり込むだけである。むしろ普通のどこにでもある素材が、その形の変化の中で新たな表情を提示することの方が面白い。
そうした前提で建築を見返してみると、建築とは、形と素材で成り立っているということが改めて見えてくる。屋根はいくらかの勾配という形を持ち、瓦、鉄、石、等でできている。壁は一般に垂直な面であり、石、土、鉄、木、等でできている。柱は垂直な線形であり、木、鉄、コンクリート、等でできている。建築の部分は形がありその形に、数種類の素材の選択肢があるものだ。
ところがこうした選択肢を持たず、ほぼ一義的に素材が決められている部分がある。それは窓である。建築が外部との関係を持つところが窓であるから、そこに求められる性質は透過性であり、少なくとも現代建築において窓の素材はガラスである。先述したとおり、素材の変化を示そうとするなら窓は適さない。しかし形との組合せにおいて、素材の異なる側面を浮上させようとするならば、窓は素材が一定であるだけに素材の微妙な変化が見て取り易い。
ではどのようにして、素材に新たな形を付与するのだろうか? いきなり丸や四角や三角などの、普通と違う形をあてはめれば良いのだろうか? 否。それでは丸や三角四角という言葉で、再び回収されてしまうのである。だから、窓が窓という日常の形を最大限維持しながら、その上で最大限離れていくという方法を取るべきであろう。
それは言ってみれば、拡大あるいは縮小コピーのようなものだろう。形のあるフェーズは残しながら、あるフェーズを変形するということである。だから、僕は窓をひき延ばした。ある時はx方向に、ある時はy方向に拡大コピーした。さらに窓が普通、部屋を部屋として特徴づける一つの空間のまとまりを作る装置であるという特性を崩し、部屋と部屋、あるいは外部から内部というように基本形状を維持しつつ、置き方を変えた。これも広い意味で形の操作ということになるであろう。こうした操作によって、ガラスは普通窓として持っている形のある面を維持しつつ変形される。この時、人は、この素材を今までと少し違う何かとして「気にする」のである。その気にすることの何回かに1回、この素材が今までと異なる現象をすれば意図は達成される。
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